斜陽の章 第3話 関白

統家

「大友に代わってやってきた龍造寺家、島津家にあんたは満足できなかったが謀反は起こさなかったのに。結局、あんたは何が不満で佐々殿に対し武器をとったのかね。」

親永

「そうさなあ、あの時は頭に血が上っていたからあまりよく覚えていないのだが、やはり我らの誇りに触れられた事かしら。菊池家を乗っ取った大友家が去った、龍造寺家も去った、島津家も去った。来たのは上方の関白だが、代官として遠い他国の者が来た。越中ってどのへんにあるの、と聞かれて澱みなく答えられるか。儂の頭の地図には無いぜ。そしてこの男は陰気な男だった。家臣たちまで陰気だった。さらに聞けば、関白に敗れて、一郡のみの領主だったという。そんな格下野郎に統治されねばならないほど、我らは落ちぶれたのか。あんたの赤星家はそうだろうよ。だが、隈部家は名門菊池家が消え去っても山鹿郡を維持してきた誇り高い家柄だ。高名な先祖も出している。佐々成政だと?武勇聞こえたとしても、そんなやつの事、儂は知らん。そうとも、こやつが上から命じてくる事、それが我慢ならなかったのだ。しかも、我らの土地に来て顔を突き合わせるでもなし、かつての菊池義武のように隈本城から命令を下しやがる。肥後の心臓は菊池・山鹿だぞ。馬鹿にされてたまるか。思い出すだけで、が、我慢ならん。」

統家

「その気持ち、わからんでもない。」

親永

「それに比べて、大友家、龍造寺家、島津家は源頼朝公以来九州の要の家柄だ。特に大友家は文句なしの名門で、義鑑公、宗麟殿と我らの勝手気侭を見逃してくれたものだ。」

統家

「鹿子木寂心殿、甲斐宗運殿といった調整の名人たちがよく大友家に尽していたこともある。そう言えば関白は調整役を置かなかったな。関白の指示に従っていればよいのであるから、そもそも調整など不要なのだろうな。」

親永

「佐々殿、つまり関白の政は稚拙としか言いようがない。ああ、ついにはっきり言葉にできるぞ。儂は尊重されなかったし、尊重される気配もないから激怒したのだ。儂への敬意の不足は愚かな誤りだったのだ。怒りは生きる根源だ。今、怒りを取り戻した儂はあの時のように力に満ち溢れてるぞ。なあ、どうだろう。あんた儂をここから救い出せないか。肥後の国衆は多くがついに屍をさらす結果となったが、上方の軍も損害は大きいのだ。聞けばまだ相模小田原は関白に服していないという。西と東で事が起きれば、関白とて無事ではすむまい。島津勢はまだ健在だ。あんたが儂をここから出してくれれば、まだいくらでもやりようがあるではないか。」

統家

「何を言っている。もう全て終わったのだ。肥後だけでない、九州は新しい世を迎えようとしている。関白殿下の手によって。」

親永

「ここにきていきなりの他人行儀とは恐れ入る。素晴らしい変節の能力だ。良いか赤星殿よ、聞け、聞くのだ。かつて菊池家の当主は危機にあるごと、海を渡り島原へ逃げたものだ。上方から遠い肥前の僻地をなす無数の岸が匿ってくれる。肥前で捲土重来を胸に、今一度立ち上がるのだ。」

統家

「やめろ、口を閉じろ。」

親永

「なんのためか。我らの旧領を取り戻すためだ。旨く行けば、菊池郡は全て赤星家に委ねよう。昨年の戦いで甲斐親英が務めた役割を、我らで行うのだ。今度は綿密な計画を立て、衝動を排し、団結して戦うのだ。筑後には城殿もいるのだろう。菊池家の三家老と言われた我らが結束すれば、往時の勢いを取り戻せる。」

統家

「よせ、黙れといっている。俺は一切の聞く耳をもたないぜ。」

親永

「関白は九州を平定したと言ったが必ずまた騒動が起こる。関白とて成り上がり者。次の成り上がり者が出ないとは限らないではないか。いや、必ず出てくる。関白などとふんぞり返っているが、権威だけでは人は従わない。特に我ら武士はそうだ。無から現れた関白が武士を気取っているという事は、その他の無に所縁深い連中も我こそはとそうなる。だから考えてみろ。でなければ永久に栄達が消え去ってしまうのだぞ。」

統家

「もういいだろう。」

親永

「…どうしても話を聞かないというのか。ふん、臆病者め、ではこの怒り、貴様に向けてくれよう。やはり貴様は事業を為し得る器ではない。戦に参加した肥後のどの連中よりも劣る。だからこそ、貴様は諸国を彷徨しているのだからな。ほら、とっとと立花殿に会いに行くがよい。そしてせいぜい弁明と追従に励むことだ。」

統家

「ではこれでお別れだな。」

親永

「貴様に同情をするぞ。ここで死ぬ儂と、生きながら帰る場所を喪失した貴様と、苦しみが長く続くのは貴様の方だ。生き地獄を味わうが良い。これが我ら肥後の衆に与えられた天の報いだ。儂は幸福だぞ。場所は違えど、息子どもや家臣らと共に死ねるのだ。佐々という避けようもなくやってきた運命を道連れに!貴様はせいぜい長生きをすることだ!」

統家

「これは運命だ。この期に及んでは受け入れねばならない。そうでなければ先に進めない。貴様の言う通り死んだ身の俺が現世でさ迷うのも、子孫に安定した土地と財産を伝えてやれない無念ゆえだ。帰れるものなら隈府へ帰りたい。圧倒的な緑と山に後支えられたあの山城は俺の故郷だ。城の正面には水田が美しく広がり俺の心を豊かにしてくれた。城の近くには涼しく静謐な泉が湧き、通る者を慰めてくれる。そこを抜けると目前では市が開かれ、そこにはなんでもあるかのよう。豊かな喧騒、賑わい。あの黒笠の南蛮人も見た。高瀬、川尻に行くまでもなく、贅を尽した装いを見ることができる。近くを流れる菊池川の対岸は赤星の地だ。それは我ら赤星一族揺籃の地。菊池氏の一員として数々の輝かしい栄光を共にしてきた我らの世界が永久にそこにある。それは菊池そのものだ。部外者は誰も触れる事の出来ない、極楽に勝る浄土。俺たちの日々が不変の物だと純粋に思えていたあの頃を。あの頃が懐かしい。ああ、なんという事だろう。そうとも、もはや全て他者により失われて…」

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