第48話 慕情の産物

 百合子の周りをパラディがせわしなく歩き回り、やるせない声で鳴くものだから、釣られて泣きたくなってくる。


 背後から聞こえるカヤノツチとジーンの会話は、暗に自分に向けられていることを理解していた。百合子は瞑目し、顔を歪める。


 そんな誘いにのって声を出すくらいなら、これほど頭を悩ませることもなかっただろう。

 

 この三日間、無言で冠を編み続けた。悩ましくも、言葉を発しない時間というものは、否応なく己と対峙するはめになる。


 そして、沈黙の中で気づいた。罪悪感というくさびが、自分の胸に打ち込まれていることに。


 この瞬間も、一方的にジーンの命を奪っていることを思うと、人の道に外れた自分に愕然とし、底の見えない暗い沼に落ちてゆくような感覚を覚えた。


 パンタシアに言われるまま、指先を血に染めながらイラクサを編んでいるのは、暗鬱な良心を打ち消すための作業なのかもしれない。


 しかも、堕罪だざいとは全く異質な重石おもしが、もう一つ心中を占めているから始末に負えない。


 かつて告げることなく、飲み込んだもの。

 『恋慕』という感情だ。


 誰かに恋い焦がれることは喜びであると同時に、時に残酷なものでもあることを、百合子はよく知っている。


 二人の終焉は、今日かもしれないし、明日かもしれない。

 一秒も無駄に出来ない事実に焦る。


 ジーンとカヤノツチの声が途絶えたかと思うと、しばらくして寝室の扉が開かれる音がした。


 百合子の心臓は、急にトクトクと早いピッチで鼓動し始める。ゆっくりと振り返り、寝室の方を見遣ると、ジーンが入っていくのが見えた。


 聞こえてくる雑音から推測するに、クローゼットの中を漁っているらしい。


――どうか、見つかりませんように。


 祈りも虚しく、ジーンは戦利品を手に掲げ、寝室から姿を現した。


 カヤノツチに歩み寄るジーンの端正な面差しには、いつもの穏やかさが微塵も感じられない。


 荒々しく剣のあるジーンの横顔に、百合子は息を飲んだ。何をどう対処するのが正しいのか、全く思いつかない。


 あの木箱の中には、アモルのめいを受けた、優美で官能的な妖精が潜んでいるわけで、状況が明るみに出るのは時間の問題である。


 カヤノツチはソファの上で両足をパタパタと交差させながら、ジーンの手にある木箱を指差して叫んだ。


「それはなんじゃ? 気になる! 気になるのう!」


 ジーンは感情を隠すように、再び口元をほころばせると、無邪気に両手を差し出すカヤノツチに木箱を手渡す。


「どうぞ」


 誕生日プレゼントをもらった子供のように両目を輝かせながら、カヤノツチがジーンを見上げる。


「わしが開けていいのか?」


「もちろん。中は魔界と繋がっているはずですが、ご安心を」


 カヤノツチは蓋にかけた手を、ぴたっと止めた。

 目を細め、訝しげな視線をジーンに向ける。


「胡散臭いのう……呪われたりせんじゃろうな?」


「問題ありません。噛みついたりもしませんよ。なんなら、僕が開けましょうか?」


 カヤノツチは少しだけ悩んだ後、首をぷいぷいと横に振った。びっくり箱を開ける楽しみは、他人に渡すものではない。


「では、どうぞ」


 そう言って、ジーンは天使のごとく清らかな微笑を浮かべている。不安を払拭出来た訳ではないが、閉じた箱は開けたくなるもの。


 ジーンと百合子は閃光に備えて、顔をそむける。


 光が走る前の一瞬、カヤノツチは不用意に箱の中を覗いてしまった。部屋中に広がった白い光を真っ向から受けてしまうという、不測の事態に声を上げた。


「うおおおぉ! ま、まぶしい!」

 

 童女の短い叫びの後、部屋には静寂が戻り、最初に箱の中から艶っぽい女の声が響いた。


 今、起きたと言わんばかりに大欠伸おおあくびしながら、


「あらやだ、リアンノンじゃない。元気?」


「やっぱり君だったか」

 

 木箱を渡しながら、百合子に耳打ちするアモルの微笑を、ジーンは思い出していた。伏し目がちに「なるほど」と呟いた。


 無表情で見上げてくる妖精を、ジーンは冷たく見下ろして言った。

 

「いつもの宝石箱じゃないんだね」


 磨かれた褐色の肌に、情熱を絵に描いたような赤い髪のパンタシアは、肩をすくめて「そうなの」と不満そうに言った。


 顔見知りらしい二人のやりとりに眉を寄せ、カヤノツチは期待外れの中身に溜息を吐き出すと、面白くなさそうに鼻をフンと鳴らした。


「どこの酒場から現れたのやら……で、このちっこいのはお前の知り合いか?」


「まあ、そういうことになりますね。彼女はパンタシアといって、魔界の植物を使った陰険な呪術が得意な妖精です」


 邪気のないジーンの微笑みにパンタシアは片眉を上げ、ジーンをめつける。


「さらっとな言い方するわね――もしかして、怒ってる?」


「別に」


「そう、ならいいわ」


「でも……怒ってる、かな。君にじゃないけど」


 生まれたての子鹿のように、百合子は足元をフラつかせながら、一歩踏み出した。


 いつも優しいジーンが誰に何を怒っているのか、様々な憶測が頭を飛び交うが、全てが不正解である。


 にも関わらず、百合子の妄想が生み出したジーンの怒りのやいばが心臓に突き刺さり、感じる必要のない痛みに声が漏れそうになった。


 ふくよかなカヤノツチの小さな手の内で、パンタシアが木箱の中から退屈そうに嘆く。


「兄弟喧嘩のとばっちりを喰らうなんて、まっぴらごめんだわ」


「じゃあ、帰れば?」


 ツンとお高くとまった澄まし顔が、パンタシアにはよく似合う。


「それって作戦失敗、ってことじゃない? それも困るのよね。アモルと約束しちゃったんだもん」


 冷笑を浮かべたジーンの瞳は静かなくせに、強い意志を見せつけるようにギラついていた。


「気にすることないよ」


「嫌よ。ここで帰ったら、アモルからご褒美がもらえないじゃなーい」


 パンタシアは口を尖らせてねてみせているが、この余興を楽しんでいる。


「あ、そうだ」


 妙案を思いついたのか、パンタシアは甘えるような声で続けた。


「じゃあ、リアンノン」


「なに?」


「アモルと同じこと、あなた、出来るの? 妖精に願い事をするなら、それなりの対価を頂きたいわね」


「――出来る、と約束をすれば、帰ってくれるってことかな?」


 パンタシアは少し考えるフリをしてから、にんまりと笑うと、首をかしげて言った。


「いいわよ。どうする? 末っ子のあんたも好みよ、私」


 そこで、黙って話を聞いていたカヤノツチが、頬を染めながら、申し訳なさそうに口を挟んだ。


「何の話かサッパリじゃが……猥雑な取引に聞こえるのは、わしの気のせいかのう……さて、アレは無視しておいて良いのか?」


 カヤノツチの流し目の先に、一同の視線が一斉に走った。

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