第2話 始まりの朝

昨日の日曜日の話。

あたしは、おやじ様からの業務命令により取引先の接待に駆り出される事

になっていた。今までも、そういう事はあった。

けど、今回はなんだか様子が違うような…

朝から通いのお手伝いさん、冴子さんに仕度を手伝ってもらっているのだが…

「ねぇ、冴子さん。なんでこのくそ暑い日に、振袖なんて着なきゃならないの?」

帯をぎゅうぎゅう締められ、息も絶え絶えになりながら尋ねる。

「美月さま、『くそ』は余計ですよ。できれば猛暑とおっしゃって下さい」

すかさず、窘められてしまった。

冴子さんは、お手伝いさん兼教育係り。

おまけに生まれてすぐにかあ様を亡くしたあたしを、母親代わりに

育ててくれた人でもある。

「今日の接待相手って、外国からのお客様なのかなぁ?」

「さぁ、私は存じませんけど…」

おやじ様は今年創業30周年を迎えた、年商1兆円を超えるワインの輸入販売会社「quatre raisans(キャトル・レザン)」の代表取締役を務めている。

フランスのブルゴーニュにグラン=クリュ(特級畑)を所有しオリジナルワインの

醸造も手がけている為、接待客が外国からのお客様という事も多かった。

それにしても『猛暑』に振袖なんて…

「さあ、出来ましたよ」

薄紫の辻が花の振袖。かあ様の形見の品だった。

鏡の前に立ち、両袖をつまんで軽く広げてみる。

「素敵ですよ」

後ろから冴子さんが覗き込み、にっこり笑った。

「美月、準備は出来たのか?」

おやじ様-片桐悟朗かたぎり ごろう-が汗を拭き拭き入ってくる。

「どうかしら」

優雅にターンすると、アップに結上げた髪に挿した簪がしゃらりと

涼やかな音をたてた。

おやじ様の目尻にしわが寄る。

「うん、よく似合ってる。だんだん母さんに似てきたな」

写真でしか見た事のないかあ様と、似ているのかどうか正直自分では

良く分からなかったけど、おやじ様の喜ぶ顔を見るのは嬉しい。

出張が多い為、ほとんど家にいないおやじ様と、こうしてゆっくり話しが

出来るのは、本当に久しぶりだ。

「さて、先方を待たせては悪い。そろそろ行こうか」

おやじ様は大股で、部屋から出て行った。

「じゃあね、冴子さん。行って来るわ」

軽く手を振って、おやじ様の後に従う。

冴子さんの、心配そうな顔にも気付かずに…

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