そっちいくとコンビニプリントでコピー本をつくるほうのルートに入っちゃうので


isako:物語を描く上での倫理についてなんですが。


大澤:倫理ですか。


isako:おれの話で恐縮なんですが、中学生の女の子がレイプされた小説を書きました。それを書いてネットにあげた後に、「もしレイプされた経験があるひとがこれを読んだとして、そのひとが救われるくらいのレベルの物語にしないと書く意味ないだろ」って思うようになりました。これは傲慢だし、「誰かが傷つくかもしれない」とか言い出したらキリないのも当然なんですけども、未だにしこりが残ってうまく処理できてないんです。


大澤:あー、まあ、難しいですね……。


isako:雑な表現ですが、人間社会によくある致命的な事象について描くとき、そこに書き手のプライドというか倫理みたいなものが働いていないと、その事象がおもちゃになって小説自体もクソに見えてくる……という具合になってます。


大澤:なんかいきなり極限事例になってしまったので、わたしもちゃんと順序立てて第三者も理解できるように言語化できるか分からないのですが……。まず結論としては「なにマジになっちゃってんの?」なんですよね。現実的には。ただの創作じゃん。想像上のお話しじゃんっていう冷めた態度っていうのは芯のところにないと、自分への負荷が大きすぎて創作なんかやっていけないので。


isako:想像の世界と現実の世界をまったく同じレベルで取り扱うことは不可能……というかそれは精神病の領域です。良し悪しではなく、あくまで現実に生きていると考える我々が、望んで踏み込むべき場所ではない、と思います。大澤先生のおっしゃるとおり、負荷が大きすぎる。おれは自分の言葉に自分で惑わされているだけで、自家中毒状態というか、要するに「病み」つつある。しかしその「病み」がおれに要請するものが、おれが小説を書くうえでの次の階段のような気がするんです。


大澤:物語りをしようと思ったら、一回病む必要があるっていうのは、わたしも感じます。自分で病んで、苦しみもがいて、自分でどうにか癒える。その過程が物語になるのかなって。まあ完全なマッチポンプですね。そんなの本気でやってたらしんどいので、「ただのお話しじゃん」っていう命綱は必要。でもそれと同時に、普通の人が……この「普通」って言葉も普通に運用するのがわりと嫌な語彙なんですが……まあ普通の意味で使うとして、普通の人が「ただのお話しじゃん」で考えるのを止めてしまうところで、考えるのを止めないっていうのが大事なんだと思います。ちゃんと命綱をつけた上で、底なしの穴に飛び込んでいかないと。


isako:答えを固めてしまうのは本当によくないですね。決定的なものがないと、世の中のことはほとんど回らないわけですが、せめて自分の中だけでもふわふわしているべきというか、人間はナイーブで傷つき迷い続けるべきものだと思います。それに自覚的あることが唯一の救いというか、誰かがどこかで演じるデカい自我に目がくらんでしまうのが一番よくない。ちょっと脱線しましたが。


大澤:今日は大まかに、ずっと「とにかく書こうね」って話をしてきたんですけど、でもひとつ見失っちゃいけない大事なこととして、書くのは手段であって、本質は考えることのほうなんです。こうだよねっていう一般的な結論があるところで「本当にそうだろうか? それだけだろうか?」って、普通に考えたらバカバカしいようなことでも、足を止めて考えてみる。わたし以外の誰がその問題に注意を払って考えることができるんだ? という問いに対して、限界まで考える。


isako:「わたし以外の誰がその問題に注意を払って考えることができるんだ?」そこですよね。そういう矜持みたいなのを忘れずにいたい。「だれも見向きもしない」とか「そういうのは卒業すべき」とかいう内からの声は放っておいて、自分のためだけにその問題をこねくりまわすんだ、というスタンスが要るんです。キモイ表現ですが、善く生きるために。我々の場合話題は書くことに隣接しますが、別に表現を志すことがなくたってそういう思考はあり得るし、考える脳がある限りは考えるべきです。


大澤:さっきisakoさんも言ってたと思うんですけど、作者って登場人物たちの人生を無茶苦茶にする立場じゃないですか。そういう形でコミットしている以上は、もちろんわたしの頭の中だけに存在する架空の人格なんですけど、それでもやっぱり作者として、彼らの人生に真摯に向き合わないといけない。彼らの生き様にしっかりと注意を払って、考えないといけない。そうやっていると、創作って最終的には祈りに漸近していくような気がしてて。


isako:祈りですか。


大澤:自分が造りだしたキャラクターたちが、どうにかなってほしい。どんなかたちであれ、出来事を「それもまあよし」みたいな感じで振り返れるようになってほしい。彼らの思ったことや感じたことが、ちゃんと読者にも届いてほしい。みたいな。創作って、瓶に手紙を詰めて海に流すのに等しい行為なので、もう祈るしかないですよね。キャラへの祈りだったり、読者への祈りだったり。


isako:「読み手を傷つけたくない」とは思いませんし、むしろ「あなたの小説で大変不快になった」というような怒りの意見を頂けたとしたらかえって嬉しい。ただ、現実の悲しさを慰めることもできず、読んでくれたひとの冷たい絶望がまるで変わりなく残る。そういう小説を書いてしまうのでは、少なくとも自分が読んだ段階でそういう精査に耐えられない小説なら、引き出しにしまっておくのがいい。受け取る側次第なので、100点はありませんが、やはり自分の側だけはなにかプライドを持ってやらないと駄目です。倫理という言葉を使ったのはおれですが、「よりよい小説を書く」という実利的な目的においても、そこは外せない。同じではないかもしれないけど、深く関係した領域にキャラクターの扱い、彼らの人格への踏み込み具合というのもあると思います。書き手はキャラクターに対して責任がある。と言うと乱暴ですが、小説というお人形遊びを本気でやるからにはお人形たちを愛する(?)……もとい彼らへの祈りがいる。小説という形態をとる限り、彼らは人形であり記号でしかない場合もあるけど、こころというものを書こうと試みるのなら、彼らに接近するファクターは無視してはいけない。大澤先生の場合、それは祈りなんですね。



大澤:じゃあ祈りってなんなんだよ、みたいな話が出てくると思うんですけど、わたしは祈りの本質って「それについて考えること」「それにたいして十分な注意を払うこと」だと思うんですよ。


isako:祈りの定義、イケてると思います。「誰かが自分に注意を払ってくれている」っていうのは、たしかに祈りの実際的なところ突いている感覚があります。


大澤:誰かの祈りが人の心を救うことがあるのは「誰が自分に注意を払ってくれている」それのみに救われるからですね。


isako:傷ついている読者を想定したとき、ちょっと陳腐かもですが「あなたは一人じゃない」的な言葉を、限りなくリアルに近い形で伝えられる可能性があるのが物語なのかも。


大澤:物語化、ナラティブには、もちろん正の側面だけじゃなくて負の側面もあって、わたしはそれは『ムルムクス』でやったんですけど……。まあなんでも両義的ですよね。なかなか「こうだよ」って言える答えなんてない。でも「いろいろあるよね。脱構築!」だけじゃ毒にも薬にもならないから、自分なりに限界まで考えて物語を捻り出すしかない。とにかくかたちにして、あとは祈るだけです。


isako:祈りが届くことを目的にしちゃうとかえってダメな感じはするんですが、出てきた物語が自分のなかの何かに触れていつまでも残るのなら、祈りに最大の気持ちをぶつけないとって感じですね。ぶつける……? 気持ちを乗せると言いますか……。


大澤:だいたい物語にムカつくのって微分すると「お前ほんとに十分に注意を払ったのか?」じゃないですか。あってる、まちがってる、同意できる、納得いかない、いろいろあっても「なんか雑」が1番ムカつきますよね。


isako:そうですね。「それやるんならそんな軽くやるな」っていうのあると思います。


大澤:「きっとこの人なりに限界まで考えてみたんだろうな」っていうのが伝わってくると、納得できなかったり同意できなかったりしても、少なくとも受け入れることはできる。


isako:おれがこのことでうだうだ考えてたのは、自分の書いたものに納得できてないんでしょうね。軽く扱ってしまった自覚があるから、なにかを取り戻そうとしている。


大澤:でも、シリアスになればなるほど、どこまでいっても納得できなさというのは残りますけどね。だから、それはそれとして「なにマジになっちゃってんの?」も芯に必要なんですよ。ただのお話しじゃん。終わった話じゃん。じゃあ次にいこうっていうドライさもないと、頭の中でお外に出せない大きなクジラを育て続けることになっちゃう。


isako:「お外に出せない大きなクジラ」、いいですね。クジラで頭の中がいっぱいになったら、大変なことになりそう。


大澤:ていうかわたしはisakoさんはぐしぐし悩むよりもっとポップになってほしいんですよ。そっちいくとコンビニプリントでコピー本をつくるほうのルートに入っちゃうので。最近わたしは、それもまあやぶさかではないかな? みたいな心境になってきましたが。


isako:大丈夫です。おれは名誉と金のために小説を書いています。おれのやることでいちばんマシな出来になるのが小説なんです。


大澤:ポップにいきましょう。どうせ放っておいても、我々は内向きに考え込んでしまうので、そこはもういつもの自分に任せちゃって、意識としては全力でポップを考えていったほうがいいですね、たぶん。

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