うわぬ年

 一夜たちの住む街には幾つもの古い屋敷と、不可思議な伝承が点在している。それは一夜たちのような人間に関連深いものばかりであり、その中で起きた問題を解決するには、切っても切り離せない。柳沢真樹の家と言われてやってきた屋敷も、その伝承共と関連があった。一夜やフセのようにこの街で生まれ育った人間は、その伝承一つ一つを覚えているものだ。特に、関連の屋敷を見れば、その伝承を思い出すくらいには、彼らは覚えている。

「柳沢邸……そうか、ここだったか」

 一夜には一つ、心当たりがあった。

 神隠し、というのがある。天狗隠し、天隠しとか言われることもあるが、その意味は『子供が不可思議に姿を消す』ということである。その神隠しが、この屋敷の周辺でよく起こっていると、どこかで聞いたことがあった。数百年前の話では、この屋敷の元となっている神社に、身代わり人形を納めにやってきた子供が消え、人形だけが残っていたとか。その人形を代々持っていた家の者がその数百年後、つまり今から数十年前に、気味が悪くなって、人形をこの屋敷に置いていったところ、当時からしても古すぎる服装の子供の、半分腐った死体が出てきたとか。生々しい、本当かどうかもわからない話があった。ただ、その話とほぼ同じ内容の資料が、大宮家に残っていたのだから、本当のことなのだろう。そして、樒がメモに人柱だ何だと書いていたことからも、恐らく、その人柱と神隠しは関連している。

――――これは大事だな。

 一夜は腹を括り直して、頭を搔く。首に巻きついていた、小型化したクロの尻尾が揺れ、顔に毛皮が当たった。

「ええい、行くなら行け! 面倒だ! 早くササミ肉食うぞ!」

 頼みの綱の神獣は、もうササミ肉にしか興味が無い。目の前の面倒な事は見ずに、その先の良いことしか見ていない。精神を病まない一番いい頭の使い方ではあるが、他人を考えない頭の使い方だ。一夜は溜息を吐いて、口を開いた。

「行こう。行かなきゃどうにもならない」

 足を、踏み入れる。何も気配が無いか、と言えばそうじゃない。爪先が運動靴越しに、敷地内に触れた瞬間から、氷の中に突き飛ばされたような感覚に襲われた。その中で、何か、入らなければならないと、屋敷に、入らねばならないと、頭の中で意思が過ぎる。これは呪術の何かだろうか。その過ぎる意思がおかしいのを理解して、一度、自分で自分の頭を叩く。

「大丈夫か一夜」

 まだ敷地に入っていないヒヨが、後ろから問う。だがそれに答えるだけの余裕は無い。

「二人とも、入るなら気を張っておけ。これは少しキツイぞ。なあ一夜」

 クロが、そう言って、また尻尾を振った。すると、不思議にも、体が心から温まり、ふわりと体が軽くなる。黒稲荷の加護とかそういうものだろうかと、ふと思ったが、一夜は「あぁ」と返すだけで、それ以上の返しを考えなかった。体軽くなって周りを見回してみれば、屋敷の大きさがわかった。

 大宮家の屋敷よりも、神社よりも、かなり小さくはあるが、他の民家よりは相当大きい。平屋建てで、二階は無いようだ。他にも、日本建築、特に寺社でよく見られる、シンメトリーが際立っている。玄関が真ん中で、その左右に羽を広げる、鳥のように、障子と縁側が連なっていた。

 人の気配は、と見渡すと、夕暮れのほの暗さで、ほんのり明るい部屋がある。それは正面から見て左側、玄関に最も近い部屋。障子は締め切られていて、薄ら人の形の影が、その障子に映し出されていた。

「人がいる」

 一夜が呟くと、後に続いて入ってきた二人も、その明かりを見る。

「子供?」

 影の大きさからか、フセがそう言って、首を捻った。あぁ、確かにそうかもしれないと、一夜はその明かりに向かって歩み出す。縁側に来てしまえば、そこは人が住んでいる形跡があり、掃除は行き届いた外廊下で、床は明かりで艶めいていた。

「あの!」

 一夜が叫ぶと、人影がビクりと動く。そしてわたわたと辺りを手で探り出し、ガタゴトと外まで音が聞こえる。それが終わったかと思えば、その人影は、障子の端に手をかけて、一際大きいガタンという音を立てて、思いっきり戸を開いた。


「こんにちは!!」


 引きこもっているには元気の良い声が、高らかに夕焼けへ吸い込まれていった。

 黒い薄い、浴衣に、黄色い女物の帯。癖のある真っ黒な長い髪を束ねて、帯に合わせているのか、黄色いリボンが付いた簪で留めていた。瞳は少し緑がかってはいるが、生粋の日本人だとはわかる黒で、ランランと輝いている。本当に純粋な子供のような、それは、女子の姿をしているが、浴衣が乱れて見える真っ平らな胸や、細いがしっかりしている手足、いかり肩から、少年であることが伺える。

 その少年を取り囲むように、色々な刺繍が施された紅い反物が、海の波のように溢れていた。部屋の様子は荒れているわけではなく、元々そういう部屋なのだと言えるようである。ほの暗い明かりは部屋の奥にある古い電球のようで、他に明かりはなかった。

 勢いのままに三人がボケっとしていると、少年は心配そうにこちらを見て、部屋を出て縁側にちょこんと座って、笑った。

「えへへ。どうしたの、こんなところ来て」

 無邪気に笑うが、彼が何者なのかがわからずに、戸惑ってしまう。だが、そんなこと関係ないとばかりに、少年はクロを指さす。

「そのわんちゃん何?」

 ビクりと背を硬直させて、一夜も口を開く。

「これは犬じゃなくて、どちらかと言うと……狐みたいなものかな。クロって言うんだ」

「そっか、クロちゃんか。可愛いなあ。触ってもいい?」

「クロが良いなら良いけど……」

 そうしてクロの顔を見るが、何やら何にも考えていないふりをしているようで、耳をぴくぴく動かしながら、尻尾を宙でふわふわと揺らす。一夜はそれをらしくないと思いながらも、肩から手で掴んで、抱く。そして、そのまま少年に手渡した。

「えへへ、モフモフだ」

 少年がクロを抱き寄せて、撫でたり顔に近づけたりする中、クロは鼻を動かしている。

「小僧、お前、土と水の匂いがするな。それも上等なものだ。あとは炭の匂いと、水晶の気配もする」

 突然、か弱い小動物のフリをしていたクロが、少年の目を見て喋った。少年は驚いて、そのまま硬直してしまう。

「なんだその匂い」

 一夜が問うと、クロはニヤリと笑って答えた。

「簡単な事だろうが。コイツは人形遣いの咲宮一族だ。しかも本家筋のな」

「じゃあ」

 ヒヨがメモを取り出す。それよりも早く、フセが言った。

「この子が柳沢真樹……基、咲宮真樹ってことね」

 クロを手放し、少年、真樹は、くりくりとした目を更に丸くして首を傾げる。それは、何故の塊であった。

「何で、僕の名前知ってるの? そもそも君達はなんでここに来たの? このクロちゃんは一体何なの?」

「落ち着いてくれ、真樹。俺は、学校の担任に頼まれてお前を助けに来た。名前はその担任に教えてもらった。クロは俺の家の守護獣というか……その……神というか、そんな感じの、俺の相棒なんだ」

「君は?」

「俺は大宮一夜。後ろの男は片山比寄。女は月乃宮伏子。全員お前とは同い年。俺は大宮家の当主だよ」

「……大宮家?」

「知らないのか?」

「うん。だって、咲宮とか、そういうのも、よく、わからない」

「はあ?」

「そもそも何で僕は助けられなきゃならないの?」

 全くの予想外であった。何せ、これから真樹は殺されるのだと、そう三人は聞いていたから。まさか、本人は何も知らないとは、完全に考えていなかった。

「……お前、何で自分がここにいるかは知ってるのか?」

「僕は、父さんと母さんが病気になっちゃったから、お婆ちゃんに預けられてる」

「そのババアの家がここだって?」

「そう。僕が二歳の時にはここにいたから、大体十年はここにいる」

「学校は」

「小学校には行ってたよ。今度、中学生になるんだ」

 何かがおかしい。そのお婆ちゃんとやらも怪しいが、どうも会話が噛み合わない。真樹は一夜たちと同じ、中学生二日目のはずだ。けれど、彼はまだ中学生になっていないようなことを言っている。

「一夜」

 ヒヨの声かけで、一夜が振り返る。そのヒヨの顔は、玉のような脂汗が浮かんでいた。

「どうしたヒヨ」

「やばい。ここ、止まってる。雁字搦めだ」

「言ってることがよくわからないんだが」

「時間が止まってるんだ。真樹をここに留め置くために」

 曰く、ヒヨには糸が見える。縁の糸と呼ばれるもの。それが見えるヒヨは、あらゆる因果も辿れば見れる。つまり、ヒヨは今、この状況を一番理解している。

「何故真樹をここに置いておくのかは……学校に行かせないのかはわからない。もしかしたら俺達みたいなのが多いからかもしれない。けど一つ言えることがある。真樹、俺はお前の顔が今、よく見えない」

 何故見えないかそれは、ヒヨの性質上の問題なのだろう。ヒヨは真樹に近づいて、顔に手を当てる。それに驚いて、真樹はビクりと背を震わせた。

「縁が絡みまくってる。この家の、屋敷のあらゆるところから出てる糸が、絡んでるんだ。まるでお前を逃がさない為に」

「……逃げないよ? 僕、学校に行ったって逃げないよ?」

「普通に生活すればそうだろう。けど、学校の、自分と同じような力を持った奴から、こう言われたらどうだ。『お前はもうすぐ人柱にする為に殺される。だから逃げろ』と言われたら」

「そんな冗談言われても……それに、力ってなんだい」

「お前は、他人には見えないものが見えたりしないか。道路で着物を着た、首の無いオッサンとか、ただの肉の塊になった白いワンピースの女を見たりした事はないか。そういうのの中で、触れたものがバッサリ真っ二つに切れた事はないか」

「…………」

 ある、らしい。ボーッと熱を出した子供のように、真樹は喋らなくなってしまった。ヒヨの論は止まったが、そこからの発展が、止まったようで。嫌にその止まった空気が、ピリピリとして、肌を刺す。とめどなく流れてくる、屋敷からのヒンヤリとした空気も、とても痛かった。

「まだ信じらんない?」

 フセが言うが、真樹は目を丸くしたままで、反応が無い。

「あのね、真樹。貴方は夢を見たことがある?」

「夢?」

「そう、寝ている時に見る夢」

「ある」

 やっと出た反応は、先程よりも確かで、肉づいたものだ。何か、真樹の中には薄らと、確かなものが出来上がりつつある。それを成形するように、フセは対話を進める。

「その夢で、人形が出てきた事は無い?」

「ある。人形を持った子が、よく出てくる」

「その子の名前は聞いたことある?」

「……確か」

 真樹が言いかけた瞬間に、一夜の肩から、少し張った声が発せられた。


「瑠璃石、と、言わなかったか」


 クロのその言葉は的中したのか、真樹がまた目を丸くする。

「何で知ってるの」

「ソイツはこの土地の作られた、原因よ。そして、生贄共の終着点。腐った人間共が出した汚物の塊」

「それがどうして僕の夢に?」

「お前を助けるためだ。真樹、マサキ、漢字は確か『真』『樹』だったな」

「うん。自分でも書けるよ」

「それは、マサキではなく、マキとも読めんか」

「うん、読める」

「ここの贄はな、皆、薪なのだよ。人間が穏やかに暮らしていくための」

「薪?」

「炎をキッチリ立てると、澄んだ青になる。紅い炎はそこから摘んできたものだ。本当の炎は青いんだ。その青を固め、永遠に富もうと算段した人間がいた。その青の塊が、瑠璃石。お前が今なりかけている、クソ共の燃料よ」

 クソ共、というのは、恐らくはこの辺りの人間だろう。クロは一々口が悪い。そして、毒がある。だがその毒は、確かなものだ。なくてはならないものだ。だから、一夜は止めない。それが真樹という少年を傷つけても、止めない。だが、もう、癒そう。そう思って、一夜は口を開く。

「真樹、お前は殺されるんだ。ここにずっといたら」

「…………」

「だから、俺達が助ける。もうその人柱は必要無いんだ。お前も、外に出ていいんだ」

 真樹はそこまで聞くと、目を閉じた。ヒヨの手から既に離されている、彼の顔は、白く、まつ毛も長く、本当に人形の様だ。ハッと、意識を覚めさせるように、真樹は瞼を開ける。

「来て。玄関は開いてないんだ。僕が開けられる扉は、ここの障子だけだ」

 少年の黒い瞳に、未だ紅いままの夕焼け空が映って、赤い瞳に見えてしまった。けれど一夜は頭を振って、もう一度見ると、それは幻想だった。立ち上がった真樹の背を追いかけて、三人は屋敷に足を踏み入れる。




 その屋敷より数キロは離れた、また違う屋敷より。そこは森に近く、鴉が多く鳴いていた。部屋は畳が揃っていて、布団と、幾つかの普段着用の馬乗り袴と、いくつかの、紐で縫って閉じられた本があるだけだ。

 その中で、着物を着た、少年が問う。

「大宮は壊せるかな」

 少年は茶髪の、日本人離れした髪を自分の手で撫で付けて、外に見える夕日を眺めた。少年の問いに答えるのは、似た色の髪をした、スーツ姿の女。

「樒が選んだのです。出来るでしょう。それに、大宮、破壊を蓄積してきた子供ですぞ。あの子供には破壊しか入っていない。壊すしか能がないのです。壊せないなら意味がない」

 女がそう言うと、少年は、髪を撫で付けるのをやめ、その手を空に掲げた。

「そうだな。壊せなきゃダメだ。樒、お前が選んだんだ。そうじゃなきゃダメだ」

「はい。大丈夫。アイツなら、繭も壊せます」

 正座するスーツ姿の女の隣で胡坐をかいていた樒は、少年の言葉に、被せるようにまた言葉を被せるが、少年は反応しない。その少年の手に、一羽、鴉が降り立つ。

「咲宮と日宮も欲しいなあ……なあ、樒」

――――この強欲なクソガキが。

 少年の発言を聞いてそう思っても、樒は一つも顔に出さない。

「ならば、千宮と、札宮もおまけしときますよ」

 怒りは後ろのベラドンナに任せて、樒はニッコリと笑う。

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