第8話 素敵な表参道

 東急田園都市線の水天宮前行きは、渋谷を抜けて十分ほどで表参道に到着。電車を降りる人もホームにいる人も、どこか垢抜けて見える。


 表参道は渋谷駅から歩ける距離にありながら、少し人のタイプが変わる。さらに表参道でも原宿よりの明治神宮前交差点付近と国道246号線付近になると、また違う。


 原宿に寄れば、もっと自由な風貌の若者たちが闊歩しているだろう。ここまで来れば、この二人がとりたて目立つということもない。


 表参道駅のホームを降りると、渋谷駅ほどの混雑ではないにしろ、都心に来たことを感じる。


 人種も様々、そして洒落た人混みの中をきょろきょろとしながら歩いていると、二人は巨大迷路の壁にぶち当たったように足を止めてしまった。


「地上には、どの階段から上がればいいのかしら?」


 スカートの裾が、通行の邪魔をしているらしい。押される度に、百合子は何度もよろめいた。


「大丈夫?」


「ええ……なんとか。それより、あなた分かる?」


「残念ながら。とりあえず地上に出れば問題ないよ」


 涼しい顔をしたジーンに手を引かれ、階段を上がり改札を抜けた。そのまま人の出入りが多い方へ進む。雑貨屋やカフェが並ぶ通路を通り過ぎると、最後のエスカレーターが見えてきた。


 空が見えた時、百合子に笑みが戻った。

 ジーンも思わず、口元が緩んでくる。


「ほらね、言ったろ?」


 何十年も高い塔に幽閉された姫君のように、ほとんど外出することがなかった百合子。そこは現実というより、ファンタジーの世界が広がっているに等しい。


 二人が辿り着いた地上は、国道246号線の青山通りと明治神宮までの並木通りがクロスした交差点だ。待ち合わせによく使われる交番の前で、二人は周囲を見渡す。


 明治神宮の始点を示す石灯籠は、反対側の通りにもある。


 山の手大空襲では、無数の焼夷弾が無差別に落とされた聞く。通りにあったケヤキは焼失し、参道は炎の河になったそうだ。


 現在のみずほ銀行の前にある石灯籠周辺に、見上げるほどの焼死体が積み上げられたことは、あまり知られていない。


 当時、百合子は幼い妹の八重子と二人、叔母夫婦の家に疎開をしていた。


 彼女自身はその惨状は体験していない。ただ、当時を生きた者として、今の光景は感慨深いものがあるだろう。


 行き交う多種多様な人種に、思い思いに装った色とりどりのファッション。百合子の見聞きした遠い過去とは、全く別の世界のようだ。


 それよりも、こうして同じ場所に立ち、同じ物を見て、自分の言葉に頷いてくれる人がすぐ隣にいることが、奇跡のように思えた。


 二人は交番を起点にUターンし、明治神宮前の交差点に向かって並木道を歩くことにした。


 たいして進まないうちに、百合子が目を輝かせる。


「あのお店でお茶をいただくのはどう? お城の入り口みたいね。見てよ、あのアーケード。素敵じゃない」


 白壁の洋風建築に、赤いファサードが見える。


 外には籐の椅子とテーブルが並んだ、パリの街角を思わすカフェ仕様だ。百合子の指差したアーケードの奥は、結婚式場と教会になっている。


 ジーンは少し考えていたが、探究心に足を止めることが出来ず、


「もっと先まで歩いてみない?」


 百合子は全てが新鮮なので、どこでも良かった。


「いいわ」


 と答え、二人は再び歩き始める。せわしく通りすがりの人や店のウィンドウを見ながら散策した。


 他愛ない会話も楽しく、サンローランを横目にAppleStoreの前を通り過ぎると、ちょうど信号が青になった。そのまま歩道を渡ったが、病院らしき建物の前で、鼻息荒く百合子が立ち止まる。


「喫茶店が一軒もないなんて。皆さん、どこで足を休めているのかしら?」


「もっとカフェが並んでいる印象があったんだけどな」


 ちょうど目の前にあった歩道橋を通り、反対車線側に行くことにした。


 実のところ、病院の角を曲がれば、気の利いたカフェやら小さな飲食店が点在している。病院のもっと先まで歩けば、表参道ヒルズもあったのだが、そんなことを二人が知る由もない。


 橋の上にも多くの人が行き交っており、二人は前の人たちに連なるように左側を一歩一歩上った。


 真ん中に来た辺りで立ち止まり、百合子が明治神宮の方を指差す。


「見て。車も人もいっぱい。通りを挟むように並んだケヤキ並木も、今は枯れ木だけど、風情があって素敵だと思わない? みんな楽しそうね」


 錆びついた欄干に二人で両手を突き、子供のように身を乗り出した。通りを真っ直ぐ見ながら、ジーンが言った。


「その楽しげな人たちの中に僕らもいるって、知ってた?」


 百合子は眉を上げて目を見開き、歯をみせて笑った。


 ジーンに腰を軽く押されながら、再び陸橋を歩き始める。狭い階段を下りて二人を待っていたのは、世界のトッププランドが連なる華麗なるショーウィンドウ。


 トッズ、バーバリー、そしてジーンが苦笑いした教会、それからルイ・ヴィトン、ミッソーニ、参道の土留めに築かれた石垣を外壁として残しているポール・スチュアート。


 あるウインドウの前で百合子は足を止め、眩しそうに目を細めて呟いた。


「ディオール……若い頃とても憧れたものよ。時代が変わっても洗練されているのね。素敵だわ、とっても」


 百合子の反応に、ジーンはほくそ笑んだ。


 店の前には、細身のスーツを着こなした、モデルのようなドアマンが立っている。


 ジーンが入り口を覗くように首をかしげ、

 

「入ってみる?」


 それを聞いた百合子は何も言わずにジーンの手を引っ張り、慌てるように店の前を離れた。


 思わぬ行動に驚いたジーンは、遠ざかる店を見ながら質問する。


「どうしたの? 入ればいいのに」


「敷居が高くて無理。憧れだけじゃ入っちゃダメな領域よ」


「そうかなぁ?」


 百合子は立ち止まった。


 キョトンとした顔のジーンに向かい直すと、子供に言い聞かせるように、お説教を始める始末。


「人はね。身の丈にあった生活というものがあるの。ああいう物を手にするということは、それに見合った生活をしているべきだと思うのよ。私はその域には達していないし、実際に買えないもの」


 ジーンは自分でも不思議なほど、時折、百合子の頬を触りたくなる。何故かを聞かれたら上手く答える自信はないが、そういう時はいつも微笑んでしまうことは自覚していた。


「興味深いね。嫌いじゃないよ、そういうの」


 目の前の優等生を胸にそっと抱き寄せると、百合子の頬を触るでなく、おもむろに額にキスをした。


「こ、公衆の面前で、な、なんてことを!」


「ディオールの代わりに僕からのご褒美だよ」


 開いた口が塞がらない百合子の手を引いて、今度はジーンが揚々と歩き出した。


 シャネルが入ったビルを過ぎ、海外からの観光客の間で人気スポットになっているキディランドも通り過ぎ、遂にそれらしき三階建の四角い建物が目に入る。


 看板も出ていない上に、窓全面が遮光の黒いガラス貼りのため、近づかないと中の様子が見えない。


「お茶をしているお嬢さんがいるわね」


「いいじゃない。ここにしよう」


 入り口を求めて窓に沿って進んでいくと、建物の角を曲がったところに、大きなガラス戸を見つけた。


 重めの扉をジーンがゆっくりと引き、百合子が先に中に入る。


 すぐに男性のスタッフが現れた。控えめな笑顔と細身のスタイルが都会的な雰囲気を出している。


「いらっしゃいませ。お二人ですか? 少し混み合ってまして、喫煙席でもよろしいですか?」


 段差のような階段をゆっくりと上りながら、「いいですよ」とジーンが答えた。


「ご案内します」

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