第22話

 昨日の休みにまともに身体を休めなかったツケが夜になって回ってきた。新宿御苑の大木戸門の前に車を止めて休憩に入った。座席を倒して横になり俺は昨夜見た大野の動画を思い起こした。


 最初の記録は大野の対応がどうだったにしろ客のあの剣幕ではクレームになってもおかしくない。だが他の4つの記録はトラブルがあった様子はなかった。そもそもトラブルではない記録が抜かれて保存されているのがおかしい。大野が他の乗務員の記録を持っていることも普通では考えられない。


 当然それは正規に抜き出されて保管されたものではない。それに全てが同じ客の記録だという事実。千尋を尾行した男が俺たちと同じ会社のタクシー運転手で、そいつが大野と同じ客を乗せ、映像記録が大野のノートパソコンに保存されている。全てがリンクしているに違いないが、そこから大野の失踪へと繋がるピースが見当たらなかった。


 大野を信じたい気持ちと疑う気持ちが心の中でせめぎ合っていた。そんな自分の感情に嫌悪感を抱き、俺は外に出て新鮮とは言えない新宿の空気を吸い込んだ。都心から新宿に入る実車のタクシーが何台も走って行く。


 一人の人間が失踪して3日が経ったが新宿と言う街は何も変わらずに回り続けている。大野のアパートの住人は大野が帰っていないことに気づいてすら居ないだろう。乗務員たちはその日の稼ぎこそが何よりの気がかりで失踪した人間のことなどもう忘れているかもしれない。


 やり切れない気持ちに何もかも投げ出したくなったが千尋に殴られた胸が疼いて俺を叱咤した。少なくても一人、大野の失踪に心を痛めている者が居て、そうだ、大野は俺に助けを求めて書き置きを残したんだ。


 その思いに行き着いた時、俺は最後のピースを掴みかけた気がした。しかしタイミング悪く背広のポケットの中で携帯電話が震え、思考が中断された。その何かを掴むことができなかったことは大きなミスになるに違いないと苦い思いが心を満たした。


 電話は梅島からだった。


「もしもし?」

「やけに不機嫌だな?何度も電話を貰ってすまなかった。クレームが続いてな、対応に追われていた」


 梅島は申し訳なさそうに言った。


「お前に頼まれてた大野のクレームの件だが」

「客が殴られて怪我をしたって内容じゃないですか?」

「おまえ、どうしてそれを?」


 俺は大野の部屋からノートパソコンを持ち出し、その中に動画が入っていた経緯を梅島に話したがクレームの映像以外の話は伏せた。


「それが本当なら相当まずい話だぞ。大野は車内映像を個人的に持ち出したってことになる。あいつはなんでそんなことを……。」

「まだ会社ですか?」

「あぁ、心配するな、俺一人だ」

「わかりました。大野のクレームの詳細を教えてもらえますか?」


 俺は車に乗り込んで電話に耳を傾けた。


「お前の見た映像の件に間違いないと思うが」


 梅島はそう前置きして大野の顛末書の内容を説明してくれた。


 あの時、後ろの一般車から降りてきた二人組に最初に引きずり出されたのは大野だ。胸ぐらを掴まれた大野は馬鹿正直に、客がいちゃついていて行き先を言わないから車を出せなかったと二人組に説明した。矛先が乗客に変わり女は近くの店に逃げ込んだが男の方は捕まって顔を何発も殴られたということだった。あとは映像にあった通り大野が会社に電話をかけ、男が直接電話に出てクレーム案件になった。後日、男は会社に対して謝罪と慰謝料、治療費を請求し会社側はそれを払うことで和解となっていた。


「金を請求するなら殴った奴等に請求するのが筋じゃないですか?なぜ会社は払ったんです?」

「確かにな、お前の言う通りだ。ただ、この件は相手が悪かったんだよ。その映像に写っている客の男は関東運輸局の役人だ」


「最悪だ」


 俺は思わず呟いた。

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