第三章、タマテバコの檻(パンドラ・ボックス)。

第三章、プロローグ&本文(その一)

『浦島太郎』は、大馬鹿者だ。


 せっかく竜宮城というお宝の山に招かれたというのに、乙姫なんぞにうつつを抜かして騙されて、自分自身の大切な若さと時間を奪われたあげく玉手箱なんて偽りの宝物をつかまされ、よぼよぼのジジイとなって放り出されるなんて。

 俺ならそんな愚かな真似はしない。乙姫だろうが何だろうがたかが女だ、飼いならして言うことを聞かせてやる。


 そう。こいつらは人間なんかじゃなく、ただの『バケモノ』なのだから。


「──うしお、潮、我に褒美をくりゃれ」

 俺の体の下であえぎ続けていた少年が、おねだりの声を上げる。

「うっ」

 突き立てられる白刃のジャック・ナイフ。苦悶と歓喜に打ち震える幼き肢体。

 ためらわずそれを骨の並びに沿うように押し込んで、朱色の軌跡を描いていき、

「──ああああああああー!」

 激痛に雄叫びを上げる花の蕾のような唇。哀願と恐怖で揺れる月長石ムーンストーンの青の瞳。


 ふん、構いはしない。こいつは本当はバケモノなのだ。純真無垢な子供のふりをして、我々人間をだましているだけなのだから。


「ほら、鞠緒まりお。ご褒美だ、存分に味わえ」

 狩りたての新鮮ぴちぴちの獲物を放り投げる。飛びつくように抱え込むやせ細った裸身。


 まさしくそれから始まったのは、『餓鬼』のディナー・タイムであった。


 おぞましきバケモノ。従順なる愛玩動物。まさにこの少年は『女』そのものであった。

 だからこそ俺はこれほどまでも簡単に、このバケモノを飼いならすことに成功したのだ。


 与えるエサは無尽蔵にあった。この狭き楽園に棲む生き物たちはどいつもこいつも危機意識が薄く、いともたやすく捕獲することができたのである。

 今日狩ってきた獲物は少年の一番の大好物で、この隠れ里で最も愚かな獣であった。殺し合うことを忘れたその生き物は、自身の牙も爪も使うことなく我が手に落ちてきた。


 少年が生肉を喰らい終わる。そしてその血肉まみれの華奢な体躯を、俺の目の前でゆっくりと開いていく。


 ──待ちに待っていた今宵満月こそが、彼の体が最もみだらになり果てる夜なのだから。




  三、タマテバコの檻パンドラ・ボックス



「な、何なんだ、これは。これが叔父さんの作品だというのか。こんなものはミステリィ小説なんかじゃない。単なる妄想僻の電波男の手による猟奇趣味のエログロ話だ。──狂ってる。こんな作品を書くなんて、叔父さんは狂っていたんだ!」

 たまらず僕は、手にしていた大学ノートを投げ捨てた。直撃を受けた物置棚の人形たちが崩れ落ちてくる。床に散らばったそれらはまさに、死屍累々の様相を呈していた。


 ──まるでこの呪われた小説の行く末を、言葉もなく知らしめるように。


 あの不思議な少女と出会った満月の夜以来、僕はこの仄暗い蔵の座敷牢の中に入り浸っていた。

 それほどまでにここで見つけた叔父綿津見わたつみうしおの手による次回作、『人魚にんぎょこえこえない』の草稿案の数々は、僕をとらえて放さなかったのだ。


 ただし、それはあくまで怖いもの見たさという、後ろ向きの意味合いにおいてであったが。


 そうなのである。必死の願いにもかかわらず、僕の予想はほぼすべて的中してしまったのだ。

 叔父綿津見潮が人でなしでの暴力主義者で、倒錯趣味の変態野郎だということが。


「……しかもなあ。それに対する言い訳のほうも、卑怯きわまりないんだよなあ」


 この自分勝手で矮小きわまる暴力男は、あの純真無垢なる少年のことを事あるごとに『バケモノ』と呼ぶことによって、みずからの神をも恐れぬ非人道的な行いを無理やり正当化しようとしていたのだ。

 たとえ幼い子供の姿をしていてもその本性がバケモノであれば、体や心を傷つけようが嬲りものにしようが、何ら構わないのだとでも言わんばかりに。

 本当はそれがただの『詭弁』にすぎないことをわかっていながら、彼は自分の欲望を優先させたというわけなのだ。

 おそらくバケモノというのは以前僕も見たように、鞠緒まりおが小動物なんかを生きたまま手づかみで喰ってしまうことを言っているんだろうけど、たしかに奇矯な行動とはいえこの人里離れた山奥の食糧事情を考えれば、一応は許容範囲の行為とも言えた。

 しかも叔父さんたら鞠緒のこの習癖を、彼を飼いならすための『餌付け』として利用していたのだ。

 たしかに成人男子である彼のほうが、何だかとろそうな鞠緒や館の女性たちよりも、よほど効率的に動物や野鳥等を捕らえることができたであろう。

 そしてそれを少年に『ご褒美』として与えて、その見返りに自分自身の『倒錯性欲』と『嗜虐欲』を満たしていたのだ。


 ──吐き気が、した。


 叔父の狡猾なる大人の手口も。いつしかそれを心の奥底でどこかうらやましいと思ってしまっていた、自分自身にも。


 もはやこんなことを、相談できる相手もいなかった。

 この草稿の内容描写の生々しさや『鞠緒』という実名を使っているところからして、とても単なる想像上の産物とは思えない。おそらくは実際に起こった出来事であり、これこそが彼の本性そのものなのだ。

 こんなものを白日のもとに晒したならば、叔父の小説家としての名声はもちろん社会的地位そのものや、彼の血縁であり被保護者である僕の居場所さえもが、木っ端微塵に打ち砕かれてしまうであろう。

 ミステリィおたくども等赤の他人はもちろん、夕霞ゆうかさんにだって知られたくはなかった。

 いくら長年仕事上のつき合いがある昵懇ツーカー間柄パートナーといえども、これはあまりにもひどすぎるだろう。

 むしろこんな叔父の異常性を知ってしまえば失望感の大きさのあまり、作家としてだけではなく人間性まで否定して、絶縁状をたたきつけてくることすらも大いにあり得た。

 彼女だって編集者や社会人である前に一人の女性なのである。やはり変態倒錯者の男性に対する反感はそれなりに厳しいものがあるだろう。

 そうなると困るのは、この僕なのだ。記憶を失って右も左もわからぬ今、何だかんだ言いつつも頼れるのは彼女だけなのである。

 だから僕はこうしてたった一人きりで、薄暗い座敷牢の中で悶々とした心を抱えながら、この気の滅入る叔父の狂気の草稿を読み続けていくしかなかったのだ。


 たとえそれがどんなにも、自分の心を蝕んでいっているのかわかっていながらも。


「──潮、潮、どこにいるのじゃ。返事をしてくれ!」


 思わず心臓が、鼻先から飛び出しそうになった。

「やべえ」

 あたふたと床に散らばる大学ノートを寄せ集める。何だかエロ本を読んでいるときにいきなり母親に部屋に入られたような慌てぶりだが、無理もなかろう。

 何せまさに今読みふけっていた草稿の中で、被虐と痴態の限りをつくしていた当の本人のお出ましなのである。

 くそう、声が近いな。このまま何事もなく通り過ぎてくれればいいが、まかり間違ってここに入ってこられては面倒だ。

 正直言ってこんな暗がりの中で今彼と二人っきりになったりしたら、何をしてしまうか自信がなかった。


 よし、こういうときは先手必勝──こちらから打って出るのみだ。


「う、潮⁉」

「やあ、鞠緒。久しぶりだな」

 もちろん食事の席では隣同士だったりはしていたが、あくまで僕は彼のことを無視し続けていたので、こうして親しげに声をかけるなど、実に数週間ぶりの「──うしお! うしお! うしお! うしお! うしお! うしお! うしお! うしお! うしお!」


 ──うわっ、何だ⁉


「ようやく潮が我のことを見てくれた。我の名前を呼んでくれた。なぜじゃ、なぜなのじゃ。なぜおまえはこうまでも、我のことを避けていたのじゃ。あの夜のことが気に障ったのなら、もうご奉仕をしようとはせぬ。褒美を求めたりもせぬ。おまえの前で生き物を食べたりもせぬ。だから我のことを見てくれ。我の名前を呼んでくれ。我のことを嫌わないでくれ。我のことを捨てないでくれ!」

 僕の胸元へと飛び込んできて、泣きじゃくるようにわめき立てる少年。

 見上げる月長石ムーンストーンの瞳は寂しさと哀しさと口惜しさと、えも言われぬ不安感に揺れていた。

 ……わざわざ蔵から出てきた意味、無かったじゃん。

 さすがにそのすがりついてくる少女みたいな華奢な体を、腕を回して抱きしめることはなかったが、すでに体の中心の無法地帯では、独立愚連隊が武装蜂起を着々と進めていた。


『──総員起立! 臨戦態勢をしけ!』

 架空の煽動者のときの声が聞こえてくる。


 あ、こら、待て! まだ、たつんじゃない! 相手は男だ、誤作動をするな!

「ええい、いい加減に放さんかい!」

「いやじゃいやじゃ!」

 こらっ、人の下半身に腹をすり寄せてくるな!

「ちくしょう、しかたねえ。ついてこい!」

「ふぎゃっ!」


 僕の腰にしがみついたまま離れようとしない少年を、犬猫のように片手で抱え上げるやいなや、今し方心に定めたばかりの目的地に向かって大股で歩を進め始めた。


          ◇     ◆     ◇


「うにゅっ!」


 泉のほとりの草地へと鞠緒を放り投げるとともに、自分自身も無造作に腰をおろす。

「──ふう。ここならば、まずは安心だ」

 何せ常駐の観客が食糧庫の前にいるので、仮に何だか変な雰囲気になったとしても、自制をかけやすいからな。

「痛いのう、まったく。我のことは『コワレモノ扱い』並みに、取り扱いには常に注意いたせ」

 ぶつくさ言いながらも、ちゃっかりとその身をすり寄せてくる少年。

 ……まあ、いいか。涙目で抱きつかれるよりも、よほど健全路線だしな。

 夏の午後の暑い陽射しの中で、水面みなもを渡ってくる涼しいそよ風が頬をくすぐっていく。この『満月つきの泉』という場所には、なぜかこちらの心身を潤す力があるようであった。


 ふとそのとき、あの満月の夜にここで出会った少女の姿が、目に浮かんできた。


 嵐の海の波濤そのままにうねりながら、足元まで流れ落ちているしろがね色の髪。あたかも天空の月を写し取ったような、妖しく黄金きん色に煌めく縦虹彩の玉桂の瞳ルナティック・アイズ

 思わず僕は今自分に寄り添っている、その幻の具現に向かって口走ってしまう。

「あのな、鞠緒」

「うん、何じゃ?」

「おまえにはもしかして、よく似たお姉さんか妹さんが、いたりなんかしないのかな?」

「ふへっ?」

 いかにも虚を突かれたように、きょとんとなる少年。この反応からすれば心当たり無しか。

 そりゃそうだよな。こんなに狭い里の中にいて、あれほどの美少女と昼間どこぞで出会わないわけがないのだ。きっとあれは満月の夜が見せた夢幻ゆめまぼろしであって──


「ふひゅひゅひゅひゅひゅ♡」


 さっきまでの憂いに満ちた美少女顔はどこへやら、その少年はまるでどこぞのしゃべる猫みたいに、にんまりにやにやとした青の瞳で僕を見上げてきた。

「な、何だよ。急に不気味な笑い声なんかあげて」

「そうか、そうか、そうじゃったのか」

「だから、何だって言うんだよ!」

「そうじゃろそうじゃろ。おまえもやはり男なのじゃ。女性にょしょうのほうがいいに決まっておろうのう」

 ……いったい何が言いたいんだ、こいつ?

「いやあ、安心したぞ。我のご奉仕に何の反応もせぬから、てっきり不感症にでもなっているかと思っておったわ。うむ、相わかった。この我に任せておくがいい。そろそろ何ぞ面白い趣向でも施そうかと思っておったところじゃ。すべてはおまえの望むままにしてやるほどにな」

 そう言っていきなり立ち上がるや、食糧庫のほうへと走って行き、倉庫番に立っていた女中さんと何やら話し始める少年。

 何なんだよ、まったく。ほんのついさっきまでしょげ返っていたくせに、急に元気になりやがって。

 それに『趣向を施す』とか『僕の望むままにしてやる』とか、わけのわからないことを言いやがるし。


 まあ、いいか。いつまでも恨めしげな態度でストーカーをされるよりも、適当に相手をしてやって距離をとっておくほうがましだろうしな。


 ──しかし、このときの僕の不用意な発言こそが、『竜宮城の乙姫様にとんでもないことをおねだりしてしまった浦島太郎』そのものであったことを、のちに痛切なる悔恨とともに思い知ることになるのであった。

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