第6章 技師も歩けば陽に当たる。

第46話 学園生活の憂鬱

 愛想笑いの勉強もするべきだった…。


 個領貴族だった頃、食事会を欠席しがちだったことを後悔することになるなんて。

 本当人生何が起こるかわからない。


 私は魔法学園での実習を受けながら、本気で困っていた。


 「あくまで私がやった見本ですからね。これと同じ出来にならなくても落ち込まないでください。これから練習する機会はいくらもありますから」


 暗に技術の差を誇張するような表現をしながら、得意そうな顔をする講師。私は精一杯の愛想笑いを浮かべる。頬からぎぎぎ、と音がしそうな位だ。後で痛くなりそう…。というか痛くなった…。


 ところがそんな私の不器用な笑みが、講師にとっては満足の行くものだったらしい。


 「そんなに恐縮しなくても大丈夫。学園でしっかり勉強した後、仕事をしていけば…。まあ、いつかこのくらいにはなれますから」


 自信に溢れた表情で、男性講師は木版をこちらへ渡す。そこには私が散々やらされた、基本的な曲線が彫り込まれている。


 「では、皆さん実習に入ってください」


 端正な顔立ちの彼は各席を回りながら、それぞれの席で手本を見せている。満足そうな表情で私の席から去っていった彼の後ろ姿を見送った後。

 彼が手本だと言って置いていったその木版を、私は改めて眺める。


 別にちょっと舞い上がっているような講師も、平凡な講義内容にも不満はない。

 けれど毎度、凄いでしょ?尊敬していいんだよ、という顔をこちらへ向けるだけは辞めてほしい。


 

 この講師の引いた曲線なんて、リアンの見本に比べたら木版の染み程度でしかないからだ。



 「愛想笑いが必要になるなんて聞いてないわよ…」


 私は溜息をつきながら実習に取り掛かることにした。



 彼が変わった講師なんだろう、と最初は思っていた。

 若くて、顔も端正だし人気があるらしい。新進気鋭の技師だというし、新しいやり方なんだろう、リアンは場末の無名技師だし癖が強かったのかも…なんて、講師をお願いしたことをちょっとだけ後悔したことすらあった。


 

 ところが…実習系の授業に関しては一事が万事…なんでもかんでもこんな感じなのだ!あのくそリアン、ほんっといい加減にしてほしいんだけど!


 

 見本として見せられるものは、リアンが彫り込んだものに比べたら、どれもこれも木版のちょっとした傷同然だ。線が細かくぶれているし、彫りの深さだって均等ではない。まあ私だって人のことは言えたものではないのだけれど。

 リアンが意図的に深さを変える時もあるよ、って言ってたから最初は納得しかけていた。と思えば講師自身がこれくらい均等に刻めればいいでしょう、なんて寝言を言い出す始末…。

 思わず驚きの声をあげたら、講師は「こんなに正確に!素敵だわ!」みたいな意味に勘違い。魔法学について話すという名目で食事に誘われそうになった。愚かで無能と叱られた私でもわかる。あれは私以上の馬鹿だ、間違いない。


 まあこんな感じで、講師の多くが何故か自信に満ちあふれた顔で、見たかい?みたいな素振りをするのだ。いちいちびっくりしたように見せたり、笑顔をつくらなきゃいけない私の身になってほしい。

 周囲とも少し雑談を交わしたが、皆にとっては本気で凄い人らしいし尚の事である。

 

 空気を読み違い本物の貴族に叱られるような自体を招くと、漏れそうになるくらい怖いのだ。いや涙は漏れたし、それ以外は我慢したけど…。悔しさはもちろん、恐怖で身体が震えてしまうとは思わなかった。

 そして私は賢くなったので、もうあんな思いをしないように場の空気を読み、日々愛想笑いをしているのである。



 今思えば、確かに気になることもあったのだ。


 ハンブル商工会で一人で実習していた時のことだ。入学の直前くらいだったと思う。ニアさんが仕事でいなかった日。リアンが昼ご飯を買いに行ってくれている間に、スタンレイという変態がやってきた。人をおちょくることを生き甲斐にしているような技師が、私の木版と、手本としている木版を見て。


 「あ、うん…」


 と妙な反応をしたのだ。入学も近づき技術面に焦りを感じていた私は、その反応がとても怖かった。だから何が良くないのか、彼に食って掛かった。


 「しょ、正直に言って!何が駄目なの!」

 「お、おう…」


 すると彼は目をそらした。私は改善点をどうしても聞きたかったので、馬鹿!変態!などと心からおねだりの言葉を並べる。すると彼は、しばらく考え込んだ後、急に元気になって言ったのだ。


 「うん!これは手本が悪いな!フレンスちゃんは悪くない!」

 「はあ…?」


 その後お姉様もやってきて似たような反応をした後。


 「学園では苦労すると思うけど、頑張りなさいね」


 とすごくいい笑顔で言ってくれたのだ。お姉様の笑顔が素敵だった上、更に頭を撫でてもらえたのでその日は幸せだった。

 幸せだったので、それまでの変態技師の妙な反応とかは忘れてしまっていたのだ。


 まさかこんな形で苦労することになるなんて。


 講師の木版を馬鹿にするわけにはいかないし、少し話せるようになった周囲の子とも上手に話をあわせなくてはならない。正直言って疲れるが、ついていけないよりは良いかと諦めよう。

 愛想笑いも上達すればどこかで役に立つだろう。…役に立つといいな。


 私の線もまだまだなのは違いない。結局こっそりリアンの手本を前に、個人で実習をする日々が続いている。



 そしてもう一つ学園に入って分かったことは、リアンとお姉様が作ったリーティフについて。


 控えめに言って頭がおかしい出来だということが分かった。


 そもそも線一本一本が美しい。どこかの木版の傷とは随分違う。立体的だけれど控えめな細工で表現された模様。服や肌に引っかからないように、回路の端は丁寧に角が取られていた。ただでさえ細かい回路の角を削るなんて、一体どんな神経をしていれば出来るのか。気づいた時は唖然とした。


 それに回路自体もどうかしている。

 そもそも魔素の通りが異常に良い。学園から配られるリーティフを使うと異物感が凄かった。むしろもらったリーティフを使い続けると、魔素操作に怠惰になってしまいそうでちょっと怖い。

 彫りの深さを変えるということでこの効果を出しているんだと思うけれど…、頭がどうかしているとしか思えない。


 しかも魔素を通すと、腕輪と肌の間に風が通る。学園にいる間はつけっぱなしなので、蒸れを解消してくれるこの効果は本当に助かる。何より気持ちよくて、ついつい使ってしまう。

 そもそもほたる石に魔素を流すこと、少し光って目立つこと。その2つの効果を載せたら、面積的に他の効果の回路なんて普通載せられないはずなのだ。

 けれど、このリーティフはそれをあっさりと実現し、発光さえしない配布リーティフより負担がない。多分細工が回路になっているんだろうけど…それも頭がおかしい。それは超高級品であっても、その道具の一部に使う技術だと最近学んだ。見た所、このリーティフの細工のあちこちが回路にも併用されている。ここまで来ると笑うしかない。

 


 そして何より…わかるのだ。これら全部の事柄が、私に向けての贈り物のようなものであることが。


 

 どの効果も、細工も全部私のことを理解しようとしてくれた結果のものだっていうことが、毎日実感できる。無知な時に見た目だけで選んだ柄が、実は両方ともこっそり入っていたことが分かった時。私は我慢できずに自室で泣いてしまった。


 変態技師はともかく、お姉様ではなくリアンに教えてもらおう、と決めたのには理由がある。


 彼が始めにリーティフの細工について説明してくれた時。

 彼は私が無知であることを馬鹿にする様子が無かった。どう考えても愚かなのは私で、しかも私より歳上なのに。苛ついている私に頭を下げてまで、事情を説明してくれたのだ。

 説明を聞いている時に少し黙ってしまうほど、彼の言葉はわかりやすかったし、あまりにも無知な私向けに配慮をしてくれていた。


 そして…悪目立ちをして私が恥をかかないように。私の浅はかな欲望をぶつけていたのに、リアンはそうやって受け取って考えてくれていたのだ。


 ルーヴの工房から追い出された時、言われたのだ。


 「魔素を通せもしないガキなら簡単に目立てる。ルーヴを持っていかないだけでも十分だろう?」


 その通りだ。本当ならそうやって追い出されて当たり前だった。私はそのことが分かった時、ようやく無知は愚かであり、人を不快にさせてしまうことがあることを知った。

 

 そんな人間の文句を受け止めて、最善を尽くそうとしてくれた彼に教えてもらいたかったのだ。

 

 結局リアンは私の事情を聞いた後も、いつも私側にいてくれた。自身のことを末端だと笑いながら、いつも弱さを見せてくれた。ご飯は美味しくないし、寝坊してくることだってあった…リーティフを作っていたんだと思うけど。字は下手くそだし、細工設計はお姉様には全然及ばなかったし。


 でも彼は絶対に弱いことを笑わなかった。


 自身のことは自嘲気味に語っても、私の弱いところや犯してしまった間違いをいたずらに批判しなかった。むしろ、すごく優しかった。

 彼は俺なんて失敗だらけの技師だよ、と笑っていたけれど。その一つひとつの失敗を噛み締めて次へ進んでいることを知った。だから彼はいつも、失敗に優しかった。失敗を一緒に考えてくれた。弱くてちっぽけな自分を一緒に笑って、晒して、隣にいてくれたのだ。


 そんな彼と、弱っていた私を見捨てないでいてくれたお姉様が作ってくれた魔法道具。

 腕にはめる度、私は頬が緩んでしまう。本当に素敵な道具だと思う。私を元気づけてくれる世界でたった一つの腕輪。



 幸いこのリーティフの異常さに周囲は気づかなかった。


 そもそも単一アモーリテは複合アモーリテに比べて安価だ。それに複合アモーリテのほうが深みのある光沢を持つ。だから彼らは基本的に単一アモーリテ製の腕輪に興味を示さないのだ。

 むしろまじまじと見られたら、この腕輪の異常さが分かってしまうので助かった。なんとなく、これは私だけの秘密にしておきたいし、話題になるのは嫌だ。

 魔素の通し方を調整すると、うっすら色を変えられる作りになっていることにも最近気づいたが…。これも絶対に内緒だ。あの男は自重することを覚えるべきである。



 しかし今までに一人だけ、この腕輪に興味を示す人がいた。



 学園に講演にやってきた、フラドという名前の凄腕技師だ。超高級品を扱う名門アローグ工房というところに所属していて、2年先まで予約がうまっているらしい。しかも見た目もかっこいい。庶民の中の庶民である誰かさんとは、随分な違いだ。

 そんな彼もこの魔法学園の卒業生。彼が在籍した学年は、学園の黄金世代と呼ばれるほど非常に優秀な世代だったらしい。講演では変わり者も多かったが愉快な学園生活だった、と彼は語っていた。


 まだ若いのに王城の魔法道具まで手がけるという天才。いくつか展示された魔法道具を見たが、それはもう豪華な出来だった。魔素を通した時の幻影も凄かった。

 ちなみに回路がリアンのものと同じくらい綺麗だったことに、私はむしろほっとした。よかった、講師以上の技師はちゃんといるんだ、と安心したのだ。



 そんな凄い人と、講演が終わった後廊下で偶然すれ違うことがあったのだ。私は深めに会釈をして通り過ぎようとしたのだが、不意に呼び止められた。


 「いきなり呼び止めてしまってすまない。君のリーティフ、少し見せてくれないか」


 私は驚き、失礼ながら口説き文句なのかと思ってしまった。その日、勘違い講師に食事に誘われたばかりだったので許してほしい。

 ただ彼が見つめていたのは、間違いなくリーティフだった。その真剣な眼差しをごまかせそうにはなくて、私はリーティフを見せることにした。


 彼は私からそれを受け取って、すぐに懐かしそうな、そして同時に嬉しそうな表情になった。


 「急に申し訳なかった。…これを作ったのは、リアンとシスティ…だろう?」

 「えっ!」


 さすが天才である。魔法道具を見ただけで製作者がわかるなんて…。

 というか、どうしてわかったのだろうか。リアンとお姉様と知り合い…?


 「正解みたいだな」


 くつくつと笑う天才技師。急すぎて困惑している私に彼は続けた。


 「この腕輪、その辺に並んでたわけじゃないだろう?リアンに会ったのか?」

 「あっ!えと、はい!会いました!」


 私はそこからリアンに魔法学を教えてもらったことや、お姉様と会ったことを話すことになった。その話をフラドさんは、時折質問を交えながら楽しそうに聞いていた。


 「…人気女性技師を一人連れていかれた上にこれじゃあ、損したのはこっちだな」


 話をある程度聞いたあと、彼は笑みを零しながらつぶやく。そして私に優しい目を向けて言う。


 「魔素過敏は俺もだ。俺より立派な先輩技師は大勢いるから説得力に欠けるかもしれないが…。少なくとも仕事はこなせるようになったし、魔素操作の精密さで得をする場合もあった。

 プラティウムに選ばれない技師…なんて偏見を言う貴族もいるが。同じ体質持ちの俺から言わせれば、そんなやつ大した客にはならない。挫けず頑張ってな」


 これだけ出世してその台詞は…と思ったが嫌味は感じない。彼も同じ体質だと聞いて、私は講演を聞いてから確認したかったことを聞いた。


 「アローグ工房を目指せば、私でもこの魔法道具に負けないものを作る技師になれますか!?」


 フラドさんは一瞬目を丸くした後、大笑いした。相当面白かったらしく、目に涙を浮かべている。…私、何か変なこと言ってしまっただろうか。

 ひとしきり笑った後、彼はニヤリと笑みを浮かべて言った。


 「アローグ工房を踏み台にするくらいの気合があれば、可能性はある。うちはそれなりに狭き門だが…その腕輪に負けないように技術を磨けば、きっと大丈夫だ」


 その言葉を聞いて、私はアローグ工房を目指すことに決めたのだ。

 …後々彼が何故笑ったのかわかったときは、顔から火が出そうだった。

 



 まあそんなこんなで、愛想笑いこそ必要だが学園生活は悪くない。

 けれどこのリーティフには困った副作用もあった。



 …触れたり、魔素を通す度にリアンとお姉様に会いたくなるということだ。


 というか正直に言うと、無性にリアンと話がしたくなる。


 お姉様はともかく、あの朴念仁はやりきった顔をしていたし、もう私と会うことは無いみたいな振る舞いをしていた。

 まあそうかな…と思う反面。しばらく一緒に過ごしてから薄々嫌な予感がしていたのだ。


 これはまずいかも、と思った時にはもう手遅れだった。


 人の良い変態技師野郎は、ルーヴ代金を卒業後支払いにしてくれた。

 だからこそ学園生活が終わった後に、美人さと技術に磨きがかかり、アローグ工房への所属も決めた私になってから。改めてあのくそリアンに、愛想笑いの件で文句を言いにいくつもりだった。

 今の心境で会ったら、抱きついてしまいそうだし、気を抜いたら通ってしまいそうだったから。

 私以上に環境の変化に動転し、ようやく落ち着いてきた両親にあんまり心配をかけたくない。最近、家族の時間が増えてきて、冷えていた関係も良くなってきている。そのことはとても嬉しいのだ。


 とはいえ。



 あーあ…会いたいなあ。またあの美味しくない料理が食べたい。

 でもなあ、あの男なーんか競争率高いんだよなあ…。お姉様もそうだし、料理上手なニアさんも間違いないだろう。年齢的に私は不利だよなあ、体型もちんまりしてるし…。


 

 そんな風に考えていると、気づけば見慣れた路地裏に来てしまっていた。あれ、おかしいな…。帰巣本能かな?って冗談じゃないわ!…冗談じゃなくなったらいいなあ。


 つまるところ、私の愚かさはまったくもって改善されていなかったわけである。むしろ重症化したと言われても否定できない。



 …いや、再会した時に抱きつかなかったので成長はしたと信じよう。うん、きっとそうだ。平静を保ったし、間違えて入っちゃった風の偶然も装ったし。私は頑張った。

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