争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない

「さて渡部さん。お話の続きです」

「はい」

「薫の話によると、あなたは家事全般が得意とのことですが」

「はい」


 まぁ、そういう話は事前に設楽は通しているだろうなぁ。親子の会話でなくとも、『私の恋人はこんな人ですよ』て話題になるだろうし。


「薫は、家事がまったくの不得手です」

「存じております。そらぁもう痛いほど」

「そんな薫に専業主婦を期待することは、本人もかわいそうだと思うのですが」

「そのとおりです。家事全般は俺が担います」

「ほう」

「その代わり、彼女は仕事に打ち込んでもらいます。ヒラの俺が会社勤めを続けるより、その方がお互いが輝けます」

「……ということは、つまりあなたは、うちの薫に養ってもらおうと考えているのですか?」


 ……あれ。なんか設楽母の仏頂面がどんどん険しくなってきたぞ? こういう話は出てこなかったのかな?


 とはいえ、結婚するんだからキチンと今後の計画は話しておくべきだろう。設楽母の眉間のシワの深さがマリアナ海溝レベルまで深くなってきているのが気になるが、勇気を振り絞って、俺と設楽の人生プランを話さねば。


「当面の間は俺も会社で働きますが、子供が出来て子育てが忙しくなった頃には、専業主夫も選択肢に入れています」

「ほう」

「もちろん、彼女が妊娠と出産で会社に出られない間は俺が家計を支えますし、俺と彼女が勤める会社は小さいですが、育児休暇の実績もあります」

「なるほど」

「むしろ彼女の場合は、会社にとっては絶対に手放したくない人材だ。育児休暇を認めるでしょう……から……?」

「……」


 あれー? 設楽母の眉間のシワの深さが、加速度的に深くなっているぞ? なんだなんだ? 俺たちの人生プランはそんなにマズいのか?


「大丈夫だよ渡部くん」


 俺の不安を察したのか、設楽と同じくのんびりと茶をすすっていたお父さんが口走る。大丈夫とはどういうことか。眼の前の設楽母は、今にも懐からルガーかなにかを取り出して、俺を射殺しかねないほどに俺を睨みつけているというのに……


「彼女はね、キミに感心しているんだ」

「へ?」

「妻はね。表情が無愛想なんだよ。薫と一緒で、四六時中、仏頂面なんだ」


 いやそれはわかる……わかるんだが……俺はまだ、設楽母の仏頂面から感情の機微を読むのは無理なんだ……ッ!! だからかどうかは知らないが、迫力でいえば、設楽本人よりも設楽母の方が、何倍も上に感じるんだッ!!


 だが、感心しているということを教えてくれたのはありがたい。その一言がなければ、俺は設楽母からの強烈な向かい風のごときプレッシャーに、潰されていたやもしれぬ……。


「ここまで読めるのは私ぐらいなのだが……彼女のこの仏頂面は、キミの話に関心している証拠だよ」

「……ぽっ」

「はっはっはっ」


 お父さんからそんなことを指摘され、設楽母のほっぺたが赤くなる。それを受けて高笑いするお父さん。このやりとりは、なんだか熟年夫婦の貫禄を感じた。


「……なぁ設楽」

「ずず……はい?」


 俺は、隣で佇む俺の婚約者、愛しい愛しい将来の奥様に呼びかける。設楽は俺のピンチなぞどこ吹く風で、お茶ときんつばを堪能していたようだ。将来の旦那が困っていたのになぜ助け舟を出さないのか。


「お前さ。もう少し助け舟を出してもいいんじゃない?」

「なぜですか? なにか困っていたのですか?」

「いやぁ、だって俺、お母さんの不快指数160%の迫力に押されてたろ」

「そうですか? お母さん、『感心してる』ってわかりやすい表情じゃないですか」

「……」


 俺はこの時、帰りの新幹線の中で、設楽に視力矯正の必要性を訴えようと、改めて固く心に誓った。


「今度は私が質問してもいいかい?」


 俺が将来の奥様にどんなメガネが似合うのかを妄想していたら……言い合いが落ち着いたお父さんが今度は質問をしてくる。カラカラの口の中をお茶で潤し、俺はお父さんの質問に備えた。


「はい。なんでしょうか」

「趣味は料理らしいね」

「趣味というわけではないですが……家事の中では得意な方です」

「私もね。料理が割と得意なんだよ」

「やっぱり……お父さん、俺と気が合いそうですよねー」

「はっはっはっ」


 お父さんの、オーソドックスかつ無邪気な質問に、俺の心が洗われていく……もう、仏頂面親子はほっといて、お父さんと話したいな俺……ああ……俺の心の安らぎのお父さん……俺はもう、あなたと結婚したいです……


 そんなわけで、お父さんに投げる俺の言葉も、自然とリラックスして弾んだものになってくるわけなのだが……


「ちなみにお父さんは、お菓子作りも得意なんですか?」

「得意だね。きんつばはどうだい? 美味しいだろう?」

「美味しいです!」

「和菓子が得意でね。特にあんこには自信があるんだ」

「そうなんですか! 俺はどっちかというと洋菓子の方が得意でして……」


 俺が『洋菓子が得意』と口走ったその瞬間……


「……う?」

「……」


 部屋の温度が、さらに2度下がった気がした。


「……あれ?」

「……」


 なんだ……さっきまでちょうどよい室温だったはずなのに……なんだか急に寒くなってきたぞ……突然の室温の変化に戸惑いながら、俺はお父さんを見た。


「……渡部くん」


 お父さんの目が鋭い……いや鋭いだけではない。ギラリと輝く眼光が冷たく、そして俺の胸に突き刺さってくる。


「おとう……さん?」

「……」


 ……今、俺は気付いた。この室温の低下の原因は、お父さん。お父さんの全身から発せられているのは、『こんな若造には負けられぬ』という、長い人生を歩んだものだけが見せる闘志……これは……


「……私の妻はね。洋菓子が好きなんだ」

「は、はぁ……」


 唐突な告白。お父さんの口から笑顔が消えている。俺の身体がお父さんの闘志に飲まれ、徐々に震えだしてきた。


「あら。渡部さんは洋菓子が得意なのですか」


 設楽母が口を開いた。まったく意識を向けてなかった方向からの声に、俺の神経は過敏に反応してしまい、いつもの倍近いスピードで首をひねり、設楽母を振り返った。


「……」

「私、チーズケーキ好きなんですよ。……ぽっ」

「……!?」


 まさか……自分の妻の好きなものが得意だと聞いて、お父さんは俺に闘志を燃やしているというのか……!? いや確かに和菓子よりは洋菓子の方が得意だが……でも自分の妻が好きなものが得意だからって、そんなヤキモチみたいなことを、こんなナイスミドルなお父さんが……


 そんなふうに、俺が、お父さんの突然の豹変に困惑していたら、である。俺の隣できんつばを頬張っている設楽が、いつものように口の中をきんつばでいっぱいにしたまま、口を開いた。


「もっきゅもっきゅ……おふぉうふぁん」

「ん? 薫、どうした?」

「ぐぎょっ……久々にお父さんのきんつばを食べましたけど、やはり絶品ですね」


 ……なんだと?


「そうか。ありがとう。ニヤリ」

「!!?」


 白状する。設楽がお父さんのきんつばを『絶品』と評したその瞬間、俺はイラッとした。


「……設楽。お前、和菓子が好きなのか?」

「確かに先輩のケーキも絶品ですが、私は和菓子も好きですよ?」

「!?」


 なんだ。この、俺の心に湧き上がる、如何ともし難いいらだちは……


 娘が、父が作った料理を褒める……そんなの、当たり前のことじゃないか。ましてやここは設楽家。設楽はお父さんの料理で育った。そんな慣れ親しんだ味なら、設楽にとって美味くないわけないじゃないか。


 ……だけどな。それはわかってるんだけどな。


「……あれ? 薫?」

「はい? お父さん?」

「なんか急に、寒くなってきたかな?」

「? 私は別に寒くありませんが」

「私も別に寒くないですよ主任?」

「……」


 お父さんが突然、室温の低下を訴え始めた。設楽と設楽母は何も感じていないようだが……同じフィールドに立つお父さんだけが感じているこの寒気の正体……それは恐らく……


「……お父さん」

「!? まさか……!?」

「……俺はね」

「こ、この殺気は……キミなのか……!?」

「ふふっ……洋菓子がね……得意なんですよ。……ニヤリ」

「!?」


 それは恐らく、俺の身体から発せられた殺気。


 どれだけうまいきんつばを作ってくれてもかまわん。あんこに自信を持つのも結構だ。事実、あなたのあんこは絶品だ。生まれてから今日この日まで食べてきたどんなあんこよりも、あなたのあんこは美味しかった。


 ……だが、俺が惚れた設楽の舌をかけての勝負なら、俺は負ける訳にはいかない。


 洋菓子も好きだが和菓子も好きだ? 言ってくれるなぁ設楽よ。


 結構だ。ならば俺は、お父さんを超えるきんつばを生み出し、そして『先輩のきんつばのほうが美味しいです』と言わせてやろうじゃないか。


「……お父さん」

「クッ……」


 覚悟するがいいお父さん。あなたは今、眠れる獅子を起こしてしまったのだ。こと設楽の舌に関してだけは、負けるわけはいかない。次にお会いする時、あなたは自作あんこへの自信を失うことになるだろう。この俺が丹精込めて作った、設楽の舌を虜にしてしまうほどのうまさのあんこによって……!!


「……今度、俺がきんつばを作って持ってきますよ」

「……ならそのときは、私はチョコブラウニーを作って待っているとしようか」

「負けませんよ……お父さん……将来の設楽の夫としてッ!!」

「私もね。負けるわけにはいかないんだよ。……父として、夫としてッ!!!」


 互いに一歩も引かず、牽制する俺たち。……そうか。これは運命。今日この日、お父さんという宿敵に出会い、そして勝つために、俺は料理の腕を磨いてきたのだ。きっとそうだ。そうなのだ……!!


「それはそうと、きんつばホントにおいし……もぐもぐ」

「はっはっはっ」


 ……でも、このきんつばはホントに美味しい……。今は……今だけは、素直に負けを認める。 

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