第6話 帰り道

 外灯に照らされて、歩道を歩く2人の影が道路に伸びている。


 自転車通学の数美とは先に別れ、胡桃は文嘉と御月駅へと向かっていた。


 月が綺麗な夜だった。大通りからひとつ外れた小道は車もほとんど走っておらず、脇の草むらから聞こえる虫の鳴き声が耳に気持ちいい。遠くに駅周辺の賑やかそうなネオンが見え、その距離感が今の胡桃には丁度良かった。


「どんな勉強法をしたらあんなに良い点が取れるんだろう。——ねえ文嘉ちゃん。英梨華ちゃんには秘密でもあるの?」


「秘密かあ」と文嘉は星空を仰いだ。「秘密なんか分からんけど、米園は家では勉強中に歌を歌い出すねん。勉強の内容を即興で。まるでミュージカルみたいに」

「——ミュージカル?」

「そう。最初見たときはほんまにびっくりしたわ。ついさっきまで机に座って黙々と勉強しててんのにやで、単元が終わった途端きゅうに立ち上がって、——なにすんのかって思ったら、今勉強したとこを踊りながら歌い始めんねん。しかも、それがまためっちゃ歌うまいねん。ほんま、ショーを見てるみたいやったわ」

「すごい、見てみたい」

「見て欲しいわ。びびるほど声量あるで。まじで、窓ガラス割れそうやった」

「それはないでしょ」


 胡桃は吹き出した。


 御月駅まで、線路沿いを文嘉と二人で雑談しながら歩いていた。

 踏み切りに差し掛かると、ふいに文嘉が何かを呟いた。しかし、踏切の鐘が鳴り出したので、胡桃はその一言が聞き取れなかった。


「——え? 何か言った?」

「いや、何でもない」


 文嘉がはぐらかした。しかし、そう言われたら気になるのが人間の性だ。


「教えてよ」

「なーいしょ」

「教えてって」


 胡桃が食い下がると、文嘉は踏切を見つめたままこう言った。


「なんか、真剣に勉強してる姿ってええなって」

「——どういうこと?」


 がたん、と電車が踏切にさしかかり、その音で会話が中断される。ちかちかと、電車内の光が文嘉の顔を照らしている。文嘉の顔には柔らかな微笑みが浮かんでいた。


 鐘の音がやむ。 


 踏切が開くと、文嘉は途端に走り出した。


「応援してるだけのつもりやったけど、今回はうちもがんばることにするわ。互いに目標に向かってがんばろな!」

「ちょ、ちょっと文嘉ちゃん!」

「そんじゃあなっ! また明日っ!」


 胡桃は文嘉を追いかけようとしたが、文嘉の背中はあっという間に駅の中へと消えていった。胡桃は呆然としながら駅の改札口を見つめる。


「……どうしたんだろう」


 ぽつりと呟いて、胡桃は踵を返した。自転車に乗る気も起きず、のんびりと自転車を押しながら家へと向かった。あたたかい夜風に吹かれながら歩いていると、ふと文嘉の言いたかったことが分かったような気がした。


 ——なんか、真剣に勉強してる姿ってええなって。


 胡桃の頭に、姉の背中が浮かんだ。そうだった。姉もあのとき、目標に向かって一心不乱に頑張っていた。自分はあのときの姉の背中に憧れたのだった。



 家に帰ると、胡桃は姉に電話をした。なんとなく話がしたい気分だった。姉はすぐに電話に出た。


「あら胡桃、久しぶりね」


 言いたいことはたくさんあった。姉の言っていたことが今は少し理解できたということ。いろんな人に支えられて、何とか頑張ろうと思っていること。そして、励ましてくれてありがとう、という感謝の言葉。


 しかし、姉の声を聞くと、それを改めて伝える必要もないような気がした。


「うん、久しぶり。お姉ちゃん、元気にしてる?」


 10分ほど、他愛のない話をした。大学のゼミのレポートに追われて日々忙しいこと。サークルで北海道に旅行に合宿に行く予定を立てているということ。先週、キャンパスがドラマの撮影に使われて、有名人を生で見れたこと。


 切り際に、姉はこう言った。


「元気が出てきたようで良かった」


 姉の声は、とても優しかった。聞いているだけで涙が出てきそうだった。


「受験期には、辛いと思うときがたくさんあると思うけど、その先には今よりもちょっと強くなった胡桃がいるはずよ。がんばってね。私は胡桃のことを応援しているわ」


「ありがとう、お姉ちゃん」と胡桃は言った。「私、がんばるよ」


 通話が終わると、胡桃は携帯電話の電源を落とした。机に座り、カバンから計画表を取り出す。数美と文嘉に教わって決めた毎日のやることが書いてある。するべきことは決まっている。目の前に、道は伸びている。あとは、自分がそこをきちんと進めるかどうか。一つ一つ、やるべきことをやることができるかだ。


 今日やるべきこと1つ目、数学の問題集。


 胡桃は計画表をわきに置き、一度首をぐるりと回した。机横の本棚から参考書を取り出し、ペラペラとめくって該当ページを開く。ルーズリーフを取り出し、シャーペンをノックした。


「よし、——やるぞ」


 長い長い、自分との戦いの始まりだ。

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