ウバウ、輝キ続ケル希望ト共ニ



 14



 それは、あの島で黒セルリアンとの対決を終えた後のことだった。

 船出とパークの修繕に費やした一ヶ月。そのうちの一コマに、こんなやり取りがあったのだ。


『にしても驚いたのです。サーバルはセルリアンに食べられたと報告を受けていますが……どうやって助けたのですか?』

『えっと、木からセルリアンに飛び込んだんです。あの黒いセルリアンの中は水みたいに液体になってるように見えました。だからほとんど賭けだったんですけど……成功して良かった』

『……はぁ。無茶も程々にするのですよ。終わり良ければ全て良しとは言いますが万が一もあるのです。あまり危険なことに首を突っ込むと碌な目にあいませんよ?』

『……ありがとうございます』


 そう言って、少女は笑っていた。

 これは、ハッピーエンドを迎えた後の、ちょっとした雑談おしゃべりである。



 15



 博士の眼光は鋭かった。杖をギチギチと強く握り、そのセルリアンを視認している。

 近くに落ちている帽子。かばんのもので、今までサーバルが被っていたもの。それを、博士は乱雑に鞄の中に仕舞い込む。

 超巨大ヒト型黒セルリアン。いや、サーバルをも取り込んだそれは超巨大フレンズ型黒セルリアンと呼ぶほうが適切だろう。その絶対強者の標的は、周囲の有象無象だった。

 戦闘機。戦車。銃を所持するヒト。放水砲。

 触手で薙ぎ払い、鉤爪で両断し、拳で叩き潰し、足を使って蹴り上げる。

 ヒトも街も自然も人工物も破壊していく。

 ちっぽけな視点から見ればただの蹂躙だった。

 だが視野を広げ、全体を見渡したら違う印象を抱くのだ。

 まるで、幼い子どもが遊び半分で虫を虐殺する光景と何も変わっていないと。

 男はようやっと木の残骸から身を下ろし、汗を大量に流しながらやって来た。


「どうするつもりだ。どうやって救うつもりだ!?」

「方法ならあるのです。そちらの戦力を借りたいのですがよろしいですね?」


 声はものすごく平坦だった。

 感情が込められていないようにすら思えるが、違う。感情が一つに絞られすぎて他の感情が合間にすら挟めないのだ。

 今の博士は喜ばない。

 今の博士は驚かない。

 今の博士は激昂しない。

 今の博士は悲しまない。

 だからこそ抑揚がない。感情が必要以上どころかゼロに近くなっているのだから。

 男は気付けただろうか。

 その声が。

 その様子が。


 かつて、侵略に来たとある少女と酷似していることに。


 嫌な予感とは様々な形で訪れる。

 背筋に走る寒気。

 どうしても落ち着かない焦燥感。

 頭の片隅から滲むように主張する不安や緊張感。

 それが、今の男にはあった。

 何となく、本当に何となくだ。

 今ここで、目の前のフレンズを止めなければいけない気がした。

 このまま、その状態で前に進ませてはいけない気がした。


「沈黙は肯定と判断します。では今から言うようにヒトと残ったせんとうきを配備してほしいのです」


 こちらを振り向かないまま前に進む博士の腕を男は掴み、親に玩具おもちゃを買ってほしいと駄々をこねる子どものように引き止める。


「待て無茶だ! あの化物は凶悪だった。それがさっきの子を取り込んで更に強化されてんだ。ここはじっくりと作戦を──


 中断された。

 妨害された。

 誰に?

 セルリアンではない。今のセルリアンは遊戯おあそび中だ。何もしてこないヒトに危害を与える理由はない。

 であれば決まっている。

 ガンッッ! という鈍い音が聞こえた。

 視界の端が赤く染まり、脳は震えて思考回路が鈍らされた。

 目の前の風景が横になっているところで、今自分は殴られて転倒したことを自覚した。

 そこにいるのは一人のフレンズだ。

 白というよりは灰。

 大人とは到底思えず、幼さを感じる体格だった。

 その手に、今までは無かったものが握られている。

 杖。

 そう思えた。

 ようやく振り返ったフレンズの目は不気味に輝いていて、その杖で側頭部を殴られたことにようやく認識がいった。

 ズキズキと痛む頭に手を当てれば、その手は赤く湿っている。

 そこまでやって、眉一つ動かさない。

 フレンズは口を開く。


「邪魔をするのですか。なら先にお前から狩りますよ。その首を持っていけばヒトも従うでしょう。反乱? この状況では起きませんよ。恐怖でヒトを支配する方法は気が進みませんが、仕方がありませんね」


 本気で言っている。

 気が進まないとか言いながら、毛ほども躊躇ちゅうちょがない。

 本当にするつもりだ。

 このまま反対すれば、男を殺し、首を千切ってヒトの前に持っていくだろう。

 そして、表情はそのままで命令するのだ。

 鈍った頭を強引に動かして、上体を起こす。

 杖を構えたフレンズから気持ち程度に遠ざかりながら慌てて口を開いた。


「わ、分かった、従う! あんたに全権を委託する! だ、だから殺すのはやめてくれ!!」


 その時、ようやく口以外のパーツが動いた。数ミリ程度目を細めると、杖の構えを解く。


「最初からそうしていればいいのです。では先程の言葉を繰り返しますよ」


 男の全身から鳥肌が消えない。

 殴打により出血した血を手の甲でぬぐいながら立ち上がる。

 協力者から恐怖の対象へ立ち位置を変えたフレンズは、その平坦な声で言った。


「今から言うようにヒトとせんとうきを配備してほしいのです」



 16



 そのセルリアンはあらゆる手段を尽くして他者から全てを奪取する。目の前にあるそれが眩しく輝き続けるからだ。

 うばう。

 ウバウ。

 奪う。

 ウバイツヅケル。輝キ続ケル希望ト共ニ。

 イズレ消エ行ク輝キヲ、今アル全テヲ手ニ入レル為ニ。

 輝く者は排除する。

 たとえ相手が何者であっても、与えられた『咎』に従って。

 それ以外に持つ感情は無い。

 それ以外に抱く欲望は無い。


 進化し。

 保存し。

 再現する。

 全ての輝きはやがて消える。

 失い、どれほど焦がれようと、戻ることはない。

 だのにヒトは浪費をやめない。それが無駄のある消費であることに気付かない。




 最も欲しかったモノがここに在る。

 心から渇望した輝きがそこに在る。

 だが足りない。

 完璧には程遠い。

 万物の輝きを手に入れよう。

 森羅万象のキセキを保存しよう。

 心が渇く。

 体が疼く。

 まだ足りない。

 満足などしていない。

 そして、求めるものがまた一つ。

 欲にまみれた強奪者は、欲におぼれた手を伸ばす。



 17



 それは明確には作戦とは言えなかった。

 対抗策があるわけでもない。かと言って考えなしに突っ込むのは自殺行為だ。

 だからこその策。

 だが、それを策と呼ぶのは憚れる。

 博士が指示したのは以下の三つだった。

 一つ、戦闘機や戦車、ありったけの全戦力で一秒でも長く時間を稼ぐこと。

 二つ、複数のフックが付けられたロープを用意すること。

 三つ、博士の体に繋がれたロープを、特定のタイミングで即座に引き上げること。

 それだけの指示で何をしようとしているのか見出すことは難しいことだった。

 いや、男だけではない。

 事情を知らない者から見れば、やはりその行為を理解することが出来ないだろう。


 ……それでいい。

 分かっているのは自分だけでいい。

 今からやることをヒトに任せることは絶対にない。

 博士の胴にはロープがしっかりと結び付けられている。そのロープは固定用のフックがつけられている少し特殊なもので、その数が三〇程度。

 都市内には戦闘機や戦車が既に配備されている。

 ヒトの部隊の数は三桁あるか、ないか。

 博士は決して語らない。

 冷めきった頭で目の前の敵を見据える。


「……今行くのですよ、サーバル」


 告げたのはたったそれだけだった。

 セルリアンが異変に気づく。

 戦闘機が飛び始め、戦車と戦車型セルリアンは互いに弾頭を撃ち合い始める。

 超巨大フレンズ型セルリアンは触手をくねらせ、動く。


 超巨大フレンズ型セルリアンはとても分かりやすく跳躍した。爪を構え、頭上を過ぎる戦闘機目掛けて跳ぶ。

 セルリアンが足に力を込めるだけでアスファルトが瓦解した。それは弾頭のごとく一瞬で上空へ達すると、上半身をひねるようにして腕を大ぶりに振るう。

 爪は何に遮られることもなく、ただ戦闘機を両断する。超巨大フレンズ型セルリアンはそのまま地面に着地すると、時間差で戦闘機が爆発した。

 パイロットの無事を確認する。そこに向かって迫りくる戦闘機型セルリアンをヒトは銃弾と煙幕で撹乱し、パイロットは装備を変えて銃撃戦に切り替える。

 そのタイミングで、超巨大フレンズ型セルリアンと目があった。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォーーーーーーー!!』


 セルリアンが明らかに姿勢を変える。

 体は前傾ぜんけいに。肩に力を入れ、鉤爪がくうを切る。

 やはり地面を蹴り砕いて突っ込んできた。博士にくるりと突進を回避されると、超巨大フレンズ型セルリアンは地面に右の爪を立て、ガリガリと爪痕を刻みながら速度を緩める。そのまま右手を支点とし、全身を使って瓦礫を蹴り飛ばした。

 さながらそれは瓦礫の雨。博物館で恐竜型セルリアンが行ったものと同じものだ。

 だがそれは攻撃ではない。喰らえば間違えなくダメージになり得るが、そのセルリアンの目的は目眩めくらましなのだろう。

 あくまで次の攻撃までの繋ぎ。五月雨の瓦礫で動きを誘導し、そこに一撃を叩き込む準備でしかないはずだ。

 それを博士は理解していた。

 一度その場で停止、必要最低限の動きで見切る。それを確認したセルリアンは膝を曲げ、大きく跳躍すると縦方向に一回転しながら着地。

 左腕を使い下から上へ、その鉤爪を振り上げる。


「っ!!」


 息を呑んだ音に自分でも気がついた。数ミリ先を黒い爪が通過する。

 今度は右手。ただ力任せに振られたそれを掴み、途中で離す。振られた勢いで博士の体は投げ飛ばされるが、それを利用し距離を取った。姿勢を整えたあと、あの忌々しい触手が四方八方から突き出される。

 退避ルートを即座に察知。本能と計算によって導き出した避難経路をつたってその攻撃を回避する。

 今度は逃げない。

 超巨大フレンズ型セルリアンの周囲をただ飛行する。

 博士はお世辞にも飛行能力全般が高いとは言えず、速度を考えても然程さほど速いわけではない。

 だが得意なことがある。

 無音の状態で飛行すること。その特異性はあのサーバルが後頭部を蹴られるまで気付けないほどだった。

 それはセルリアンであっても変わらない。

 聞こえないものを聞こうとしても無意味なだけだ。

 相手の体格差が功をそうし、セルリアンはこちらの動きを把握できない。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォーーーーーーッッッッ!!!!』


 その咆哮は怒りを表していたのだろうか。ともかく博士は力を込めた。

 野生解放ではない、もう一つの能力。サーバルは技と呼称していたがスキルと呼ぶ方が適切だろう。効果はフレンズによって異なり、博士の場合は身体能力の上昇だった。

 その全身に力がたぎる。

 博士は股下を陣取ると、先程の仕返しとばかりにセルリアンの頬を上昇とともに斬りつけた。

 バキンッッという無機質な音が響くとともに、セルリアンは咆哮する。

 その瞳が縮んだ。

 それを見て、博士は鼻で笑っただけだった。


「怒ったのですか? 上等です。ほら、かかってくるのですよ」

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォーーーーーーー!!!』


 それはさながら獣。

 その牙しかない口はどうやら歯ぎしりをしているような仕草をしていた。

 何度目かの跳躍。博士の後ろへ回り込むと、その口の周囲にエネルギーが集中する。口の周囲から黒い光が漏れ出す。形以上の意味を持たない牙や歯の隙間から一筋の光が地面にまで届いていた。

 それは集まり、結合し、融合する。

 そして、博士の目と鼻の先で一つの絶望が顕現した。

 音が死んだ。

 光が消えた。

 博士の視覚と聴覚はその蹂躙と侵略に最果てへ吹き飛ばされた。


 一瞬の静寂。

 だが博士はそこにいる。

 黒の閃光はその効力こそ絶対的だが、その範囲は狭い。そのギリギリで、博士は直撃だけを避けたのだ。

 だが衝撃までは防げない。きっと、地面に足をつければその足は震えているだろう。

 超巨大フレンズ型セルリアンは次の攻撃へ。

 一瞬のうちに触手が周囲に突き刺され、博士の逃げ道は封じられた。先程の閃光に集中しすぎていて、反応がほんの一瞬遅れたのだ。


「しま──」


 拳。

 爪でも触手でも閃光でもなく、腕を持つ生物であれば自然に備え付けている攻撃手段。

 小細工なんて何もなく、見かけ通りの破壊力しか持たない。

 それを、力一杯振り抜いた。

 博士の力では山のような大きさを誇るセルリアンの一撃に耐えられない。よって、博士の体はその剛力に寄って簡単に吹き飛ばされた。

 一直線に空を切り、体勢を整うことも難しい。

 そんな、目視するのさえ難しいであろう状態で、だ。

 ブンッッッと、超巨大フレンズ型黒セルリアンが視界の端に現れた。


「ッ!!??」


 腕をクロスにするくらいしか行動は取れなかった。セルリアンは右足のかかとを、一回転する動きも含まれる回し蹴りで叩き込む。

 博士の背中に直撃し、体から聞いたこともない、ミシミシという音がした。

 体が弓のようにしなる。風圧と蹴られた衝撃で周囲の状況は伺えない。

 目の前に黒い影が出来た。


(まさか、そこまで……!?)


 暗転。急降下。衝撃。

 超巨大フレンズ型黒セルリアンは上空へ跳び上がり、その手で博士の体を捉え、地上のアスファルトに押しつぶすかのように叩きつけた。

 あまりの威力に周囲の地面が割れる。

 凹み、ヒビ割れ、倒壊する。


「っ、が、……ッ……!!」


 呼吸が詰まる。

 黒セルリアンはそのまま押し潰そうとしているのか、その手にさらに力が込められていく。

 体から嫌な音がする。

 その時、黒セルリアンの頭部で爆発が起きた。


「ダメージを与えられるなんてことは考えるな! あれがヒトなら俺たちに通じる部分もあるはずだ。!!」


 ヒトの声だ。誰の声までかは分からない。意識が朦朧とし、寝ているのかと錯覚するくらいだからだ。

 だが体は動いた。

 ヒトの攻撃を邪魔だと思ったのだろう。僅かに意識が逸れ、力が弱まるのを感じる。

 即座にスキルを発動し、両手を支点に、足で持ち上げるようにして空間を作る。

 黒セルリアンがそれに気付くが、もう遅い。

 膝を折り、地面を蹴って転がる。手の下から這い出ることだけを考える。

 そこには触手が待っていた。

 横薙ぎに払うように、布のような側面を博士に叩きつける。

 殴打ほど威力はない。姿勢を変え、両手両足を付近に接地することでブレーキをかける。

 摩擦で手の肌が焼ける音がした。

 熱で足が摩耗する感覚があった。

 だが無視をする。

 超巨大フレンズ型黒セルリアンの意識はヒトに向いている。しかし博士を標的から外したわけでもない。同時に相手をするために、ヒトの方に気持ち多めに触手がうねっている。

 そして、残りの数本も襲いかかってきた。

 ドガガガガガッッ! と地面を貫く触手の合間を、隙間に入り込むような動きで回避する。

 もう、良いだろう。

 触手は止まらない。抜いては刺し、確実にこちらの行動を止めるような動きをしている。命中しないのは本命と判断していないからだろう。

 博士はその穴を突く。

 黒セルリアンまで全速力で走り、スキルで身体強化。続けざまに野生解放をして、地面を蹴って離陸する。

 目標は超巨大フレンズ型黒セルリアンの、背中。鞄を模した、触手が生えている付け根だ。

 光の筋が鞄へ届いた。

 博士は中へ侵入することに成功したのだ。

 一〇秒。それが過ぎれば強制的に外に出されてしまう。

 鞄の中は半液状だった。完全な液体ではないが、個体には程遠い。

 だが、それでも。

 一。


(動ける、のです! 動けるならこっちのもの……サーバル!!)


 飛び込んだ勢いはまだ健在だった。

 二。

 そして、中央部分。

 いた。

 金髪に大きな耳。

 ここまで戦ってきた友人で、助けてくれた恩人バカやろう

 三。

 その腕を、掴んだ。

 四。

 サーバルだけではない。取り込まれたヒトもここに集められているのだろう。周囲には先程食われていたと思われる複数人のヒトがいた。

 五。

 それ以外に、もう一人。

 港街で救えなかったヒトが、そこにいた。

 六。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ!!』


 くぐもった咆哮が聞こえた。博士の侵入に気付いたらしい。その動きを封じようと、超巨大フレンズ型黒セルリアンは抵抗する。

 七。

 しかし、その瞬間に黒セルリアンの足元が爆発した。

 八。

 落とし穴。

 精巧な作りこそしておらず、制作方法なんて爆弾を用いた力技だが、それは間違いなく隙を作り出す。

 九。

 慣性は既に失われている。サーバルの体を自分の体に繋ぎ、目につくヒト全員に固定用フックをかけていく。

 一〇。

 丁度最後の一人にフックを掛けたタイミングで、ヒトの声が地上に轟いた。


「時間だ引き上げろ!! 全力であの子を引っ張り出せえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」


 サーバルの腕を必死に掴み、ただ外からの力に従って彼女たちは外に排出される。思いっきり引っ張った影響でその勢いのまま地面を転がり続け、止まった瞬間、即座にサーバルの元へ駆け寄った。


「サーバル! サーバル!!」

「…………、」


 意識はない。だが呼吸はしており、フレンズ化が解ける様子もない。

 間に合ったのだ。

 そして。


『ォォォォ……、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーー!!』


 セルリアンが悶えた。

 頭を抱え、触手を自分にまとわりつかせる。地面に頭を叩きつけ、今度は胸、正確には心臓辺りを掴んでいた。まるで、外に出ていくそれを拒むかのように。


「おい! 大丈夫か!?」


 ヒトだ。救出された仲間の避難を進めていく。

 男は呆然と呟いていた。


「何が起こってるんだ……?」

「おかしいとは思っていたのです」

「?」


 博士はサーバルを背中に背負う。鞄から帽子を出し、サーバルの頭にちょこんと乗せた。


「あのセルリアン、無駄な行動が目立ったのです。輝きこそ保存すれば、いくらでも再現できたはず。それなのに、あのセルリアンは今の今まで直接食べていました」

「それはアレじゃないのか? 何か、向こうにも拘りや欲望みたいな、独占欲的な何かがあったんじゃないか?」

「かもしれません」


 勿論その可能性もある。あれがヒトのどの部分を再現した存在かは知らないが、手に入れたものは自分のものにしたいという欲望を再現したのかもしれない。

 だが、あれは港街で現れたセルリアンと同一個体だ。そして、それに対しかばんはこう言っている。



『だからあのヒトを食べたセルリアンには欲望や意思なんてものは再現させていません』



 それが真実とするならば。

 それが偽りでないのなら。


「あのセルリアンは再現することに力を注ぎすぎて、情報の保存が著しく出来なかったのです。だから、体内で収めていた。その時その時で情報をそこから引き出していたのですよ。忘れないようにメモに概要を記入して、何度も見直すのと同じように」


 だから苦しんでいる。

 だから悶えている。

 情報が消えた。

 再現するための情報が消えた。

 故に。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 縮み、ヒトの部位が消えていく。

 口は塞がり、白い胴体は黒の塊の中へ沈んでいく。

 布のような触手は纏まり、固まって、四本の足へ再構築される。

 短かった尻尾は細長くなっていく。

 とある少女に似た形だった頭も、ただの平面に戻っていった。

 石は上面。そこにしっかりと出現する。剥き出しではないが、少なくとも削れば顔を出す位置だ。

 そして。

 超巨大フレンズ型黒セルリアンは退化した。

 元の、パークで見た形態に戻ったのだ。

 無論、それでも大きい。高層ビル程度の大きさを誇っている。

 そして、ヒトを侵食したセルリアンだって健在だ。

 今でも空を見上げれば戦闘機とセルリアンが銃撃戦をしているし、戦車同士で撃ち合いもしている。

 でも。

 それでもだ。


「……戦況は傾いた。ありがとう、フレンズ。君のおかげで、少なくともここの連中はあと数日は保つ」


 男は指を指す。

 中央都市の、更に奥。


「あんたらの元凶はあそこに行った。確か大規模な研究所があったはずだ」


 研究所。

 全ての始まりと、全ての終わりの場所。


「行けよ。ここはもう大丈夫だ。そこで、全て終わらせてこい」

「……協力、感謝するのです」

「こちらこそ。どうかあんたたちに、神のご加護があらんことを」


 博士は歩き出す。

 目指すは研究所。そのための道は出来ている。

 背中に重さを感じる。しかしそれを不快には思わなかった。

 その顔を見る。

 サーバルはお気楽に、眠っているような顔をしていた。

 僅かに頬を緩め、前を見る。

 そこにある真実が、希望になるか分からないのに。

 もしかしたら、仄かに抱いた光の道が完全に消えるかもしれないのに。

 だが、それでも。




 そのけものは進む。この悲劇の戦争を止めるために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る