第2章 受付嬢には敵わない

第10話 嘘はよくない

 「ようこそ!サンライニへ!」


 会長は抜けるような青空に相応しい笑顔で、爽やかに告げた。


 その先に見えるのは、海。話に聞いたことはあったが見るのは初めてである。


 王都ノースモアより暖かく感じる風が、頬の横を抜けていく。路地裏特有の少し土っぽい香りとは似ても似つかない。


 今俺が立っているのは、ハンブル商工会本部の前。

 「本部」の前である。


 ちなみに本部に来るのも、俺が初めて訪れたハンブル商工会が「ノースモア支部」であったことも初耳である。

 さらに付け加えるとその話を聞いたのも、つい先程のことなのだ。


 そう、ついさっきまで俺がいたのはハンブル商工会ノースモア支部であった。


 しかし会長が商工会の奥にある扉を開き、促されるまま外に出ると。

 


 ヴィクト王国から遠く離れた地、青く輝く海に突き出す美しい国。




 そこは異国、サンライニ公国こうこくだった。




 「口開いてるよ?」


 笑いを噛み殺したような表情で、ラフィエ会長は言う。

 あわてて口を閉じるが、頭の中は混乱が支配し上手く言葉が出てこない。


 予想外の合格、予想外の光景、予想外が2つ続いただけで、庶民は二の句どころか三の句四の句も継げられなくなるようだ。


 「転移扉!初体験はいかがかな?」


 得意満面な顔の会長。

 それはそうだろう、何しろ夢の世界の魔法道具なのだ。もっとも現実の世界でたった今確認されたわけだが。



 転移扉。


 「旧魔法時代」と語られる時代に存在したとされる魔法道具である。

 扉一枚開けばどこにでも行ける、神々の住まう世界につながっている…など、技師の夢も多分に含まれて語られる魔法道具だ。


 学園で魔法学を学んでいると、魔法道具の歴史を学ぶ機会がある。

 その中心となるのは現存している魔法道具にもとづいた、道具史という講義だ。道具史が語るところの歴史は発掘された魔法道具の研究や、類推によって形作られたものである。当然歴史が進むごとに魔法回路の研究は進み、魔法道具は進化していく。


 しかしながら、極稀にそんな歴史の流れでは説明できない魔法道具が出土する場合がある。

 そういった魔法道具たちは、回路の細かさや、必要となる魔力量を含め現時点でも発動させることができなかったり、解析ができていなかったりする。

 ヴィクト王国の王立魔法学園でもいくつか所蔵しており、今でも研究は続いている。


 この現在でも解析できていない魔法道具たちが作られた時代のことを「旧魔法時代」と呼ぶのだ。

 歴史上どの時期に開発されても辻褄が合わないため、現在とは隔絶した時代だとされ、非常に謎が多い。

 だからこそ、この時代にあったのではないかと言われる魔法道具は多く、そのほとんどは技師たちの憧れや空想が多分に含まれ、それはそれで夢があり、面白い界隈だと言っていいだろう。

 かくいう俺も非常に惹かれる世界でもある。

 


 そんな空想の産物である「転移扉」を体験してしまった。

 空想上の魔法道具だと思っていたが実在したとは…。しかも王都の路地裏、所属商店が一つもない場末の商工会に。


 「まあ扉を開けたら異国なんて驚きますよね。私もはじめは信じられませんでしたし」


 と、未だに呆然とする俺にそばにいた女性から声がかけられる。


 その表情はこちらを慮っている様子がわかる、確かな優しさを感じるものだ。

 しかし彼女の存在自体も俺の動揺を誘うのだ。それも転移扉と同じかそれ以上に。


 「ルーさんって本当に兎族なんですね…」

 「そんなに驚かれると、なんだか申し訳ない気がしますね」


 ルーさんは今度は困った風に笑う。それに合わせてやや明るめの茶色の髪が揺れる。同時に顔の両側についた大きく垂れた兎耳も揺れる。


 彼女は兎族うさぎぞく。ヴィクト王国では妖精と呼ばれ、想像上の生き物だとされている。遠い異国に住んでいる、という説が兎族肯定派の主流ではあったが、こうして本物とお会いするとは思わなかった。

 海を目にするときは、体から魂が抜け天から世界を見下ろす時だ。と言われるほどその存在が遠いヴィクト王国である。こうもご近所に海がある時点で、王国からは相当離れているだろう。兎族肯定派の皆さんは結果として正しかったようだ。

 

 ルーさんの身長は10歳くらいの子供より少し大きいくらい。後で分かったことだが、兎族の大人は男女問わず大体このくらいの身長だった。

 顔や服装なんかは俺と変わらない。小柄な女性といった雰囲気である。

 ちなみに種族で言うと、俺やスタンレイのようなヴィクトに住んでいる人間達は陽人族ようじんぞくと呼ばれているらしい。強い日差しを浴び続けると肌が日焼けをすることを指して、太陽に影響を受ける人、という意味だそうだ。


 「ノースモアだとルーさん達、本になって売ってたよ?ヴィクト人からすると妖精なんだって!」

 「ラフィエ会長から聞きました…。妖精ではありませんよ…」


 ニアが面白そうにそう言うと、ルーさんは恥ずかしそうにこちらを見る。

 彼女の特徴でもある茶色の大きな耳は忙しなく動いている。本人の感情に合わせて動くようだ。


 「ルー君がノースモアに行ったら崇められるかもしれないね」


 ファリエ会長もニヤニヤとそんなことを言う。

 しかしヴィクト人としては否定できないところもある。ルーさんは美人だし、ヴィクトで語られていた兎族の容姿そっくりだ。子供はもちろん、大人でも興味に惹かれて寄ってくるかもしれない。


 「リアン、妖精さんの耳は気安く触っちゃだめなんだよ」

 「ニアちゃん…触りながら言われても…」

 「もふもふ…持って帰りたい!」


 彼女の耳を遠慮なく触りながら、怖いことを言う悪女は笑う。リアン教の腕輪を巻き上げただけでは満足できないのだろうか。

 当のルーさんは少しくすぐったそうに抗議しているが、表情は穏やかだ。我が商工会の受付嬢に比べ、圧倒的に聖女である。


 兎族からすると耳も髪の毛みたいなものらしい。確かに異性の髪の毛をいきなり触るのは失礼であろう。


 「サンライニ公国は他種族国家なんだ。兎族以外にもいろいろな種族が住んでるよ、陽人族は少数派だ」


 会長のその言葉を聞いて、俺は改めて周囲を見回してみる。

 商工会前の通りを歩く人々の様相は、ノースモアでのそれとは大きく違っていた。


 猫のような容姿だが、服を着て、2足で歩く子猫族こねこぞく

 ルーさんと同じ、兎族。

 褐色の肌に、よく見ると髪の毛が葉っぱのようなものでできている緑浴族りょくよくぞく

 さらに、陽人族とほとんど変わらない見た目の月銀族げつぎんぞく


 聞くとファリエ会長はこの月銀族だそうだ。陽人族との違いはやや輝くような髪の色と、日焼けをしないことらしい。少数派である地元陽人族のニアに言わせると、美白族は本当にうらやましい、とのことであった。

 サンライニは日差しが強い。日焼けを好まない女性からすると、なかなかにしんどい環境なのかもしれない。


 他種族国家であり、独特の文化を持つ、まるで異世界。

 ヴィクト王国からすれば随分と野心的に見えるサンライニ公国は、その昔子猫族によって建国されたと言われているそうだ。現在でも公国を主導する貴族には、子猫族も少なくないらしい。

 基本的に人懐っこく好奇心旺盛な子猫族の気質は、サンライニ公国の文化でもあるという。


 「公国の原動力は好奇心だね。だから色々な国や種族に興味を持っていて、少しづつ他国との交流を図っているわけ。他種族を信じていない単一種族の国家も少なくないからね、騒ぎになったりしないように各国の元首階級げんしゅかいきゅうの方に話を通した後、こっそりと窓口を作るんだ」


 それがハンブル商工会のもう一つの役割なのさ、とさらりと述べる会長。

 どうやら商工会は領事館か大使館か、何かそれに並ぶような場所でもあったようだ。


 かなりとんでもない機密を聞いてしまったような気がするが、深く考えるのはやめることにする。

 俺はただの魔法技師である。しかもアローグ工房をクビになり、どこの商工会もほとんど門前払いの落ちこぼれだ。

 そんな人間が「とある商工会に転移扉があったんだ!他種族国家が存在したんだよ!」と力説した所でまず信用はされないだろう。

 しかも話から察するにヴィクト王国の元首階級には話が通っている。物騒なことにならないように、公国、王国両方の大層腕の立つ皆さんが監視をしていらっしゃると考えていいだろう。

 庶民は大人しくしているのが一番である。


 「ルーくんは、公国のお目付け役だね。この扉を使えばいくらでも密輸できちゃうからね、危ないものとか貴重なものとか大量の物資とか持って歩かないように監視されてるんだ」


 管理官なんです、とルーさんは照れくさそうに言う。

 特徴敵な耳もパタパタと揺れ、可愛らしい入国管理官さんである。ニアが後で教えてくれたが、公国でも指折りの人物だからこそ、ここを一人で任されているらしい。


 襟のしっかりした紺色の服を着ていて、確かにお役人と言われればそうかも知れない。あまり主張はしていないが服には金色の刺繍が入っている。おそらく高級なものだろう。

 しかしながら下半身に履いているのは膝丈くらいのズボンである。彼女自身の雰囲気も相まって、威厳より可愛らしさが先にくるのは仕方ないことだろう。


 「例の試験課題だった腕輪も、実はこっちの魔法道具なんだよ。しかもニアくんのお古」


 クスクスといたずらが成功した時のような表情で会長は笑う。

 ニアも共犯者として恥じない笑顔を浮かべている。

 

 「サンライニでは木製の魔法道具が主に作られているんだよね。ヴィクトほど貴族が多くないっていう背景もあって、ノースモアの工房みたいに潤ってないんだ。だからアモーリテの成形機はほとんど時間貸しで工房所有は珍しいね。成形機の操作技術も王都の学園生より拙いかな。

 

 ヴィクトに行って分かったけど、魔素はサンライニのほうが濃いみたいだね。だから教育を受けていない子でも魔法回路を発動しやすいみたいだ」


 この言葉で、ようやく腕輪の謎が解けたような気がした。

 魔素の濃い環境だと、魔素の操作に特別気を向けなくても回路を発動させられるのだ。


 魔法回路の彫りが妙に浅かった理由もそこにある。


 魔素が濃い環境なので、魔素を集めやすい構造にする必要がない。基本的に浅いほうが彫りやすいし、素材そのものの強度も保てる。特別魔素を逃がさないようにしなくても、魔素が多くありふれているので、ある種力技で発動できる。

 平たく言えば、教育を受けていない庶民でも扱えるのだ。


 ただ、その代わりに魔素の操作に気を使わないので、回路に魔素を叩きつけることになってしまう。よって回路が傷つき、木製の腕輪はそのために発動できなくなっていたのだ。


 「もう分かったよね?つまりさ、ここでは魔法道具は庶民にも売れないことはない。ただリアンが気づいている通り寿命が短い。でも悪いことばかりじゃない。

 木製なら安価に作れるし、その分売値も安く設定できる。しかも寿命があまり長くなければ、買い替えや修理の需要もある程度見込めるわけ」

 「それで庶民向けに木製の魔法道具を売り始めた?」

 「そういうことだね。ただ耐久性に難があるってことは事実だし、無料じゃないんだから大事に使おうとするのが普通だ。修理を受け持つ人もいるしね。現時点では修理費と、修理が効かなくなったときの買い替えと…消耗は早めだ。どこの家庭も魔法道具の便利さは認識しつつも、その経費には頭を悩ませてるわけ」


 会長はニンマリと笑う。大層悪そうな笑顔ではあるが、商工会として商機を逃さないのは大切である。



 「そこに長持ちして、使いやすい庶民向け魔法道具を提供する。

 リアン、君の最初の挑戦だ。リアン印の魔法道具が通用するのか、まずはサンライニで勝負しよう」



 我が商工会の会長は、冷静に見えて意外と情熱家のようだ。もしかしたら賭け事が好きなのかも知れない。

 今回その賭け金を預かっている人間が誰なのか、言うまでもないだろう。

 

 そして専属契約的に「リアン印」がつけられることが無いことも、言うまでもない。

 …息をするように嘘を仕込むのはよくないと思います。


 

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