人形勇者と光の王女の政略結婚

不屈の匙

第1話 人形勇者と政略結婚

 双樹暦1763年9月21日晴れ。パーセゴート王国王都、ピセス。

 城下の民たちはみな笑顔を浮かべ、瑞々しい白い花を買っている。

 今日はこの国の王女が平民出身の英雄と婚礼をあげるのだ。

 しきたりに沿って二つの絡まった枝をかざしお互いに愛を誓い、伴侶の生存を確認できる魔法の指輪を交換する。

 上から下まであらゆる身分の人間と同じ婚礼を済ませたあとに行われる予定の、成婚パレード。その際にこの白い花を投げるのだ。

 十年近く、この大陸に限らず世界中で発生した瘴気が隅々まで浄化され、久々に心から楽しめる祭りに、人々は浮かれていた。


 国内で人気の高い二人の結婚は、歓声でもって迎えられた。

 きらめく白い衣装に身を包み、穏やかな微笑みをその面に湛えた二人が、民衆に手を振っている。

 次々と祝福に投げられる白い花は絶えることなく、また老若男女の笑顔も途切れることなく、つつがなく二人は国一番有名な夫婦になったのである。




 その夜のこと、新郎のカイ・タイラは湯浴みを済ませ、新婦の待つ寝室に向かっていた。こつん、こつんと靴音が反響し、燭台の火は時折楽し気に揺れている。


「うーん、長いような、短いような。二十一の時に来たから、もう四年も経つのか。しかし、なんだか姫さんにはちょっと申し訳ないよなぁ。異世界から来た俺なんかが相手で」


 カイ・タイラは実のところ、この国出身ではない。縁も所縁ゆかりもない、この世界ではない場所から喚ばれたのだ。カイ自身とパーセゴート王国の上層部しか知らないことである。


「帰れる、って言っても、元いた場所じゃなければ帰ったんだけど。トラックに轢かれている時に戻るのはゴメンだし」


 彼は噂ほど運のいい青年ではない。むしろかなり運は悪い。彼は遠い祖国で死ぬ瞬間に此方に来た。帰る方法があったとして、それは生きていたいのなら取れない選択肢であった。

 カイは彼がこの城に来た時を思い出していた。臓腑に響く衝撃の後、目を開ければ、何故か裸で、鍋のようなバスタブのようなものの中の、粘度のある薬臭い液体に浸かっていたのだ。

 思わずむせて、叫んだものだ。「おい、ここ病院じゃないのか!?服は!?」と。

 あの時、その場にいた王女も魔道士長も困惑していた。いつも表情がほぼ固定している魔道士長が豆鉄砲を食らったような顔は、多分もう見られないだろうなぁ、とカイは遠い目をした。


「ま、美人と結婚できるって役得だ、多分」


 彼は現国王――現在は義父に頼みこまれて、王女ユーラリアと結婚することにしたのだ。

 彼女は王が年老いた後に生まれた第二子で、兄王太子が暗殺された後、次期女王として厳しく育てられつつも大層可愛がられ、非常に心優しく美しく成長した。

 次期女王ということで婿の人選は難航していた。

貴族の勢力図に影響しない都合のいい、かつ性格に難のない男はみな、売却済みだったのだ。

 そこで浄化の英雄たるカイにお鉢が回ってきた。彼自身の後ろ盾が王家なのも、王家にとって好都合だった。


 彼女の性格をカイはよく知らなかったが、城内・城下の噂を聞くかぎり、底意地の悪い人間ではないと判断していた。カイには別に恋人がいるわけでも、好きな相手がいるわけでもなかったので、割とあっさり承諾した。

 王女が好みの美人だったのが最大の理由ではある。男なんてそんなものだ。


 そんなこんなで下世話な妄想をしつつ、目的地のある廊下をスキップしていた。寝室の少し手前に、一人の侍女が立っていた。

 赤い髪をひっつめた、王女付きの侍女である。彼女はカイを見つけると、元よりつり気味の目を更に鋭くした。唇は一文字に結ばれている。


「勇者殿。貴殿を通すわけにはまいりません」

「え。俺は一応、王女殿下の婿なんですが」


 彼はかなり驚いていた。この結婚は王が決めたもので、誰も反論は許されない。そして、民に向けて、諸外国に向けて、披露宴を済ませた手前、そうそう離婚など出来ないのだ。

 離婚したところで、ユーラリアにはすぐに相手が湧きそうであるが。なにせ次期女王陛下だ。

 しかし、貴族階級である侍女が、二人をどうこう出来るわけがないことを知らないはずがない。貴族の存在しない社会で育ったカイにも、流石にこれくらいは分かるのだから。


「帰っていただきます」

「しかし、リア殿も困る……」

「殿下を軽々しく呼ばないで頂きたい」


 カイは自分の言葉が遮られたのも無機物を見るような目つきも不快だったが、既に戸籍上の妻を愛称で呼んではいけないことにも納得できなかった。パレード直前に本人に言われたのだ、リアと呼んでほしいと。

 しかし彼は口答えしなかった。城下の英雄の一人として働いていた時代に、自分を見下し激昂状態の人間に何を言っても無駄だと学んでいたからである。


「何をしているのですか」


 侍女のたいへん上品な罵詈雑言を右から左に聞き流していると、凛とした声が通る。薄着の王女が部屋から顔を覗かせていた。

 普段より語気の強い侍女とのほほんとしている新郎を見、困ったように整った眉が中央に寄った。溜息をつき、やんわりと声をかける。


「アンナ、下がりなさい」

「ですが!」

「カイ殿、此方へ」


 王女が仕方なさそうにカイを手招く。カイはそろそろと王女に寄っていった。わなわなと震える侍女の気配が怖かったのである。

 二人の言動に堪りかねたのか、アンナは怒気を膨らませ、声を荒げた。


「殿下っ!その人形勇者を、本当に夫君にするのですかっ!」

「ハア……。アンナ、もう一度言います、下がりなさい。それと、その言葉は二度と口にしないように」


 王女の静かながら有無を言わさぬ口調に、アンナは憎々し気にカイを睨み、渋々と踵を返した。カイは首を傾げつつ、ユーラリアの後について薄暗い寝室に入った。

 二人のために用意された寝室は、有り体に言って広かった。そしてどれも落ち着いた寒色で、素材は全て一級品。カイは身の置き所を探した。


「リア殿、その……」

「先に座っていてくださる?」


 ユーラリアに促され、カイは窓辺の椅子に腰掛けた。彼女は手ずからお茶を淹れているようだ。匂いからして、この国ではありふれた花の茶だろう。カイは少しその茶が苦手だった。

 ユーラリアはカップを音もなく置いて、自身もカイと向かい合うように椅子に座った。座るだけでも彼女は非常に優雅である。


「侍女が失礼しました。あの子は耳がよくて……、嘘はつかないいい子なのですけど……。いえ、聞きたいことがおありなのでしょう?」

「はい。……人形勇者とは、本当は、私の何を指しているのですか?」


 カイは躊躇うことなく聞いた。しかし、視線はカップの中の、揺らめく薄黄色の液体に固定していた。

 「人形」という形容を、彼は初めて聞くわけでは無い。浄化の部隊にいる時も隣国の第三王子や北の大国の姫君――つまり他国のスペアの王族から度々言われたことがある。

 明らかに悪口であることは分かっていたが、実際パーセゴートの言うことを聞いている――要するに操り人形という自覚が多少はあったから、当時はそこまで気にしていなかった。しかし、パーセゴートでも言われるとは思わなかったのだ。


「言葉通りですわ。あなたが人形だということです」

「リア? 俺は人間ですよ?」


 ユーラリアの透き通った金色の目がガラスのように感じられて、声音が陶器のように冷たく響いた。カイは思わず早口になってしまった。


「あなたは、確かに人間らしいです。感情もある、思考もする、意思疎通も滑らかにできます。しかしあなたは……、いえ、少なくともあなたの身体は、依代として我が国が用意したものから錬成されています」


 カイは絶句せざるをえなかった。瞠目し、口もやや開いている、と思う。意味のない呻きが、口の中で掠れていった。


「そうですわね……。私も、錬金術はあまり詳しくありませんの。ご自身の身体について知りたいのでしたら、魔道士長にお尋ねください」


 ユーラリアは動揺するカイとは反対に、ゆったりと、だが確実に淡々としていた。カイの目には、感情を殺しているようにしか見えなかった。


「あなたは、殿下は俺と結婚するのが嫌なのか……?」


 立ち上がってベッドに向かうユーラリアの背に、カイは思わず声を掛けた。ピタリ、とユーラリアは静止する。


「正直に言えば、あまり、好ましくありません。しかし、陛下が決めたことですから。おやすみなさいませ」


 彼女は振り向かずに答えて、そのまま静かに奥の――おそらく主寝室に消えてしまった。

 カイは、当初の浮かれた気持ちも萎んで、備えつけられていたソファーに横になる。彼は全く眠れそうにないと思いながら、瞼をゆっくりと閉じた。自分が人間だと信じて。


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