第7話 薄給技師のルーヴ

 「これが、リアンさ…えっと、リアンのルーヴなんだ」


 お互い年齢も近いだろうし、丁寧な話し方は疲れるから。という理由で、ニアさ…ニアはやや砕けた調子で、テーブルに並べられたルーヴを物珍しそうに眺めている。


 夕方とまではいかないまでも、やや日が傾いてきた頃。エドガー工房を後にし、宿の部屋を引き払った俺はハンブル商工会の1階へ戻っていた。


 調整直後のルーヴは魔素の流れが安定せず、作業ができない。

 また、あの腕輪の回路についても目的が分からずもやもやしている。


 「やりきる」ためには本当の意味であの回路を理解しなければいけない、漠然とそんな感覚があるのだ。エドガー工房でも、商工会までの帰り道でも考えたがどうにも答えがでない。


 そんな状態でいたところ、ちょうど休憩時間だったという受付嬢がお茶を勧めてくれたのだ。頭を少し切り替えたかったこともあり、お言葉に甘えることにした。



 「もしかしてこのルーヴって古い希少品?」


 ルーヴを手に取りつつ改めて調整後の様子を確認していると、ニアはワクワクした様子で覗き込む。

 期待に添えないことに苦笑いをしつつ答える。


 「珍しいとは思うけど…高価なものではないかな」

 「えっ…そうなの?」


 ニアは意外そうな顔をしている。


 「試験を受けに来た人は、会長にルーヴの値段自慢してたし。珍しい形ならもっと高級なのかなって」

 「貴族に値段の自慢とは…肝が座っているというか…」

 「まあでもほら、うちの会長って貴族って感じしないでしょう?それにその時は事務員って名乗ってたしね」

 「まあ、それなら分からなくもないか…」


 確かに事務員は雇われだし、間違いなく貴族ではないだろう。貴族の家族が事務員をやっているという例も聞いたことがない。事実、ファリエ会長を初めて見た時も貴族だとは思わなかった。


 それにルーヴを自慢するのは、魔法技師の持病といってもいい。

 技師たちにとってルーヴは、商売道具であり、収入を示す装飾品であり、感性を表現する装いでもある。

 自身のルーヴの価格、意匠は技師としての社会的地位を示す象徴そのものなのだ。


 「お茶を出しにいった私に見せてくる人も結構いるの。どれも割と似た形だったんだけど、リアンのやつは形がかなり違うなって思って」

 「同期の父親がやっているお店で、売れ残りを譲ってもらったんだ。当時はお金なくって」

 「学園生の頃?」

 「そう、授業代払ったら金欠になっちゃって。それから結局買い換える機会を逃したままずっと使ってるんだ」


 なるほど、とニアはうんうんと頷きながら答える。


 「アローグ工房は薄給なんだ、一流工房なのにケチなのね」


 そのあまりに直接的な物言いに思わず吹き出してしまう。

 この商工会は会長だけでなく、受付嬢まで一味違うらしい。来客が少ない理由の一端はそこにもあるのではなかろうか。

 そんな俺の心の内などお見通しだよ、という表情をしてニアは楽しそうに言う。


 「人は選んでるから大丈夫」


 美人は笑顔で大抵のことを許させてしまう力がある。印象に残らない顔でお馴染みの自分としては羨ましい限りである。

 アローグは薄給じゃないからね、と工房の名誉のために述べると、


 「じゃ、リアンが特別庶民じみてるんだ」


 と更に笑われてしまった。

 おそらくそのことも分かっていてからかわれたんだろう。庶民であるのは間違いないし、彼女が楽しそうなのでまあいいか、と思うことにした。


 「リアンは私にルーヴの自慢はしないの?」

 「庶民で薄給技師のルーヴに興味ある?」

 「うーん…美形で高給取りのルーヴのほうが興味あるかな」


 クスクスと楽しそうに笑いながら、ニアは続ける。


 「魔法技師さんってルーヴを褒められると嬉しいんでしょ?美形の魔法技師のルーヴを上手に褒めれば、玉の輿も夢じゃないかなって」


 気持ちがいいほどに欲望に忠実な様をみて、ちょっとした悪戯心が芽生える。


 「確かにルーヴを褒めることができれば、玉の輿への第一歩かもしれない」

 

 でしょ?とニヤニヤする彼女。


 「特に俺が使う、安物で取り柄のないルーヴを褒められれば、立派な褒め上手になれるってことだな」


 ニア嬢はさすがでいらっしゃる、と意地悪な笑みを浮かべながら俺が返すと、ニアはさっと表情を変えた。


 「い、いや、そういうつもりで言ったわけじゃないから!私性格悪いけど、そこまでじゃないから!」


 思わず椅子から腰を浮かせ慌てる受付嬢を見て、今度は俺がクスクスと笑ってしまうのだった。



 ルーヴというのは、魔法技師が回路を刻む際に使うペン型の魔法道具である。

 魔素をペン先にあつめ素材の表面を削り、彫り込むことで回路を書き込む。ペンに似ているが、書いているわけではなく彫り込み、刻んでいるのだ。

 この仕組みから分かるように、ルーヴを使う際は常に魔素を流し続ける必要がある。


 魔素を流し続けるのは、重い物を一定の高さで持ち続けることと似ている。疲れてくれば、その高さは段々下がってきてしまうし、そのうち持つこともできなくなる。

 つまり魔素を一定の量流し続けるのにも、長時間流し続けるのにもそれなりの修練が必要だし、簡単なことではないのだ。


 これを解決するべく開発されたのが、ほたる石付きのルーヴだ。

 ほたる石から補助的に魔素を流すことで、安定して、かつ長時間作業をすることが可能になった。良質なほたる石を使えば技師がほとんど魔素を流さなくても使えるし、質の高いアモーリテはもちろん、更に希少な材質を使えば魔素の流れも非常に安定する。


 当然質の高いルーヴは高価になる。良質なほたる石は言わずもがな。つまり収入の良い技師しか購入できないのだ。

 そうなるとルーヴを見るだけでその技師の人気や実力が分かる。

 いつしか高価なルーヴは、魔法技師の格の象徴と見られるようになった。結果他の魔法道具と同じく、機能に加えその見た目も重視され、より華美なものが出回っている。


 「ってことは、ルーヴ自体の装飾が綺麗とか、色が綺麗だとか褒めればいいの?」


 とニアは興味津々という顔で聞いてくる。


 正直この反応は意外だった。途中で飽きてしまうだろうから、適当に話を打ち切るつもだったのだが。玉の輿狙いというのは伊達ではないらしい。

 ルーヴも落ち着いてきたようだ。スタンレイが調整してくれたほたる石がほんのり緑色に光っている。魔素が安定した証拠だ。


 「ペン先やほたる石も褒めるといいかも。この人はルーヴに興味あるんだなって思わせられるし」

 「確かに。同じものに興味あったりすると親近感湧くもんね」


 ふふふ、と不敵に笑う受付嬢。教えないほうがよかったかとも思ったが深くは考えないことにした。

 後は彼女の未来の旦那様が幸せでいられることを祈ろう。美形で金持ちなら、ちょっと腹黒い奥さんに困らされるくらいでいいのだ。そうだ、俺は悪くない。幸せを祈れていないかも知れないが、印象に残らない顔のささやかな反抗である。神もお許しになるはず。たぶん。


 「いや、うん。凄い分かりやすい説明だったんだけどさ…」


 ニアは少し気まずそうにテーブルの上を見る。

 その視線の先には、お世辞にも華やかとは言えないルーヴが並んでいる。

 友人価格のほたる石は角ばっているし、本体は最低品質のアモーリテで出来ており、鈍い銅色だ。逆に珍しい。持ち手も後から付けたような木製で出来ている。

 何を隠そう、俺のルーヴである。


 「その…えっと…ほたる石、綺麗ですね」

 「…もう少し本心を隠したらどうだろうか」


 あまりの棒読みに脱力する。

 世渡りが上手そうな印象を受けるニアだが、案外嘘が付けない種類の人間なのだろうか。

 それともルーヴがあまりにも…いや、そうではない…そうではないはずだ。頼む。


 「だってよく見たら全然綺麗じゃないもん!なんか茶色っぽいし、木でできてる所あるし!」

 「茶色じゃない!銅色だ!趣のある、いぶし銅じゃないか!」

 「いぶし銅ですらないじゃない。材質はアモーリテなんでしょ?しかも一番安い…」

 「ゔっ…」


 俺が言葉に詰まったのを見て、呆れたような勝ち誇ったような顔をするニア。すると今度は試すような表情で聞いてきた。


 「じゃあさ、逆にこのルーヴのどこがいいのか、リアンなりに教えてよ」


 なんだか趣旨がずれてきてしまったような気がするが、このまま引き下がるのは面白くない。我ながら子供である。


 確かにこのルーヴは見た目が悪い。質の良いアモーリテを使えば本体は輝くような白っぽい銀色になり、知識が無くても目を引くだろう。


 「確かにニアの言う通り、安っぽく見えるよね。貰ったものだからあんまり悪く言えないけど」


 少し声色を下げた俺を見て、ニアはそわそわと気まずそうである。そのわかりやすさに思わず笑ってしまった。


 「なんだろう、でも好きなんだ。どうにも替える気にならなかった」


 いぶし銅色の本体は、気付きにくいがペン先ギリギリまで回路が刻まれている。これにより、通常のものより幅広く彫りを調整できる。


 木製の持ち手にも回路が仕込まれているが、指に直接ふれてゴミが入らないように裏側の見えない部分に集中している。


 本体一体型でなく、持ち手近くに強引にほたる石が接続されているのも理由がある。ペン先へ可能な限り早く魔素を伝える構造にすることで、安価なほたる石を無駄にせず利用できるからである。


 回路が細く、短縮されているため、魔素の調整はやや面倒。木製部分からアモーリテ部分に回路がつながるので、魔素の通し方に癖がある。

 ほたる石の接続部分が特殊なので、高価で質の高いほたる石は逆に使えないし、見た目は悪い。

 誰が使っても安定し画一的な彫り込みを生み、見栄も満たせる高級ルーヴには品質的にも逆立ちしても及ばない。


 だとしても、自在に彫り込むこと、魔素を無駄にしないこと、技師の技術をそのまま伝えることを重視したルーヴ。

 技術さえあれば高級ルーヴにも負けないくらい、彫り込む回路にこだわることができる。

 そんな愚直なこのルーヴが好きだ。


 その不器用な機能主義は、どこかローエンの面影があるのだ。


 「まあ、未だに技術は追いついてないんだけど」


 気付くとその考えをほとんど語ってしまっていた。工房に入る前、語りすぎてシスティに呆れられた時を思い出し、気まずくなった。

 同業のシスティが呆れるのだ。これでは引かれてしまうかも知れない。


 「好きなんだね、そのルーヴ」


 と、思った以上に穏やかな声が掛けられる。

 茶化すような色はなく、先程までの腹黒さが嘘のようにニアは続ける。


 「なんか最初に会長と話してた時と別人みたいだったよ?そっちが素なの?」


 柔らかい雰囲気で話すニアを見て、どうにもむず痒くなってしまう。


 「いや…どうかな、ちょっと夢中になっただけ…かな」

 「ふふ…そうなんだ。なんかちょっと子供みたいだったかも」


 ニアはどこか嬉しそうに笑う。

 ルーヴを触ってみてもいい?と聞かれ、雰囲気に流されつつ頷いた。玉の輿を狙う大胆な彼女はなりを潜めて、おっかなびっくりルーヴを持つ。


 「正直前に見せてもらったルーヴのほうがずっと綺麗だったけど…」


 今度は少し照れくさそうに言う。

 その目は手に持ったルーヴから離れない。


 「それだけ語れるんだから、嘘はないよね。値段自慢より素直に聞けた。心の底から好きなんだろうなってわかった。ローエンて人のことも」


 そう言って、茶化してごめんね、と控えめに彼女は笑った。

 優しげなその目は、やはりまっすぐ俺を見ている気がした。

 霧の中でも迷わない、そんな目。ファリエ会長も、ニアも同じ。



 やっと分かった。これは自分の正体を見抜かれた時の視線なのだ。



 誤魔化し、蓋をし、行き場を無くした心が霧になる。

 悲観し、諦め、漫然さを煮詰めたような袋小路のなかで、俺は早々に歩くことをやめたのだ。そしていつしか俺は、現在地も目的地も忘れてしまった。



 「エクセシオスが嫌いで、ローエンが好きな」俺は、それでも性懲りもなく居座っていたのだ。


 

 システィの言葉が刺さったのは、胸の内にある袋小路だ。沈黙の中、口から抜けていったのは単なる息ではなく、そこに漂う霧だったのだ。


 そして俺は抜け殻になっていった。


 宿屋の亭主に背中を叩かれた時。

 木製の腕輪を見た時。

 スタンレイがやりきれよ、と俺に言ったあの時。


 袋小路はどんどんと崩れ、崩れた先から霧は抜け続けていたのだ。ファリエ会長もニアも、澄み始めている空気の中でふらつく俺を見つけていたのだ。


 そして今になって俺自身も。



 「おーい、リアンー?大丈夫ー?」


 ニアの声が聞こえる。今ようやく彼女と出会ったような気がする。


 「なんか寝起きみたいにぼーっとしてたけど、眠いの?」

 「あ、いや、もう起きた…かも」

 「え?目開けながら寝てたの?私話してたんだけど!」


 彼女は少し声を荒げる。でも表情の柔らかさは残ったままだ。


 そして同時に、彼女の手元が目に写った。指に細かい傷が残っている。俺が見つめると、ニアは恥ずかしそうに手を隠した。


 「あはは、この時期は仕方ないんだよね」


 もう少しすれば良くなるからあんまり見ないでよ、と話す彼女を見て。

 俺はようやく決心をした。

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