人が恋に落ちるのは、万有引力のせいではない。Ⅲ

***


 この日のお昼、僕は顔をにんまりといつも以上にだらしなく緩めて、学食で買った焼きそばパンを頬張っていた。


「うふっ」


 僕のいつもの特等席である校舎の裏にあるコンクリートで出来た非常階段の一番下にある、外からは見えない、人が一人ギリギリ入れるこじんまりとした空間にいつもの様にすっぽりと収まる。


「毒ヶ杜さんと話しちゃった。……手も握っちゃったし、見つめ合いもした。ふふふっ……僕の名前も覚えててくれた。それと……毒ヶ杜さん凄くいい香りがした」


 こんな事誰かに聞かれたら、一発で学校生活終了のお知らせだが、今の僕はそんな事お構えなしにまるで天にも昇る様に舞い上がっている。

 そもそも誰かに聞かれる事自体、この場所ではあり得ない。

 校舎裏のこの場所は普段から誰も寄り付かない。この学校に入学してから、一ヶ月という多大な時間と労力を使って見つけ出した、学校での僕の安息の地だ。誰にここに居られたら困る。


「しっかし、お小遣いが減ったのは少し痛いな」


 握り締めていた焼きそばパンを口の中に放り込んで、残った袋を律儀に結んでゴミ袋に入れてぼそっと呟いた。


 本来、僕のお昼はいつも母さんが作ってくれる弁当を食べている。今日も確かカバンに入れたはずだったのに、それはどうやら思い違いだったようで、弁当を忘れた僕は仕方なくこうしてなけなしのお小遣いを使って学食でパンを買ったのだ。

 もう少しで漫画の新刊が発売するから、残しておかなければならないのに。


 キンコンカンコン。そこで昼休み終了の予鈴が校舎に響き渡り、僕は足早にその場を立ち去った。



***


 午後授業も終わり、ホームルームも終え、これから部活に行く者。居残り補習を受ける者。バイトに勤しむ者。クラスが各々動き出してざわついている。


 僕はと言えば、そのどれでもない家に直帰組だ。遊んでから帰るお金が漫画の為に今の僕にはないし。


 この教室を出れば、今日の毒ヶ杜さんは見納めになってしまう。なんというか、もう今日は毒ヶ杜さんを見れないと思うと心苦しいが、今日はいつもより少し、いや、大分かなり物凄く毒ヶ杜さんを身近に感じられたので良しとしよう。


 徐々に教室から出て行く人が増える中、毒ヶ杜さんは、同じヒエラルキーにいる毒ヶ杜さんとは似ても似つかない、化粧で誤魔化しただけの顔面を引っげたどこにでもいそうなケバい友達二人と帰りに遊んでいく話をしている。


 別に聞きたくて聞いたんじゃなく、バカでかい声で下品に話しているから、聞こえてくるんだ。

 本当に低俗で矮小なキーキーうるさい奴らだ。

 隣にいる毒ヶ杜さんを見習え。お前らと違って清楚で上品で落ち着いてて、話し方も綺麗じゃないか。

 そもそもお前らが毒ヶ杜さんと同じ学園カーストというのにも僕は不満なんだ。

 まず、生き物として根本こんぽんが違うんだ。もっと友達でいてもらってる事に感謝しろ。毒ヶ杜さんを敬え。……おっと少し熱くなってしまった。最後に毒ヶ杜さんを見て、僕も帰るか。


 席から立つと同時に、机の横に引っ掛けたカバンを手に取って、何度見てもやっぱり美しい毒ヶ杜さんを見て、心の中でさよならまた明日と言って、僕は教室を出た。

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