第二章、その十二

 ──さて、気まずい食事の時間がやってまいりました。


 何が気まずいかと言うと、なぜか初日の歓迎会からずっと僕の席は固定されていて、つまりは一番上座のお誕生日席であり、さらにはあの『巫女姫少年』がしっかり隣に座っておられるからなのです。


 しかもあの食欲魔神ぶりが嘘だったかのように、食事の時間中ずっとそっぽを向いている僕のほうへと涙目を揺らし続けているのである。お陰でこちらもあまりご飯が喉を通らず、このダイエット合宿は晴れて全員クリアでき成功裏に終わりそうであった。

 さらに他のメンバーもほとんどそのままの定位置を占めており、夕霞ゆうかさんたら、事あるごとに自慢気に蘊蓄をたれようとする許斐このみさんの話の腰を折り顔を潰しこき下ろすものだから、すっかり天敵認定されて、常に一触即発のひやひやムードを辺りに振りまきなさっていた。少しは周りの迷惑も考えて欲しいものである。


 さあ、とりあえず面倒なことはすべて忘れて、食事食事♡


「うう、うしお〜」

「だからですね、こうしてミステリィ小説界の発展を願っていればこそ」

「その閉鎖的考え方が、世のミステリィ離れ、一般文芸誌離れを生んでいるのです」

「……息子は、職場のみんなは、今ごろどうしているのだろうか」

「ばれない浮気なんてありません。特に女房の目をごまかすことなんて探偵の私でも」

「NYはな、俺の心の故郷なんだ。本籍地は関西の片田舎だがな」

「だったら、関西弁使わんかい!」

「いや、ボケ役としては合格」

「さすがはマンザイ人」

「誰か、俺にパソコンを、スマホを、ケータイをくれえ! ネットが、ブログが、掲示板が、エロサイトが、俺を呼んでいる〜」

「やはりこれからは陰陽師探偵、陰陽師探偵ですよ。こうやって式神を使って、その」

「サバゲーの基本は敵を殺すよりも、いかに自分が生き残るかに比重をおくべきであり」


 ──う、うるせ〜! このオタク野郎どもが、食事時ぐらい静かに飯を食わせろ!


 ……あれ?

 前から気になっていたんだけど、初日あたりに比べて女中さんの席のほうに、ちらほらと空席が目立ってきたような。厨房につきっきりになっていて、そこで食事も済ませているのかな。

 それにしても彼女たちって、全員異様に小食だよな(鞠緒まりお除く)。

 品数も量も招待客用とは段違いで、ほとんど申し訳程度の分量だし。今もとっくに食べ終わって、得意のにこにこ笑顔で男どもをながめているぐらいだからな。

 もしも食糧事情のせいで自分たちの分を切り詰めて客用に振る舞っているんだったら、大変申し訳ないところだけど。

 しかし初日から感心しているんだが、ここの肉料理って絶品だよね。ほとんど毎日、このただ簡単に焼かれただけの肉がメイン・ディッシュとして出るんだけど、味は最高だし量はあるしその上全然飽きがこないしで、もうこの料理に出会えただけでも、この里に来てよかったと思えるほどなのである。

 ……何かいろいろあって、あまり叔父の消息を突き止めることにも、積極的になれないようになったからな。


 でも、これ以上長居しても「──ぐわあああああああああああ!」


 な、何だあ⁉

「お、陰陽師さん、どうなさったのです⁉」

「いかん。血を吐いているぞ!」

「誰か、医師の免許を持っているやつはいないのか?」

「いや、万一『ゴッドなハンド』を持っていたりするのなら、無免許でも構わないぞ!」


 どうしたんだ、いったい。あれって、自称『第四十五代阿倍清明』さんか? 何だ食事中にいきなり血を吐いたりして。京都つながりで新選組隊士の血でも引いていたのか?

 大慌てで陰陽師の席へと殺到していく、ミステリィ業界人たち。

 あ、でも、女中さんたちはみんな冷静だよな。全員席に座ったままだし(あれ、夕霞さんもだ)。デフォルトだからかもしれないが笑顔も崩れてないし。……何かちょっと落ち着き過ぎな気もするけど。

 さらに意外だったのが鞠緒だ。今までのパターンからして一番大騒ぎするか、まったく無視して食事に熱中してしっかりハズしてくれるかと思っていたんだが、なんかこれまでにない真剣な表情で陰陽師のほうを見つめていやがるんだよな。


 まるで、起こって当然の災厄が、予定通りに起きてしまったかのように。


 ……そういえばこいつ嘘か真か、予知能力を持っているとか言われていたっけ。

「ちょっと待て、何だこれは⁉」

「うわあっ、化物だ!」


 ──えええええ⁉ 何なのこの展開は。


 血を大量に吐いて床にうずくまり虫の息であったはずの陰陽師が、突然立ち上がった。

 それだけなら大いに結構なことだったのだが、なぜか目玉が異様に飛び出し、口は頬肉を裂くほどに開かれ鋭い犬歯けんしがずらりと並び、両手の爪もいつの間にか鉤爪のようになっており、おまけに体中に何か鱗みたいなものが生えだしていたのだ。

 も、もしかして、『半魚人』なのか? 知らなかった。平成の陰陽師にはこんなワザが使えたのか。


「ぎょえええええええええー!」


 もはや近寄る者もいなくなったまま、陰陽師は断末魔のような叫び声を上げ、さらに血を吐き出しながら床へと崩れ落ちる……て、あれ?

 そこに横たわっているのは血まみれではあるものの、ごく普通の中年男にすぎなかった。

 さっきのは極限状態の呪術師が見せた、最後の幻影イリュージョンだったとでも言うのだろうか。

「………………死んでいる」

 その誰かのつぶやきとともに、宴の席は沈黙に支配される。この場にいる誰もがその心のうちに、これから起こるであろう惨劇の予感を──


「キタキタキタキタキタキタキタあー!」


 ──はああ?


「これ、これですよ。これを待っていたんですよ!」

「そう来なくっちゃ!」

「いやはや遅すぎですよ。我々ミステリィ関係者が一堂に集って、二ヶ月も経つというのに」

「まったく、けしからん。いったい何のためにこんな山奥くんだりに、我々が集まっているとでも思っているのだ」

「いやいや、急いては事を仕損ずるとも言いますよ」

「さよう、これからが我々の腕の見せ所だということです」

「そうそう、今の我々がおかれているこの、陸の孤島であり連絡手段も無く外部からの救援も求められないという、完全なる密室状態クローズド・サークルの真価が発揮されるのは、これからなのです」

「よーし、はりきるぞー」

「いえいえ、探偵役は渡しませんからね」

「ちょっと、『自称私立探偵』は私の役どころでしょう」

「何をおっしゃるやら、一度事件が起これば、誰でも探偵になれるのです」

「たとえそれが、猫でも女子大生でもスチュワーデスでも小学生でもね」

「あのう、実は私、某小説の主人公の探偵の××××の血を引いていましてねえ」

「あ、そんなこと言うんだったら、私も実は『サイコメトラー』の力を隠し持っていることにしますよ!」

「よしなさい、お互いのキャラは最初の自己申告のときに決めておいたではありませんか」

「そうですよ、今さら変えたんじゃ混乱するだけですよ」

「だいいち探偵役以外にも、犯人役や被害者役も必要なんですからね」

「この中に、一流企業の会長か高級レストランのオーナーの『孫娘の婿養子』の方はおられませんか〜」

「あはははは、何だそりゃ。配役を見ただけで、『犯人役』か『第二の犠牲者役』であることが、一目瞭然ではないか」

「ミステリィ小説や二時間ドラマだと、完全にかませ犬役ですよね」

「まあとにかく、勝負はこれからなのです。大いに楽しみましょう」

「こんな機会、めったにございませんからな」

「負けませんよー。本格推理小説同好会の名にかけて」

「それはこちらのセリフです。英米原書派の底力をお見せしましょう」

「まあまあ、そう角を突き合わさずに。お互いベストをつくしましようや」

「賛成賛成」


「──では、ミステリィ業界『人魚愛好会』を代表して不肖この許斐漱恋すすごいが、待ちに待った『事件』本番開幕の祝杯の音頭を取らせていただきます。乾杯ー!」


「乾杯!」

「乾杯!」

「乾杯!」


 そして、歓声と笑い声に包まれる大広間──って、ちょっと待ってくれよ、おい。


 何なんだ、こいつら。自分たちの仲間が死んだんだぞ。

 第一これが明確な犯意を持った『殺人』かどうかもわからないうちに、浮かれ回って探偵ごっこなんか始めやがって。ミステリィおたくには常識ってものが、生まれつき備わっていないのか?

「まあまあ、そんなに深刻な顔をしないの。まじめに付き合っていたら馬鹿を見るわよ」

「ゆ、夕霞さんまで何ですか、人が死んでいるんですよ。不謹慎な!」

 しかしその美人編集者は、意味深な笑顔のまま謎めく唇を操った。

「もちろん私だって、あんなオタクどものお遊びに参加するつもりはないわ。でもね、もうすでに私やあなたが、この『事件』に巻き込まれてしまっている事実は動かしようがないのよ。あとはただ覚悟を決めて、探偵役でも犯人役でも被害者役でもこなしていかなければならないの」

「はあ、何言っているんですか、探偵役とか犯人役とか。僕にそんなものできるわけないでしょう。こんな馬鹿げた状態から、一刻も早くおさらばしたいとすら思っているのに」

「本当にそうかしら」

「へ?」

「この里に来てからずっと、あなたの様子をちらちらと拝見していたんだけど、あなたってどんな出来事が起きようとも、常に一歩退いて冷静に見つめる姿勢を維持し続けていたわよね」

 うっ、そういえば。


「それが故意か無意識かは知らないけど、まさにそれこそが探偵役に最も必要な視点であり、謎の解明への最短距離でもあるの。つまり私が見るところ、この有象無象の輩の集まりにおいて、みつる君ほど『主人公』に適した人物はいないってわけなのよ」


 おいおい、今度はいきなり『主人公』ときたもんだ。いい加減にしてくれよ。

 ただでさえ記憶喪失で自分自身のことにも自信がなくて不安定なのに、他人のことやわけのわからない『事件』のことなどの面倒なんか見られるか!

「僕はそろそろ失礼させていただきます。これ以上食事を続ける気もないし、部屋に帰って大人しく寝ることにしますよ」

 そう言って、席を立とうとすると「──待って」

「あのオタク評論家の真似をするようでいやなんだけど、これだけは覚えておいてね。探偵が事件を選ぶのではなく、事件が探偵を選ぶのよ。肝に銘じておくがいいわ」

 あなたも早くお部屋に帰って布団に入ってから、そんな寝言を言ったほうがいいですよ。

「──それに、あともう一つ」

 あれ? さっきたしか、これはって言ったのに……。


「ついでに忘れないでいただきたいんだけど、『探偵役』ができるということは十分に、『犯人役』もこなせるということですからね」


 思わず歩を止め振り向いた。しかしそこにあるのはあくまでも何の悪意もない、にこやかなる二つの瞳だけであった。

 探偵役だの犯人役だの主人公だの、人のことを何だと思っているんだ。これじゃまるで怪盗二十面相かなんかのようではないか。……ということは僕は犯人確定なのか。では娘役は誰がしてくれるのか。あ、これは原典ではなく大昔のアニメの話でした。失礼。


 そして今度こそ僕は、その狂乱の宴の場をあとにした。


 しかし、このとき僕がもう少し注意深く鞠緒の様子を窺っていたら、彼が犠牲者の屍体をどういうふうに見ていたのかを確認でき、もしかしたらこれ以上の惨劇を妨げたかもしれなかったのである。

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