プロヴァンスの空はいつも青い 2

「マドモアゼル。ちょっとお尋ねしますが、その花はなんという名前ですか? とても珍しい」


私は少女に歩み寄り、できるだけ自然に会話を切り出した。

少女は振り返った。

近くで見ると、よけいにゾクゾクする様な美しさだ。

少女は射る様な瞳で私を見つめて、曖昧に微笑んだきり、なにも言わない。


「あ、名乗りもしないですみません。

怪しい者じゃありません。私はリールからの旅行者で、ジュールといいます」

「…レッドレフアといいます」


躊躇ためらいがちに少女は答える。意外なアルトだ。


「レッドレフア? 美しい花だ。プロヴァンスの青い空と海の思い出に、その花をわけて頂けませんか?」

「これは差し上げられません」

「お礼は、あなたの言い値をお支払いましょう」

「あたしの売る花は、高いですよ」

「構いません。今は持ち合わせがありませんが、私の滞在しているホテル、『Palais de la Mediterranee』に来て下されば、望むままにお礼して差し上げます。いかがですか?」


『Palais de la Mediterranee』は、このニースの街で知らない者はいない程のホテルだ。それなら少女も安心するだろうという、打算があった。


「…ええ。喜んで」


少女ははじめて微笑んだ。



 海の見える大きな窓とバルコニーのある私の部屋は、『Palais de la Mediterranee』の最上階にある。

スイートルーム並みの広さのあって、大きな掃き出し窓から広いバルコニーへと続く、贅沢な部屋だ。

ベッドはひとつしかないが、キングサイズで伸び伸びできる。

部屋に入った少女は、まるで用心深い猫の様に、ゆっくりと歩きながらあたりに目配せする。

続いてバルコニーに出ると、おもむろに白いロッキングチェアに腰を沈める。

熱いカフェオレを両手に持って、私は少女の側に歩み寄った。少女はカップを受け取ると、それをちょっと口に当てたが、顔をしかめてすぐにテーブルに置いた。


「お口に合わない?」

「そういうわけではないけど…」

「あなたはまったく、不思議な少女だ」


わたしの唐突な台詞に、『どうして?』といった表情で、少女は私の瞳を覗き込んだ。


「今までこの海岸で見かけた女性はみな、小麦色の肌をしていた。パリ娘でさえ、一週間もいればプロヴァンス娘と見間違うくらいに変わるのに、あなたはこの景色にはまったく不釣り合いだ」

「…あなた、褒めるの下手ね」

「え?」

「パリの男達はあたしを褒めるのに、みな最上級の言葉を使ったのに」

「私はその辺の伊達男とは違う」

「そう? だけど、あたしを誘った動機は、同じなんじゃない?」

「…」


私は言葉に詰まった。

これはえらい娘を引っ張り込んだものだ。


「いいよ、なにをしても。あなたの部屋に来たからには、あたしにもその覚悟はあるから」

「き、君は… 商売女だったのか!?」


不躾とは思いながら、咄嗟とっさに出た台詞だった。

今までの人生で、わたしは『この手の』女性には縁がなかった。

なので、どう対応していいものか、わからない。

わたしの言葉に、『意外』という風に一瞬目を見開いた少女だったが、すぐに失笑がこぼれた。


「商売… 女? ふふ。あなたって純情なのね。そうなのかどうかは、ご自分で確かめてみれば?」


そう言うと少女はからだをくねらせ、ロッキングチェアのスペースを私のために空けて、『そこへ座れ』というかの様に、七分に開けた瞳でじっと私を見詰め、口許くちもとをかすかに緩めて頷く。

条件反射の様に、私は少女の隣に腰をおろして、彼女に魅入る。

こうして間近で見ると、肌理きめ細やかな肌は、薄く、骨格をなぞる様にからだにまといついている様だ。

ワンピースの胸元から覗く鎖骨は、呼吸の度に膨らんではすぼんでいく。

そのからだつきは痩せて線の細いものだけど、けして貧相というわけではなく、少女とも女とも違う、稀な美しさだった。


つづく


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