愛は義務より良い教師である。Ⅷ

***


 肌寒くひんやりした感覚。


 腕に力が入らない感覚。


 下腹部に馬乗りに乗られる感覚。


 それらの感覚を感じて、僕は戻ってきた事を悟った。


 閉じられた目をゆっくり開いて正面をみると、毒ヶ杜さんが両手で顔を覆っているのが見えた。


「……毒ヶ杜さん」


 静かに呼んで返事を待つ。


 僕の声を聞いてその手を顔から外すと、毒ヶ杜さんはその顔面を返り血と涙で濡らして僕を見た。


「目島……君?」


「うん、僕だよ……」


 静かに言った僕を見て、毒ヶ杜さんはすぐさま僕から降りて僕の身体を起こして支える。


「目島君……目島く、ん……ごめん、ね……」


 大粒の涙が僕の頬に伝う。


「泣かないで。毒ヶ杜さん」


 力の入らない腕を無理やり上げて、毒ヶ杜さんの頬にそっと置くと親指でその涙を拭った。


「毒ヶ杜さん。君に聞いて欲しい事があるんだ」


 毒ヶ杜さんの目をまっすぐ見て言った。


「……何?」


「……五日前のあの日、僕のカバンの中から僕の弁当箱を持って行ったのは君だよね?」


 見る。ずっと。ずっとずっとずっと。毒ヶ杜さんの顔を。彼女が反応するまで。


「……」


 聞いて何かを考えるように黙りこくる。


 そして、意を決したのか、その口を開いた。


「……そうだよ」


(……やっぱり、か。)


「いつから?」


 静かに彼女はそう呟いて微笑んだ。


「うん。土曜日の夜、学校で。……さっき嘘をついたのもこの事があったからなんだ。あの夜、全てが一つに繋がって、それで……」


「そっか」


「五日前の昼前、授業は科学だった。あの日、僕は毒ヶ杜さんと教室でぶつかったけど、その時なんだよね? 僕の弁当箱を取ったのは」


「女子は基本、集団行動だ。トイレにだって一緒に行く。ましてや毒ヶ杜さんには木下と冷百合がいる。……おかしいと思ったんだ。何であの時、君が一人だったのか」


「そして僕は弁当箱を持っていった人が、翌日の弁当を作ってきたと踏んでいた。つまり、お弁当を作ってきたのも毒ヶ杜さん。極めつけは金曜日の朝、僕の下駄箱に入れたあの紙。……全てを合わせると辻褄が合ってしまう」


 僕が口を閉じると沈黙が辺りを包んだ。


「……目島君は名探偵だね」


 その沈黙を壊して、毒ヶ杜さんは口を開いた。


「正解。お弁当箱を持ち出したのも、翌日お弁当を作ってきたのも、紙を入れたのも、みんな私。……でもね。全問正解ではないよ。名探偵目島君でも絶対に答えられない事が二つある」


 言って左手を出して人差し指と中指を立てた。


「二つ?」


 僕は言われて首を傾げた。


「うん。じゃあ一つずつ確認してみようか。まず一つ目。私は何故、こんな事をしたと思う?」


 毒ヶ杜さんが何故こんな事をしたのか。


 それは前にも考えた。でもそれだけは分からなかった。

 当たり前だ。エスパーじゃないんだ。人の考えが手に取るように分かるわけない。


 これは毒ヶ杜さんにしか分からない。


「答えあわせね」


 言葉の出ない僕を見て、毒ヶ杜さんは言った。


「簡単だよ。……女の子はね、好きな人には自分の作ったお弁当食べてもらいたい物なんだよ」


「えっ」


 それを聞いて僕の心臓が大きく鼓動した。


「目島君……私ね、あなたの事が……好きなのよ」

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