頭は冷やし心は熱く

「おはようございまーす」

「ういーす」

「来たか」

「あっ、春山さん林原さんおはようございます」

「ういーす」

「2度も言わんでいいぞ」


 国立星港大学情報センター、ここは学生の学習支援のためのPC自習室という位置づけだ。とは言え理系の学生は学部棟にパソコン実習室があるし、ゼミに所属していれば研究室に籠ることが多々だ。この施設を利用するのは主に文系の学生になる。

 しかし、履修登録や履修修正といった行事はこの情報センターのみでの受付になり、利用者がひっきりなしに訪れる。いわゆる繁忙期というヤツで、2人以上のスタッフが常駐していようということになっていた。

 センターではスタッフを学生バイトが務めている。バイトリーダーが4年の春山芹。凶悪な目付きをした横暴な人物で、趣味の悪い柄シャツを着て鉛筆を齧っている。そしてオレは現在では春山さんの次に歴の長いスタッフとしてここに缶詰になることが増えている。

 そうこうしている間にも、センターには1年のスタッフが入って来ていた。オレと春山さんが仕掛けた度胸試しという名の悪質な入所試験をパスしたのは、川北碧というのほほんとした雰囲気の奴だ。


「あっ、言われてた通りマグカップ持ってきましたー」

「ほう、サーモスか。大層な物を持って来たな」

「これはアレだな。1人暮らしを始めてちょっと張り切ったんだろ」


 情報センターではスタッフがそれぞれマグカップと好き好きの飲み物を持ち込んでいる。オレはミルクティーの一式になるし、春山さんであればコーヒーだ。そして、今日ここに川北のほうじ茶が加わった。


「これから暑くなったら冷たいお茶も飲むと思いますし、結露しない方がいいかなーって。書類とかがびしょびしょになってもいけませんし」

「その発想はなかった」

「と言うか書類仕事の多いアンタは気を遣って然るべきでしょう」

「うるせーなこの野郎、受付適性皆無が」

「何だ、構成員が。やりますか」

「あ? やるか?」

「わーっ! 何でケンカになっちゃうんですかー!」


 お前はかわいいなー、と春山さんは川北の頭をわしゃわしゃと撫で繰り回している。今のところはこれで機嫌が取れるので実に良かった。春山さんとかいう人は、癒しという言葉に乗じて過度に人の体を撫で繰り回す痴女なのだ。

 オレなどは尻を狙われるし、今日は来ていないが2年の土田は乳房を鷲掴みにされて揉みしだかれている。いや、土田は土田で人目を憚らず着替えるのは何とかしろと。露出に抵抗がなさすぎるのも問題だ。


「川北は白のサーモスな。覚えた」

「春山さん、さっそく今日の本題へ移りましょう」

「そうだな。まずはスタッフジャンパーが届いたからこれを着てもらって」

「わー、ありがとうございますー」


 情報センターのスタッフが着用する蛍光イエローのジャンパーが川北に手渡された。オレも春山さんも同じものを着ているが、春山さんの右腕にはバイトリーダーの証となる青い腕章がはめられている。


「で、受付の細かいところの話だな」

「よろしくお願いしまーす」


 今日の本題は一応、川北にセンター業務の細かいところを教えるということにある。繁忙期で人がひっきりなしに来るからそれどころではなかったというのが理由だ。それなら人が比較的少ない土曜日に研修みたいなことをやろうと現在に至る。


「えー、繁忙期、特にテスト期間前後に使うことがあるのがこのブラックリストっつーシステムなんだけども、このシステムを扱うに辺り注意しなきゃならないのがリンとかいう横柄な男でだなァ」

「何を言う。オレはセンターの利用規約に反した学生を公正公平に通告しているだけであって、春山さんの怠慢が過ぎるんでしょう」

「オメーは簡単なことで摘まみ出し過ぎなんだ、ちょっとは我慢を覚えろ」

「オレが強制退出させるのは悪質な利用者だけです。ブラックリストへの登録も一応は現場での段階を踏んで行われています」

「どーせお前が利用者の神経逆撫でしてんだろ。そんなだから殺害予告なんか出されるんじゃねーか」

「規約に違反しておきながらその事実を正面から正論で論破されてキレる連中に対する温情など無駄以外の何物もないでしょう」


 チラリと川北の様子を窺えば、あわあわと、どうしたらいいやらわからないような顔でオレと春山さんの顔を交互に見比べていた。怯えたような、パニクったような雰囲気で。


「えーと、殺害予告って。そんなこともあるんですか?」

「リンは卒論書いてようが何だろうが容赦ねーからな。そういう奴からの恨みを買ってんだろ」

「繁忙期には規約に違反しておきながら注意されると逆切れする利用者も少なくはない。気を付けろ」

「えーと、そういう利用者さんの逆切れって、入所試験より怖いですか?」


 予想外の質問に、一瞬固まるのは春山さん。


「……川北ァー、お前なかなかの度胸をしてるじゃねーかァ、なぁー」

「わーっ! へ、変な意味はありませんでしたーっ!」

「心配は要らん。春山さんに慣れておけばその辺の輩など子犬の戯れと同然だ」


 何が起こっても冷静に。起こりうる事態を想定して然るべき対処をスッと出来るように。いつも通りでいられることがセンターのスタッフには求められるのだ。

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