人事の章 第4話 大殿

鑑速

「話を戻しましょう。大殿が前線へ拠点を移す、例えば立花山城や岩屋城へ移動なされば、筑後筑前の衆は豊後のやり方に従わざるを得なくなるでしょう。領国はさらに安定を増すというわけです。」

惟教

「今、大友家は緩やかに西国北部を纏めているが、それに対する密かな反発もあるやもしれません。また、本国豊後の諸侯がご動座に反対する事もあるのでは。」

鑑速

「反発を潰すのはそれこそ戸次殿の御役目。本国に対しては、御曹司が豊後に残ればまず問題はありますまい。そして御曹司家督相続の後は、大殿は豊後で容易に隠居生活が楽しめるでしょう。まあ、ここまで考えるのは早計ですが、吉岡殿も私も、大殿にはなるべく早く臼杵から出て筑後・筑前・豊前を見知っていただかなくてはならないと考えております。その必要を促すために、惟教殿の文書は必須になるという事です。」

惟教

「しかし、あの大殿が容易に重い腰を上げるでしょうか。」

鑑速

「先ほども申したように、大殿には戦場での栄誉が欠けています。それを得る機会があれば必ずご動座なさるでしょう。」

惟教

「それを大殿が望んでいればそうでしょうが、私は確信をもって申し上げるのですが、大殿は戦場での名誉に関して無関心な方です。いえ、否定なさらず聞いてください。もしもこの種の名誉に貪欲な方であれば、すでに筑前へご出陣のはずです。豊後がすでに安定しているのであれば、吉岡殿やそれこそ鑑速殿に府内をお任せになり、戸次殿と戦場を縦横に駆け巡ってもよさそうですが、全くその気配すらなく、絶海の岬に城をお建てになりそこで日々をお過ごしだ。誰もが羨む甘い生活の中、ひたすら我が世の春を楽しんでおられるのではないか。また、あの南蛮人の坊主をこよなくお引き立てだ。あの連中がいくら鉄砲火薬を持ち込んでくるからといって、大友家中の良心はあの連中に不信を抱いているはずでしょう。だがその懸念すらも一顧だにされない。私の思うに大殿は既存の現実を大いに軽蔑なさっており、それらを侮蔑する事で溜飲を下げておられるのではないか。恐らくそれが最大の楽しみなのですよ。」

鑑速

「しかし、京の公方様へのご支援は続けられております。他者に良く思われたい、という気持ちがなければできぬことではありませんか。それに、南蛮人たちは京の織田信長や公方様からも認められた者たちです。奇を衒っているだけではありますまい。」

惟教

「この伊予でも湯築城下に南蛮人の教えを拝む者たちがいると、仏僧たちが不機嫌に話しているのを聞いたことがあります。心の広さをお示しになるのも良いですが、それに不満を持つ者たちの存在を、念頭に置いておくべきでしょう。これは南蛮人の事だけでなく、戦場に駆り出されるだけで放られている武士らにも当然言える事です。」

鑑速

「大殿のご動座については、これまでその必要がなかったというのもあります。戦いの度に、国主が右往左往するのも見栄の良いものではありません。家臣に然るべき人材がいれば、前線に出張るのも無用な事でしょう。これまではそれで万事よろしかったが、今敵対している毛利は大敵です。大殿ならきっとこの必要に応じて、正しいご判断をなさるでしょう。」

惟教

「そうあるのならば望むべくもありません。」

鑑速

「最後に申し上げれば、立花殿、高橋殿の裏切りにより、宗家と家臣が対立している、と内外から疑われてしまう事で、大友家中の揺らぎが大きくなり破滅に繋がる恐れも一方ではありえます。武者としての信望高い貴殿の復帰は、この疑惑を払うための格好の材料となるというわけです。」

惟教

「なるほど。やはり、吉岡殿やあなた様は怜悧な方だ。大殿が臼杵にこもっている上は大友の顔はあなた様方ということになりますが、あまりに理に適っていて反論を許さないその姿勢は、筑後や筑前だけでなく、所領経営や相続問題で果てしない矛盾を抱える多くの人々の反感を買うでしょう。よろしい、もはや何も申しますまい。私のような者の判が加わることで大友領の安定に一役買えるのであれば、吉岡殿やあなた様の意に従いましょう。」

鑑速

「大殿への書状について、取次に適した人選の心当たりがあります。そちらがこの事業を共に進める意思があるか、これを確認した上で、改めて段取りを詰める事にしましょう。そして必ず、佐伯家中が信頼を置ける人物を選びだします。惟教殿、ご高配感謝します。毛利との戦が芳しからざるこの時に、大殿へ良い報告ができるという事は誠に喜ばしい限りです。」

惟教

「そこまで高く買っていただけるとは願ってもない事。以後は命がけで励みます。」

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