#8 ヒマワリ

 俺は昔、死のうとしていた。

 月ヶ瀬隼人という友を亡くし、悲嘆に暮れ、自分の人生がどうにも小さく思えてならなかった。

 生きているのは気まぐれのようなものだ。死のうと思って本当に死ぬ奴もいる。俺は偶然、そっち側ではなかっただけだ。

 隼人を見送ったとき、死にたいという気持ちもだいぶおさまっていた。棺の中にいる隼人は昔の姿のままでいた。一方の俺は、まず身長が伸びていた。陸上部も続けず、運動もろくにしていなかった。そこそこあった身体力も平均以下に落ちた。隼人の葬式のときは随分と腹がだらしなくなっていた。もしも隼人が見ていたら、勘違いこそしないだろうが、大笑いはしただろう。

 卒業して、大学に入ったら、まわりに知り合いはいなくなった。陸上部に入っていたなんて周りの誰も信じなかった。下手したら俺も自分を疑えたかもしれない。

 身体が変わる。環境も変わる。同じでいられるものなんてこの世には無い。同じように見えるものでも、少しずつ変わっていく。

 俺にとっての隼人との思い出も、俺の中で少しずつ矮小化していった。特段の理由もなければ思い出すこともない。隼人のいなくなった夏をいくつも更新していった。

 そして今、隼人が亡くなってから一二年の時がながれようとしていた。ちょうど干支を一回り。隼人のことを覚えている人もかなり少なくなったことだろう。

 俺は地元に帰ってきていた。

 きっかけは先日開かれた同窓会だ。久しぶりに朝来と会い、意気投合した。同窓会が終わって俺が一旦都会に帰ってからも連絡を取り合い、月に一度は会うようにした。そのうち月一が隔週に代わり、毎週に代わり、平日を挟むのが煩わしくなった。地元にいた頃には全く考えもつかなかったが、俺は朝来に惹かれていた。理由がはっきりあるわけではない。一目惚れとも言えないだろう。ただふと、朝来がずっと俺を見ていたような気がして、あるとき朝来に尋ねてみたら、泣かれた。さすがに度肝を抜かれた。朝来がしゃくりあげる姿を初めて見た。結局俺も勢いづいて、飲み明かして、気がつけば地元の家族の元へと挨拶に回っていた。驚きと納得の入り混じった表情をお互いの実家から見舞った。多分俺も朝来も似たような顔をしていたと思う。

 仕事についてのタイミングも良かった。そのときに就いていた仕事もちょうど居づらくなっていたところだった。

 大学卒業以来、俺は同じ職場に二年といられなかった。最初に勤めた電子機器メーカーは営業職にまわり、顧客と殴り合ってしこたま上司に怒られ、その場で解雇を言い渡された。事務手続きに乗っ取って正規の解雇届けをもらった頃には飲食系と警備のバイトを掛け持ちして食いつないだ。だがそれらも最終的には客や上司と喧嘩になるか、同僚からの反感を買っていづらくなった。いつでも面接を受け付けているような職を転々とし、何も浮かばないときは図書館にこもるかやたらと広い公園で日がな一日眠っていた。

 碌な生き方はしていなかった。そのツケだと思う時もあった。上手くいかない自分を責めるか、理解の足らない周りを責めた、大抵は前者が後者を打ち砕き、やがて部屋にこもるようになった。

 母親から同窓会の知らせが舞い込んできたのはその頃のことだ。

 俺は手紙に飛びついた。やる気があった。大した思い出がないにしろ、リスクなしに他人と会える機会を俺は欲していた。タイミングはばっちりだったと思う。少なくとも、俺はその会場で朝来と再会できたのだ。無駄にしたとは言えないだろう。


「こんなの絶対無駄だと思うけどな」

 思わず愚痴がこぼれた。真夏の熱気に蒸した空気が俺を包んで放さない。

「文句を言わないの。それ、この街のシンボルにするんだから」

 店の奥から朝来が俺を呼び止めた。

 俺に仕事のないことがわかると、朝来はすぐに自分の花屋でのアルバイトを紹介してくれた。正直なところ、予想外で、反応もしどろもどろになった。気がつけば俺は自分の判子を手に、朝来の呈示した同意書に捺印していた。どこかの正社員になるまでが条件だ。後に家族にも相談して、正式にアルバイトに臨むことになった。

 初日、始業時間の少し前に訪れた俺を朝来は店の事務室へと引っ張った。簡易なテーブルとパイプ椅子、それに古ぼけたホワイトボードだけが置かれていた殺風景なその場所で、朝来は俺に力説した。

「この商店街は死に体なの」

 ショッキング、というほどでもない。寂れた商店街であることは小さい頃からの自明だった。

「時代の流れだろ」

「いいえ、はっきりとした原因がある」

 朝来は駅のある方をびしっと指差して堂々と宣言した。

「あの駅前に街のみんなが行っちゃって、こっちに客がこないの」

 駅前の開発が始まったのは五年ほど前のことだったという。一年掛けて設計が組まれ、もう一年掛けて主要な集客施設の建築が始まった。第一段階の工事が終わり、五年前にはなかったような背の高いビルやショッピングモールができた。先日の同窓会が行われたホテルはその初期計画の目玉だったという。駅前の雰囲気は俺の知っていた頃から確かに変わっていた。

「しかたないだろ。駅前の方が集客力強いし、市から補助金も出ているそうじゃないか」

 多少だが、俺も開発計画について調べてはいた。初期計画はそれこそ俺が高校生だった頃から組み立てられており、すでに議会審議も通っていた。計画を阻害している勢力も徐々に弱まりつつある。発展は今後もますます盛況だろうと予想された。

 裏を返せば、その一方で小さな商店街の存在意義は次第に薄れていく。

「そうやってあきらめるのはよくないよ。必ず商店街の再起の道があるはず」

 私たち振興会は長いこと話し合った・・・・・・と朝来は続けた。商店街の振興会。朝来の父親が所属していたものだが、今では朝来もそのメンバーであるらしかった。

 会議のやりとりを口で説明されても、イメージがわくものではない。俺は眉をひそめるのをそのうちやめて、ぼんやりと朝来を見つめていた。頭の中が白んでいく。帰宅疲れもでていたし、精神的な疲労もあった。話しなど、ほとんど聞いちゃいなかった。

「必要なのは、インパクトのあるキャラクターの創設よ。まあ、いわゆるゆるキャラね。だから私が中心となって、商店街のキャラクターを考案したの。ほら、これよ」

 抱えていた風呂敷から、朝来が怪しげなものを取り出した。蛍光灯の光を受けて全体から輝きを放っている。

 ひからびた銀色の、人型の袋のようなもの。

「気色悪」と、思わず言ったら朝来に酷く睨まれた。

「これを着て店の前に立って」

「え、なんで」

「話、聞いてなかったの? ゆるキャラよ」

「これがそれ?」

「そう」

「何これ」

「銀色の異星人」

 あとから聞いた話だが、この街は最近ひっそりと宇宙を売りにしているのだという。山から見える星空が異様に綺麗だということで、天体観測マニアの間で有名となり、都心からそれほど遠くない観察ポイントとして、いつの頃からか比較的大規模なツアーが組まれるようにもなっていた。星空は、今やこの街の象徴となりつつあった。

 だから商店街のキャラクターも宇宙にちなんだものとなる。

 その理屈はおかしいといくら言っても、もう契約を交わしたからの一点張りだった。

 反抗するのを諦めると、俺は潔く銀色のタイツを手に取った。バイトとして、一日に一回は宇宙人の皮を被る。後悔の気持ちは日に日に薄れていった。人間何にでも馴れるものだ。とはいえ夏が始まったばかりのこの時期、気温は日増しに高くなる。蒸れにはいくら経ってもなれなかった。

「まったくよお、暑苦しい」

 汗ばむ胸もとを引っ張って、外気を無理矢理取り入れた。お手製と言うこともあり、着心地は最悪だ。

 きらきらと、胸もとが光っている。俺の身体そのものが発光しているかのようだ。

 星空で有名な街のマスコット、だから宇宙人。そんな案が満場一致で通ったというのだから、この商店街もいよいよ危うい。だいたい宇宙は公共のものだろうに。

「どう? そろそろ交代する?」

「お前、着るの?」

「は! 冗談でしょ」

 反駁したい気持ちを、ぐっと堪えて飲み込んだ。

「給料は出るんだろ」

「もちろん」

「じゃ、あと一時間は粘る」

 恥ずかしさや面倒くささも、ここならいくらか耐えられそうだ。

 背筋を伸ばして、今一度気合いを入れる。

「いらっしゃいませーい」

 商店街の片隅、往来も貧相だ。それでも声をあげたことで、振り向いている人がいた。近所で暮らすおばちゃんだとか、学校帰りの中学生だとか。どんな連中であろうとも、来てくれればお客のはずだ。そう信じて呼び込み続けた。

 服装の突飛さも、着心地の悪さも、汗を流して声を出しているうちに気にならなくなった。

 自分で自分に感心をしていた、そのとき。

「すいません」

 と、声がした。

「いらっしゃい。お探しものですか」

「ええ、探している花がありまして」

 大人に見える。それほど歳はとっていない。俺と同じくらいだろう。大柄な体型が、薄手の服からよくわかる。夏だというのに目深に帽子を被っていて、それが少し気になったが、危険だとは思わなかった。

 むしろ、好感が胸の内にわいた。どうしてなのかは、わからなかったが。

「どんな花ですかね」

 正直なところ、あんまり難しい花を選ばれると困ったものだった。花屋のアルバイトとなってから、知識の方面は一切手につけていなかった。いざとなれば朝来に頼るしかない。

「ええ、それじゃ」

 男が心持ちわずかに、帽子を持ち上げる。思ったよりもつぶらな瞳があらわになって、俺を見た。

「ヒマワリなんてどうでしょう」

 太陽をずっと追い続ける花。

 流石の俺にもすぐにわかった。

 店先から引っ張り出したその黄色い花を手渡すと、男は俺を見つめてきた。顔から、胸元、足の先まで。

「な、何か」

「いや」

 店先にずっと立っているから、この変な姿も当然最初から男の目に入っていただろう。しかしそれでも、全身をすっぽり包まれている銀色タイツだ。どんなタイミングだろうと、気になるのは別に不思議じゃない。

 朝来に隠れて愚痴のひとつでも零そうか、と口を開きかけたとき、男がにやっと笑みを浮かべた。

 まるでいたずらをした子どものような笑い方。

「素敵な服だよね、それ。絶対似合うと思ったよ」


 言葉は聞こえた。


 男はもういなかった。


「え」

 淡く黄色いヒマワリが地面に優しく音を立てて落ちる。

 今、ここに誰かいた。

「どうしたの」

 朝来が声をかけてくる。俺は答えず、その代わり店の中へと飛び入った。

「ペンをくれ、紙も!」

「ちょっと、どうしたのよ」

 答える余裕もなく、カウンターの脇からボールペンとメモ帳を引っ張り出した。

 書き留めるんだ。

 心のどこかで、俺が叫んでいる。

 忘れる前に、あいつのことを。

 まぶたの裏に景色が浮かんだ。

 ずっと昔、あいつと出会った。病院の屋上で。橋の上で。

 それから、もっと、別の場所。ヒグラシの鳴く駅のホーム。

「馬鹿野郎」

 言いながら、俺は泣いていた。

「どうしたの、いったい」

 脇で朝来が困惑している。それがわかっていても、涙が止められなかった。歯を噛みしめて、嗚咽を漏した。


 お前は誰だ。

 俺を、俺たちを、救ってくれたお前の名は。


 紙を持つ手が大きく震える。

 ペンは未だに動き出せない。

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