開戦前 前編



 10



 かばんはジャパリパークから沢山のセルリアンを引き連れて去っていった。

 遊園地に集まったフレンズは博士の指示により、今は図書館に移動している。

 移動の間、黒セルリアンの動向を気にしていたが、かばんの言う通りこちらを目にしても襲いかかることはなく、一歩たりとも動くことはなかった。

 真夜中に襲撃があったこともあり、セルリアンハンターを中心に交代で見張りながらフレンズたちは眠りについていた。


「…………かばんちゃん」


 図書館にはいくつかの梯子はしごが垂れ下がるようについている。そのうちの一つ、最も高く、最も太陽が眺める位置にサーバルはいた。

 夜行性であるにも関わらず、彼女は日がのぼっても眠りにつくことはなかった。

 否、眠れなかったのだ。

 その視線は太陽を見ることなどなく、手元にある帽子に下ろされている。

 痛み、穴が空き、ボロボロになった友だちの帽子。

 ずっと一緒にいると思っていた。

 ずっと笑い合いながら過ごすのだと思っていた。






『だって、もう僕たち友だちでもなんでもないでしょう?』






 あの言葉が耳にこびりついて離れない。

 傍にいた黒いサーバルは何者なのか。

 どうしてパークを危機に晒すのか。

 これからどうするべきか……。

 考えなくてはいけないことは山ほどあるのに、あの言葉がその邪魔をする。


「かばん、ちゃん…………」

「サーバル!!」

「み"ゃ!? み"ゃあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!??」


 突然の大声に驚いたサーバルは座った状態から垂直にジャンプし、そのまま下へ落ちていく。しばらくすると得意の跳躍を活用しながら元の位置に戻ってきた。


「酷いよ博士! 何も急に大声出すことないじゃない!」

「何度も呼んでいたですよ。お前が返事をしなかっただけなのです」

「そっか……ごめんね……」


 何度も呼んでくれたのに気付けないほど自分は沈んでいたのだろうか。そう思うと少し情けなくて、そして、わざわざ声をかけに来てくれた博士に申し訳ない気持ちになった。






「……まぁ嘘なのですが」

「やっぱり酷いよ!」






 前言撤回。やっぱり博士は博士だった。


「ただ用があるのは本当なのです。……サーバル、お前にはまだ立ち向かう力は残っているですか?」

「立ち向かう、力……?」


 博士の雰囲気が変わった。先程までのふざけた雰囲気とは一変、超大型セルリアンの時と同じように、その立ち振る舞いだけでおさなのだということが伝わってくる。


「今のかばんが何をするか、正直今の段階では見当がつかないのです。そのため、かばんを止める目的も込みで我々はメンバーを絞ってヒトのちほーに行くことにしたのですよ」

「ヒトの、ちほーに……」


 サーバルはその言葉に目をらしてしまった。博士が何を言いたいかは理解出来る。おそらく、博士はこう言いたいのだ。

 いつまでへこたれてる気だ。さっさといつものサーバルに戻れ──、と。

 だが今のサーバルに立ち上がる力はない。あの言葉がサーバルから勇気も、元気も、力も、全て奪い去っている。


「そうですか……。それでお前は満足なのですね」

「えっ……?」


 博士の声が、また一つ下がる。自分に向けられるその目をサーバルは覚えている。

 まだ記憶に新しい、恐ろしくも冷たい目。

 博士はサーバルを見下みくだしていた。


「かばんを止めようともせず、あれほど理不尽な仕打ちをされて泣き寝入りするほどお前は弱かったと言っているのです。ここまで一方的にやられて、お前は悔しくないのですか? かばんに何か、一矢いっしむくいるようなことをしようとは思わないのですか」


 その言葉に分かりにくいような回りくどい言い方は含まれていなかった。

 優しく励ますような意味なんて込められていなかった。

 まるでまされた刃物のように、真っ向からサーバルを否定した。

 だからそれは真っ直ぐサーバルを貫いて、そのまま何も言うこともなく、動くこともなくなってしまった。




 どれだけ時間が経っただろうか。博士はまだそこにいる。

 今までのことを思い返して、あの時の言葉を思い出して。

 たった一言だった。こぼれるように、その言葉が口から漏れた。






 ――――わたしだって悔しいよ。






 少しでも注意が逸れれば聞こえないほど小さなその言葉は、果たして博士に届いただろうか。

 博士の態度は変わらなかった。


「……私はお前と違って耳はあまり良くないのです。言いたいことがあるならはっきり言うのですよ」


 もう我慢出来ない。これだけ言われて我慢できるわけがない。今まで抑えてきたものを無視して、周りのことなど全部頭の外に追いやって、ただ感情のまま、まるでせきを切ったようにサーバルは全てを吐き出した。






「わたしだって悔しいよ! 何でかばんちゃんに友だちじゃないなんて言われなくちゃいけないのとか、隣にいるその子は誰なのとか、どうして一言でも相談してくれなかったのとか……言いたいことも、話したいこともいっぱいあるもん! わたしはただ……ずっとかばんちゃんと笑っていたかっただけなのに……ずっと一緒にいたかっただけなのに!!!! でもわたしには何も出来ない。小さくなくちゃセルリアンはひとりで倒せないし、教えてくれた文字も少ししか読めない。全部無かったことになって、こうなる前にやり直すことが出来てもまた失敗するに決まってるよ! だって、わたしはかばんちゃんみたいにかしこくないから……みんなと比べても全然弱くて……おっちょこちょいで……わたしだけで成功したことなんて全然無いんだから!! ここまで力の差を見せつけられて……どうやって立ち向かえっていうの……? きっとわたしはかばんちゃんに勝てないよ。勝つ方法を見つけても……きっと使えない……。もしかばんちゃんを止められても……きっと元通りにはならないから……。心の何処どこかであの時の言葉をかかえ続けて……前みたいにごしているように見えても、それはきっと違うわたしたちだから……。もう、あの毎日は、帰って、こない……から……。それを考えたら……それを、考え、たら…………」






 次に続く声は今にも消え入りそうで、まるで強風に晒されるロウソクの灯火のようにはかなげに揺らいでいて……。

 でも、だけど。

 やがて、彼女は言った。






「わたし、何をしたら良いか分からないよ……」






 サーバルのほおしずくつたう。

 それが本音だった。

 それがサーバルの素直な気持ちだった。

 セルリアンがどうだとか、ヒトがどういう動物なのかなんてどうでもいい。

 ただかばんの傍にいたい。ずっと友だちでいたい。

 そう思っていた。

 でも、それは叶わない。叶わないなら、このぽっかりと空いた穴が埋まらないのなら、世界がどうなってもサーバルには同じ、輝きを失った世界にしか映らないだろう。


「そう、ですか……。ではお前は、かばんを止める役目を誰かに取られてもいいのですね?」

「……、」

「友だちじゃないから……ただそれだけで諦められるのですね。お前ではない誰かがかばんを止めて、その言葉を聞くのがお前ではなくても、ただそうやって、そこで不確定な未来に怯えるだけで満足だと言うのですか」

「…………、」


 何も答えないサーバルに対し、博士は視線を外した。

 まるで、もうお前には用がないとでも言うように。


「では、ずっとそこにいるといいのです」


 気配が消える。博士が遠ざかるのを感じる。

 これでいい。これでもう、傷つくことなんてない。たとえかばんの最期に立ち会うことが出来なくても。そこに、別の真実が隠されているとしても。関わらなければこれ以上苦しむことはないのだから……。











 本当に…………?



 11



 図書館の中央、そこにはパークを代表するフレンズが集っていた。

 図書館のあるじであり、博士の右腕でもある助手。かばんとともに旅をしてきたフェネック。セルリアンハンターのリーダーであるヒグマ。そして、独自でヒトについて調べているツチノコ。

 降りてくる博士に、真っ先に助手が気が付いた。


「サーバルはどうでした?」

「あの様子だとダメなようです。……ヒグマも落ち着いたのですか?」

「あぁ……。少し寝たら頭が冷えたよ。私としたことがとんだ判断ミスだな……。激昂げっこうに駆られて襲いかかるなんて」


 先程脇目わきめも振らず突撃したのを反省しているのだろう。今もヒグマは浮かない顔をしている。


「こうなった以上こちらもウカウカなどしてられないのです。かばんを止めにいかせるフレンズを決めなければ――「ダメだよ」


 頭上から声がした。その場にいた全員が声のした方へ顔を向けるが、博士は背中を向けたまま動かない。


「……今更どうしたのです。怖いならずっとあそこで震えててもいいのですよ。かばんは我々でなんとかするのです」

「ダメだよ」


 強く、一度目よりも強く否定する。その声は止まらない。


「かばんちゃんはわたしが止める。まだかばんちゃんが言ってたこと、よく分からないけど……でも絶対追いつく。追いついて、追い越して……かばんちゃんを止めるんだから!」


 きっと、かばんが話していた内容の半分も理解出来ていないのだろう。知らないことのほうが多いはずだ。

 博士はようやく振り向いて、その姿を見る。

 そのフレンズはかばんが残した帽子を首にかけ、階段の上で仁王立におうだちしていた。

 体が震えている。まだ恐怖が残っているのだろう。

 でも、彼女はここに来た。それを乗り越えて、博士を追いかけてきた。

 だとするなら、それは何故なぜ


「何故、そう思ったのですか」

「決まってるよ──」


 その瞳に覚悟が宿る。その姿に以前の力が蘇っていく。

 そして、あの時のかばんと同じように、サーバルははっきりと宣言した。






「だって、わたしとかばんちゃんはトモダチだもん!!」






 あの時の沈んだ面影おもかげは既にない。元気と明るさに戻った彼女を見て、博士は薄く笑うのだった。


「……やっと戻ったのですか。まったく、長も楽ではないのです。早く降りて来るのです。皆待っているですよ」


 役者は揃った。かばんを止めるため、パークの平和を守るため、そして世界の危機を救うための作戦会議が始まる。



 12



「取り敢えず解決しなければならないことを挙げるのです」


 机を囲むようにフレンズたちが椅子に座る。博士に合わせ、助手が事柄を述べていく。


「一口にかばんを止めると言ってもまずヒトのちほーに行くのが前提になるのです。何にせよ、まず我々もヘリのような空を飛ぶバスを用意する必要があるのですよ」

「船じゃダメなの? あれでも海は越えられるよ?」

「確かに越えられるがそれだと遅すぎる。一々陸に上がって、また海に出てじゃいくら時間があった所で足りん。電池も多く食うしな」

「そっか……」


 ツチノコが言うことももっともだ。ゴコクエリア以降電池を充電するための時間や陸を横断する時間も含めると確かに時間がかかる。もっと効率的で、早く移動するためにはかばんが用意したヘリのように空を飛ぶ必要があった。


「フレンズが乗り込んだ物を大勢の鳥のフレンズが運ぶ……いや、流石さすがに疲労のことも考えると無理だな……」

「あのヘリ? っていうのがあればいいんだけどねー」

「パークの中でヘリが見つかったという報告は無いのです」


 うんうんとうなっていると、博士が手を叩いて中断させる。


「まぁ空を飛ぶバスについては我々がなんとか用意するです。まずはヒトのちほーへ行くフレンズを決めるのです」

「わたしは絶対行くよ。ダメって言っても行くからね!」

「そのくらい分かっているのです。ただお前だけだと少し心配なので他にも同行するフレンズがいたほうが安心なのですよ」


 酷いよーとしょぼくれているサーバルを横目に、博士はまずヒグマの方向を向いた。


「ヒグマ。我々はお前の戦闘力と判断力、統率力を高く買っているのです。ヒトのちほーに行く気はないですか?」

「…………悪いが私はパスだ」

「何でか聞いていいかなー?」

「確かに他のフレンズに比べれば戦い慣れてるし、指示に関してもある程度自信がある。だがさっきみたいに心を揺さぶられるようなことを言われたら今度こそ返り討ちに遭う可能性がある。そうなると私は適任じゃない」


 そう、あの時かばんはけようとしなかった。黒サーバルの乱入を予期していたとも考えられるが、注意深いかばんがそれに頼るとは思えない。

 つまり、まだ見せてない奥の手がある。それをヒグマは懸念けねんしているのだ。


「かばんが奥の手を隠している。確かにそれはありえるのです」

「でもそれだけじゃないんじゃないかなー」


 フェネックがヒグマにそう言った。

 フェネックは穏やかな雰囲気に対し、洞察力が非常に優れている。

 指摘されたヒグマは少ししどろもどろになりながら白状した。


「まぁ……パークを守りたいっていうのもあるよ。かばんのことも気になるけど、やっぱりここが好きだからさ」

「別に無理強むりじいはしないのです。ヒグマがそうしたいならそうするといいですよ」

「あぁ、ありがとう。博士」



 13



 ヒトのちほーに行くフレンズを選出するのは難航した。確定しているサーバルを除き、まずヒトのちほーまでの道のりを覚えてるフェネックが選ばれ、フェネックの希望によりアライグマも同行することになった。やがて起きてきたフレンズも交え、強大なセルリアンが相手になることも予想し、それに対抗するためにヘラジカとライオンが選出された。


「ツチノコ、お前にも向かってほしいのです」

「な、何でオレが……」

「我々以外にフレンズの中でヒトをよく知る者はお前くらいなのです。それに、お前のその頭脳と能力は向こうで大きく役に立つと睨んでいるのですよ」


 その頼みに、ツチノコは少しの時間悩んでいた。そして決心がついたように頷くと、ツチノコの同行が決まった。


「さて、ではヒトのちほーに行くフレンズは今日はゆっくり休むといいのです。どうせ明日から忙しくなるから今のうちに休んでおくのですよ。それ以外の諸々もろもろは我々に任せるのです」


 博士はそう言うとジャパリまんの配布と寝床ねどこの説明をして解散になった。

 それから、ジャパリパーク中で大掛かりな準備が始まった。


 博士と助手を中心に、アメリカビーバーやプレーリードッグの協力も借りながら空を飛ぶバスと、それ以外に用意する物の設計図をえがいていく。


 PPPは前回の功績からジャパリまんの回収に向かった。ラッキービーストを怖がるメンバーもいたが、どうやらジャパリパーク全域でほとんどのラッキービーストが活動を停止しているらしい。かばんが何か関与しているだろうという推測が建てられたが、フレンズのサンドスター切れを狙っているのか、行動しやすいように開放しているのかは判断がつかなかった。


 泳げないフレンズを避難させるためにジャガーの渡し船や、鳥のフレンズが活躍した。


 避難場所はアリツカゲラが運営するロッジと、高山のカフェ、ギンギツネ、キタキツネが住んでいる温泉旅館の三箇所に別れ、地中に中継地点を設けながら移動を開始する。




 そんな中、ツチノコはあるフレンズに気が付いた。




「珍しいなスナネコ。いつものオマエならすぐ飽きて別のことをしていると思ったんだが」


 スナネコは今も目の前で黙々と穴を掘っていた。どうやら堀を作っているらしい。返事は返ってきたが、その手は休むことを知らない。


「飽きてますよ。いつもなら歌を歌ったりとかしたりすると思います」

「まぁ、だろうな」

「でも、ぼくは諦めてないんですよ」

「……?」


 既に数メートルある堀を横に伸ばしながら、まるで機械のように掘り続ける。


「あの時ぼくは何も出来ませんでした。多分、ぼくがヒトのちほーに行っても何も出来ません。誰かを守ることなんて出来ませんし、飽きない時間をくれたサーバルに何か手助けすることも出来ないと思います」


 スナネコはどこか思いつめてるように見えた。心の整理がつかず、いや、それにすら飽きて代わりに穴掘りを続けているのかもしれない。


「ぼく、サーバルの本音を聞いて思ったんです。このまま何もしないのは嫌だって」

「それは、そうだが……」


 サーバルの本心はあの場にいた全てのフレンズに聞こえていた。あれだけ大きい声で叫んだのだ。聞こえなかったフレンズなどほとんどいないだろう。ツチノコもあの言葉に何も感じなかったわけではない。だからこそ、スナネコの心が動いたことに驚くことはなかった。


「何もしないのは嫌だから、せめて他のフレンズを守ることに専念するつもりです。。それが、戦う力を持たないぼくに出来ることだから。だからね、ツチノコ」


 動かしていた手を止め、スナネコは堀を登ってツチノコのいる場所に並ぶ。真剣な眼差しでツチノコを見据える。そして、旅立つ友の背中を押した。


「かばんを止めて、誰も欠けないで帰ってきてください。そうじゃないと許しませんよ」


 その言葉を受け止めて、背負っているものの重みを知って、改めて自分の役割の重大さを再確認する。

 安心させるのに、余計な言葉など不要だろう。

 残していく者に、多くを語るのは無粋ぶすいだろう。

 だから、告げるのはたった一言だけだった。




「あぁ、勿論もちろんだ」

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