第3話 1位の行方

 1週間はあっという間に過ぎた。


「はーい、これから中間テストの成績を返します」


 トントン、と教卓で成績表をそろえながら、担任の大貫が教室中に通る声でそう言った。その声は、胡桃にとって、まるで地獄へのカウントダウンのようにも感じた。


 胡桃は机の上で両手を堅く握り、じっと目をつむっている。


 この1週間、本当に気が気でなかった。食事もろくに喉を通らなかったし、ベッドに入っても2時間は寝付けなかった。


「えーっと、今回3年生になって初の定期試験だったわけだけど、このクラスは全体的に成績が良かったです。多分、文系のクラスの中で1番だったんじゃないかな。みんなよく頑張りましたね。ですが、今回の成績で満足せずに、これからもしっかりと頑張ってください。自分の間違えたところはきちんと復習しておくように。受験っていうのは——」


 教壇の大貫の話が、頭にすこしも入ってこない。


 この1週間、ずっと渦巻いていた感情が、胡桃の思考を蝕んでいる。


 ——あのとき、あの問題に執着していなければ。


 分からないと思った瞬間に、さっさと次の問題に移っていれば良かった。そうすれば時間が足りないと焦ることもなく、他の問題を解く余裕だってあったはずだ。一度最後まで解ききって、心に余裕がある状態であの問題を見たら、普通に答えが出てきたに違いない。そうすれば、あの後の国語や英語で「生物で取れなかった分を取り返してやろう」と変に力むこともなかっただろうに。


 SRY遺伝子。


 今ならすんなり出てくるのに、なんであのときその単語が出てこなかったのだろう。どうして肝心なところで自分は——


「佐倉ちゃん、——佐倉ちゃん?」


 名前を呼ばれて、胡桃の意識が現実に引き戻された。すでに成績表の返却がはじまっている。慌てて立ち上がり、大貫から成績表を受け取る。


 二つ折りにされたB5サイズのコピー用紙を手にすると、いよいよ恐怖で足が震えた。中身を見ることなく、机に戻る。


 目を強くつむって、胡桃は拝むように手を合わせる。


 ここまでくれば、残るは神頼みしかなかった。


 ——お願いします。


 もしも1位なら、自分はどんなことでもやる。これからも必死になって勉強する。1日10時間でも20時間でも勉強するし、どんなに嫌いな科目も泣き言一つ言わず頑張るから、


 だから、

 どうか1位でありますように。


 震える深呼吸をし、胡桃はおそるおそる成績表を開いた。





 ——1位!


 成績表に書かれた順位を見て、米園英梨華は声を上げそうになった。


 自分の名前に間違いがないことを確認し、英梨華はもう一度成績表に書かれた順位を見る。間違いない。この神々しく輝く2文字は自分がずっと追い求めてきた順位。金色の髪の証。米園家の長女として生まれた自分の代名詞。


 1位。


 ——やりましたわ!


 英梨華は机にうずくまって喜びを噛み締める。もしもここが教室でなければ、大声で笑い出しているところだった。


 何ということはない。これまで何度もとってきた1位である。


 が、こんなに嬉しいと思ったのは久しぶりだった。腹の底に灯がともったような、じんわりとした暖かい感覚。体中に血液が巡り、体温が上昇しているのが自分でも分かる。


 勝ち取ったのだ。

 あの女、佐倉胡桃から取り戻したのだ。


 ——英梨華の金髪は1等賞の印。


 英梨華は最前列に座る胡桃に視線を移す。最後尾である英梨華の席からは後ろ姿しか見えないが、どうやら胡桃は机の上の成績表をじっと見ているようだった。俯き加減のまま、身じろぎ一つしていない。


 さぞ悔しかろう、と英梨華は思った。


 表情が見えないのが残念でならない。きっと胡桃の顔には鬼のような形相が浮かんでいるのだろう。目を血走らせ、唇を噛み締め、鼻の穴を目一杯広げて、2位と書かれた成績表を睨みつけているに違いない。


 どうだ見たか。

 これが米園英梨華の実力なのだ。


「すごい、米園さんまた1位なんだ」


 隣の女生徒の一言で、教室全体にその事実が瞬く間に広がっていく。クラスメイトからの視線に謙遜をするように両手を振りながら、英梨華は内心で身震いするような興奮を味わっていた。


 これだ。

 自分が目指していたのは、この景色なのだ。


 嫌みにならないよう笑顔でクラスメイトからの視線に答えつつ、英梨華はもう一度、横目で胡桃を見た。


 胡桃は相変わらず、机の上の成績表に視線を落としたまま、身動き一つしない。

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