天才というものは、意外といる

 設楽薫(しだらかおる)。2月15日生まれ。年齢は俺より三歳年下の24歳。文系の大学を出たらしいが、細かい事は聞いてないからよく分からない。生まれは兵庫だそうだが、小さい頃に関東に引っ越したそうで、その頃の記憶はあまりない。食べ物の好き嫌い無し。


 文章を書くのが得意で、師事していた教授から『本を書いてみたらどうだ?』と言われたこともあるそうだが……本人にそんな気はまったくなく、普通に就職の道を選んだとのこと。


 大学卒業後は拾ってくれる企業もなく、ブラブラと適当に過ごしつつ就活していたそうだが、今回、晴れてうちの会社での採用が決定した。本来なら経験者以外お断りのはずだったうちで採用になったのは、経験以上の設楽のポテンシャルに、採用担当が何か光るものを感じた……とのことだ。



 そんな設楽が入社して、2週間ほどが経過した。基本的な業務知識も伝え終わり、実際の業務にそろそろ移ってもらおうか……この設楽に何をやってもらおうか……そんなことを考えながら、同僚から頼まれた資料作成をパワポで行っていたときのことだ。


「先輩」

「んー?」

「それは何をやっているんですか」


 資料を作成している俺の隣では、新入社員というみんなの中でも一番身分が低いペーペーでありながら、その仏頂面で威圧感と大物感だけは一人前の設楽が、今日も変わらない仏頂面で、俺のパワポ作成を眺めていた。


 画面をジッと見つめるこいつの眼差しは、それだけで人を殺しそうなほど険しい。


「これか? 設楽はパワポを知らないのか」

「パソコンとは縁遠い生活を送っていたもので。パワポとは?」


 最近の大学生は、卒論を書くのにスマホを使うって言うし、こいつもそんなクチなのかねぇ……。


「オフィススイートの一つで、プレゼンの時の映像を作ったり、こうやって資料を作成したりする時に使うソフトだ」

「ほう」

「仕事をする上でエクセルと同じぐらい必須なソフトだ。使い方を覚えておいて損はない」


 そう言って先輩風を吹かせながら、俺は資料作成の作業に戻ったのだが……


「……」

「これを……こうして……」

「……」

「ここから……あ、これが……よいしょ……」


 俺の隣で、設楽がじーっと画面を凝視しているから、やりづらくて仕方ない。自分の作業を他人にジッと見つめられながらやるってのは、なんだか監視されてるようで気持ち悪い……。


「……なんだよ」

「気にせず続けて下さい」

「そんな風に仏頂面で見られてたら落ち着いて出来んだろ」

「先輩、それセクハラですよ」

「どこがセクハラやねん。誰がいつお前に性的嫌がらせを働いた?」

「……不適切でした。すみません」

「わかればよろしい」


 口だけは謝罪の言葉を吐くが、その後も設楽はパワポの画面をひたすらじーっと見つめ続けている。その眼差しに、謝罪の意識はまったく感じられない。


 ……そういや、そろそろ実践的なことを教えるべきだし、こいつにちょっとパワポの資料作成を手伝ってみてもらおうか。パワポなら、社内パワポ職人の称号を得ている俺なら、少しはマシなことを教えられるし。


「なぁ設楽」

「はい」

「これ、ちょっとやってみるか?」


 設楽が、非常に素早く俺の方を向いた。いつもの振り返るスピードの三倍ぐらいの速さだ。おかげでこいつのポニーテールが、『ファサッ』と結構な音を立てていた。顔は相変わらず仏頂面だが。


「よろしいのですか」

「よろしいも何も、そろそろ実践的なことも教えないとと思ってさ」

「ぜひ、ご教授お願い致します」


 そういう設楽の仏頂面に俺は違和感を覚えたのだが……特に鼻のあたり……なんだか少し大きさが変わった気が……まあ気のせいだろう。よしんば違和感があったとしても、こいつの仏頂面は変わらん。



 こうして、俺と設楽のパワポ教室がスタートした。……といっても、操作方法は自分で覚えてもらう方法を取った。


「とりあえず、お前に2時間ほど時間をやるから、パワポを好きにいじり倒してみろ」

「承知しました」

「分からないことは教えるが、まずはパワポの画面のどこにどんな機能があるのかを体で覚えるところから始めるぞ」

「承知しました」


 こうして2時間ほど、設楽に俺のパワポをいじらせる。その間俺は、溜まっている資料の下書きを整理し、必要な画像やデータをネット上で探す作業に勤しんだ。


「先輩先輩」

「んー?」

「文章を入れたい時はこのテキストボックスを使えばいいですか」

「んー」


 そうしてその2時間のうちに、設楽はどんどんとパワポの機能を把握していった。そろそろ次の工程に移ろうかと思い、俺が設楽の画面を覗いた時、こいつは『簡単! 誰でも美味しく作れる佛跳牆(ファッテューチョン)の作り方』というよく分からないオリジナル資料を作り上げて、一人でスライドショーを上映していた。


「……」

「……」

「……何か?」


 仏頂面で俺に冷たい視線を浴びせてくる設楽の向こう側のモニターでは、バイクに乗った僧侶の手書きのイラストが『ていーん』とどこかで聞いたことのある効果音とともに、ジャンプして塀を飛び越えていた。その様は、キノコの王国の姫君のために亀の大魔王と戦う、配管工の兄弟のゲームを思い起こさせた。


 ……気を持ち直す。


「……いや、設楽は料理をするのか」

「いえまったく」

「なのに佛跳牆の作り方の資料を作ったのか」

「はい」

「……」

「……」

「……何か?」

「いや……そろそろ次のフェーズに移る」

「承知しました」


 次のフェーズは、実際の資料作成の流れを教える。……といっても、俺流のやり方なのだが。


 俺は課長に会議室使用の許可をもらい、設楽と2人で会議室に入った。実際の資料作成の流れ(俺流)を前面のホワイトボードに俺が書き込み、そして口頭で具体的に説明していく。


「まず最初は、実際の紙にこれから作ろうとしてる資料を手書きするところからスタートだ」

「はい」


 俺のバワポ作成の流れはこんな感じだ。とにかくまずキーワードをひたすら紙に書いていく。次にそのキーワードの中でも関連性が高いものをつなぎ合わせ、一枚のスライドに書き込むべきキーワードをまとめていく。


「そして次はそのキーワードの羅列を一枚の紙に図式化して描き、最後はその通りにパワポで清書だ」

「はい」

「パワポで清書するまでの間に、出来るだけたくさん人に見せるといい。そして意見を聞いて、ブラッシュアップをしていくんだ」

「分かりました」


 そうして講義が終わった後は、最後に実践だ。俺達は一度事務所の自分の席に戻り、最後に設楽に課題を出す。


「じゃあ実践だ。今日の勤務時間一杯使って、資料を一つ作ってみろ」

「取り上げる題材は何ですか?」

「なんでもいい」

「……佛跳牆でいいですか」

「お前のその佛跳牆に対するこだわりは何なんだ」

「特にこだわりはありませんが」

「んじゃなんで佛跳牆なんだよ」

「占星術の本によると、今日の私のラッキーアイテムは佛跳牆らしいので」

「なんだその変な意味で個性的な占いの本は。お前は占いに興味があるのか」

「『佛跳牆さえ準備すれば、愛しの彼も塀を飛び越えてあなたの元へ!!』て書いてありました」

「そこまでスイーツな内容なのに、なんでラッキーアイテムのチョイスが佛跳牆なんだよ。しかも地味に佛跳牆の由来を知ってるヤツが書いたなその文句」

「常識では……?」

「お前の常識は世間の非常識だと認識した方がいい。佛跳牆の由来など常識ではない」


 そうして設楽に、先程俺がレクチャーした手順を尊守させた上で、佛跳牆に関する資料を作成させてみることにする。そうして、時折設楽からの質問に答えたり、設楽の仏頂面に身の危険を感じたりしながら3時間ほど経過した、定時に近い午後6時前……


「先輩、完成しました」

「おーう。じゃあ見てみるな」


 設楽謹製、『本当に美味しい、素人でも作れる佛跳牆』の資料が完成した。


「やっぱり佛跳牆なのか」

「やはり今日の私はこれで行きたいと思いまして」


 設楽が作ったパワポは、今日の午前中までパワポ未経験なやつが作った資料だとは思えないほどの出来だ。端的でわかりやすく、長すぎない説明文……わかりやすくまとめられ説得力を補強する、データに適したグラフの数々……過剰すぎず、かといって簡素すぎない装飾……


「設楽」

「はい」

「お前、資料作成の経験あるだろ」

「ズブの素人ですが。この“ぱわぽ”とやらも、今日生まれて初めて触りましたが」

「嘘つけ。なんだこの見事な資料は。こんなん素人が作れるわけがないだろうが」

「失礼な。私が経歴詐称したとでも言いたいのですか先輩は」


 実に見事な資料だった。この資料を見れば、十人中十人が『これは素晴らしい資料だ』と称賛するだろう。一人ぐらいは何事にも逆張りの天邪鬼が出てきてケチをつけるかもしれないが……それぐらい、この資料の出来は完璧だ。


 非常に惜しい。この資料で佛跳牆の作り方に関するプレゼンを行えば、それを聞いた観衆は即座に佛跳牆の虜となり、家に帰って素人ながらも佛跳牆の調理にチャレンジし、その妙味を堪能することになるだろう。佛跳牆のプレゼンなんて前代未聞の機会など、そうそう訪れないであろうことが非常に悔やまれる。


「お前すげーな。文句のつけようがないぞ」

「ありがとうございます。やはりラッキーアイテムが効いたようですね」

「いや、そうじゃなくてこれはお前の実力だ」


 素直に褒めよう。初見でこの資料を作り上げた設楽の吸収力と応用力は凄まじい。天才というのは、意外と身近なところに隠れているもんなんだなぁ……と感心する。


「よし。これから俺の資料作成の仕事はお前にも手伝ってもらう」

「よろしいんですか」

「むしろ俺が頼みたい。この職場での数少ない俺の仕事が、みんなのパワポ資料作成だ。そこで俺の力にお前の力が合わされば、まさに百人力だ」

「ありがとうございます。粉骨砕身がんばります」


 こうして、設楽は二代目社内パワポ職人として華々しいデビューを飾ることになった。


 そしてこのパワポ教室の際に設楽が見せた才能の片鱗は、後に『最年少出世』『社内最強の稼ぎ頭』『もはや渡部なぞ不要』と呼ばれるほど、設楽を成長させていく。


 ……そして俺は、そんな設楽のステップアップに瞬く間に取り残されていくことになる。気がついたら、設楽は俺よりも上のポジション……主任に昇格し、さらにその後、係長に君臨していた。


 だが、社内でのポジションなぞ俺はどうでもいい。仕事で認められていくことよりも、今日家に届く、横浜中華街有名店プロデュースの吊るし焼豚の味の方が、俺は気がかりだった。 


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