とても可愛らしいルト・イネカ。こんにちは!

なかいでけい

1 まず死ぬ

 広間の中央に、なにやら非常にもふもふとしたものが転がっている。


 全身から白く輝く長い毛を生やしたそれは、人間とほぼ同じ大きさをしている。

 ただ、どこが頭で、どこが足なのかは判然とせず、まんべんなく全体から腕のようなものが87本生えている。

 生きていたころは、おそらくこのすべての腕を用いて、回転するように移動したのではないだろうか、と想像することは出来る。ただ、腕が奇数本では左右対称にならないため、もしかしたらどれか一本は頭に該当する部位なのかもしれない。


 こうして冷静に観察すると、随分と薄気味の悪い奇怪な物体であるように思えてしまうが、それは間違っている。

 これはとても可愛らしく、愛おしく、何者にもかえがたい尊いものであるように思える存在なのだ。断じて不気味な怪物じみた物体などではない。


 なにしろ、大変もふもふとしているのだ。

 表面に触れると、最初は優しく押し返すように手を包み込む感触があり、しかしやがて私の手は温もりのある毛の殿堂の中へ導かれていくのである。

 その中といったら!

 細かい毛のひとつひとつが私をくすぐり、至極の恍惚がやってくるではないか!

 ああ!

 私は思わず、そのもふもふしたものに頬ずりをした。


「あの、それ以上、証拠品に触らないでもらえますか」

 私の肩を揺すられて我に返った。

「ああ、すいません」

 私は乱れた自分の服を正し立ち上がった。

 私を注意した刑事の波岸なみぎし信希のぶきは、私がもふもふしたものから十分に遠ざかったことを確認すると、立ち上がり私から離れていった。


 咳払いをして、広間の中をぐるりと見回す。

 すべての視線が、私に注がれていた。こういうとき、探偵をしていてよかったな、と思うものである。


「それで、どうでしょうか、何か分かりましたか?」

 椅子に腰掛けた、高級そうなスーツを纏った初老の男が言った。

 彼はこの館の主人、東宮寺とうぐうじ朱広あけひろである。何人たりとも訪れることのできない辺境の山奥に別荘を建てるなど、酔狂なことを好んでする人物として界隈で有名である。


「ええ、そうですね」

 私は強く頷いた。

「何が分かったんですか?」

 薄幸そうな顔をしたメイドの瀬木せぎ竹美たけみが言った。

「もったいぶってないで、早く教えろ!」

 耳障りなガラガラ声で怒鳴ったのは、朱広の友人で富豪の神林かんばやし峰朗みねろうである。曰く、都心にいくつもの広い土地を持っているのだという。不健康そうな太った体に、似合わない貴金属品をいくつも身につけている。


「――この屋敷にいらっしゃるのは、これで、全員ですか?」

 私はもう一度、広間の中を見回しながら、言った。


 この場にいるのは――

 館の主、東宮寺。

 メイドの竹美。

 客の神林。

 刑事の波岸。

 そして私、探偵の経堂きょうどうでん

 この5人である。


「もしも、他にも滞在されている方がいらっしゃるなら、この場に呼んでいただきたいのですが」

 私が言うと、皆一様に、不思議そうな顔をして互いに顔を見合わせた。

「いえ、これで全員ですが」

 しばらくして、朱広が答えた。

 全員が、そうだそうだ、と言いたげに頷く。


 私は異常の一端を捕らえ、目を細めた。

「それはおかしいですね……。今日は皆さん、どうしてこの場にお集まりになったんですか?」

 私が言うと、竹美が答えた。

「それは、今日はちょっとした会があって……」

「その通り。私はお話したいことがあったので、神林さんをお呼びしたのです」

 東宮寺は頷いた。神林も「そうだそうだ」と続く。


「それでは、この、大変に豪勢なお料理は、お二方で召し上がるためのものということですか?」

 私は、両腕を広げて言った。

 テニスコート5面分はあろうかという広間の中には、いくつものテーブルが置かれ、その上には沢山の豪勢な料理が並べられている。


 それを見た私以外の全員が、目をパチパチとさせた。

「あれ、ほんとうだ」と、東宮寺。

「すごいお料理」と、竹美。

「いつのまにこんな料理が?!」と、神林。

「なんですかこれは、手品ですか?」と、波岸。


 全員が、私に料理の存在を告げられてはじめて、その存在に気がついた様子だった。しかし、実際は私がこの広間に入ってきた数分前から、それらはずっとそこにあったのだ。

 しかし、彼らはそれに気がついていなかった。


 これは強力な催眠攻撃である。

 まずは催眠攻撃の出所を見極めなくてはならない。それも、速やかに。

 そうでなければ、たちどころに私も、催眠攻撃の虜になってしまうだろう。


 私は唾を飲み込みながら、早まる鼓動を沈めた。

 そして、誰にも気付かれないようにそっと、もふもふしたものを手でまさぐった。


 ああ!

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