『王』の業火



 7



 静まり返った地上。

 太陽は既に顔を覗かせ、普段であれば陽の光で照らしてくれるはずだが、今はそれも厚い雲に遮られている。

 コンクリートで作られたビルの一つ、その前に一つの影が近付いていく。


(ヒトのちほーの約八〇パーセントを制圧。世界全土でセルリアンの侵攻を確認……。順調ですが中央都市の制圧に時間がかかっていますね……。流石に一筋縄ではいきませんか……)


 建造物を見上げ、一度自分の計画を再考すると、迷いなく建物の中に足を踏み込んだ。


 カツ……カツ……と建物内に革靴の音が木霊する。足元でぼんやりと光る非常口案内の誘導灯だけが、室内を怪しく照らしていた。

 階段を上り、廊下を進み、やがて一つの部屋に辿り着く。

 扉の横にある壁、そこに部屋の名前を指し示す表札が取り付けられている。

 書かれている文字を見ると、その口角を不気味に上げた。


 ガチャリと、その重い扉を開く。


 その者が部屋の中へ入ると、周囲を取り囲む大量の電灯に照らされた。

 照らされた者、かばんはそれに対し、僅かに目を細めた後周りを見渡した。

 黒服で身を包んだヒトがかばんに何かを突きつけている。

 それは一人や二人ではない。おおよそ二桁に達する数のヒトが、かばんに対しそれを向けていた。


「ひ、ひいぃぃ……っ」


 かばんの左側からそんな声がした。その方向へ視線を移すと、明かりで少々見にくいが、取り囲むヒトよりも向こう側に後退りするように尻もちをついてる者がいる。

 他と同じように黒服を着込んでいるが所々着崩れしていて、その小太りのヒトの顔には大量の汗とともに畏怖の表情を浮かべている。

 視線を前に戻し、かばんは笑った。


「ごきげんよう。初対面の相手に大勢で拳銃を向けるとは随分なご挨拶ですね。それともヒトの間ではそれが普通なんですか?」

「黙れ化け物。お前が今まで何をしてきたか報告は受けている。その残忍さ、凶悪さ、聡明さもな」

「へぇ、ネットワークはこちらで全て掌握してるのによくそんな事が出来ましたね。てっきりヒトはコンピューター無しでは何も出来ないと高を括っていたんですけど」

「人間を舐めるなよ。お前はここで終わりだ」


 かばんより背が高く、体つきも角ばっている。

 何度も見たことがある男と呼ばれるヒト。

 男は手を後ろで組み、自分を取り囲むヒトの少し後方で立った状態のまま、こちらを傍観している。

 室内のかばん以外のヒトは全て男で構成されていた。権力や身体能力の関係上、男が上に立つことが多いためだろう。

 そのことを静かに分析しながら、この数回のやり取りでかばんは目の前のヒトが何者か理解した。


 偉そうに振る舞ってはいるが、目の前の男は権力を持つヒトではない。おそらく自分の左側で今も情けない声を上げている小太りの男が実権者だ。しかし見た通り恐怖で使いものにならないため、代理として務めているのだろう。

 群れる動物であるヒトは社会を作り、身分を作り、上に立つ者が下の者を操るというシステムを作った。そこに規模の違いはあれど、何処もその形態は変わらない。その制度の中で、一番上の権力者が何らかの理由で動けなくなった場合は別の者が代理を務めるのは珍しい話じゃない。

 ここは、今そういう状態なのだろう。


「まぁまぁ、時間も沢山あることですし世間話でもどうですか? 制圧と言っても僕は基本的に何もしないので少し退屈で「喋るな!!」 ……はぁ」

「言っただろう、お前の知性と残忍さは知っていると。セルリアンが傍にいない今、お前の脅威はその二つだ。口だけで相手の想像力を利用して恐怖を煽り、ヒステリックにすることで精神を瓦解させ、自分の思い通りに動くよう誘導する。それが手法なんだろう? だからそんなことをされる前に殺す。今のお前はただの賢い少女に過ぎない。我々を見下してあの人型の化け物と別行動を取ったのが仇になったな」


 男が片手を上げると、拳銃を向ける構えが明らかに変わる。

 牽制から死の宣告へ、その意味が大きく変貌する。

 かばんはそれに対し、深く溜め息をついた。


「やっぱりセーバルさんを連れてこなかったのは正解ですね。いいですよ、僕は逃げも隠れもしません。ほら、そのご自慢の叡智の結晶けんじゅうを撃ってみてくださいよ」


 明らかな挑発だった。両手を左右に広げ、見下すように笑っている。

 それがとても奇妙で、不気味で、不愉快で。

 男は感情のまま怒鳴るように命令した。


「撃ち殺せ!!」






 パン! パパン! パァン!!






 乾いた音が重なって響く。死の匂いを知らせるその音が、一発だけでなく何発も建物内を反響する。

 そして、目の前の光景に男が呟いた。


「なん、だと…………?」

「口だけが僕の脅威? セルリアンやセーバルさんがいない僕は賢いだけのただの少女? 言ってくれますね、見下しているのはそちらの方ではないんですか?」


 笑っていた。弾丸の嵐を受けても、かばんは笑っていたのだ。

 いや、違う。

 

 周囲を取り囲むようにある〝それ〟がかばんへの干渉を許していない。


「何だそれは……何なんだそれは! 複数の弾丸を受けないなんて……!!」


 拳銃が通じないことが分かるや否や、男の顔色が劇的に変わる。取り乱し、興奮し、混乱している。

 かばんは嗤う。


「そうですよ。これはバリアです。何人なんぴとたりとも侵入を許さない、僕の盾ですよ。そして──」


 視線を男から取り囲む黒服たちに移す。

 その直後だった。



 拳銃を持っていた黒服全員が、真っ赤な炎に包まれた。



 複数の火柱が上り、黒服たちの絶叫が何重にも重なって轟き、やがて火とともに消えた。残されたのは燃えなかった拳銃を始めとする小物と、表面が焼けたヒトと思われる物のみ。


「この火が僕の矛です。皮膚の表面だけ焼くように調整しましたから死んではいないはずですよ。まぁ、その様子ではもう人目には出られませんでしょうけどね」


 楽しそうに、かばんは笑っている。

 口だけが武器? セルリアンがいなければただの子ども?

 違う。認識も、対策も、少女の本質も何もかもが違う。


 彼女は言っていた。セーバルを連れてこなくて正解だったと。

 ヒトを焼く光景を見せたくなかったなんて可愛らしい理由じゃない。

 自分の力を過信していたから、なんとかなると思っていたからなんてふざけた理由でもない。


 たった一人で来る自分を、逃げるのではなく敢えて立ち向かわせて、力の差を教え込むために単独で乗り込んできたのだ。


 しかも、それだけではない。

 かばんはこうも言っていた。調と。

 つまり本気ではない。

 全力で叩き潰すわけじゃなく、お遊び程度に捻り潰した。


 自分たちで対処できると傲慢にも思い込んだ愚者の群れを、まとめて叩き潰すために。


 想定外の規格外。

 その少女が、男には到底ヒトだとは思えなかった。


 残酷な少女は、冷たく言い放つ。


「人間を舐めるな、でしたっけ。あの言葉、そっくりそのままお返しします。……僕を、舐めないでください」


 もう片方のヒト、小太りの男が、涙や鼻水で顔をくしゃくしゃにしながらその手を伸ばして懇願する。


「た、助けてくれ……金なら幾らでもやる……土地も、私が保有している財産全てをあんたの好きなようにしていいから……だから「その汚らわしい手で触らないでください」


 小太りの男が言い終わる前に二回目の火柱が上がった。先程とは違い一瞬で、かばんに伸ばされた腕を的確に狙い炎が舞う。

 伸ばした腕の皮膚の表面が、その炎によって焼かれていた。


「ぎゃあああああああああああああああああ!!?? 腕がぁァァああ! 私の腕がァァァああああああああ!!!???」

「うるさいですね……貴方たちがしてきたことに比べればこんなの大したものじゃないでしょう?」

「あぁ……っ、痛い……あああぁぁ……「今すぐその口を閉じなさい。次は全身を焼きますよ」 ……っ」


 腕の皮膚全てを焼かれた激痛。その収まらない痛みを、小太りの男は必死に唇を噛み、嗚咽すら押し殺して悶えている。

 それを確認すると、かばんは最後に残ったヒトを見た。

 男は恐怖で体を震わしながらも、憎らし気に吐き捨てる。


「この……人の皮をかぶった悪魔め……っ!」

「悪魔とは人聞きが悪いですね。それが当てはまるのは貴方たち人間でしょう? 生態系を崩し、環境を破壊し、特に理由もなく他者を殺める。ね? どう考えても悪魔は貴方たちじゃないですか」

「お前だってそうなんだろ? 俺たち人間を、一人残らず殺して世界を支配するつもりだ、違うか?」


 男のその言葉に、一度目を見開いたかばんは噴き出すように笑いを零し、それは次第に高笑いへ変わっていった。


「……ぷっくくく、ッハハハハハ! アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


 腹を抱えて笑う。まるで今世紀最大のお笑いでも見たかのように、目に涙を浮かべながら笑っている。


「何が、おかしい……」

「……僕が、貴方たちを殺す……? っふふふ……本気で言ってるんですか?」


 その笑いをこらえながら、目元に溜まった涙を拭う。


「本当に何も分かっていませんね。邪魔だから、腹立たしいから殺すなんてしたら貴方たちと何も変わらないじゃないですか」


 やがて、不気味な微笑みを浮かべる少女は告げた。




「宣言しましょう。僕は貴方たちを殺しません。どれだけ邪魔をしようとも、どれだけ醜い姿を晒そうとも、こちらから命を奪うような真似はしませんよ」




 その宣言を聞いて、明らかに見下されているその言葉を聞いて、男は震えた唇を動かす。


「何が、狙いだ……」

「皆さんはその質問が好きですね……。まぁ、理由は単純です。僕の目的は支配であって絶滅さつりくではありません。それはヒトも、他の動物も同じことです」


 歌うように説明しながら、かばんはいかにも少女らしい、可愛らしい笑顔を浮かべている。

 見る者によっては死よりも恐ろしいと感じるその微笑みを。


「それに、生かしたほうが苦しむでしょう? 一瞬の苦しみである死は、生きることで襲いかかる苦痛にはどうやっても勝てませんから」


 床に落ちた拳銃を拾い上げ、試しに撃とうとするが発砲しない。中の火薬が燃え尽きたか、何処かで不具合が起きているのだろうと結論付けると、つまらなそうに放り投げ、その少女は扉に手を掛ける。


「だから、存分に苦しんでください。……一つ断っておくと、殺しはしませんけど餓死や自殺はそちらの問題なので悪しからず」


 扉を開けて、部屋を出る。かばんがドアノブから手を離す。

 支える力を失った扉は、元の状態に戻ろうとゆっくりと閉じていく。


「あぁそうそう、殺さないとは言いましたけど──」


 その寸前、閉まりかけた扉の隙間からこちらを覗く少女は告げた。助かったと安堵する愚者を恐怖のどん底に叩き落とす、その一言を。




「何もしない、とは言ってませんよ?」




 扉が閉まる。

 直後だった。






 ガシャン!!






 突如として天井に付いている排気口が床に落ちてきた。肩をビクつかせ、顔を上に向ける。


「……ぁ……あぁ……っ!!」


 何かが、ダクトから出てきている。

 スライムのように不定形で、その全身は真っ黒の怪物。それが二塊ふたかたまり落ちてきて、ベシャッと潰れた後少しずつ元の形に戻っていく。


 その不定形の怪物には、無機質な一つ目が備わっていた。


「ば、馬鹿な……セルリアンだと……!? あり得ない! この建物はネットワークから隔絶された赤外線センサーが張り巡らされていて、少しでも感知すれば警報が鳴るようになっているはずだ! なのに、何で……っ!」


 ゆっくりと床を這いながら、不定形のセルリアンは近付いていく。体をうねらせ、とても生き物とは思えない無感情な目が二つの影に狙いを定めた。

 理解出来ない現象を嘆いてる暇はない。

 意思を持った兵器が、その恐怖を駆り立てる。


「来るな……来るなああああ!」


 二体のセルリアンはそれぞれ恐怖で後退りする男の目の前で止まり、そして──、




 まるで口を開けるようにその体が裂けた。




「「うわああああああああああああああああああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」」



 8



 閉じきった扉の向こう側。断末魔にも聞こえる二つの叫び声と、セルリアンによる捕食の音が聞こえる。


(赤外線センサーが反応しないセルリアン……役に立つか微妙でしたけど、使い道としてはこんなもんですかね)


 そんな事を考えながら、室内から聞こえる雑音を聞き届けると、くるりと回るように体の向きを変える。

 その足取りは軽い。鼻歌交じりにスキップでもしだしそうな歩みのまま、少女は真っ直ぐ建物の出口へ向かっていく。











 その顔に、狂気の笑顔ぶきみなほほえみを浮かべながら。

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