第9話 人形勇者と双樹教の牧師

 城を去り、カイは東の国境付近まで転移した。一息にこの国を出てしまいたかったが、国家規模の魔法――転移による不法侵入を制限する魔法――によって、緊急時以外は転移で国境は越えられないのだ。


 行く当ては特に無かったので、故郷の食文化に似た文化が根付いているペングラに行こうと思う。

 そこを終の棲家にしよう。


 ありふれたローブに身を包み、冒険者のギルドタグを見せて山間の関所を抜ける。

 「カイ」も「タイラ」も珍しい名前ではない。関所の係員に、「勇者さまと同姓同名だね」、と言われてどきりとしたが、無事に出国手続きを済ませる。


 振り返って、所々風化した赤い門を見上げる。裏と表で意匠が違う。

 門一つ隔てたくらいで国が変わるのだ。




 ペングラはカイの故郷――日本とその周辺の気候風土文化をちゃんぽんにした国だ。

 パーセゴート王国に地続きの半島といくつもの島からなる辺境の海洋国家である。この国は第四次瘴気災害による被害の少なかった土地なので、あまりカイを知る人間はいないだろう。


 最寄りのジェンムという街は、首都ではないが、国内の物品なら大抵揃う。

 緑茶や煎餅などを見るたび、ユーラリアの金色を探して目線が迷う。心臓が不自然に脈打つ気がした。痛い、と思う。

 心臓は動いていないのに、と自嘲せずにはいられない。


 あまり気持ちが良いとは言えない買い物を済ませ、カイは良い家か土地を探して郊外をぶらついていた。


「あれは、双樹教の教会か?」


 日に沈む住宅街に紛れるように、絡まった二本の樹を描いた旗を軒先に掛けた建物がある。扉は開いていた。

 覗き込むと、夕方のためか誰もいなかった。この世界の教会はどちらかというと自治会館や寺子屋に近く、午前中の数時間だけ平民の子供たちが読み書き計算を習い、午後は住民の溜まり場だったり牧師に相談したりする。

 基本的な知識を浚っていると、前方からふくふくした人物が箒を携えてやってきた。頭頂にだけ白い毛がないが、カイと同じく平たい顔の黒目の御仁である。


「こんにちは」

「こんにちは」


 牧師はその皺を深めた。


「旅人さんがいらっしゃるのは珍しい」

「そうなんですか?」


 旅人こそ、道中の安全を願って来そうなものだと意外に思った。しかし、すぐにこの世界には祈る神がいないのだったと思い出す。


「ええ。みな娼館で美女たちに慰めてもらう方が好きですから。こんな爺さんよりもね」

「此方は無料でしょう?」

「タダより高いものはないそうで」


 そういうと、牧師は禿げ上がった頭を手で撫でた。

 なるほど、なかなかお茶目な人らしい。


「何もないところですが、ごゆっくり」


 掃除を始めた牧師をしばし眺め、教会の壁や天井に飾られたタペストリーに目を移す。年季が入っており、所々ほつれていたり、日に焼けていたりするが、おおよそのストーリーが分かる。

 端に置かれた小さな本棚には、表紙の角が擦り切れた教書や絵本がいくつか並べられていた。


 その中で一番目立つ赤い重厚な一冊を手に取り、手近な椅子に腰掛ける。

 中身は双樹教の説教集のようだった。カイにとっては人生訓や名言集のようなものだ。これに基づいた話は、恐らく道徳の授業のようなものではないだろうか。


 『人には奇跡は起こせぬ。去りし神の御業は叶わぬ』


 最初の項からして、カイには強烈だった。人間の枠というものを強固に定義している。


 『思考せよ、行動せよ、変化せよ。そうあるべく尽力せよ。我々は人である』

 『人ほど不安定で不完全なものはなく、それゆえに人は見果てぬ夢を追いうる』

 『努力の末に手に入れたものは全て、当然の帰結である。決して奇跡ではない』


 『汝、人たれ』


 奇跡の全否定。全てはあるべくしてある。

 人であることへの苛烈なまでの肯定感。


 しかし、自分は。

 確かに自分はこの世界の人間の努力の正当な結果、あるいは成果として存在している。

 しかし、現存する魔道人形オートマタを考えれば、今後用意された器が壊れない限り存在し続ける自分は、果たして人間なのか。

 彼女の隣にいる未来を諦めてしまった自分は、努力を放棄した『人間ではないもの』なのだろうか。


「旅人さん、もう日が沈みましたよ」

「えっ」


 慌てて視線をあげると、燭台に火が灯されている。

 思っていたよりずっと、思考に沈み込んでいたらしい。開いていたページはずいぶん前の方で止まっていた。

 カイは宿を取らずにこの教会に訪れていたことに思い当たって、思わず溜息をついてしまう。駆け込みで入れる宿はあまりなく、探す手間が大きいのだ。


「ふむ、どうされました?」

「実は宿を取り忘れていまして」


 溜息の原因を話せば、一晩泊めてくれるそうだ。


「他の牧師が訪れることもありますので。此方へどうぞ」

「あの、お代は?」


 清潔で無料ならば自分以外にも誰かしら押しかけそうではある。


「非営利団体ですから、お代は頂きませんよ。寄付ならいつでも受け付けていますがね」


 剽軽ひょうきんな言い回しに、カイも思わず笑みが零れた。


「おや、笑うと男前ですな」


 言われて頬を押さえた。ずいぶん久しぶりな気がした。

 見れば牧師はにこにことしている。全く敵いそうにない。


 案内されたのは、軋む木のベッド、清潔だけが取り柄のシーツ、古びた机と椅子がなんとか収まっている小さな部屋だ。大きくもない明かり取りの窓からは、仄かな星明かりが漏れる。

 僅かな光でさえ十分に明るく感じるのは、世界が違うからではなく、身体が変わったせいである可能性に思い至り、どうにも遣る瀬無い。


 ああでも。人形だと言われたあの夜も、ユーラリアとの部屋から見た星はこんな感じだった。くっきりと見えていたのだ、何もかもが。

 無表情な凍てついた目も、ガラスの声を発する唇も、整い過ぎた部屋の様子も。


 城を出る前にはカイの細々とした私物やソファ用の毛布も置いてあったのだが、回収してきたので元通りのはずだ。自業自得とはいえ、その事実がじくじくとカイをさいなむ。


 カイは精神を休めるべく、頭を振ってソファより固いベッドに潜り込んだ。




 朝の訪れとともに目を覚ます。見慣れない部屋に一瞬、体が硬直するが、遅滞なく活動を始める。

 魔道人形オートマタと自覚してからは、毎日同じ時間に瞬時に覚醒すると、正常に・・・稼働している・・・・・・気がして嫌になる。

 身支度を整え、牧師と質素な朝食をとる。自分が魔道人形であるという意識が生じてから――正確には城を離れてから――だんだん、味も温度もわからなくなってきていた。食事を苦痛に思いはじめていた。

 辞去の挨拶を述べ、ギルドで少し稼ぐべく出ようとしたとき、賑やかな子供たちがやってくるのを察した。


「せんせー! おはよー!!」

「おはようございます」


 勢いよく扉を開けて牧師めがけて突進する子どもたち。腰を落として彼ら一人一人に挨拶する牧師。

 ほのぼのとした光景に和んでいると、好々爺然とした牧師が穏やかに問いかけてきた。


「旅人さん、子どもはお好きですか?」

「え、ええ、まあ」


 唐突に問われたために、カイの受け応えは歯切れの悪いものになってしまった。

 だが、事実として子どもは好きだ。だからこそ教師を目指していたのだから。


「では貴方も一緒にいかがです? 一日牧師体験。もちろん、お暇なら、ですが」

「……よろしくお願いします」


 悩んだのは一瞬だった。

 歴史や地理は疎いが、魔法や剣、算術ならカイも問題なく教えられるだろう。

 仮の居場所に、気分が少し、上昇した。

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