04/電脳巫女(1)

 日本橋筋にっぽんばしすじ

 数日前に起こった事故は人的被害が軽傷者程度だったこともあって、結局大きな騒ぎになることはなく、すっかり片付いていた。

 交差点ごとに立っている警官と、目撃者情報を募る看板が、わずかに記憶を呼び起こすものとして残っている。

 その大通り――現場付近に由果はいた。

 デバイスを起動した状態で、何かを軽く握っているような右の拳を胸の前で構えて、注意深く辺りを見回している。

 例の『獣』があの後も現れ、何かしたのか、数日前と比べて浮かび上がるタグが激減していた。

 由果の隣に南場がいて、同じく周囲に警戒を払っていた。

 いかにも寝不足の顔色だったが、周囲とデバイスのモニターと由果を見る瞳には熱が宿っている。

「気ぃつけてな。実戦は初めてやし、まだ完成したとはよぉ言わん。

 それに……あれからもずっと、信号とか店頭のパソコンとか、何かおかしなってるのがこの界隈で途切れてへんし」

「うん。大丈夫――」

 デバイスを通して見る――現実に重ねて表示される電脳物を見られるようにすると、由果の手には細長い、杖状のものがあるのがうかがえる。

 真っ白なその杖の片端は十数センチほど螺旋を描いてねじれている。

 由果の手の動きに、杖はふわりと追従する。

「で、ほんまにまた現れるん?」

「確率は高い――というより、まず間違いない」

 とククル。

「『霊障れいしょう』の発現条件として睦美さんが筆頭に挙げてたのが『未練』なんだけど、アイツがこの場所に何か想うものがあるのなら、それが果たされるまで現れると言っていい……はず」

「なるほど――そういえば」

 南場が何か思い出したように続ける。

「十日くらい前になるんやけど、店の人が倒れたとかで、救急車来てたんや」

「それ、どこか判るか?」

 ククルが南場に迫った。

 数日で少し打ち解けた様子がある。

「確か……向こうの高架近くの――」

 南場が記憶を探って車道向こうの店舗を指差そうとした時、低い咆吼が由果の耳のスピーカーを震わせた。

「来たっ!」

 二人と一匹に緊張が走る。

 車道の端、一台のパーキングチケット発券機のそばに、先日も遭遇した『獣』がいた。

 腰を低くして由果を睨みあげる様は、デバイスのモニタを通じるとまさにそこに存在しているように、息づかいさえ感じられそうなほどに、生々しい。

 やはりその輪郭をもやかし、瞳は蒼炎に輝き、じりじりとアスファルトを掻いている。

 一声、ごう、と唸る。

 発券機が甲高い音を立てた。

 次の瞬間、その発券機から止めなくチケットが吐き出されはじめた。カード大の駐車券が渦を巻いて地面に落ちてゆく。

 由果は刹那、その異変に目を奪われてしまう。

「由果さん!」

 靄獣が一足飛びで接近していた。由果の顔めがけて地を蹴る。

 由果の手にある杖の先端がその前脚に触れた。

 杖の像が一瞬歪み、由果の手には軽い静電気のような手応えが伝わる。

 黒い靄の獣は杖に跳ね返されて地面に転がった。

「当たった……っ! って、なにこれっ!?」

 靄獣あいじゅうはすぐに体勢を立て直すが、ややひるんだ様子を見せる。

 杖の前面に、六角形の板を多数繋ぎ合わせたものが展開されていた。

「『シールド』やね。他のモードを起動してない時はオートガードが発動するようにしてある」

 南場のデバイスでも見られるのだろう、由果の半歩後ろから簡潔に説明する。

「他の……モード?」

「追い追い説明――ていうか、その辺なのもあんねん、悪いけど」

 南場が投影式のキーボードを肘あたりの高さに出して何かを打ち込みながら言う。

「じゃあ、今はあと何ができるんですか?」

「そのまま殴る『ロッド』と、ククルの要望で付けた『マブイグミ』とその関連ができるよ」

 靄獣が首を振って吼えた。

 構え直そうとする由果はしかし、防御できて相手の様をようやく冷静に観られる余裕が生まれたのか、杖は前にしたまま、何事か思いついたように獣に声をかけていた。

「あなた――何か未練とかがあるの?」

 人の魂だったそれは、由果の問いかけに驚いたように顔を上げ、やや鎮まる。

「私でできることだったら、するよ?」

 由果は腰を落として獣の形をとったものと目線の高さを合わせた。

 滾っていた蒼炎の瞳にもどこか、縋るような色が混じる。

 靄に覆われた獣の口が薄く開いた。低い声で呻き声を漏らす。

『あの店長と店とこの街に復讐したい』

 由果のデバイスのモニタに、そんなタグが現れた。

 由果は目を丸くして、メッセージと獣を見比べる。

 それは南場のモニタでも見られたようで、由果の背後で南場が「復讐……?」と呟いていた。ククルが南場のモニタの中で小さく「未練もだけど、復讐や妄執――強い想いが残っているものだよ、総じて云うと」と補足する。

「詳しく聞かせて」

 しばらく沈黙したのち、由果のモニタに新たな文字が出る。

『先々週』

 そのたった三文字だけで、由果は戸惑いを隠せない。

「どういうこと……?」

 それを見て、考え事のように眉を寄せていた南場が口を挟んだ。

「もしかして、『フライングミュール事件』のこと?」

 由果が驚いて振り返る。

『そう』

 短い返事が現れる。

「え? 何、その事件って」

「簡単に言うと、新型CPUの発売で、発売日より前に販売を始めてた店があってん。

 発注数も多かったらしくて、他の店の売り上げが軒並み、見込んでたのより低かったこともあってか、ちょっとした問題になったんや」

 靄の獣の目も、南場の説明を肯定していた。

『ボクはその、売り上げの負けた店のひとつの店員、やった。発売日指示を頑なに守って、結局一番余らかしてしもた』

 いつの間にか、獣はしゅん、と小さくなって由果の前で座り込んでいた。

『店で、売れんかった戦犯探しで、ボクが槍玉に挙げられてみんなの前で店長に罵倒された』

「それはでも……あなたのせいやないですよ」

 獣が南場を見て、頭を下げた。

『ありがとう。それで、バックヤードに入ったあとから意識うしのぉて、次に気付いたらこんなナリでここに戻ってた。罵った店長も、なんも助けてくれんかった他のスタッフも、フライング販売と便乗で密かな祭りになったこの街も、みんな壊したる、って思た』

「う~ん、僕も当事者の一人やと言うたらそうやけど、あれはあの店があかんことしたからやしなぁ……ていうか」

 南場は何か思い出したか、半歩進んで由果の隣に出た。

「あなたがいたのって、高架下のあそこやろ?

 あそこの店長、こないだ店員みんなで追い出したって聞きましたよ。

 それにフライング販売したあっちの店長も僻地に飛ばされた、って」

 店には直接行ってないんですか? とあくまで柔らかい口調で南場が問う。

 たっぷり、一分近くの間を置いてから、靄獣は南場を見上げた。

『ほんま?』

 南場が頷いた。

『店は行ってへん。行きたくない。この体、ネット通して色々できるから、それでちょっかいかけたろ、とは思ってたけど、それもまだや』

 靄獣の瞳が潤んだように由果には見えた。

『ほんまに?』

 もう一度疑問詞が現れる。

「あなたのいる店におるツレから聞きました。フライングした所の話は噂やけど」

『ごめんなさい』

 また間を置いてメッセージを発してから、靄獣はがっくりとうなだれた。

『ボク、どうしたらええの?』

「とりあえず自分の体に帰ればいいさ」

 獣のすぐ隣からククルが言い、獣の前脚を軽く叩いた。

「由果さん、その杖はマブイグミができる。あの子――彩がやったように魂を運ぶこともできる」

 由果はモニタの中で、自分の持っている杖を見直した。

『ボク、どこにおるか自分で判らへん』

「僕が聞くよ」

 と、南場がデバイスを通話モードにした。

「――あぁ、南場やけど。お疲れ。仕事中? ちょっとええか?

 こないだ聞いてた入院した人って、どこの病院か教えて」

 電話の相手はつい今言っていた友人のようだ。

「ん、ああ、ちょっと用事があんねん。

 ええやんか別に。

 ――ん、うん、わかった。ありがとう」

 短い通話を終え、由果たちに笑いかける。

「判った。行こか」

「じゃあ由果さん、教えるから続けて」

 ククルが杖の真下に立って由果に言った。



 四十分ほどあと。

 由果たちはとある病院の一室にいた。

「由果さん、要領は同じだから」

 ククルが言い、由果が頷く。

 由果と南場は、ひとつのベッドを前にしていた。

 他に見舞いはいないが、に由果と南部は顔を見合わせ、笑みをこぼした。

 ベッドにはいかにも電気街が似合いそうな小太りの男が眠るように横になっていた。

 目を覚ます様子はない。

 由果はその脇でデバイスを起動し、杖を出した。

 そのモニタの中で、杖は空中にまっすぐ浮いていた。

「――モード『マブイグミ』起動」

 由果が杖に両手をかざして言うと、杖の先端が変形を始めた。

 螺旋を描いていたものが膨らんで拡がり、十字に伸びる。

 杖の前に十二本と三本の線香が現れた。

「マブヤーグミ スグトゥ マーンカイウティトーティン」

 由果が唱える。

 杖から、青白い珠が染み出はじめた。

「マブヤー マブヤー ウーティクーヨー」

 続けて三回由果が言葉を紡ぎ、杖を手にして何かを掬い上げるように腕を回すと、その靄珠もやたまは男の鳩尾あたりに吸い込まれてゆく。

 十数秒後、

「あ……あれ、ここは?」

 男が目を覚ました。

「よかった……ぁ」

 由果が長めの息を吐いて、デバイスを閉じて首に下ろした。

「キミは……どこかで会いました?」

「さっきまで暴れてたのは覚えてへんのか?」

 南場が呆れた顔を見せる。

 それを聞いた男は天井を見て、

「――言われてみたら、なんかやってた気もする。

 そや、店長追い出した、ってほんまなん?」

 と、南部に目を向けた。

「それはさっさと退院して、自分で確かめはったらどないです?」

「でも、店の誰も味方してくれんかったのに……」

 由果が病室を示して言った。

「ホントにそうかな。みんな、店長が怖かっただけなんじゃないの?

 だって――」

 と、体をずらして、男に周囲を見せる。

「味方のない人にこんな花とかお見舞いとか、来ない

 サイドテーブルの花瓶に挿されたまだ新しい花と、果物の籠と、アニメのメディアパッケージや最新刊の漫画などが、男の枕元を彩っていた。


◆◇◆◇◆◇


 制服は着たもののまったく学校に行く気の起きなかった彩は、アメリカ村にいた。

 御津みつ公園――通称『三角公園』の隅に座って人の流れを眺めていると、人間観察よろしく様々な人を見ることができる。

 デバイスを装着して、モニタ越しにこの雑踏を眺めている由果の手には杖がある。

 その杖を軽く左右に振りながら、彩は睨むように人の行き来を追っていた。

 彩と同じようにデバイスを耳に架けて歩いている者、数人で横に広がって談笑している者たち、呼び込みの者、公園の対面で大道芸をしている者……等々。

 また、電気街ほどの量はないが、ポップアートのような広告タグが所々に浮かんでいる。

 由果との邂逅から数日が過ぎていた。

 由果は、彩にとっては四歳上の、姉の幼馴染みだ。姉の後ろについて回っていた時、よく姉と一緒にいた。

 数年前の『事故』がなければ今も、メールや電話のやりとりをしていたかも知れない。あるいは由果に『あの力』の宿る兆候が顕れなければ、由果は今も沖縄にいたかも知れない。

 由果が内地へ行ったことまでは聞いていたが、まさかこの大阪で再会するとは思ってもいなかった。

 昨夜、姉のお見舞いに行った時にそんな話を姉としたことを思い出し、彩は下唇を噛んだ。

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