第22話 油断

 破裂音。火。煙。宙を飛び、地面を転がった薬莢の金属音。


 やはり、反動は夜シルが思っていたよりもずっと大きい。が、今度は命中した。

 銃から発射された弾丸は肉塊の柔らかい表面に到着すると、回転しながら腐肉を巻き込んで、巨大な穴を開けながら突き進んだ。


 散らばる赤、体液。そして流血。


「な、なん、だと……!」


 肉塊が呻く。

 その威力に、撃った夜シル自身が驚いていた。

 直径にして50センチメートルはあるだろうか。


 とにかく、銃撃で開いた穴は巨大だった。

 地面に散乱した肉は、地面に落ちると煙を上げて消えていく。

 肉塊は先ほど創り出した唇から、血のあぶくを吐き出しながら、言った。


「そ、そんな小さな口径の銃で、どうして、こんな威力が……!」

「う、うおおおおお!」


 夜シルは叫ぶと、再び引き金を引いた。

 再び着弾した弾丸は、肉塊が反撃しようと伸ばした触手ごと肩の部分を吹き飛ばす。

 二発、三発と続くと、肉塊はバラバラに分断されながら周囲に肉をまき散らして、倒れた。


「ば、ばかな……! まじないの力でも込められているのか……!」

「くたばれ! 化け物!」


 息を荒げ、ぐちゃぐちゃに散らばった肉を見下し、夜シルは吠える。

 肉は唸りを上げながら、悲痛な叫びを漏らした。


「やめろ! やめて、くれ! 分かった、僕の負けだ!」


 だが、夜シルは容赦しない。

 倒れている肉に向けて、トドメと言わんばかりの発砲を加えた。


 赤い火が噴き、薬莢が再び宙を舞い、落ちる。

 そして、その金属の筒が転がり十数秒。

 全ての時間が止まったかのように、何も動かなかった。


 肉塊も、希ルエも、樹ミ少年も。


「倒した、のか……? これで」


 汗が夜シルの顔を流れ、落ちた。

 地面に黒い染みを作り、乾いて消えていく。


 どれだけ待っても、肉は動かない。


 ふと、夜シルは肉の向こう側、倒れている魚住・希ルエと原田・樹ミ少年の方を見る。

 未だ上に覆いかぶさっている樹ミ少年に潰されて苦しいのだろうか、希ルエのうめき声が聞こえたのだ。


「大丈夫ですか? 魚住・希ルエさん」


 夜シルは肉を警戒しながら希ルエに近づいた。

 一歩、二歩、三歩……


 しかし、どれだけ近づいても肉は動かない。

 どうやら本当に倒したらしい。


「う……樹ミ君……」


 希ルエが、少年の名を呼んだ。

 樹ミ少年は、気絶しているのか、まったく起き上がる気配がない。

 急ぎ、駆け付けた夜シルは、ぐったりとしている樹ミ少年の体に触りながら、思った。


 ――魚住・希ルエと一緒にいるこの少年は誰だ? 何なんだ?

 夢魔との話の途中で『死んだ』なんてことが言われていたが……遊ヒトのように、夢魔が演出のために作り出した偽物なのか?

 だが、それにしては、自分の助けを積極的にしてくれていた。

 夢魔が作り出したのなら、自分の味方をするわけがない。


 一体、何者なんだ?


 ……考えれば考えるほど分からないと、夜シルは思う。

 やはり、一度、しっかりと灰谷・真ロウや沢田・ア墨に話を聞かなければならない。

 夢魔を倒すと言う仕事について、知らないことが多すぎる。

 いや、今は出来ることをしなければ。


 夜シルは混乱を振り払うと、少年の首筋に指をあてた。

 夢の中、すでに実在しないであろう少年が生きているか、なんて調べることに意味はなさそうだったが、それでも、夜シルは確かめずにはいられなかった。


「良かった。生きてる」


 指先には、確かな鼓動が感じられている。

 とは言え、このままにはしておけない。

 夜シルは樹ミ少年の体を少しずらすと、潰れていた希ルエを起き上がらせた。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ。……あの、彼は? 樹ミ君は無事ですか?」

「生きてます。多分。でも、彼は誰なんですか?」

「彼は、昔、私のボーイフレンドだった人です。私を守るために、心に残っていたって」

「心に残っていた?」


 そんなことがあるのだろうかと夜シルは不思議に思う。

 しかし、少年の頭を撫でている希ルエの表情が、あまりにも優しく、穏やかで、夜シルは疑問も忘れて見つめてしまった。


「……ところで、あの、あなたは?」


 希ルエが夜シルを見つめ返し、夜シルはハッと思い出したかのように言った。


「俺は……あなたを助けに来た者です」


 夜シルは、それしか言えなかった。

 それだけでは説明不足だと、追加で何かを言おうとしたが、それ以外は何も言えなかった。


 だが、夜シルが上手く説明できないのは仕方がないことである。

 何しろ、今回のこれが夜シルにとっては初仕事だ。

 すでに組織の一員であると言う、どこか責任感めいたものもプレッシャーとなり、間違ったことを言ってはいけないと言う強迫観念にも似た緊張感が夜シルの思考を鈍くさせていたのだ。


 それに、希ルエは夜シルから見て、とんでもない美人に見える。

 すでに結婚していて、夫もいると分かっていても、それでもドキドキとしてしまうのは、希ルエがまだ24歳と若かったからかもしれない。

 とにかく、17歳の少年である夜シルは一生懸命に言葉を紡ぎ出そうとした。

 女性慣れしていない彼にとって、それは大変な労力だったが、説明しなければならない。


 しかし、先に言葉を発したのは希ルエだった。


「助けに来てくれたって、私を? どうやって?」


 希ルエはいぶかし気に夜シルを見つめ返し、ハッとして肉塊だった残骸を見た。


「そうだ……! 私の、夫はどうなったんですか?」

「あれは、希ルエさんの夫じゃありません」


 夜シルは言った。

 今度は自身の経験から、はっきりとわかることを。


「これは悪い夢なんです。人の夢の中に現れて、人を殺す悪魔が増えていて、それで、希ルエさんを殺そうとしてたんです」


 希ルエは夜シルの言葉を聞いて、夢の中と言う言葉が引っ掛かったらしい。


「夢? ……そっか。夢なんですね? こんなこと、現実であるわけがないから。じゃあ、もちろん、あの夫は、本物じゃないんですよね? 夢の中なら」

「そうです」

「じゃあ、私の夫は、死んだわけじゃないんだ」


 心の底から安心したかのような顔で、希ルエは笑った。


「希ルエさん、とりあえず、行きましょう。俺の先輩もいますし……」


 その時、樹ミ少年が目を覚ました。

 息をフッと漏らして立ち上がると、周囲を見渡し、希ルエを見る。


「希ルエ……?」

「樹ミ君!」


 希ルエは樹ミ少年に抱き着いた。


「き、希ルエ、痛いよ。それに、夜シル君が見てるから」

「ご、ごめん」


 樹ミ少年は希ルエを引き剥がし、立ち上がって前に出た。

 夜シルに向かって、手を差し出す。


「ありがとう。君のおかげで助かった。僕だけじゃ、守れなかった」

「あ、ああ」


 夜シルは、どうにもならない違和感に慄く。


「僕は、原田・樹ミ」


 夜シルは差し出された手が、握手を求めているのだと分かってはいたが……それを握れずに、じっと樹ミ少年を見る。


「握手は嫌いかい?」

「……いや、そうじゃないよ。でも、その、質問したい」

「何だい?」

「俺、まだ名乗ってない。何で、俺の名前、って知って……」


 樹ミ少年はハッと驚いた様子を見せた。

 そして、笑った。


「そりゃ、僕は知っているよ。だって、つい最近だもの。ちゃんと説明するから、聴いてくれないか?」


 樹ミがそう口にした瞬間、ふと、夜シルの視界で何かが蠢いた。

 遠く、公園の隅の地面から何かが生えている。

 まるで植物のように、ゆっくりと、だが、確実に伸びているそれは赤と黒、それから白とピンクに彩られてヌラヌラと光りながらうねっていた。


「そんな、まさか……」


 夜シルはグッと歯を噛みしめて、それを見る。

 肉だった。

 肉が地面から生えて、樹木のように成長している。


「希ルエさん、まだ終わってない! 樹ミ君も、俺の後ろに……!」


 夜シルは二人の前に走り、遠くの肉に向けて銃を構えた。

 その瞬間、背後の樹ミ少年がクックックと笑いだす。


「……おいおい、夜シル君。一度、疑いを向けたろ? 説明が済む前に僕に背中を向けて良いのかい?」

「え?」


 気づいた時には遅かった。

 樹ミ少年の腕が変形しながら伸びて、夜シルの体を引き裂こうと迫る。

 振り向いた夜シルが紙一重でかわせたのは奇跡としか言いようがない。


「きゃあああああ!」

「くっ……!」


 希ルエの悲鳴を聞きながら夜シルは転がり、受け身を取って起き上がると銃を構え直す。


 だが、撃てない。

 すでに樹ミ少年は希ルエの体を抱き寄せて、盾にしていたのだ。


「な、なんでだ。そんな!」

「はーい、僕の勝ちぃ!」


 信じられない。

 原田・樹ミが邪悪な笑いの表情を浮かべて、長く伸びた鋭い爪を希ルエの首元に触れさせていた。

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