第3話 それは輝くアイオライトのような

地元では有名な商店街だが、これが世間的に有名な場所であるかどうかは知らない。




急いでコンビニへと向かった僕は店頭に並べられていたビニール傘を二つ、購入した。唐突な雨に困惑したのは僕だけではなかったようで、僕が手にしたものが最後のビニール傘だった。例え天気予報を見ていたとしても、この雨は予測出来なかったのだろう。


傘を渡してやると、小晴は不思議な表情を浮かべた。




「これは?」




剣を持ったかのように振り回す小晴。


果たしてこれが詐欺なのか不思議ちゃんなのか、またはどこかのお嬢様なのか。


まさか使い方が分からない訳じゃあるまい。そう思ったのだが、どうやらその通りだったらしい。


使い方を教えてやると、どことなく嬉しそうな笑みを浮かべた。




「なんだかオシャレですね。気に入りました」




夢野小晴の満足度は想像以上に溜まりやすいようだ。


人の記憶とは曖昧なもので、嵐野商店街には小晴に伝えたよりも多くの店が存在していた。その一つ一つに目を奪われている様子の小晴は、とりあえず一周してから店に入りたいと告げ、依頼人である小晴がそう話すのならば僕は断るわけにもいかず、こうして今、見慣れたはずの商店街を、見知らぬ少女と歩くに至る。




「凄いです。こんなに活気で溢れる場所、初めて見たような気がします」




小晴は相変わらず楽しそうで、その姿は無邪気な子供のように見えた。




「一応、ここら辺だと最大級の商店街だからな。帰宅ラッシュのこの時間が、一日の中でも一番混む」


「ということは、今来られたことはラッキーだったんですね」


「そうか? むしろ、人が多くて買い物はしにくいと思うが」


「人の多いことは良いことです」




会話の主導権は常に向こう側だ。


嵐野商店街の客層は主に主婦や年配の方々で、様々な店があると言えど、それらの多くは生活用品を取り扱っている。要するに専門店が多い訳で、観光を楽しむにも十分な要素があると言えるだろう。




「ところで」




そんな専門店に目を向けつつも、この夢野小晴は僕とのコミュニケーションを図りたいようだった。




「まだ名前を聞いていなかったですね」




あたかも自然な様子でこう聞いてくる小晴。断わっておくが、僕はまだこの子を完全に信頼している訳ではない。ただ、やることもない訳で、流れに身を任せているだけ。


しかし、こちらは名前を知っていて、自分は名乗らないのもフェアではない。




「雨崎祈吏あめさきいのり。祈るに使うの人偏を取って、いのりって読む」


「雨崎祈吏。珍しい名前ですね」


「大体の人はそう言うね」


「では、祈吏さんって呼ぶことにします」




そう言って小晴は僕の名前を復唱した。よし、覚えた。と、ひとこと。


流れに乗って、向こうの情報を聞いてみる。




「小晴さんは高校生?」




白の制服に目をやって、僕は言う。




「そうですね。私の方では高等学生なんて呼び方をしたりしますけど、一般的にはそう呼びますね」




高等学生。聞いたことはなかった。




「ここら辺の学校じゃないね。小旅行ってことを考えると、都内の学校か何か?」




小晴はかぶりを振った。




「もっと、遠くです」




言葉短めに、それ以上の情報は言いたくないようだ。


学年を聞くべきかどうか戸惑ったが、少し考えて、やめておく。第一印象が僕と同等か年下であったから、ここまで僕がタメ口を利いていることに気が付いた。小晴は敬語を使っている訳で、年上であれば気まずい事この上ない。




「祈吏さんも高等学生ですか?」




同等の質問を受けて、僕は頷いた。




「高校二年。高等学生じゃなくて、高校生だけど」




さりげなく学年を言って小晴の反応を伺ってみる。同級生だとか何とか、それなりの反応が欲しかった。


しかし小晴は笑っただけで、期待通りの反応はしてくれなかった。どうも、うまくいかない。


小晴が特に気にしないのなら、僕も気にする必要はないが。




「小晴さんはどうしてこの時期に旅行を?」




兼ねて、質問を続けてみる。高校生である僕が試験を終えたばかりだというのに、なぜ旅行をしているのか、気になった。




「少し、空いた時間が出来たので」




空いた時間。なぜか、心に突き刺さる。




「色々なものを見てみたいと思ってたんです。これと言って何が見たいってわけではないんですけどね。でも、知らないものを知りたい。見たことのないものを見たいと昔から思っていたので、ちょっと遠くに行ってみようと」


「目的もなしに?」


「目的もなしに、です」




とんでもない行動力だ。日帰りにしろ、都内より遠くとなれば片道二時間はかかる。往復で四時間と考えても、普通の平日に移動する距離ではない。




「学校はどうしてるんだ。この時期で夏休みって訳でもあるまい」


「ああ、学校は…」




小晴は苦笑いを浮かべる。




「どうしてるんでしょうね」


「どうしてるって…」




本当に、大丈夫なのだろうか。




「確かに、連絡しておく必要があったかもしれないです。すっかり忘れてました」


「こんな所で、のんきに観光してて良いのかよ?」


「それはそれ。これはこれです」




大丈夫ですよ、と話す小晴に僕は口を出せなかった。そう言われてしまえば、そうするしかない。小晴は旅行と言っているが、もしかすると家出をしたのかもしれない。首を突っ込めば余計に面倒なことになりそうだ。あまり触れない方がいいだろう。




「あっ、これは綺麗です」




唐突に、小晴が立ち止まった。一体何に興味を惹かれたというのだ。そう思って、店を見てみる。




「ああ、ここは…」




見て、納得してしまった。




「凄くないですか? 凄いですよ」


「いや、ここはだな」




生活用品を扱った専門店が多い。つまりは家電であったり家具であったり。小さな物では陶器だったりが取り扱われている訳だが、その中で一つ、異様な雰囲気の店がある。




「あまり、近寄らない方が」




言ってみたが、遅かった。気づいた時には小晴は店内へと足を踏み入れる所だった。




「おお、祈吏ちゃん。元気にしてるかい?」




思わず額に手を当てる。時既に遅しとはまさにこのことだ。


小晴とすれ違うようにして、店内から背の高い男性が現れる。やせ細いこの男も小晴同様、得体の知れない人間。




「元気にしてますよ。この店の前を通ってしまうくらいには」




嘆息をついて、僕は言った。


パワーストーン専門店。


どうしてそんな詐欺まがいな店がこの商店街に組み込まれているのかは知らない。近寄り難いその店の店主に、なぜだか僕は好かれていた。何やら「気」を感じるらしい。言っていることが信頼に値しない。




「今日は一段と気を感じるねぇ。何か良いことでもあったのかい?」


「ないですよ、別に」


「そうかそうか。それなら祈吏ちゃんの気が更に増したってことか」




ことか、じゃないのだが。




「この方は?」




僕らが知り合いと見て、小晴が聞いてくる。




「この店の店主、林さん。世界中を旅してるうちにパワーストーンの魅力に惹かれたそうだ」


「パワーストーン?」


「特別な力が宿る、だとか言われている石のことをそう呼ぶらしい。ですよね、林さん?」




珍しく僕が石について語ったからなのか、林さんは少し驚いていた。




「どうしたんだ、急に。祈吏ちゃんもとうとう石に目覚めてしまったのかい?」


「それは違います」




言うと、林さんは寂しげに口を曲げた。いつものやり取りだ。




「やっぱり相変わらずだなぁ。まぁ、特別な力が宿るのもそうだけどね、僕は魂が宿る石とも呼んでいるよ。それぞれの石に効力があるのは、言わば石の性格だよ。叶えてくれるお願いもあれば、叶えられないお願いもある。気まぐれだね。石だけに、」




そこで、僕は林さんを手で制した。この人に語らせると長くなる。




「で、何が綺麗なんだ?」




小晴は林さんの話を聞きたかったのか、少し口を尖らせていたが、やめておいた方がいい、と目で合図をしてやると、なんとなく察してくれたようだ。




「こっちです」




そう言って小晴は僕を店頭に子招く。


これ、と指したのは青と紫の混じった丸い石だった。単体で置かれている物もあれば、ブレスレットにされている物まである。小晴の言う通り、確かに綺麗ではあった。




「林さん、これは?」


「アイオライト。和名では菫青石と呼ばれているものだね」


「アイオライト」




癖なのか、僕の名前を聞いた時のように小晴が復唱する。




「今の祈吏ちゃんにはぴったりの石なんじゃないかな。宝石言葉は自己同一性、誠実さ。将来の夢や目標に対する不安を解消して、自信を持たせてくれる石だよ」


「余計なお世話だ」


「そうかい? たまには指針を求めるのも重要だよ」




別に、指針が要らないとかそういう訳ではない。ただ、なんとなくこの人には素直になりたくなかった。




「夢や目標。いいですね。お気に入りです」




一つ手にとり、店の光に照らすようにしてそれを凝視する小晴。




「まさか、買うのか?」


「まさか! さすがに、お金がないです」




好奇心で聞いてみたのだが、それもそうだなと思った。どんな交通手段を使ったのかは知らないが、小晴は遠方からやって来ている。それに、この石の値段自体、高校生が気軽に出せるような値段ではない。




「祈吏ちゃん、買うなら安くするよ」




いつものように林さんが言うが、小晴は首を振った。




「今回は、遠慮しておきます。祈吏さんはどうしますか?」




僕も一度も買ったことはない。同様に、首を振る。




「残念だけど、興味がない」




林さんには申し訳ないが、こんな物に金を払う理由がない。




「興味、ねぇ。興味なんてのは最初からあるなしを判断するものじゃないと思うんだけどね」


「本音は」


「端的に言って、買ってくれって所だね」




心底どうでもいいことだった。




「しかし祈吏ちゃん、いつまで経っても過去を断ち切れないようじゃだめなんだよ。この光輝くアイオライトのように、祈吏ちゃんも前を見つめないと」




僕の事情を知っているだけに、林さんは痛い所を突いてくる。


僕がこの店を避けたがる深層心理にその点があることも否定は出来なかった。しかし。


隣の黒髪ショートを見る。今、隣にこの少女がいる以上、あまり長居する必要もないだろう。僕の過去について触れ回った所で、あまり面白い話である訳でもない。




「小晴さん、行こう」




この店に滞在した所で仕方がない。そう思い、外を指す。




「ちょっと待ってください」




しかし、小晴は僕の手を引いた。




「どうした?」


「やっぱり、買うことにします」


「はい?」




見ると、手には二つ、ブレスレットが握られていた。


先程買おうとした物よりも、安い方。




「祈吏さんの分も含めてです」


「いやいや、僕は別に要らないんだが」




確かに、これなら手を出せる値段かもしれないけれど。




「どうしたんだ、急に」


「気が変わりました。お店の方が買って欲しいと言うのなら、私は買わなきゃいけないと思うんです」




僕の手を握る力が強くなる。どうやら本気で言っているらしい。


呆れた。林さんの商売上手にも参ったところだ。僕をダシにして純粋無垢な少女から金をせしめようとは。




「この人の言うことを真に受けてると後悔するよ」




言って、林さんを指す。




「ここで買わなくても、後悔するような気がします」




想像以上に、小晴は食い下がる。


別に小晴が何を購入しようと勝手だが、話があまりにも唐突で反論したくなる。




「一度購入するとこの人は懲りないんだ。味を占めて、また購入を促してくる」


「そしたらまた、その時に考えればいいじゃないですか」


「面倒なんだよ。小晴さんがその石を購入したという事実が今後僕を足止めする理由になってしまうかもしれない」


「祈吏さんに迷惑はかけたくないですね…。でも、絶対買います。私、やらずの後悔って嫌いなんですよ」


「…………」




そこまで言うのなら、仕方がないだろうか。




「林さんもなんとか言ってくれ」




投げやりだった。


林さんに任せれば、決まって買うべきだと答えてしまうはずなのに。


しかし、意外にも林さんは購入を促してはこなかった。




「祈吏ちゃん…大丈夫かい?」




変わりに、僕をまじまじと覗きこんでくる。




「何がですか」


「いや…何がというか、君がだよ。さっきからブツブツと、一体何を言っているんだい?」


「何をと言われても。僕はただ、この子が購入したいというのを止めようとしているだけで…」


「それだよ」




それ?


普段から調子の良い林さんの声色が低く籠る。




「さっきから祈吏ちゃんはずっと独り言を喋っているじゃないか。まるでそこに誰かがいるかのように」




林さんの目が、更に大きく見開く。


何、馬鹿なことを言っているのだ。




「独り言じゃないだろ。小さいけど、ここにちゃんといるじゃないか。僕の隣に…」


「そんなことはない」


「…………」




何を考えているのだろうか。


林さんは、別にふざけているといった様子ではない。


だがしかし、何かがおかしい。僕と会話が噛み合っているとは到底思えない。


そんな妙な違和感を僕が抱いた矢先、今まで僕に一度たりとも見せたことのなかった真剣な顔で、林さんは僕に言い放った。




「僕には何も見えないんだよ。祈吏ちゃんの話している、夢野小晴って人の姿が」




…何を言っているのだろう。


そんなはずがない。夢野小晴は確かに僕の隣にいて、さっきからアイオライトをいじっているはず。




「あんた、本当に頭がおかしくなったんじゃないか」




そう言って、僕は小晴の方を見た。


背の小さい小晴を軽く馬鹿にしたような発言に、彼女は怒りを露わにしているかもしれない。


もしくは、ショックを露わにしていることだろう。そんなことを思いながら。


しかし、




「あ、やっぱりそうだったんですね」




小晴は罰の悪そうな顔で、あっけらかんと言った。




「…どういうことだ」


「沢山勉強してきましたけど、本当にそうなるとは思っていなかったんです」




風が強く吹き、雨の強さは増していく。


そして、小晴はどこか寂しそうに、笑った。




「私、実は祈吏さん達と同じような人間ではないんです」


「私の姿、きっと祈吏さんにしか見えていないんですよ」




その言葉はあまりにも現実離れしていて、僕は状況を飲み込むことが出来なかった。

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