第3話 旧校舎

 御月女子校は5年前に校舎を建て直した。


 いま生徒が通っている校舎はぴっかぴかの新築で、御月市内でも綺麗な校舎だと話題になっている。高校紹介のパンフレットには、最新の空調設備や、有名な建築家が設計したなどとの紹介がされていて、まだ中学生だったころの胡桃も、それを眺めながら新しい高校に思いを馳せたものだ。


 その綺麗な校舎から体育館を挟んだ奥に、御月女子校の旧校舎はある。


 木造の3階建て。時計塔の針はもう何年も動いておらず、何十年も雨風にさらされて腐食した壁が、見ているものに痛々しさすら感じさせる。その古びた外観から、一部の生徒から『学校の怪談』と呼ばれており、基本的にだれも近寄らない。去年までは物置として使われていたが、来年度に取り壊しが決定してから立ち入り禁止となった。正面玄関の扉には鎖と南京錠で鍵が掛けられており、だれも中に入ることはできない。


「ねえ、本当に大丈夫なの?」


 胡桃は数美の後ろ袖を掴みながら、不安げに辺りを見渡す。


「だれかに見つかったりしたら怒られるんじゃない?」

「その可能性はあります」と旧校舎周辺に生い茂る雑草の上を歩きながら数美が言う。

「ですが、これまで何度もここに来ましたが、一度も見つかったことはありません。今回も見つからない可能性の方が高いです」


 あれほど仰々しく正面玄関を施錠しているくせに、旧校舎の裏口の扉には鎖どころか鍵さえかけられていなかった。数美がノブをひねるとあっさり扉は開き、2人はあっけないほど簡単に旧校舎へと侵入することができた。


 旧校舎の廊下はほこりと腐った木の混じった匂いがした。壊れたドアが煩雑に廊下に立てかけてあり、ところどころにガラスの破片が散っている。なるほど、本来ならぬくもりを感じるはずの木造校舎が朽ちたこの感じ、――廃墟特有の不穏な空気は、確かに幽霊の隠れ家だと言ってもおかしくない。外から見られるのではないかと胡桃は心配だったが、窓ガラスはヒビや砂埃まみれで、外から中の様子は見えないようだった。ぎしぎしと乾いた音を立てる廊下を2人で歩き、2階の教室へと行く。


「ここです」


 2年1組には木造の古びた机が並んでいた。どれもしばりが刺さりそうなほどささくれていて、卓上には絵が描けるほどホコリが積もっていた。


「数美ちゃんはいつもここに来るの?」

「はい」と数美はさも当然のように答えた。「時間があるとき、よくこの教室を使わしてもらっています。数学の醍醐味は、大きな黒板で綺麗に整頓された数式を書くことだと思っているので」

「でも、なんで旧校舎に……?」

「ここだと、誰にも邪魔されずに数学と向き合うことができますから。――それに、ほら、あれを見てください。時計の横のところ」


 数美がさした指の先には、旧型の校章があった。


「かつての御月女子校の校章です。幾何的に計算された模様が、今の校章よりも遙かに美しいので好きなのです。美しいでしょう?」

「……そう、かな?」


 正直よく分からない。


「いつか、美しいと感じるときが来ると思います。はい、胡桃さんもチョークをどうぞ」


 数美と胡桃はしばらく教科書の問題を黒板を使って解いた。


 あまり黒板に文字を書くことはないので胡桃は苦労したが、書き慣れてくるとなかなか気持ちが良いというのも分かる気がした。数美が書く数字はとても綺麗だった。


 あからさまに言葉や態度で示すことはしなかったが、数美は胡桃のことをかなり気遣ってくれていた。胡桃が分からない箇所を丁寧に説明し、苦手だと思うところをどのように勉強したら良いのかまでさりげなくアドバイスしてくれた。

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