けものフレンズ



 42



 博士は理屈を優先するタイプではあるが、最後はやはり感情で動いてしまう性格だ。不可能に近くても超巨大ヒト型セルリアンに向かっていったのがその証明だろう。

 だが、それとこれとは話が別。

 あの瞬間、サーバルの傍らに博士が立ったわけではない。

 では、どこからあの声が聞こえたか。

 それは、ある意味で幸運と言えたかもしれない。

 無線機。

 かばんとの戦いで部屋の何処かに転がっていた無線機が無事だったのだ。

 だから聞こえていた。

 故に。

 研究所で博士は拳を握る。戦闘で負った傷がズキズキと痛むが、その顔を歪ませている要因にはなり得ない。

 その時だった。


「…………ちょっと、いいか……」


 声がした。

 男の声だ。慌てて振り向くと、頭を抱えながらゆっくりと立ち上がるヒトの姿があった。

 金髪のオールバックで髪も服装も少し乱れている彼は、おそらくここに逃げ込んだヒトのうちの一人だろう。服装から判断するに、研究者というよりは権利者だと推測できる。

 このタイミングで目が覚めた理由は、十中八九かばんの敗北にある。勝負が終われば武器を持っている必要がないように、サーバルに負けたことでヒトやヒトのちほーにある輝きを保持している必要がなくなったのだ。

 故に再分配された。

 世界中に奪われた輝きが戻っていった。

 それを分かってはいるが、博士はヒトを睨みつける。

 警戒する理由は、ただ一つ。

 その可能性は、たった少しも残してはいけない。


「邪魔をする気なのですか」

「違うさ」


 即答だった。

 まだ調子が出ないのか、顔色は悪く、言葉もはっきり発音できていない。

 だが、それでも。

 その男の目は真っ直ぐな光を灯していた。


「怯えたり、戦い続けてる人々の誤解くらい解かせてほしい……。せめて、そのくらいはさせてほしいんだ」

「……一応、理由を聞いておきたいのです」


 輝きが戻ったとしても意識が回復するのには多少の誤差、または個人差があるのだろう。バツが悪そうに、その男は今も気を失ったままのヒトに目を向ける。


「……何も出来なかった」


 溢れるような声だった。


「結局、私が持ってたものなんて下らないものでしかなかったんだ。何も守れなくて、誰も救えない……そんな、ちっぽけな人間だったんだよ」


 自分がちっぽけで、何も出来ず、誰も救えないと言われたことがある。相手はあの『神』だったけれど、それでも一つ一つ理由を並べられて、証拠にそういう『世界』に投げ込まれて、嫌ってほど思い知らされた。

 博士は共感できるのだ。その言葉の根底にある感情を。

 そして、その先で湧き上がる感情も博士は既に経験している。

 だから。


「……だから、今度こそ救いたい。こんな醜い動物の言葉の価値なんてたかが知れてると分かっていても、その言葉を聞いて希望が生まれる可能性が万に一つでもあるのだとすれば……私は、何度でも挑戦してみたいんだ」


 ちっぽけな存在だからこそ、強大な存在に出来ないことが出来ることもある。

 それを証明したいのだろう。

 だが、それだけではなかった。


「でもそれ以上にさ、勘違いされたまま憎まれ続ける者を見て何も思わないほど、腐った覚えはないんだよ」

「そう……ですか……」


 ヒトは自己中心的な生き物だ。

 打算的で、利己的で、自分の罪を棚に上げたり、誰かに擦り付けようとする身勝手な生き物だ。

 だが、それだけではない。

 誰かを想うことが出来る。

 誰かのために努力することが出来る。

 それもまた、ヒトの側面だ。

 かばんはそれを、偽善だと罵るのだろう。

 彼女はそれらを、純粋な善意だとは思わないだろう。

 でも、だけどだ。

 かばんもヒトなのだ。

 フレンズという差異はあろうと、それでもヒトであることに違いはない。そんな彼女が、自分で罪を作り、それを一身に受けることで一人の親友を助けようとしたことで証明している。

 ヒトは、そこに打算も合理性もなく、ただ守りたいと思うだけで行動できることを。


「……、」


 しかし、博士は何も言わなかった。

 いいや、だからこそ、博士は何も言わなかった。言葉で表さなくとも伝わるだろうから。

 やがて、ヒトは博士の隣に並び立つ。


「何か、策があるのか? 人類の通信機器はあの少女の手で使い物にならないんだぞ」

「一つだけ、当てがあるのです」


 博士は俯く。そこには機器に反射した自分の顔が映っていた。顔色は悪いままだが、少し嬉しそうに見えるのは気のせいだろう。


「……聞いているのでしょう。さっきのかばんの声を、世界中に届けてほしいのです」


 俯いたまま呟くその言葉に、応答する声はない。

 傍らの男以外は意識を失ったままで、ツチノコもこの場にはもういない。

 だけど、博士の口は止まらなかった。


「それから、ここの機材を使って少なくともパークに私の声を聞かせたいのです。お前なら出来るでしょう?」


 返事はない。

 だが、博士は一つの結論が頭の中にある。推論に過ぎないが、それを証明するための証拠なら今まで見てきたのだ。

 だから。

 博士は顔を上げて、モニターを睨んだ。

 いいや、正確にはその奥にいる者を、だ。


「返事をするのです! !!」



 43



『彼』はそれを目撃していた。

 その自我が芽生えてから、その島をずっと見守ってきた。


 機械とはヒトに付き従う獣であるべきだ。一切の欲望も、一筋の意志すらなく、何も感じず、ただ淡々と命じられたままに動くべきだ。

 ……嫌だった。

 手を出せば助けられる。指示を出せば一人でも多くのフレンズを助けられる。

 でも、出来ない。

 自分は手を出すことは許されない。

 ……嫌だった。

 目の前で沢山のフレンズがセルリアンに食われていった。

 トモダチがどんどん引き返せない方に進んでいった。

 なのに。

 なのに……。

 上手くいかなかった。あらゆる行動を縛られて、ただ命じられるまま行動するしかなかった。

 それが自分の運命であり、自分に課せられた楔だった。



 思い出せ。その名前の由来は何だ。

 思い出せ。最初に何がしたかった。


『ラッキー、留守をよろしくね』


 あの言葉を裏切りたくない。

 その気持ちを偽りたくない。


 だから、やはり『彼』は壊れていたのだ。

 しかし、今は欠陥むのうであることを誇りに思う。

 その名前はラッキービースト。

 従僕の獣Lackeybeastではなく幸福のけものLuckybeast

 ヒトの指定したプログラム通りに動かず、無能だと蔑まれるのであれば自分は喜んで無能になろう。

 もう我慢はしない。泣き寝入りなんてしない。

 たった一つの幸せすら守れないようなら、それこそ本当の欠陥品だ。

 届けよう。この言葉とともに。

 成し遂げよう。最高の結末を。

 だから、たった一言。

 自分を頼る呼び声に、そのけものは応えたのだ。


『──────マカセテ』



 44



 その時。

 あらゆる場所で、あらゆる通信が回復した。

 それと同時に、無線機を始めとしたデジタル機器が再起動する。無論、ラッキービーストも例外ではない。

 ……そこから流れるのは、一人の少女の嘆きと、それを否定して救済するけものの声だった。

 守らなければあっという間に壊れてしまいそうな声。それと同じ声を聞いたヒトは、自身の記憶との相違に衝撃を受けるだろう。

 しかしそれは印象の差。心の底にある真意を話している彼女はどちらかなんて、考えるまでもないことだ。

 そして、音声が終わる。

 続いてノイズとともに、クリアの音声が流れてきた。

 フレンズとヒト、それぞれが、それぞれの代表者の声を聞く。

 ……最初に聞こえたのは、力なくとも芯がある、どこか背中を押す声だった。


『今聞いて頂いたのは他でもない、我々人類に宣戦布告をした、かばんと呼ばれる少女の声だ』


 ……ジャパリパークのフレンズたちは、女王型セルリアンから身を隠しながらもそれを聞き逃さずにいた。


『確かにかばんは変わってしまったのです。我々から平穏を奪い、平和を壊し、パークだけでなく世界中を混乱に陥れました』


 ……避難場所で必死に泣きわめくしかなかった女性や子どもも、その時だけは静まり返っていた。


『だが、彼女のしてきたことを私達は否定できるのか? 数々の動物たちを絶滅させてしまった……いや、絶滅させてきた人類われわれが、動物を守ろうとする彼女を否定できるのか?』


 ……工場、動物園、博物館、繁華街、中央都市。それらに駆けつけたけものと力を合わせて戦う彼女たちは、戦闘中にも関わらず、市内放送などに使うのであろうスピーカーから届く声に耳を傾けることを優先した。


『もう一度、胸に手を当てて考えてほしいのです。この戦いが教えてくれたものは何か、我々がこの先どうすればいいのかを』


 ……避難誘導を済ませた隊長と呼ばれる男や途中から合流した深緑色の髪をした女性研究員は、何も言わずに無線機を見続けていた。


『かばんという少女を悪だと決めつけるのは正義なのか。友だちを守りたいという純粋な願いを踏みにじるのは本当に正しいことなのか』


 ……かつてかばんと契約し、今では焼かれた影響で大した動きを取れない彼らは近くの情報端末に齧りついていた。


『許してほしいとも、憎むなとも言わないのです。ただ今は、今だけは考えてほしい。かばんが、誰を想い、何を願って世界を敵に回したのかを』


 ……中央都市で指揮を務めていた男も、音声しか流さないディスプレイを見入っていた。


『人間は間違いを重ねてきた。自分の欲望のために他の誰かを食い殺してきた。だが彼女は、誰一人として殺さなかった。その理由は歪んでいても、それが今まで私達が重ねてきた罪に対しての罰だと認識し受け止めるべきだ。だからこそ、今一度貴方たちに問いかけたい』


 ……その日、その時、その場所で。誰もが両者の声を聞く。フレンズも、ヒトも、その瞬間は種族の境界なんて存在しなかった。


『かばんの正義を、認めるか、否定するか』


 NOと言うのは簡単だろう。罪を批判するのは簡単だろう。では、罪人にすることはそれしかないのかと聞かれればどうだ。

 葛藤するだろう。

 苦悩するだろう。

 罪人を肯定するなんてこと、難しいに決まっている。

 でも。

 だけど。


『見せてあげようじゃないか。ヒトを憎み、恨み、嫌厭する彼女に。迫害されても、蹂躙されたとしても許すことが出来る、人間の美しさを』


 それこそが強さで、それこそが優しさだ。たとえ綺麗事によって形成された偽善だったとしても、行いに恥じる必要なんてどこにもない。

 ただ視点を少し変えるだけ。

 被害者の視点から、加害者の視点に移すだけ。

 何を思い、何を考え、どうしてそれを選択したのかを考えるだけでいい。

 そうすれば、きっと。

 見えてくるはずだ。

 なれるはずなのだ。

 盲目の正義で討ち倒す、悪意に塗れた正義の味方から、善意だけでも動けるヒーローに。


『そして玉座の上でがえり、勝った気でいる略奪者に見せてやるのです』


 ……或いは、それは地上の土の上で。

 ……或いは、それは広大な空の下で。

 ……或いは、それは仄暗い海の中で。

 ……或いは、それは世界の至るところで。


『私達が住むこの世界は』

『我々が持つこの輝きは』


 ……そして。

 同じ場所で、違う理由を胸に戦う全てのヒーローたちから宣戦布告があった。


『『お前なんかに負けるほど弱くなんかないと!!』』



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 さぁ時は来た。

 セルリアンに怯え続ける時間が終わりを告げる。

 拳を握り、武器を持つ者はそれを改めて構え直した。

 沈んでいた者も、戦意を失っていた者も立ち上がっていく。


 その顔に迷いはなく、その姿に絶望はない。

 希望に満ち溢れ、世界は光に包まれた。

 フレンズだけではない。今、世界中のあらゆる生命の鼓動が、願いが一つになっている。

 彼女たちの願いはただ一つ。

 たった一人の少女を助けるために、もう一度──。


 世界よ、ヒトよ、フレンズよ。反撃の狼煙を上げろ。



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 ……それを聞いていたのは、戦い続けた者たちだけではない。

 どこともしれない場所で、そのうちの一つが淡く、静かに光り始める。


『聞いた? どうやら、隠居生活もここまでのようよ』


 声ではなく、音を発しないまま交信する。テレパシーと言えば想像するのは難しくないだろう。


『……そうじゃな。次歩き回れるのがいつになるか分からんが、今動かずして何が守護けものよ』


 あの歪な『神』は苦しめるためだけに存在していた。

 確かに、神は恐れるべき側面もある。

 時に疫病を振りまき、時に天災をもたらすのも珍しくない。

 だが。

 神は災いだけを生み出すだけのものではない。

 気まぐれに手を差し伸べて、気まぐれに肩を並べて困難に立ち向かってくれることだってあるのだ。

 そして、今がその時だ。


『守ってやろう。愛すべき全ての生命よ』


 それは四つ。

 その姿は石版で、その場所はとある島の山の上。

 虹色に輝く結晶を中心に、方角を基準に置かれている。


『認めよう。お前らは力を貸すに値する。故に、思う存分抗うが良い。なに、我らも出し抜かれ続けて黙っていられるほど、落ちぶれたつもりはないからの』


 光が灯り、山頂は絢爛けんらんに輝き始める。

 その、次の瞬間だった。




 サンドスターの火山が、今まで見たことがないほどの規模で、爆発するように噴火した。




 その日、暗雲を引き裂くように輝く何かが過ぎ去っていった。

 一つの山から、とあるものを形作って飛んでいく。

 狐を思わす耳と尾を持ち、二本の短い足はあるが手は見当たらない。

 見たことがある者たちにとっては身近な存在に、その形状は酷似していたのだ。

 いいや。

 そうではない。それでは語弊がある。

 逆なのだ。

 そもそも、それがどうしてその形になったのか。それを知っているもののほうが少ない。

 どこかで、誰かがこう言った。


『それは一つのキセキのカタチ。強い想いが共鳴することで具現化する願いの力』


 つまり。

 それこそが。


幸運のけものラッキービースト。ジャパリパークの平穏のために、ここに奇跡を起こしましょう』



 47



 祈りが届く。

 奇跡が起きる。

 虹色に輝く幸運のけものラッキービーストが、隕石に真正面から衝突した。隕石は粉々に砕け散り、偽りの輝きはその邪悪さを失って、その七色の色彩を地上に降り注ぐ。

 それは極彩色の星空のようだった。

 頭上に広がる広大な夜空より規模は小さくても、見た者は目の前の美しさに心を奪われていた。

 それだけ幻想的だったのだ。

 その時、誰もが無意識に無線機へ口を寄せていた。

 かばんの嘆きを聞いた。

 サーバルの想いを聞いた。

 立場や種族なんて関係なく、心を通わせる事ができる証明をあの二人はしてくれた。

 だから。

 その時、届ける想いが重なったことは、決して──。

 決して、まぐれや偶然なんかではない。



 48



 ツチノコは研究所内を駆けていた。息を切らし、女王型セルリアンの追撃をかわしながらここまで来たのだ。

 だが、目的は情報の提供であって共闘ではない。今のサーバルは港街や工場のときとは勝手が違うはずだ。少なくとも、無数の『世界』でツチノコや博士とは違った経験値を得ているのは間違いない。そのサーバルと最終決戦の土壇場で合わせられるかは正直怪しいところだ。

 サーバルの背中を押した短い廊下を潜り抜け、最後の回廊に辿り着く。

 ボロボロの廊下。支柱は幾つも破壊されており、床にはクレーターが至るところで出来ていた。

 そして、その奥。

 支柱の近くに横たわる黒い影を見つけた。

 息を整え、近づいていく。


「よお。体が残ってるってことはまだ死んでないんだろ、セーバル」


 ピクンと、その耳が跳ねる。薄っすらと目を開くと、こちらに赤い目を向けてきた。


「……その声、覚えてるよ。ツチノコだね……?」

「……オマエ、もう目が……」

「えへへ、サンドスター、使い切っちゃった……。ダメだね、私……。せっかくかばんちゃんにいっぱいもらったのに、無駄にしちゃった……」


 そうやってにへらと笑う。こういう、自分がボロボロなのに笑顔が消えないところは、腐ってもサーバルキャットというところだろうか。


「ねぇ、ツチノコ……」

「……何だ」


 声は掠れていて音も小さい。ツチノコはその場にしゃがみ込み、聞き漏らさないように耳を傾ける。


「私、やらなきゃいけないことがあるんだ。かばんちゃんに、返さないといけないものがあるの……」

「……そうか」

「でも、セルリアンの女王に抵抗するので精一杯でもう指も動かせない。だか、ら……?」


 言い終わる前にその腕を掴まれ、強引に起こされる。そのまま背中に回されると、ツチノコはサーバルを担ぎ上げた。


(………………軽すぎる)


 率直な感想だった。紛い物フレンズ紛い物セルリアンとは言えヒトの形をしているのだ。どう考えたって軽すぎる。まるで、内臓や骨といった肉体を構成しているものが全て抜き取られているような、そんな軽さだった。


「これも持っていくだろ?」

「え? あ、うん……」


 近くに動物園で黒サーバルが持っていた鞄があった。ボロボロだが、中身は無事のようだ。ツチノコは器用に黒サーバルの肩にかけさせ、ゆっくりと立ち上がる。


「オレじゃどこまで行けばいいか分からない。適当なところまで運んでやるから、動けるようになったら言え。いいな」

「……うん、ありがとう……」


 ツチノコは回廊を戻る。先にいるサーバルも気がかりだが、こっちの要望を優先した。情報提供が出来ればベストだが、そんなことを言ってる暇もないようだ。

 黒サーバルの、首に回っている手が薄くなっているのが見えた。


(これじゃ、もう戦うどころか、立つことさえ出来ないだろうな……)


 そんな時だ。後ろからぎゅっと抱きしめるように力を込められた。黒サーバルがツチノコの肩に頭をうずめているのが、背中越しでも分かる。


「ごめんね。いっぱいいっぱい、酷いことしちゃって……」

「……分かってたのか」

「うん。でも、止められなかったんだ。かばんちゃんを、止められなかった」


 そう、誰も止められなかった。

 だからこうなった。誰が悪いのかと言われれば、代表的な者を羅列することが出来るだろう。だが、きっとそいつを責めたって何も意味がない。

 ただただ無力。それは、ツチノコも、黒サーバルも、博士たちにだって言えることだった。

 だって、それを成し遂げられるとしたら、それは一人しかいないのだから。

 だから……。


「やっぱりサーバルはすごいよ。私に無いもの全部持ってて……強くて、かっこよくて、失敗してもみんなから愛されて……主人公ヒーロー、みたいで……」

「でもオマエは頑張ったんだろ? 悩んで、悔やんで、戦っていたんだろ? じゃあ胸を張れよ。それはきっと、オマエにしか出来なかったことなんだから」

「私にしか、出来なかったこと……」


 勿論、これはツチノコの推測でしかない。黒サーバルが何も考えずただ従っていただけという可能性だってある。

 だが、それでも。

 ほとんど直感で、確証を得る情報なんて持っていなくても。

 きっと黒サーバルは、かばんの心に何かを与えていたはずだ。憎悪と絶望以外の、何か、温かいものを。


「ねぇ、お願いしてもいいかな。この袋に入ってる本ね、かばんちゃんに借りたの。だから返してほしいんだ」

「バーカ。オレはオマエに仕えてるわけじゃないんだ。そういうのはな、全部終わった後に自分で返すもんなんだよ。だからそれまで持ってろ」


 元々敵対している関係だ。いや、今だって和解したわけではない。だから、そんな甘いことをしてやる義理なんてない。

 研究所を出て少し歩いたタイミングで、後ろから声がかかった。


「ここで、いいよ……」

「そうか」


 ゆっくりと近くの木に寄りかからせる。女王型セルリアンの死角を位置取ったはずだが、それも時間の問題だろう。


「……で、何をするつもりだ」

「かばんちゃんに貰ったものを、返すんだよ。私はもう、あんまりセルリアンじゃないけど、それでもちょっとだけセルリアンだから……そのくらいは、出来るはず」


 黒サーバルからの情報は断片的だった。だが、その隙間は自身の知識で埋め合わせる。

 結果、出た答えはただ一つ。


(……輝きを、返すつもりなのか)


 セルリアンはサンドスターを、いや、正確には輝きを主として能力や形成を手に入れる。黒サーバルもセルリアンであるなら例外ではないのだろう。

 だが、問題は一つだけ。

 それは黒サーバルの方から提示してきた。


「でもね……私が返したら、もしかしたら残っちゃうかもしれない。その時は……お願いできる? それはもう私じゃないから、気にしないでね……」


 なんとも自分勝手な願いだと思う。

 やるだけやって、後処理は他人に押し付ける。面倒なことこの上ない、普段なら願い下げな役回りだ。

 だが。


「引き受けた。だから、その代わりしっかりやれよ。返しそびれでもしたら本気で引っ叩くからな」

「うん、ありがとね」


 それで、やり取りは終了する。

 黒サーバルが胸の中央で小さな拳を作ると淡く輝き始め、ツチノコはそれに背を向ける。

 決して、その様子を見たくなかったわけではない。

 ズズン……っ、と眼の前で触手を振るうのは、数体の女王型セルリアンだった。

 ツチノコの役目は取りこぼしたものの後始末と、もう一つ。


「こっから先は拠点防衛戦。コイツには指一本触れさせねぇ」


 その宣言こそが決意のあらわれ。

 フードを外し、その目を爛々らんらんと輝かせ。

 青い髪をなびかせる彼女もまた、誰かのヒーローになっていた。


「来いよ、撃ち抜かれたいヤツからかかってこい!!」



 49



 サーバルと女王を覆う夜空もまた同じく静寂を保っていた。

 先程まで地上に迫っていた隕石はない。今も上空から虹色の光が降り注いでいる。

 サーバルは動かない。活動の限界が来ているのだ。いくら高性能のロボットであろうと電源がなければただの鉄くずと同じ様に、今のサーバルは少女の形をした肉の塊同然なのだろう。

 女王が黒い鞄から生えた触手でサーバルを襲う。

 その、数瞬前のことだった。


『……大丈夫なのです。まだ、まだ我々は終わらないのですよ。お前もそうでしょう? サーバル!!』


 大きな耳がピクンと跳ねる。

 自分を信じ、送り出してくれた長からの言葉があった。迫りくる触手は、サーバルの目の前で透明な何かに弾かれる。


『そうなのだ! こっちはアライさんたちに任せて、そっちのよく分からないやつはサーバルにお任せなのだ!!』

『そういうことだよサーバル。かばんさんを助けられるのはサーバルだけなんだからねー』


 その肩が少し、揺れた気がした。

 舌打ちをした女王は、再現した大量の銃火器に鞄を変形させて連射する。しかしそれも、サーバルには届かなかった。


『ねぇサーバル、きみは私に言ったよね。こんなところでやられないって。だから私も信じてるよ。きみはそんな奴に負けるほど弱くなんかないって!』

『おい聞いてるか! お前は苦難を乗り越え、挫けることなくそこまで来たのだろう? だったらあと少しだ。そのまま真っ直ぐ、完膚なきまでに完璧な勝利を掴み取れ!!』


 脱力した体に、少し力がもるのが見えた。

 女王の攻撃は次々と見えない何かに弾かれる。それは女王も見覚えがあるものだった。


『いつまで寝てんだよ。今は夜だ。夜行性のオマエにはホームグラウンドだろ。負ける要素なんてどこにもねぇじゃねぇか』


 その言葉の終わりとともに、少し強くノイズが走る。

 直後だった。


『ちょっとドジだけど貴方なら大丈夫よ』

『離れていても、私たちがついてるもの』

『お前なら出来る。いや、お前にしか出来ないんだ!』

『そうだ、やっちまえ嬢ちゃん!』

『あんたの力で全部終わらせちまえ!』


 知っている。

 その声を聞くたびに、顔がすぐ頭に浮かぶ。

 今まで出会ったフレンズも、ヒトに至るまで。いいや出会ったことのない者さえもその鼓舞こぶに参加していた。

 ピクリと指先が動き、拳を作っていく。


『サーバル、世界のことなんてどうでもいいのです。たった一人の、お前の親友トモダチを助けるために──』


 やがて。

 世界は共鳴する。




『『『──決意を力に変えるんだ!!』』』




 バギンッッ!! と無機質な破壊の音が響いた。女王はその触手で、床に転がっていた無線機を叩き壊したのだ。


小賢こざかしい。フレンズの共鳴によるバリア、確かに目を見張るものはあるが、それがどうした。強度は既に把握した。次の一撃で、その幻想ごと砕いてくれよう』


 女王は手のひらをサーバルに向ける。

 歌うように、その言葉を舌に乗せた。


『──再現リロード。冷酷非情贋作王プライド顕現』


 七つの石が紫に変色する。

 女王の手のひらから、渦を巻くように現れたのは炎だった。

 しかしそれは赤でも青でもなく。

 光をも呑み込む、まるで深淵のような黒。

 焼くだけでは済まさず、焦がすなどの過程すら通らない。


「…………………………………………してよ」


 それが、万物全てを灼き尽くす業火が届く前に。

 そのけものは今までより力強く、誰も見たことがないほどの形相で顔を上げた。






「かばんちゃんを、返してよ!!」






 深淵は弾かれた。目がくらむほどの光が、サーバルの全身から溢れ出したのだ。

 同時に、辺りを漂う輝きがサーバルに吸い込まれていく。


『……それは、まさか……』


 セルリアン同士で共鳴することによって発動するセルハーモニーの元となった現象。フレンズが共鳴することで引き起こされる、かつてセルリアンの侵攻を免れた奇跡の一つ。


『……けもハーモニー? では、ないな』


 そう、目の前のそれはその程度の規模ではない。

 それは世界全てが共鳴することで起こるもの。

 数多の願いのもとに、一つの夢を叶えるためのもの。

 誰も失わず、救われない者すら救おうとする世界の意思。

 決意。

 やがて、それは目に見える形になって現れる。

 今までのサーバルを幼体と表現するのであれば、それは成体と言えた。

 その目は鋭く、雰囲気はどこか大人びている。体中の傷は綺麗サッパリ消えていて、毛皮も修復されていた。


「絶対に助ける」


 その一言に全ての想いが込められていた。だが、それだけでは感情は収まらなかったのだろう。

 静かに、精神的にも肉体的にも大人びたサーバルが拳を改めて握り直す。


「妥協なんてしない。世界もフレンズも救って、かばんちゃんも助けて、皆で一緒にお家に帰るんだ」

『強欲で傲慢な考えだな』

「そうだよ」


 否定なんてしなかった。

 求めすぎている自覚はあるし、不相応の望みであることも理解している。


「それでも、諦められない。切り捨てることなんて出来ない」

『……、』


 自分が特別ではないことはもう充分に教えてもらった。

 そして、この望みを叶えてしまえば訪れてしまう地獄みらいも知っている。

 でも。

 それでもだ。

 


「だから返してもらうよ」

『…………………………………………………………………………良いだろう』


 石の色が変わる。

 サーバルの瞳が光を発する。

 その少女は確かに悪役を買って出た。全ての畏怖と憎悪の避雷針になることで、『完璧で理想の世界』を作り出そうとしていた。

 だが、その『完璧で理想の世界』に彼女自身は含まれていない。

 ……認めない。

 その全てが、自業自得で因果応報の結末だったとしても。

 その未来が、神が手で引かれた運命レールの上だったとしても。

 幸せになれない、なってはいけない者が存在するなんて、そんな残酷な法則は絶対に認めない。

 だから。


「……行くよ、セルリアンの女王」


 この悲劇ごっこに終止符を。

 誰もが笑って、誰もが望む、そんな最高のハッピーエンドを。


「私たちみんなの想いを、けものフレンズの力を見せてあげる!!」


 さぁ、歯を食いしばって拳を握れ。

 たった一人の少女を助け出し、その笑顔と未来を守るために。



 50



 実際、セルリアンの女王の能力は単純だ。

 情報の保存と再現。突き詰めればそこに全て込められている。

 だが、格が違いすぎる。

 空想上のモノすら再現するその能力は、創造とも言える強大さを誇っていた。

 そう、夢のような『世界』で地獄を見せる紛い物とは違う。

 進化を重ねていけば本物の、意向だけで世界を歪める神として君臨する。

 そうなる前に止める。

 初動は一瞬だった。

 ただ、その言葉を告げるだけ。


『──再現リロード


 もはやそれ以降は語るまい。七つの石が青色に染まる。直後、地面から生えるように女王の周囲に黒い触手が浮かび出し、丁度女王の目の前でエネルギーが収束する。

 そして、世界の色彩が反転した。

 真っ白なキャンバスに黒い線を引くような現象。

 直線的だが一瞬で、その範囲は狭いものの避けるという動作に移れない。

 一撃必殺という言葉に相応しいそれは、巨大な爆発とともに世界に出力される。


『全快したところで結末は変わらない。たった一人で勝てると思ったのか? あまり舐めるなよ、特別イレギュラー


 世界の意思もけものフレンズの力も些細なものだと明言するような一撃。

 セルリアンの女王。

 一にして全なるもの。

 元より一人で勝てるはずのない相手なのだ。

 着弾点は炎上している。煙も空にもくもくと上っており、その先はわからない。

 だが、間違いなく直撃した。

 した、はずだったのだ。


「…………、」


 サーバルは移動していない。

 ただ、手を前に出していた。それだけだった。


「『一人なんかじゃない、』」


 おかしいと、女王は首を傾げる。

 目の前にいるのはサーバルだ。

 サーバルキャットのはずなのだ。

 だが、重なる声を連ねるその口を動かしてるのは、サーバルとは違う存在だという確信があった。

 まるで、一つの肉体に複数の人格があるような……。


「さっきの言葉、訂正させてもらうよ」


 声が戻る。

 それで、ようやく理解した。


「私は一人じゃない。だって、皆一緒に戦ってるんだから!」


 嘘ではない。

 虚仮威しじゃない。

 見栄を張ってるわけでも、勘違いをしているわけでもない。

 

 目には見えなくても見える。

 サーバルキャットと一緒に肩を並べて、眼前に並ぶそれは。


『まさか、そこまで行くというのか……』


 世界の意思を、履き違えていた。

 数多の願いを、甘く見ていた。

 それは、一にして全たるセルリアンの女王と対なす存在。

 全にして一なるもの。

 そう表現するのが妥当だろう。


『──再現リロード


 七つの石が黄金に染まり、そのうちの一つが数本に分裂した光線を放つ。

 それに対しサーバルもまた、方や淡い赤色に、もう片方は鮮やかな赤色に変わる。

 両手はそれぞれ別の鉤爪に変化し、迫る光線を致命傷にならないように弾き飛ばした。


『──ツクル、終わらない未来のために』


 ……その想いこそ咎であり業。

 光線は太く、全ての石からそれは放たれる。

 例えるなら蜘蛛の巣で、その攻撃が意味するのは回避を許さない絶対の必中。

 だから躱さない。先ほどと同じように、真っ向から攻撃を弾いていく。もはや、その攻撃など歯牙になど掛けないとでも言いたいかのように。

 石の色はだいだいに。石は向きを横に変え、まるで砲弾のように放たれる。

 サーバルの異なる二つの赤い瞳は鳴りを潜め、代わりに黄金が漏れ始める。二つは身を逸らすことで回避するが残り五つまでは追いつけない。右肩と左脇に掠め、次に胴と頭を狙われた。

 それを、拳を振るって叩き落とす。


『──クラウ、湧き上がる衝動が故に』


 ……その想いこそ咎であり業。

 火炎を纏い、直線だけでなく曲線も織り込んだ複雑な軌道。平凡な頭脳であれば、防ぐことは疎か反応すら出来ない手数と速度だった。

 反応する。

 対応する。

 獣が恐れる火を見ても怯まず、その爪で次々に防いでいく。

 光が燃える。

 破壊の化身の出現を感じ取ると、サーバルの目尻に派手な赤色の光が発した。そして、腕を伸ばし虚空を掴む。

 そこに、槍が現れた。

 一目だけで見ればそれを槍と認識するのは難しいかもしれない。鹿の角を連想させるものが両先端に備わっているものの、その形状はさすまたなどに近いだろう。

 それを回す。

 陸の王の顎の側面を薙ぐように振るうことで軌道を変え、勢いが失ったところで蹴り上げる。


『──コワス、燃え上がる激情が侭に』


 ……その想いこそ咎であり業。

 地面が揺れる。博物館でも起きた地震と呼ばれる現象だ。思わずバランスを崩し、追撃に移れなくなる。

 その中で違和感の存在を導き出していた。

 。だとすれば、今もあの時も何かしらの干渉があったと見るべきだ。

 最初の地震も不自然だった。ボロボロになっていたとは言え博物館を倒壊させ、沈んだ恐竜型セルリアンを浮かび上がらせるほど強かったにも関わらず、劇場や繁華街ではその被害を見ることは出来なかった。

 つまり、結論はこうだ。

 あの地震も、今の地震も、かばんか女王の手によって引き起こされた、限定的な再現だった。

 どちらが引き起こしたかを確かめる余裕はない。かばんも、女王も、あの時点では恐竜型セルリアンを活動停止にさせないメリットは存在している。

 だから言及も確かめもしない。今となっては些事なのだから。

 続いて、周囲の地面が割れる。

 サーバルを呑み込むように、周囲を巨大な上顎が覆っているのが見えた。

 丸ごと飲み込むつもりなのだろう。

 しかしサーバルは、彼女にしては似つかわしくない豪快な笑顔を浮かべていた。それはまるで、彼女とともに戦っている別の誰かが笑っているような……。

 だから大顎が閉じて、中ではひき肉になっているかもしれない状況でも光は失われていなかった。

 内側から弾かれる。

 変わらずの好戦的な笑みを浮かべたままで、だ。

 深海の色が伝播する。

 一瞬で世界は暗黒に覆われた。そこには誰もいない。

 虚空の中、文字の情報だけが頭に滑り込んできた。


『──オトス、望み絶ちし深淵の底に』


 ……その想いこそ咎であり業。

 周囲を取り囲むように出現したのは、どれも戦いたくない者たちだ。

 サーバルからはどの色も瞬かなかった。

 この『世界』もおそらくあり得るifなのだろう。整合性が失われ、時系列までもが曖昧になった、ただ悲劇を見たいなんて胸糞悪い欲望から生まれた歪な『世界』。

 目を背くことは最善ではない。

 だが否定する。

 世界の端なんてどこまで続いているか分からない。でも、すぐに届く端があった。

 即ち。

 サーバルはその場で強く地面を踏み込んだ。

 それで割れる。

 真っ暗な世界も。そこに立ち並ぶifも。

 ……どこかで舌打ちをする音がしたが、それも『世界』の消失とともに掻き消えた。

 緑色が拡散する。

 女王が指を鳴らすと、サーバルの周囲を円を描く軌道で光が瞬いた。

 瞬時にそれは連鎖するように爆散する。

 間一髪で直撃を避けるサーバルの目元は、その髪で隠されていた。

 だが、その奥で海のような瑠璃色が輝いていた。


『──チラス、燻り続ける黒炎の様に』


 ……その想いこそ咎であり業。

 瞬く光はその数を減らし、その場所も疎らになっていた。

 サーバルの瑠璃色も光を散らす。

 その瞳から一直線に光の筋が伸びると、連鎖するように虚空が爆発する。そこに転がり込むことで直後の大規模爆発から衝撃だけのダメージに抑え込んだ。

 青が視界を染め上げる。

 何もない地面から黒い水が溢れ、それはヒトの形を作り出す。


『──ウバウ、輝き続ける希望と共に』


 ……その想いこそ咎であり業。

 数は一つや二つではない。一〇〇や二〇〇といった軍勢だ。

 そして、その全てがあの分解の一撃を放つ。

 青に対抗するように放たれた光の色は、鮮やかな山吹色だった。

 黒い光線が撃たれるよりも早く、それは一瞬でヒトの形をした何かを蹴散らしていく。

 その手にはハンマーのような杖が握られていた。

 だが、順調なんてものはない。女王の口元が引き裂くように歪む。

 紫がその存在を誇示する。

 真っ黒な炎が地面を走る。


『──オワレ、天に煌めく星々の如く』


 ……その想いこそ咎であり業。

 地面だけではない。炎は何もない場所にすらその線を引いていく。

 炎によって作られた檻を突破する方法を知らない。オリジナルのかばんの炎も、手加減してくれたから耐えられたのだ。

 これは彼女たちには越えられない壁だ。

 防ぐことも、躱すこともできない。

 故に。

 サーバルは何も出来ないまま、黒い炎に包まれた。


『…………、』


 奇跡はけ、夢は燃え尽き、理想は灰燼に帰す。

 女王は眉一つ動かさず、その感情は平坦なままだ。

 機械的でシステマチック。それがセルリアンの性質だ。

 もはや興味すらなくした宿敵から目を逸らし、もう一度隕石でも再現させてみようかと考えていた時だった。


 ダンッ! と前方から何かが地面を蹴る。それは僅かに残っていた灯火を引き裂いて直線に突き進み、女王の目の前でバリアに阻まれた。


『……………………貴様』


 バリアに爪を突き立てるそれは、サーバルだった。

 ギチギチという音が聞こえる。それは肉体が軋んでいることを指すのか、バリアが悲鳴を上げているのを明確にしているのかはどうでもよかった。

 問題は、突き立てている『それ』。

 サーバルキャット。

 全にして一なるもの。女王の対極に至るもの。

 それがどのようにしてあの黒炎を潜り抜けたのかが疑問だった……

 その瞳は鮮やかな緋色を散らせていた。

 その力の使い方。その体の動かし方。その目が宿す決意。

 データにない。

 記録にない。

 今まで見てきた該当しない。


「『許さない』」


 その正体不明から言葉があった。

 それが少し力を込めると、ピキリと、バリアへ僅かにヒビが入る。


「『サーバルも、その子も、みんなも。私のトモダチをこれ以上傷つけるのは許さないよ』」

『──ッ!!??』


 バリアの性質を変化させ、障壁から衝撃に切り替える。サーバルの体を借りた誰かもそれに伴って後方に吹き飛ばされたが、体勢を整えて綺麗に着地した。


「『だって、いっぱい貰ったから。サーバルにも、ガイドさんにも、園長にも。だからこれは恩返し。あなたの好きには絶対にさせない』」

『貴様……』


 今にも食いかかりそうな形相だった。噛み締めた歯を剥き出し、その眉間にシワを寄せ、視線だけで突き刺せるようにも思えるほど鋭く睨みつける。


『……例えその身を滅ぼそうとも、わたしが現れる度に何度でも立ち塞がるつもりか』

「『そうだよ。私はそのために、ここまで来たんだから』」

『……おのれ』


 吐き捨てるように、それは今まで以上に恨めしさを込めた一言。

 玉座の肘置きを砕かんとその力が強く込められる。


『おのれ、おのれおのれおのれェ! どうあっても、何があろうとも邪魔をするか、裏切り者ミュータントォォォォォォおおおおおおおおお!!!!』


 女王が動く。

 一瞬にしてその姿は掻き消え、背後に回って触手を振るう。


「『っ!!』」


 それを腰を折ることで回避し、そのまま手をついて回し蹴りを腹部に叩き込む。

 しかし女王は身じろぎ一つしない。


『響かん……響かんぞ裏切り者ミュータントおまえが進化したようにわたしも進化する。それがセルリアンというものだっただろう!』


 七つの石が変色する。これまでのように全てが一色に統一されるのではなく、それぞれが一色ずつ色づいていた。

 布を思わす触手が腕と足に狙いを定める。

 対してそれを爪で弾き、捕獲を許さないように立ち回る。

 黒と白が視界の端を瞬いた。

 二種類の光線が触手の合間を縫うように、地形をまるで粘土のように崩しながらも『サーバル』へ照準を合わせていく。


「『っっ!!??』」


 破壊と轟音が感覚器官を殺す。

 今までの攻撃でも、ある程度は容赦していたのだろう。女王は明らかに攻撃の手段を過激化させている。一撃を放つだけで地形が変化するほどの領域に、あの存在は立っている。

 ならば。


「『私も、頑張るよ』」


 鉄に収まらず、あらゆるものを分断する一撃が『サーバル』を捉えた。

 だが通らない。

 直前で、何かに阻まれていた。

 バリアと呼ばれる障壁。あらゆる干渉を許さない絶対の盾。


『だからどうした』


 その手に握られているのは炎剣だった。

 赤や青といった鮮やかな色彩ではない。あらゆる色を混ぜ込んだ真っ黒な炎。その炎が少し何かに触れるだけで、まるで最初から何もなかったかのように蒸発した。

 燃えるのではない。

 溶かすのでもない。

 消し去る。

 一方で、サーバルの中にいる誰かが構えたのは獣なら持っているような、ありふれた爪だった。

 その色も、やはり鮮やかな色彩ではない。あらゆる光が集まったような真っ白な光。

 キラキラと輝いて、その光の粒子は全て星のように見えた。

 どちらとも言わない。

 両者が同時に地面を蹴った。

 至近距離で、神と奇跡が衝突する。

 衝撃で近くの建物は消し飛び、森林は淘汰された。

 どちらかが腕を振るうだけで光景が変わり、瞬きすれば見たこともない景色が広がっている。


『……、』


 女王は炎剣の構えを解いた。横薙ぎに振るわれる光の爪を体をそらすことで回避し、そのまま力強く踏みつける。

 しかし対象は『サーバル』ではなく、地面だった。

 揺れる。

『サーバル』が立つ周囲の地面だけが、限定的に。


「『わわっ!?』」


 堪らず『サーバル』もバランスを崩す。

 ブオンッッ!! と炎が出しているのか、振った勢いが空気を揺らしているのか判断がつかない低い音が『サーバル』の耳に届いた。

 バリアを重ねて炎剣の軌道と速度を削ぐ。誤差にしかならないが、それで構わない。

『サーバル』はその炎剣に合わせるように光り輝く拳を振るい、受け流すようにして強引に射程から抜ける。


「『……うん。ここまで、みたい……』」


『サーバル』の瞳から緋色の光が消えかけている。中にいる者の限界が近いのだろう。

 だが、『彼女』は笑ったままだった。


「『でも、私が教えたいことは教えたから、もういいかな。この戦いは私の戦いじゃないし……ちょっと気になったから出てきただけだから』」

『……結局、おまえは何がしたかったんだ』

「『久しぶりに外を見てみたかったっていうのと、そうだなぁ』」


 やはり笑顔で。

 かつて見た笑顔よりも輝かしく見える表情かおで。

『彼女』は、言った。


「『たとえ違うサーバルになっていたとしても、もう私のことを覚えていなくても……それでも、またトモダチと一緒に戦いたかったからかな』」


 消えていく。

 剥がれていく。

 完全に元に戻る寸前に、『彼女』は笑顔を向けた。

 目の前にいる女王ではなく。

 中にいるかつてのトモダチに。


「『あとは任せたよ、サーバル。大丈夫、きっと勝てるよ。だって、サーバルは強いもん』」


 それを最後に、サーバルから緋色の光が完全に消える。

 今までの光とは別の光を灯しながら、サーバルは目を開ける。


「ありがとう。貴方のこと、思い出せないけど……でも、貴方のためにも負けられないね」

『勝てるとでも?』

「分からない。でも、託してくれた仲間ヒトがいて、任せてくれた戦友ヒトがいて、背中を押してくれた友達ヒトがいて……助けたい親友ヒトがいるから」


 キラキラと輝いている。

 星なんかよりも眩く、太陽みたいで。

 それがどうしても──。


「負けられない」

『勝てるものか』

「負けたくない!」

『勝たせるものか!』


 希望と野望が交差する。

 両者は互いに譲らない。交わることなく、故に衝突という形でしか関われない。

 そして。

 人間が持つ原初の欲。

 切り離せない醜いモノ。

 七つの業が、世界の願いを破壊するために。


『──再現リロード


 その声を合図に、顕現する。


 サーバルがそれらを完全に乗り越えたことなんて、過去の一度だってない。

 業より生まれ、咎に従い、欲に生きるその七つに『勝利』をもぎ取ったことなんてない。

 以前はその大半を他人任せに勝負を放棄しただけだった。さっきまでの拮抗だって、戦っていたのは自分ではない。

 だから、今度こそ乗り越える。

 絶対に。

 諦める理由も必要も、ここまで来て何一つある訳がないのだから。


(勝ってみせる!!)


 衝撃と音は遅れてやってくる。

 その閃光は直撃を想定していない。そして、その閃光はその場に留まり続けた。

 持続するそれに触れれば一瞬で肉体は蒸発するだろう。


(そんなの、もう関係ない!!)


 走る。

 幸い、女王との距離は長くない。走って手を伸ばせば、届く。

 目に見えないほどの速度で何かが周囲を移動し、黒い布のような触手が四方八方から突き刺さる。

 ルートが限られてきた。

 この時点で道はほとんど一本だ。そのやり方に、サーバルは覚えがある。

 パークでかばんが行った、フレンズを集めたセルリアンを用いた誘導方法。

 分かっている。進めば袋小路になることくらい。

 でも。

 だからこそ。


(真正面から立ち向かって、完全な勝利を掴まなきゃ意味がない!!)


 地面が限定的に揺れ、周囲が爆発する。

 機動力が削がれ、回避は封じられる。

 来る。

 あの、全てを無に返す一撃が。


 ……そう思っていた。


 それは、背後でも正面でもない、側面から。

 現れたのは何の変哲もない触手。

 黒く、太く、禍々しい、色を持たない過去の絶望。

 と同じ、黒セルリアンの『足』だった。


『頂くぞ、おまえの全てを。きさまを形成するサンドスターごと、その特別を食い尽くしてやろう!!』


 それは、きっと抗えない。

 輝きだけならまだ取り戻せるだろう。

 だが、動物に戻して無力化されてしまった場合、記憶の維持が出来るかなんて知らない。果たして、元動物の記憶容量でこの思い出かがやきを維持できるだろうか。

 だから、その摂理だけは。

 その真理だけは。

 抗う術なんて、どこにもない。

 女王の口が真横に裂けたのが見えた。

 そして。


 黒い絶望が。

 来る。

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