第四章、その五

「……いったい叔父さんは何を考えていたんだ、あんな幼い少年を相手に!」


 この外界から閉ざされた隠れ里の中で、『完全密室クローズド・サークルサバイバル・ゲーム』とやらが行われていることを知らされてから、ほぼ一週間。僕は座敷牢の中に閉じこもり、叔父綿津見わたつみうしおが書き残した小説草稿を、ひとり読みふけっていた。


 サバゲーとは言っても、派手な飛び道具が用意されているわけでもなく、ここが母屋から少し離れていることもあり、むしろ里の中は平穏に静まりかえっている感もあるほどであった。

 いまだ本格的な交戦状態には及んでいないのか、逆に膠着状態となっていて各自身動きが取れないのか、はたまた戦意のない者などわざわざ相手にしていられない状態なのか、幸いにも今のところこの座敷牢まで、騒動が飛び火してくることはなかった。

 懸案の食糧についてであるが、これまた僥倖なことにもこの蔵の備え付けの厨房には、保存食や調味料を満載したかめが積み置かれており、察するところ、こちらこそが本物の食糧庫として使用されていたようである。

 井戸水も確保されていることもあり、たとえ数に限りのある保存食が尽きたあとでも、塩、胡椒、砂糖、醤油、味噌等の調味料を水と一緒に口にしていけば、かなり長期間生存することも可能かと思われた。

 もちろんこれらを独り占めなんかにせず、館の方々に分け与えることも辞さないつもりではあるが、食糧うんぬんにかかわりなく妙にやる気を見せていた、許斐このみ氏の姿を思い起こせば、親切心があだとなり力ずくで食糧もろともここを占拠されて、自分のほうが追い出される事態も十分考えられるので、とりあえずは自重することに決定した。──まあ、事態の推移を見極めてから再検討しても、遅くはないであろう。

 あんなにうるさかった鞠緒まりおのほうも、二、三日ほど前からすっかり音沙汰もなくなり、ようやくあきらめてくれたのかと、ほっと胸をなで下ろしているところであった。

 そんなこんなで取りあえずは、やることも懸案事項も特にはなく、思う存分読書にいそしむ日々を堪能しているのだが、問題は草稿自体であり、そのあまりに気の滅入る内容が、僕の気分をどんどんと陰鬱なものとさせていくのであった。


「……しかし、自分になついてくる幼い子供に対して、『餌づけに成功した』は無いだろう」


 しかも事あるごとに相手の異常性を強調することによって、自身の歪んだ欲望や倒錯趣味──果ては暴力行為までも、正当化しようとする意図がちらほらと見え隠れしており、最後には自分のほうこそが被害者であるような流れに持っていくあたり、その巧妙かつ狡猾なる自分本位な考え方に、吐き気さえもよおす思いがした。

 うっかり騙されそうになるのが、暴力主義なやつに限って、「相手も暴力を振るわれるのを望んでいた」なんて言い出すところである。

 いかにもさも当然のことのように思わせようとしてくるが、そんなことはけしてあり得ないのであり、結局どんな奇麗事を言おうとも、人は他人の痛みなどわからないわけで、その結果、暴力を振るうやつはずっと振るい続けることになり、被害を受ける者はずっとその痛みに耐え続けなくてはならなくなるのだ。

 だから基本的にはいかなる暴力も許さない強い心を、すべての人間が持つべきであり、特に陰湿になりがちな閉鎖空間においてこそ注意すべきであり、その最たるものが学校と家庭であるが、以前は無法地帯であった公立学校の教師による体罰については、三十年ほど前に鋭いメスが入れられて、ほとんどすべて撲滅することに成功したが、ぜひこれからは最後の密室暴力の温床である、各一般家庭にも正義の鉄槌を下し、子供に暴力を振るわなければ満足にコミュニケーションもできない、人間失格な親どもは去勢するぐらいの勢いで、粛正すべきではないのかとすら思う今日このごろなのであった。

 考えてみると、叔父と鞠緒って養子縁組みをしてたりするんだよな。これって陰湿な虐待行為を世間的に隠ぺいするための、カムフラージュだったりするのかな。もしそうなら救いようのない鬼畜野郎ってことになるよな、この僕の『叔父さん』という男は。

 ……やべえ、僕も一応は、叔父さんの養子的立場にあったんだっけ。

 こんなふうに暴力問題となると、つい我を忘れて熱くなってしまうのは、僕も記憶を失う前に何か虐待らしきものを受けていたからなのかな。それにしては鞠緒みたいに、体に傷痕なんか見受けられないんだよなあ。まあ、『精神攻撃』って線もあるしね。だから記憶障害とかになっていたりして。

 しかし、この草稿を読んできたことで、自分の叔父という人物が、想像していた以上に最低な人間だったことが、完全に証明されてしまったんだよねえ。

 まあ、それは今さらどうしようもないことであって、僕があれこれ言ってもしかたないんだけど、やるせないのが本当に鞠緒が、人喰いの『バケモノ』だったことなんだよな。

 これまで散々叔父が草稿の中で彼のことを、『バケモノバケモノ』と呼ばわっていたのは、自分の倒錯的虐待行為を正当化するための方便だとばかり思っていたのに、これじゃまるで叔父の言っていたことややっていたことが、正しいみたいな──


 はあ? 『正しい』──だと?


 ちょっと待てよ、何てことを言い出しているんだ僕は。あんな変態倒錯野郎のやることの、どこが正しいって言うんだ。鞠緒は単なる被害者なんだ。たとえ彼がバケモノだろうが天使だろうが、体や心に傷を付けたりしていいわけは、


 ──あれ?


 じゃあ、何で僕自身は、鞠緒のことを遠ざけたりしているんだ? なぜあんな幼い少年が傷ついている姿を見ても、無視し続けることができるのだ? 

 あいつがバケモノだろうが天使だろうが構わないのなら、何で僕は鞠緒から逃げ出したりしたんだ? いやむしろ僕は本当に、バケモノである鞠緒が怖いから避け続けているのか?


『──構いはしない。こいつは本当はバケモノなのだ。何をやっても許されるのだ』


 ……まさか、まさか、僕は結局叔父さんと、『同じ』だったのか?

 鞠緒が怖いから、逃げていたんじゃなかったのだ。僕が恐れていたのはこの身のうちにひそむ、『叔父さんの血』のほうだったんだ。

 要するに僕は、自分が叔父さんみたいになるのが怖かったのだ。次々に暴かれていく彼の悪業の数々が、自分の隠された欲望そのものであることを、認めたくはなかったのだ。

 だから僕は、鞠緒が『バケモノ』であることが判明したときに、『恐れた』のだ。必死に守ってきた理性のたががはずれて、穢れた欲望がむきだしになってしまうことを──。


「……うう、う〜〜し〜〜お〜〜」


 な、何だあ? 人がせっかくシリアスに悩んでいるときに、ウシガエルが踏み潰されたような声なんかあげやがって。

 ──あ。今度は蔵の入口のほうで、何かが倒れ込むような震動音がした。

 やばい、とうとうここにも、サバゲーの戦火が飛び火してきたのだろうか。


 恐る恐る蔵の扉の影から顔を出してみると、まさにカエルの死骸みたいに地面に倒れ込んでいたのは、白いひとえを身に着けた少年であった。


「──ま、鞠緒? いったいどうしたんだ!」

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