第二話 謎で奇怪な新聞記者

 

 弁柄堂の店先に立っていたのは白のシャツ、蒸栗色むしぐりいろのチョッキと半ズボンという洋装に身を包んだ男だった。七三に分けられた黒髪は髪の毛一本立つことなく纏められている。首からは何やら黒い箱を紐でぶら下げ、手には万年筆と汚れた紙の束を持ち前かがみでそわそわしている。

「どちら様ですか?」

見た事もない男性に敢志は失礼とは思ったが、上から下まで舐める様に見た。

「初めまして。私、『日報謎怪にっぽうめいかい』という日刊の記者をしております夏目なつめ 稿生こうせいと申します。」

微笑んだ男は確かに記者にふさわしい恰好だった。首から下がっている黒い箱はカメラと呼ばれる機械だろうと瞬時に理解した。

しかし、そんな人物がなぜここに来たのかが分からない。

「こちらこそ初めまして。この弁柄堂店主の伊東 敢志と申します。今日はどういったご用件で?」

「この度はとんだご災難でしたね。実は事件のお話を聞きたくて参ったのですよ。」

災難とは昨晩の事件の事だろう。

「事件のですか?しかしそれなら今朝の新聞にでも載っているのでは?」

警察官が謎の客車内で殺害された。

この美味しい話題に食いつかない新聞社はいないだろう。

実際敢志も警視庁で新聞記者に捕まっている。

犯人に仕立て上げられた男の話を興味津々に聞いていた大手新聞社『東京日々新聞とうきょうにちにちしんぶん』の記者の顔がぼんやりと浮かんでくる。

「ええ、ええ、しっかり読みましたとも!」

千切れんばかりに首を振る夏目の様子からやはり今朝の新聞に載っていたようだ。

だが、そうすればこの夏目という記者はなぜ敢志の元を訪れたのであろうか。

「しかしあれは嘘でございましょう?」

「嘘?」

何が嘘なのか、今朝の新聞をまだ読んでいない敢志には分からず、格子戸に挟まっている新聞を引っこ抜いた———『東京日々新聞』これは敢志が購読している新聞だ。その紙面に目を走らせれば、自分の名前をすぐさま発見する。


『駆け抜けた暗殺客車』

〈昨夜、横浜発の最終便で事件は起こった。たった一人の警察官 柄前つかまえ はじめ(32歳)殺害の為に用意されたのは一台の客車。手口巧妙に火夫まで巻き込んだこの事件は一般の乗客伊東 敢志(28歳)の犯行と思われたが……。〉


「……。」

被害者の名前を初めて知り、心の中で黙祷しながら読み進める。

しかしこの書き始めの段階で何か既に心に突っ掛りができていた。


〈途中で連結された暗殺客車は切り離され、証拠は線路の彼方へと消えて行った。だが、乗客たちの機転で犯人の一人、坂斎はんざい 太郎たろう(25歳)を逮捕。手を下した犯人は逃走中。殺害現場である客車も依然見つかっておらず現在も捜索中である。怪しい客車を目撃した場合は速やかに東京警視庁まで一報を。〉


「載っていない。」

読み終えた敢志の一言に夏目が黒目の大きな瞳を輝かせる。

「何がでございますか?!」

あまりの声量にもう日が昇りきった店先では話せないと、夏目を奥へと通す。

布団をひいていた部屋の襖を閉め、ちゃぶ台が置いてある居間で夏目を待たせる。

「今、お茶を。」

「いえ結構です、お構いなく!それより何が載っていないので?」

待ちきれないのか万年筆を指先で器用に回しだす夏目。

敢志はもう一度新聞に目を通す。

だが、何度読んでも敢志が警視庁で話した内容が載っていないのだ。

「客車の情報が少なすぎませんか?」

「ほうほう!具体的に何が?!」

「俺は東京警視庁で客車についてきちんとこう述べました。……客車内には沢山の木箱があったと。それが捜索の手掛かりになるはずですと。」

客車だけでは絶対に見つけられるはずがない。だからこそ、中の様子を覚えている限り全て話したのにそこには全く触れられていないのだ。

「それにこれでは暗殺の為だけにあの大掛かりな仕掛けが用意されたと読み取れる。でも、本当にたった一人の人間を殺害するのに新たに客車を用意する必要なんてない。なのに……。何をしているんですか?」

新聞から顔を上げた敢志の目の前には必死に立ったまま紙の上で万年筆を滑らせる夏目がいた。

「いえ、書き留めているだけですのでお構いなく! 続きをば! できれば客車内の様子を!」

もしや客車の情報を載せてくれるのかもしれないと、敢志は再び昨日の記憶を引っ張り出す。

「ええと。木箱と、あとは……。」

正直あの客車は真っ暗で何も見えなかった。

「木箱と? 他には? 犯人の姿は見ていないのでございますか? 声や出で立ち等!」

もうすでに記事の下書きを作成しているのか少ない情報しか言っていないのに十行ほど書き進めている。

「真っ暗で何も見えなかったので。」

「完璧な暗闇……。それもまた……。」

夏目はブツブツ言いながらミミズの様な字を書き続けている。

逆さまからではきちんと読めないが、文章の節々に気になる単語を見つけてしまい、敢志は固まってしまう。

そして読み上げながら書き進める夏目がその単語を口にする。

「未確認生物を隠す為の……。」

「……。」

「一つの手段だったのである。」

「あの、夏目さん?」

「殺害された警察官は……。未確認生物に抵抗した結果、その命を……。」

「夏目さん!!」

「落とすことになった、と。よし!」

満足げに万年筆の先を舐めた夏目がようやく視線を上げる。

「おや、どうしたのでございましょう。」

「いや、貴方何を書いているんですか? 未確認生物?」

敢志が「未確認生物」と言った瞬間、夏目の鼻息が荒くなり顔を近づけてきた。

「江戸時代の開国以降、我が大日本帝国は多種多様な異国人を受け入れてきた。街には鼻の高い異色の髪の人間が歩いている! ですが私は常々思っているのでございますよ! もし、この開国に乗じて人間ではない未確認の生物たちが紛れ込んでいるのではないか!! もしかすると人の形に変装しているだけかもしれません! 服や髪形を真似る事だって簡単なのでございます! ね? ね? あり得る事でございましょう?」

あまりの勢いに敢志は腰ごと後ろに反ってしまった。

だが、夏目は逆に乗っかるように前かがみになり更に持論を展開させる。

「我が『日報謎怪』はそんな未確認生物を追う新聞なのでございます! 事件の臭いあらば嗅ぎつけ奴らの尻尾を掴む。そして何処よりも早くこの事実を大日本帝国中に広めるのです!遅くなりましたがこれを……。」

ようやく夏目から渡された名刺を見て『日報謎怪』の表記を知った敢志は、怪しげな単語のせいで眉間に皺を寄せてしまった。

「これで「めいかい」と読むんですか。」

「如何にも!まだ見ぬ「謎」そして奇奇「怪」怪な生物!勿論それが犯罪に加担していれば「冥界めいかい」の鬼の如く紙面でその所業を世間に晒す―――それが『日報謎怪』なのです!」

どうやら色々な言葉が掛けられて出来ている日刊の記者は、圧倒されている敢志の両手を強く握った。

「ですから伊東氏!! 私は真実を聞きにきたのでございます!!」

「真実ですか。」

「そうです!あの突如として現れたもう一つの客車、あれは殺人の為に用意された客車などではなかった! 謎の未確認生物が日本男児を攫う為の客車だったのでございます!」

「えっ?」

せっかく証言した木箱は全く役に立っていないどころか、とんでもなく大きな事件へと発展していて呆気にとられてしまった。

「木箱は……。」

「それは本社にてゆっくりと考える事にいたしましょう! 本日は誠にありがとうございました!! もしよろしければ『日報謎怪』の購読の検討もお願いします! 『東京日々新聞』には負けぬ刺激的な朝を贈る事を約束しましょう!」

「ちょっ、ちょっと!!」

早口で捲し立てた夏目は革靴の踵を踏みながら弁柄堂を出て行く。

その一連の動きは止める隙を全く与えない早業だ。

「そうか! きっと木箱には他の日本男児が、いや、もしくは未確認生物の武器が?!」

と、また店先で万年筆を走らせ下を向いたまま帰っていった。

「なんだったんだ……。」

ほのかにインキの香りが残る居間で敢志は立ちつくした。

近所の子どもが菓子を買いに来た事で我に返り、強制的に日常へと意識を戻す。


 だが、『日報謎怪』に何を書かれるのかと気が気ではなく、その日も浅い眠りつくことしか出来ず、朝日が昇る前に目が覚めてしまった。

二度寝をしようにも体中がむず痒く寝付くことが出来ない。諦めてまだ薄暗い日本橋の町へと繰り出した。途中新聞配達員とすれ違ったが、何となく目を逸らしてしまう。

やはり気になるあの新聞のせいでため息が出る。そして冷たい朝の空気を胸いっぱいに溜め込み肺が痛くなる。

それが胃痛にも感じられ、結局何が原因で胸が重いのか分かりかねた。

 敢志はもう一度息を吐き出すと、どこからともなく声をかけられる。

「敢志はん。」

辺りを見渡すと、家から少し離れた場所にある牛鍋屋『牛若丸うしわかまる』の前にいた。

そしてその牛若丸の店先から女性が顔を出していた。

「女将さん。」

牛若丸の女将、松世まつよだ。

もう五十間近の女性だが黒々とした髪は西洋下げと呼ばれる結び方で束髪されている。

まだ開店前だというのに紅も差し、牛若丸の元看板娘に相応しい手本である。

そんな彼女は敢志を心配そうに見ている。

「どないしはったん?こんな朝から。」

「早く起きてしまって。」

「あらま。やっぱりあの事件のせいで眠りが浅いんとちゃいます?」

やはり蒸気機関車の事件は新聞に載るだけあって敢志を知る人物には知られているようだ。

俯き加減になった松世の視線が上がり、首が少し傾く。

「あら、敢志はんのお知り合い?」

「?」

女将の視線が敢志の肩越しに向けられている。

何があるのか確かめようと振り向きざま、また知った声が聞こえてきた。

「やあ、青年。」

その声に剣先で背中を刺されたような衝撃が走る。

「……。」

そして視界にあの特徴的なシルクハットとカイゼル髭が入り込む。

「貴方はあの時の!」

そこに立っていたのは蒸気機関車で見事な推理を披露したあの老人だった。

相変わらず黒のシルクハットに、立派なカイゼル髭を蓄え、ガラスのような瞳をしている。

「いや探したよ。家に行っても誰もいないものだから。」

「え? 家に来たんですか? でもどうして。」

どうしてこの老人が自分の家を知っているのだろうか、その疑問は老人が差し出してきた薄い紙に書かれていた。

「これは『日報謎怪』。」

「そこに君の居場所が書かれていたよ。日本橋に住んでいるというのは警視庁で聞いていたのだが、その後の足取りが全く分からなかった。淡い期待を込めて朝からこの近辺を歩いていたらその朝刊を拾ったのさ。どうやらその記事は正しかったようだ、内容が少しアレだったもので不安になっていたところだったよ。」

その老人の不安要素は嫌というほど昨日味わった敢志は『日報謎怪』を読むのを躊躇った。

「あの客車は天から日本男児を攫いに来た誘拐客車だったようで、いやはや青年がこうやって無事でいてなにより。」

悪戯な笑みを浮かべる老人に憤慨してしまいたくなる。

「冗談だよ。申し訳ない、しかし君とこうやってもう一度会えたのだ。今はその新聞に感謝するとしよう。」

深くシルクハットを被り直す老人の俯いた表情はあの大変な一日を思い出させる。

「君と少し話がしたくてね。」

「俺もです。あの事件、貴方がいなければ俺は捕まっていた。本当にありがとうございました。」

「私の力だけではない。君のデフレクターの推理も見事なものだった。」

「いえ、あれは。」

話し込む二人に松世が声をかける。

「御二人さん、良かったら中にお入りになりません?」

「でもまだ準備中では?」

「かまへん。昨日は泊まり込みでずっとおったさかい、暖くらいならとれるからお入りね。」

手招きをする松世。

「簡単な物でええなら朝餉もあるし、敢志はんどうせ食べてないとやろ?」

断わろうと思ったが敢志のお腹が盛大になり、松世が袖で口元を覆いながら笑う。

「さ、どうぞ。」

「じゃ、お言葉に甘えて。」

敢志は恥ずかしそうに老人に目配せをしながら店に足を向ける。

「早朝から失礼します。」

老人もその後に続き、まだ開店していない牛若丸の敷居を跨いだ。

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