第五章、その十一

「ふ、ふざけるんじゃない! だからあんたは無理やり人肉を食わせて、鞠緒まりおを女の体にしようとしているのかよ?」

「ええそうです。しかもそれは年に一度の『人魚送りの満月の夜』である、今夜でなければならないのです。この夜こそが普段少年体である巫女姫が、単に女性体になるだけではなく、秘められていた生殖能力が発現する唯一の夜なのですから」


 またなんか『生命の神秘』的な話になってきたぞ。ミステリィ的には大丈夫なのかよ。


「外見上完全に女の体なのに生殖能力が無いなんて、そんなことがあり得るのかよ?」

「ほう、それならあなたは外見から、有精卵と無精卵とを見分けることができるとでも?」

「ばっ、何言っているんだ。人魚や人間と卵じゃ、話はまったくちがうだろ?」

「それがそうでもないんですよ。人魚の一族で言えば、まさに鞠緒さんだけが有精卵で、館の他の女性たちは全員無精卵に当たるのです」

 はああ? いったい何なんだ、それって?

「つまりこの一族においては、生まれながらに生殖能力を持っているのは巫女姫だけで、あとは巫女姫を養育したりお世話をしたりするために生み出される、無性体の働きアリみたいなものなんですよ。もちろん食用に使われていたのも彼女たちです。彼女たちには『個』という概念が存在せず、その生と死のすべてを巫女姫のために捧げるようにプログラミングされていて、鞠緒さんに対する絶対的服従はもちろんのこと、巫女姫の血筋を維持していくためには、みずからの肉体を宴席の食材として料理されようともゲームの賞品として利用されようとも、けして不平不満や疑問などといったものを感じたりはしないのです」

 ああ、学術的に言えば『生物社会学』だけど、電波的に言えば『クトゥルフ神話』ってやつだよな。

「いわゆる『おとぎ話の考証学』的に言えば、人魚の下半身が魚体であるのは、生殖能力の不備を暗喩しているというわけなんですよ。たとえば『言葉をしゃべれない』とか、男である王子様との間に『真実の愛を育めない』というのも、当然同じ意味合いのものだと思われます。要するに昔から人魚というものは、『不妊』の象徴だったとも言えるのです」

「……御高説いたみいりますが、何だかどんどん脱線しているみたいですので、こっちで勝手にまとめさせていただきます。つまりはあなたたちの目標が、鞠緒を女性体にして自分のものにすることであるのと同時に、巫女姫の配下である女中さんたちも一族の繁栄のために、自分の身を犠牲にしてまで全面的に協力していた──という見解でよろしいんでしょうか」

 ったく。オタクに説明を任せると、長話になるからいやなんだよ。

「ええ、ええ、その通りです。要するに今回のクローズド・サークル・サバイバル・ゲームの真の目的は、巫女姫である鞠緒さんの『お婿さん』を選別するということだったんです。それで私が事実上優勝したというわけなんですが、何だかそちらさんたちだけで勝手に仲睦まじくなって、しかも巫女姫に人肉を食べないようにするなどという無茶な約束までさせて、こちらとしては非常に迷惑な話なんですよ。そこで無理にでも鞠緒さんに人肉を食べてもらって、正当なる権利者であるこの私と交わっていただこうかと、こうして推参したという次第なんです」


 そのとき何かが、僕の──いや、『俺』の体の中で沸騰した。気がつけばすでに、許斐このみの利き腕を締め上げていた。


「痛い痛い痛い痛い! ちょっとお。本気でへし折るつもりですか⁉」

「──ふざけんじゃねえ。この外道ミステリィ評論家が!」

「ぐぎゃあ!」

 瀕死のナキウサギのような悲鳴を上げて、ひしゃげた右腕を押さえながら這いつくばるように、俺から距離をとろうとする評論家。

「人のことを、いったい何だと思っているんだ。屁理屈ばかりこねて、何でもかんでも自分の食い物にしようとするんじゃねえ! 自分自身じゃ何も創作する力を持たないくせに、人の作品ばかりケチをつけやがって。てめえらみたいな口先だけの野郎は、ネット世界の中だけで自己満足していろ!」

「な、何ですってえー! 聞き捨てなりませんな! 小説家だけでいったい何ができると言うんです? 私たち評論家が批評してあげているからこそ、本を売ることができるんじゃないですか! ただワープロを打って印刷しただけじゃ、絵に描いた餅にすぎないのです。世間に認知されてこそ初めて、存在価値を得ることができるのですよ。評論家の批評なしに一冊でも本を売ることができると思うのなら、どうぞ御存分にやってご覧なさい!」

「……言い残すことは、それだけか」

「ひいっ」

 血まみれの果物ナイフを拾い上げ、自分のほうへとゆっくりと歩き出した俺の姿を見て、本気を感じ取ったのか、許斐の顔色が青色成分を限界まで上げた。


「くそっ、巫女姫は私だけのものだ! 誰にも渡しはしない!」


 進退きわまって破れかぶれそのものの形相で、鞠緒のほうへと駆け出す許斐。

 その背中に向かって、俺が果物ナイフを投擲しようとした瞬間、

「──⁉」


 突然の乾いた破裂音と同時に、地面へと倒れ込む評論家。振り向けば、硝煙たなびく小型拳銃を構えた、久しぶりに見る不敵な笑顔が。


「やっふー! みつる君、元気ー?」

「……夕霞ゆうかさん」

 少しは空気を読んだ第一声をしろよ。

「こ、これはいったいどうしたわけです。ゲームの主催者のくせに、正当なる権利保有者に対して、この仕打ちは何なのですか⁉」

 だからあんたもテレビの見すぎだってえの。ピストルで撃たれたやつが、そんなに元気に会話ができるかよ。

「悪いわね、今回に限っては特例措置が認められているの。何せ前回の優勝者で巫女姫の大のお気に入りが、飛び入り参加しちゃったんだから、当然特別シードで、よほどの失格行為の無い限りは不戦勝扱いとするものと、最初から決められていたの。ミステリィ業界『人魚愛好会』の皆様におかれましては、脇役というか『かませ犬』役というか、とにかく無駄骨ご苦労様でした♡」

「前回……優勝……者……ですと?」

 ──まさか、それって?

「あらあら、すでに虫の息ですわね。今楽にして差し上げますわ」

 乾いた破裂音が二、三発鳴ったあと、痙攣して動かなくなる新入りの屍肉。

「あ〜ん。鉛入りのお肉なんて、何かちょっと健康に悪そう。御免ね、鞠緒ちゃん」

 ……何ですか、この大詰めにきていきなり登場してきて、そのブラックぶりは。

「夕霞さん。何なのですか、これっていったい。評論家が小説家の身内に襲いかかるし。かと思ったら編集者が急に現れて評論家を撃ち殺すし。まさかこれぞミステリィ業界の実態とか言うんじゃないでしょうね。それに前回優勝者が飛び入り参加しているって、そんな人どこにいるんですか!」

 その瞬間、目の前の女性が、これまでに見せたことのないような真剣な表情となった。


 ──あたかも、初めて会った女のように。


「ちゃんといるじゃない、この私の目と鼻の先に」

 ──え。ちょっと、それって⁉


「お帰りなさい、前回の満月つきの里『完全密室クローズド・サークルサバイバル・ゲーム』優勝者の、綿津見わたつみ様。主催者一同御帰還を、首を長くしてお待ち申しておりましたわ♡」

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