第4章 ファイナルコール

第40話 今生の別れ

「どうしたの? その頭」


「無駄に広い屋敷の庭を歩き回ったからよ」


 愛想なく、ぶっきらぼうに答える百合子。


 三郎との一瞬一瞬を惜しむように、今生の別れをした後、誠に会わずに帰ろうとした。庭の植木に身を隠しながら、こっそりと勝手口から公道に出てきたらしい。


 合流した二人は、気持ちの良い公園を抜けながら、駅に向かうことにした。


 ジーンが腕を伸ばし手を握ろうとしても、百合子は怯えるように、その優しい手を拒んでいる。百合子の心は、あの陽だまりの縁側に残っていた。


 とぼとぼと歩く百合子の前に、ジーンが立ちはだかるものだから、百合子は仕方なく足を止め、いぶかしげな目でジーンを見上げる。


 向き合う二人に、少しばかりの沈黙が流れる。


 すると、ジーンは死神とは思えない慈しみの笑みを携え、百合子の髪についた葉っぱを丁寧に取り除き始めた。


「どうだった? 久しぶりの我が家は」


 何を憤っているのか、自分でも分からないまま、百合子は不機嫌な自分を止めることが出来ない。


「どうって聞かれても……懐かしかったわ。色々とね」


「はい、いいよ。綺麗になりました」


 お礼を言うどころか、ぷいっと横を向く百合子。そして、目ざといジーンは、百合子が実家を訪問した目的を思い出す。


「見る限り手ぶらだけど?」


「いいのよ。私には羽織る資格がないということが、よく分かったの」


 ジーンは首を傾げて、百合子の顔を覗き込む。


「似合うと思うんだけどな」


 能天気なジーンの言い草は、いい加減な相槌と同じ、と百合子は感じたらしく、理不尽な苛々を募らせている。


「どんな着物か知らないくせに」


「知ってるさ」


 言い切るジーンに、百合子は小さく溜息をついた。


「何故、あなたが知っているのかしら?」


「寝室で写真を見たからだよ」


 当たり前のように答えるジーンに腹を据えかねたのか、百合子は意味のわからない苛立ちをぶちまける。


「どういうこと? クローゼットの中を見たの? 隠していたのに!」


「隠してたんだ」


 と言って、ジーンは歯を見せて笑った。


「……そうよ。誰にも見せないように、ずっと隠していたの。でも、時々、八重子の顔が見たくて」


「だったら、写真立てに入れて飾れば? もう時効だろ?」


 見るのは辛い写真でありながら、同時に妹の晴れ姿に愛おしさを感じていたことも事実である。


 苦しんでいたのは、自分だけではない。


 八重子も苦しんでいたことを知った今、残りわずかな時まで後悔はしたくない。しこりのように残っていた、わだかまりは今日限りにする、と百合子は心に決めた。


「そうね……帰ったら、そうしたいわ」


 まだ高い空をバックに、ジーンの銀髪が煌めいている。百合子の目に、それは眩しく写り、思わず黙り込んでしまった。


 おまけに、優しく見つめてくる榛色の瞳に吸い込まれそうで、どうにも落ち着かない。


「いつもはズカズカと人の心に踏み込んでくるくせに……今日は大人しいのね」


「人聞きの悪い言い方だなあ。じゃあ聞くよ?」


「どうぞ。私は一向に構いませんよ」


 ジーンは微笑すると、百合子にもう一度、手を伸ばした。


 素直になるのも楽ではない。


 百合子はムッとした顔のまま、その手をおずおずと掴むと、ジーンは勝利者のような顔をして、前を向いて歩き始めた。


 澄ましてはいるが、ジーンと繋ぐ百合子の手は熱くなり、緊張のせいか汗ばんでいる。ジーンは気づいているのか、いないのか。


 素知らぬ顔で、隣を歩いている。


「初恋の彼、元気だった?」


「……あなた、死神なんだから、お迎えが近い人間のことくらい、元気かどうか分かるんじゃないの?」


 百合子は少し下から、ジーンに挑むような視線を投げた。でも、手はしっかりと繋いでいるのが、彼女の可愛らしいところ。


「さあね、僕は万能の神じゃないから分からないよ」


 ジーンは家徳のごとく受け継がれているウインクを送ってみるが、今回は効果なしだ。


 今の百合子は、ジーンの渾身のウインクを見逃してしまうほど、やるせない気持ちでいっぱいになっていた。


「とりあえず、彼に会うことは出来たわ。話せることなんて、そのくらいかしら」


 顎を上げ、ひたすら前を見て歩く百合子を、ジーンは横目で流すように見た後、肩で小さく息をした。


「そっか、元気そうで安心したよ」


 元気とは程遠い三郎の姿が目に浮かび、百合子は首を横に降った。


「元気とは、言い難いわね」


「僕が聞いているのは、百合子のことなんだけど」


 百合子が「 私?」と横を見ると、目が合ったジーンは微笑んでいた。即座に百合子は視線を反らした。


「そうね、私は大丈夫」


「何が大丈夫なの?」


「だから、大丈夫なの」


「そうかなぁ」


 唇を噛み締め、百合子は今にも泣きそうだ。声が震えている。


「あまり色々と聞かないで……頑張って堪えてるいんだから」


 理不尽に苛ついていたのは、胸の奥の方で溜まっていた涙を放出しないためだった。


 声の震えが伝染してきて、百合子の肩も小刻みに揺れている。限界がすぐそこに来ていた。


 ジーンは繋いだ手を離すと、細い百合子の肩をそっと抱き寄せた。

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