壊滅都市 ~港街~ 後編


「………………? ──ッ!!??」

「ふふっ。博士、顔色が変わりましたね? この意味が理解出来たんですか?」

「システムをリセット……弱肉強食……全ての動物に対して等しく生と死がある世界…………。そうか、そういうことか!」


 ツチノコの顔色も変わる。後ろを見ればフェネックは無言で睨みつけており、アライグマは頭を抱えている。かくいうサーバルも半分程度しか理解出来ていない。


「もう少し分かりやすく説明しますね。今この世界は生と死が平等ではありません。誰かが得をし、誰かが損をする。全ての動物に与えられたはずの平等は、この世界には存在しないのです」

「かばんさんが聡明なのは知っているのだ……。でも、今は何を言っているのかさっぱりなのだ!」

「そうだよー。回りくどい言い方なんてしないでもっと簡単に、短く言いなよー。貴方は、何を、どうしたいのかなー?」


 かばんは短く笑うと、その笑みに別の感情が込もる。

 邪悪で、冷徹で、残酷な笑みを浮かべ、かばんは言われた通り、短く言い直した。


「僕が全て支配します。ヒトも、フレンズも、セルリアンも。いつ生まれ、どのように生きて、そして死ぬのか。生態系を固定し、衰退も繁栄もない、どの動物も絶滅しない世界を作ります」


 欲深く、傲慢で、不可能だと思えるようなその言葉。

 だが、彼女にはそれが出来る、出来てしまうと思わせるほどの説得力があった。

 ヒトが敵わないセルリアンを生み出し、それを好きに操ることが出来れば、確かにかばんを止める者はもう何処にもいないのだろう。


「何処か納得していない表情をしていますね。僕が何故ここまでヒトを嫌うのかが疑問なんですか?」


 かばんはヒトを尋常ではないほど嫌っている。話し合いの余地も与えず制圧し、激昂する者には容赦なく制裁を与え、今も聞こえる悲鳴にも愉悦を感じているようにも見える。

 それが疑問だった。

 ヒトは確かに嘘をついて、他者を欺くのだろう。だがそれはフレンズにも言えたことだ。事実、先日博士はサーバルへ嘘をついたし、サーバル自身も嘘をついたことがある。

 何故、同じ嘘をつく動物でもここまで嫌うのだろうか。


「まぁ、この際ですから説明しときましょうか」


 一旦、かばんは若干呆れるように、首を横に振る。


「ヒトも獣も同じ動物です。しかし決定的に違う部分があります。それが何か、分かりますか?」


 唐突な問い。

 ヒトと獣は同じ動物でありながら全く異なる性質を持っているとかばんは言う。


「それはね、欲望ですよ」


 変わった。声色が、表情が。

 声が低くなり、目つきは鋭く、口調も少し乱暴になる。


「獣は生きるために欲望があります。ですがヒトは、ヒトだけは欲望のために生きています。それは僕も同じですよ。だからこうやってヒトを追い詰めてるんです」


 自嘲しながら、ヒトのフレンズはヒトを語る。


 例えばの話をしよう。

 肉食動物は他者の肉を食らって生きる。だがそれはそうしなければ生きられないからだ。そうしなければ死んでしまうから、生きるために欲がある。

 食わなければ死んでしまうから、他の生き物を食べる。

 身体を休めなければ充分に動くことが出来ないから、眠って休息を取る。

 交尾をしなければ種を残せないから、発情期と呼ばれる時期が存在する。


 だがヒトは欲望のために生きている。そうしなければいけないからではなく、そうしたいから行動している。

 好きなだけ食べたいから、必要以上に他の生き物の命を貪る。

 出来ることなら努力なんてしたくないから、怠けて落ちぶれて堕落する。

 溜まった欲求を抑え切れないから、別のモノを用いて発散する。


 ヒトはそうやって生きてきた。

 ヒトはそうやって食い潰してきた。


 獣は生きるために欲望があるが、ヒトは欲望のために生きている。

 その違いは、似ているようで大きく異なるものだ。


「本当にどうしようもない動物ですよ。お金、権利、名誉、物欲……挙げていけばキリがない欲望を満たしたいから、資源を食いつぶし、他の動物を追いやって、狩って、もてあそぶんです」


 そして、残酷な笑みをもって締めくくった。


「今まで散々甚振って来たんです。それなら逆に甚振られても文句は言えないですよね?」


 かばんの心の奥に、黒い感情が見える。

 憎悪、嫌厭、軽蔑。

 ヒトに対し、並々ならぬ感情が湧き出ている。


 サーバルたちは、ここに来るまでのことを思い出していた。

 それはヒトのちほーへ行く間、博士に言われたこと。



『お前たちには先に教えておかなければいけないことがあるのです』


 それは、かばんが話したことと同じ、ヒトの優れている部分ではなく、賢くなってしまったがゆえに現れた弊害とも言えるモノ。


『この先、覚悟して進むのですよ。今から話すのは──』


 だから、心の何処かで納得してしまっていた。前もって説明されたことだから、そんなことないと否定できなかった。


『ヒトの……かばんの動物としての醜い部分なのです』



「だからあのヒトを食べたセルリアンには欲望や意思なんてものは再現させていません。歯向かわれたり欲望に従って行動するようになっては後処理が面倒ですから。せっかくの駒が少なくなるのも癪ですしね」


 その言葉を聞いて、博士はその不可解な点を思い出した。

 ヒトを嫌悪することはまだ納得のしようがある。

 システムをリセットするという思考に辿り着くのも、その点に比べればまだ不思議ではない。

 でもそれだけは分からない。それだけは思いつかない。

 だから、今本人がいるこの状況で問いかけた。


「もう一つ、聞いてもいいですか?」

「僕に答えられることでしたら」

「どうやって、セルリアンを従えているのですか……?」

「あぁ、そのことですか」


 その問いにかばんは面白くなさそうにしている。答えてくれるかどうか不安だったが、それは杞憂だったようで、かばんは説明を始めた。


「以前セルリアンには、その全てを統率する『女王』と呼ばれる個体がいたそうです。僕はその権能を使っているんですよ。ね? 聞いても面白い話じゃないでしょう?」


 どうやら話す内容が面白くないから態度が変わったらしい。

 博士は一歩、前に出る。


「面白くなくても知りたいのです。それとも……お前はそんなことも教えられないほど余裕が無いのですか?」

「……………………………………………………ふふふ」


 挑発。博士のその言葉に、かばんは右手を口元に持っていき、可愛らしいとも、上品とも言える笑いをこぼす。

 先程とは打って変わり、その顔は再び不気味な微笑みを浮かべている。


「いいですよ。お教えしましょう。まぁ、だからといってこの話はそこまで説明する事もないんですが」


 何がおかしいのか、時々短く笑いながらもかばんは続ける。


「『女王』の権能。具体的に言えばセルリアンを思い通りに動かすものですが、それに加え、セルリアンとの感覚の共有なども出来るようになります」


 かばんは一度後ろを振り返り、今も街を侵攻するセルリアンを笑いながら目視する。視線をサーバルたちへ戻し、その力の名前を言った。


「『女王権限』。僕はそう呼んでいます。条件は至ってシンプルで、対象がセルリアンであることだけ。それさえ満たしていれば、相手がどんな動物であっても僕には逆らえません。まぁ、その生物がセルリアンから離れれば離れるほど効力が薄くなる可能性はありますけどね」


『女王権限』。全てのセルリアンの頂点に立つ者だけが許される力。

 ニコニコしながら、かばんは反応を待っている。


「……どうやって、それを……」

「そこは教えられませんね。セルリアンについて説明できるのはここまでです」


 どうやら、これ以上情報を渡す気は無いらしい。

 かばんの演説は続く。


「まぁでも、これを教えても貴女たちにとってはそんなに得にはなりませんかね。ではもう一つだけ、いいモノを見せてあげます」


 その笑顔から凶悪さは消えていた。不気味さは残るものの、まだ大丈夫だと思える表情をしていた。


「いいモノ? それだったらセルリアンをみーんな倒してくれれば私たちは大喜びなんだけどね~?」

「嫌だなぁ。ライオンさん、分かってて言ってるでしょう? ここまでしてやめるわけないじゃないですか。そうじゃなくてですね。きっと、これは貴女たちにとっても良い判断材料になると思いますよ」


 言い終えて、右手を頭の上辺りまで持ち上げる。まるで、陸上競技のスタートを切る時のように、かばんは右腕を上げている。






「貴女たちが、どんな存在を相手に戦いを挑もうとしているのかということをね」






 そして、その腕を下ろした。


 最初は、何が起きたのか分からなかった。

 変化は三つ。目の前が明るくなって、暗くなって、かばんの後ろに立ち並んでいたビルが消えた。

 目を瞑っていたわけじゃない。見逃したわけでもない。ただ頭が拒絶しているのだ。


「他者を騙して、利用する。これが僕が得た人間ヒトの得意技だと先日言いましたが、これは人間ヒトであれば全員が使うモノであってフレンズの技ではありません。つまり僕のフレンズの技は別にあるんですよ」


 少しずつ、目の前の現象を受け入れていく。ゆっくりと、咀嚼するように。


「例えばサーバルさんは高く跳躍することが出来ます。これは元々サーバルキャットが持っていた身体能力で、サーバルさんの技は爪でした」


 ようやく受け入れた。目の前で何が起きたか、その正体は、全身の毛を逆立てるのに充分な理由だった。


「それなら僕にとっての技は何か? パークではセーバルさんの乱入があって見せられませんでしたが、今やっと見せることが出来ましたね」


 ヒグマは言っていた。かばんには回避せず、返り討ちにすることが出来る奥の手があると。

 博士は納得した。あの時動かなかったのは、ヒグマの攻撃を受けないと確信出来るほどの力を持っているからだと。


 であれば、それはいったい何か。


 白く小さな何かが、辺りにふわふわと漂い、落ちていった。先程の悲鳴はもう消えている。

 悲鳴だけでなく、


 その力は、ヒトが最も扱うモノだった。

 その力は、ほぼ全ての動物が苦手とするモノだった。

 時には助け、時には暴力になるその力。


 その名を、覇者は歌うように告げる。




「高層ビルすら塵灰に帰す火。それが僕に与えられた、フレンズの技なんですよ。まぁ、この火力を維持するのにも条件がありますし、やりすぎると疲れちゃうんですけどね」




 つまり、今まであった街の、少なくとも視界に映るビルの群れは腕をたった一振りするだけで塵と化したのだ。

 これがヒト。

 これが、セルリアンを統べる今のかばん。


 ヒトの他にも、火を使う動物はいる。

 例えばオーストラリアに住む猛禽類は、火を草むらに放ち、獲物が逃げたところを狩るといった姿が確認されている。他にも一部の猿が火を扱ったりもする。

 だがそれは、自分が生きるための術として使っているだけだ。進んで誰かを傷つけるようなことに使う動物はヒトだけだった。


 サーバルやライオンは爪だった。

 ヘラジカは角の機能を具現化したかのような槍だった。

 ヒグマは熊の手を模したハンマーだった。

 それらは全て、誰かを攻撃するためのモノだ。


 そうであるなら、火を最も攻撃として扱うヒトにとってのフレンズの技は、やはりその火になるだろう。


「分かったでしょう? 貴女たちは僕には勝てない。僅かな時間で準備を整え、僕を止めるためにここに来る。その努力は素晴らしいものです。でも戦力差はご覧の通り。こっちは僕に、セーバルさんを含めた全てのセルリアン。対してそっちはたった七人のフレンズ。僕の目的はあくまでシステムの固定化ですから、島で大人しくしていればこれ以上手は出しませんよ。パークで防衛に力を注げば、あの程度耐えきれるでしょう? 悪いことは言いません」


 笑って、あざけて、見下して。

 そして、言った。


「その賢い頭を使って、その強い意思で、きっぱりと諦めてください。それが、今貴女たちが出来る最適解です」


 確かに、かばんの言う通りかもしれない。

 戦力差は歴然だ。元々少数のフレンズであれば敵わなかった黒セルリアンが、さらに進化している。それに加え、戦闘力が未知数の黒サーバルや、本来火に対し強い耐性を持つコンクリートを塵にすることが出来るかばんもいるのだ。であれば、諦めてパークに戻り、戦いが終わるのをじっと待ってるほうが賢明だろう。











「嫌だよ」

「何ですって?」











 だが、そのけものはそう言い切った。誰に言われるでもなく、自分の言葉で。


「わたしは何を見たって、何を言われたって諦めない。ちょっと落ち込んじゃうかもしれないけど、それでも絶対に折れない。きみを止める。止めてみせる!!」


 英雄か、蛮勇か。

 聖者か、愚か者か。

 今の彼女はどれにも当てはまらない。自分がしたいことをしてるだけだから、きっとその姿は醜いのだろう。

 でも、折れない。


「そうだな。サーバルの言う通りだ!!」

「じゃなきゃ、苦労してここまで来ないもんねぇ~」

「そう、ですか……」


 サーバルに続き、ヘラジカとライオンが同調する。

 いつまでも希望を捨てない彼女たちにかばんは心底呆れて、うんざりして、一度視線を下に下ろした。

 少女は顔を上げる。まるで、周囲を飛び交う虫を見るような目。冷たい目とは違う、別の不気味さを孕んだ表情。


 そして、宣告する。


「であれば、ここで潰えなさい。その希望も、その決意も、全て跡形もなく粉々にしてあげます」


 そう言って、かばんはサーバルたちに背を向ける。いつの間にかかばんの傍に移動していた案内役の黒セルリアンは、その姿を翼を生やした個体に変えていく。

 垂れ下がる二本の触手。それを足場のように使い、セルリアンはかばんを乗せたまま浮遊し始めた。


「セーバルさん、後は頼みます。二度と立ち上がれないように、彼女たちに絶望を教えてあげてください。僕は先に向かっています。そちらが片付いたら、セーバルさんも計画通り行動してください。全ての準備が整ったら合流しましょう」

「分かった 気をつけてね」

「そちらこそ。さぁフレンズの皆さん、存分に絶望してください。では、ごきげんよう」


 ジャパリパークに去った時と同じように、丁寧に腰を折って一礼する。かばんはそのままどこかへ飛び去っていき、サーバルは視線を目の前のもう一人のサーバルに下ろした。


「まずいのだ! かばんさんに逃げられるのだ! 早く追わないと「アライさん、それはやめてほしいなー」 ……フェネック?」


 いつも余裕があるフェネックが、冷や汗を流していた。フェネックだけではない。博士も、ツチノコも、ライオンやヘラジカだって、その表情から余裕は消えていた。


「ど、どうしたのだ……?」

「……─────しないんだ」

「ふぇ?」

「相手は一人だけなのに、勝てる気がしない……ッ!!」


 別に、黒サーバルが何か武器を持っているわけではない。繰り返すが、黒サーバルの外見は色以外サーバルと同一なのだ。分かるのはヒグマの一撃を片手で止めるほどの実力があるということだけ。

 それだけのはずなのに、数で叩けば超えられそうなのに──。


「わたし サーバルらしくないから 戦うの あんまり好きじゃないんだけど」


 彼女は構えること無く、その爛々とした赤眼を向けている。

 その鋭い眼光に、その悠々とした振る舞いに、絶対的な強さの壁を感じた。


「かばんちゃんの頼みなら 仕方ないよね」


 純粋に、嬉しそうに、黒サーバルは笑っていた。

 そして。

 そして。

 そして……。






「狩りごっこだよね 負けないよ!」






 黒サーバルが、動く。

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