おっさんと僕

本陣忠人

起 : Opening

 毎週水曜日、決まって僕はそこを訪れる。

 それは僕の家から一山越えた集合霊園。


 それは僕の母親の住まう寂れた土地。

 それは僕の母親の没した忘れぬ曜日。

 

 古より進化を感じさせぬ程に古臭い線香の煙が、ふらふらゆらゆらと頼り無く天に還って行くのを横目に、僕はいつもの様に物を言わぬ石柱に話し掛ける。

 どんよりしている視界のその正面には達筆な字で我が家の名字が冷たい石に感情無く刻んであるんだ。


「…大体そんな感じかな? 今週も、別に変わりは無かったよ。お爺ちゃんもお婆ちゃんも元気だし、僕も変わりないし…変わり映えしない」


 傾いた夕日を僅かに反射する鈍色が黒渦みたいに僕を声を吸い込む。

 その無慈悲で自然な現象は正に僕と母親の対話そのものの様に思えた。意図しない苦笑が滲む。


「じゃあ、また来週来るよ…次はもっと面白い話があることを祈ってて。またね、お母さん」


 ピカピカしている制服のズボンに付いた砂を払いながら腰を上げる。静かな霊園には人影どころか鳥の鳴き声一つない。そこは正に俗世からかけ離れた雰囲気を持った異形な空間で。


 僕は架け橋に似た静寂へ身を浸して、墓の間の砂利道を独りで歩いていた。


「なんや、湿っぽい顔の坊主がおると思ったらほんまに小僧ガキやんけ」

「ん?」


 なんだよ馴れ馴れしい。

 少しばかり不愉快な思いと共に声の発生元と思われる方向に顔を向けたが誰もいない。これは…ドッキリ?


 いや違うな。僕をドッキリに引っ掛ける理由も意味も普通に見いだせないから、何かきっと別の要因があるはずだ。


 とすれば、極めて常識的に思考して、判断して―――


「何だ、幻聴か…」

「いやいやいや、ちゃうやろ普通。何その超理解。凡庸を行き過ぎてエキセントリック過ぎるやん自分」

「はぁ…」


 どうやらこの幻聴は生意気に――耳馴染みのない関西訛りではあるものの――僕の常用する日本語を用いての会話が出来るらしい。

 ならば、人道的かつ文明的な話し合いで蹴りが着きそうで何よりな感じである。


「そのぉ…僕、これから塾とか習い事とか色々あるんでこの辺で失礼させて貰いますね。いやすんませんねほんと」


 依然として姿を見せない不透明で透明な対象者に向かってびてへつらう。

 目尻と頭を卑屈に下げて、拝み手のままそそくさと足早に素早く立ち去ろうとしたのだが、社会人感を全面に押し出した敗走は半透明な霧に遮られた。


 昔テレビだか写真だかで見たダイアモンドダストみたいな無数の細かい粒子が音も無く収束して―――確かな意思を感じさせる動きで滑らかに組み上がる。流暢に一つの形を形成していく。


「連れないこと言わんといて…ちょっとオッチャンと話そうや、少年。めっちゃ暇やねんな俺」

「なっ…??」


 予想を遥かに超える展開に流石に面食らう。

 モザイクアートを思わせる乱雑な霧が集まり数秒で作られたのは人の姿を。それも坊主で作業着姿の中年男性。なんだこれっ? 3DCGって奴か? 違う、4DXの爆音上映って奴だろ、うん…そうだ。


「なぁ少年、所で一個聞いてええか?」

「あ、あぁ…何か?」


 僕の混乱など何処吹く風で普通に尋ねられるもんだから、普通に応答してしまった。大丈夫か、これ? なんか受け答えすると契約が結ばれたりして、不味い事になったりしないのか?


 吸血鬼なんかは家主の招きが無いと家に侵入出来ないと聞くし、そういう類の話じゃないのか?


「毎週毎週、湿気た暗い顔して墓参りしてるけども熱心やな。親戚か?」

「親戚どころか、実の母親の墓参りなんだから湿気た顔しても毎週来るよ。家族間に問題も無かったしね」


 最早破れかぶれに近い心境で投げやりに答える。馴れ馴れしいのは口調だけでなく、態度も同じようなのでこれ位は許されるだろう。


「じゃあさ、僕も一個聞いていい?」

「ええで、何でもこいや!」

「おっさん…ホームレスかなんかなの?」


 念の為の確認程度の質問のつもりだったのだけど、返ってきたのは火の玉の様な解答だった。


「ちゃうやろ。こんな半透明で足元の曖昧な浮浪者なんておらんやろ。ええか? 聞いて驚け…? おっちゃんな、実は地縛霊やねんな」

「マジかよ。ビビるねそれは」


 本当にこの世のものでは無いとは思わなかった。生あらざる不死者だった。

 ここまでどうしようもなく現実を突き付けられたにも関わらず、今尚ドッキリ説を頭から捨てられないが、本気のマジでゴースト的な存在なんだろうか?


「嘘こけ少年。自分全然ビビってへんやないか。なんや? 今をときめくバーチャル世代にはこの程度の現象は日常茶飯事言う訳か?」


 なんか言い回しに若干の古臭さを感じるな…ゲームは全部ファミコンって言いそうだし、コントローラーはピコピコとか呼称しそう。加えて自分より若者は全員パソコンに詳しいとか思ってそう。


 表現の世代間格差はともかく、プリプリ怒っている様なので一応、遅ればせながら鎮火の為の言い訳をしておこうかな。


「…違うよ。違うんだ」

「何がや? どう見ても平静そのものやんけ」


 訛りのせいか、恫喝されている様な字面だけど言葉尻は優しく普通だ。それはきっと彼にとってのデフォルトなのだと思う。


「たださ、呆気なく人間は死ぬもんだろ? なら、その逆にしぶとく死なない人間だっているのかもって思うだけ。変な言い方だけど、そういう道理もあるのかなって」


 そう思ったんだ。


「…まあ、あるかもなぁ。そういう捻れた道理も。たまにはあるやろ」


 僕の矛盾に満ちた確信を一笑に付すこともなくそう言った。


 これが中学生の僕と幽霊のおっちゃんとの初邂逅。

 僕が大人になる為の特別課外授業ホームルームだ。

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