第九話 繋がった客車

「まずこの機関車は横浜発新橋着の最終便で間違いないだろうか?」

布を持ってきてくれた駅員が頷く。

「駅員が言うなら間違いないだろう。そして、横浜を出発してしばらくの後、定期点検の為蒸気機関車は一時停止をした。」

その発言に先ほど頷いた駅員が首を傾げる。

「おや駅員さん何か申したいことが?」

「……。確か、定期点検など予定にはなかったはずです。」

機関手や火夫に老人がにひるに笑いかける。

「とのことだが…いかがかな?」

「定期点検?そんな事した覚えがないぜ!」

火夫の一人が言い放ったが、彼はこの場に多くの証人がいる事を忘れている。やじ馬として残った乗客から口々に火夫の嘘が露見していく。

「どうやらその嘘は崩れたようですね。」

呆れたように肩を竦めた後、老人は客車の後方を指さす。

「その点検中に何が起こったか、次はその説明をしよう。」

大股で歩き扉を開け放つ。

「現在、この後ろには客車など存在しない。だが、あの定期点検中に新たな客車が連結されたのだ!」

老人が扉の奥の闇を指し示せば、車輪がレールの上を擦れる重圧な音がしてきそうだった。

「証拠は?証拠はあんのかよ!」

「実際に青年が客車を見ている。」

「こいつが嘘をついている可能性だってあるだろ!」

「他にも証拠はある。馬の鳴き声だ。」

「馬?」

首を傾げる者、深く頷くもの様々だ。そして後者の敢志は確かに停車中に馬の鳴き声を聞いた。

「横浜駅を出発後、後方から馬車鉄道が追いかけてきていた……。と、考えるがどうだろうか。馬車鉄道はまだまだ運行している。路線の上を走っていても誰も気にも留めまい。そして停車中に追いつき連結された。これだとしっくりくると思うが?」

いとも簡単に存在していない客車が老人の推理によって現れる。

それは馬が客車を引っ張る「馬車鉄道」を利用するというものだった。馬車鉄道はまだ運行しているが、走行中に路線に垂れ流される糞尿が原因で環境問題の原因にもなっている。だが、完璧に蒸気機関車が完備されていない為いまだに現役なのだ。

「そして点検終了後、デッキに出たこの被害者と青年は連結されたもう一つの客車に出くわした。先に外へ出ていた被害者は不審に思い、客車に乗り移った。だがその好奇心が仇となり、客車に紛れていた何者かに殺されてしまった。」

外を指さしていた老人の人差し指が敢志に向けられる。

「その後、さらに好奇心を抑えきれなかったこの青年が客車に乗り込み、あえなく犯人に仕立て上げられたのだろう。気絶のオマケ付きでね。」

笑えない言葉を豪快に飛ばしてくる老人の推理は完璧に聞こえるが、やはり憶測の一つに過ぎない。

「待てよ爺さん。そもそも点検中に連結されたっていうなら火夫の奴らが見てるだろ?な?どうなんだよ。」

見つけた推理の穴を広げる為、蛮カラ男が火夫達に目配せをする。しかし、彼らは何も言わないうえに目が泳いでいる。

「おい!」

「ふむ。あまり彼らを怖がらせないように。火夫と機関手の方々、何も言う必要はありませんよ。」

一瞬火夫達に安堵の表情が浮かんだがすぐさま消える。

「ただ一つ…そのポケットをひっくり返していただければ結構だ。」

客車内の視線がポケットに集中し、みな何が出てくるのか首を伸ばして見ている。

「ひっくり返していただけるかな?」

再度老人がきつい視線と共に言葉を投げかける。だが指一本動かさない。

静まり返った客車に、殺人者に仕立て上げられた男の生気の戻った声がする。

「おい! ポケットの中なんざ関係ねえだろ!」

「いいえ、彼らが客車を目撃したかどうかに大きく関係する。もし彼らが客車を見ていないならすぐにそう答えればよい。しかしこの運転室にいたお三方はどうにも様子がおかしい。つまり、何か心当たりがあるのでは?」

誰も何も言わない。

「もし客車を見ているのならば、貴方がたも今回の事件に加担していたことになる。ところで駅員さん、このお三方をご存知で?」

久しぶりに話を振られた駅員がハッとなる。

「ええと。はい、知っています。もう数年は働いていますから。」

「では今日の日の為だけに勤務している職員ではないという事だ。ならば貴方がたが今回の事件に加担するには必ず必要になってくるものがある。」

とっさに火夫の一人がポケットに手を当てる。

「そう。その中の物。それさえあれば事件に加担するのも、偽装工作もお手の物でしょう。もう出してすっきりされてはどうですか?少し窮屈そうにも見えるが。」

夜と微かなガス灯だけのホームでは分かりにくかったが確かに火夫達のポケットは膨らんでいる。

だが往生際が悪いのか、みじろきもしなくなった。

膠着状態が続いた後、ある男が王手をかける為に踏み出す。

「出してください! それとも何が入っているか俺が答えましょうか。」

被害者に仕立て上げられた恨みを込めるかのように語気を強める敢志。その敢志の助け舟に老人は皮肉を込めて

「なんだ青年、まさか人様のポケットの中を覗く様な無粋な事をしたのかい?」

と、答えたが。敢志はその皮肉を楽しむかのように微笑んだ。

それは敢志もこの謎の事件の全貌が掴めた証拠だと理解し、老人も吊られて微笑んでしまう。

「ああいや結構。穢れという物は隠しきれない。どんなに隠そうと黒は白にはならないのと同じ……。そうだろ?」

「はい。彼らは穢れたものを捨てようとしていました、そのポケットの中の十円札を!」

意を突かれた火夫達がたじろくの敢志は見逃さなかった。あと一息とばかりに深呼吸をする。

「出してください。そして全て話してください!」

「出していただこうか。口止め料として貰った十円札を。」

敢志と老人が一緒になって真相の前に立ちはだかる壁を破壊していくのに、これ以上は無理だと諦めた一人がため息をつき、ゆっくりとポケットをひっくり返した。

「この人数じゃ、逃げらんねえしな。ほらよ。」

そこから散らばった紙幣にみな息を呑む。

「なにあの大金。」「火夫の持てるような額じゃない。」そう乗客の声が聞こえる中、ようやく最後の一枚が舞い散った。

「凄い……。」

敢志が見た十円紙幣は序の口で、更に倍以上の紙幣がポケットから出てきた。やはり大黒様はあざ笑っているように見える――欲に負けた者の末路を。

「貴方がたは馬車鉄道から馬を外し、最後尾の客車に新たな客車が連結されている間、蒸気機関車を停車させた。点検という理由でね。」

老人が散らばった紙幣を一枚拾い上げる。

「これはその口止め料だ。」

十円紙幣を火夫の鼻先に突き付ける。

しかし横から蛮カラの袖が伸びてくる。そして十円紙幣をひったくった。

「火夫が大金持ってちゃいけねえのか?そもそも、当日に渡す馬鹿が何処にいる。」

「貴方は少し口を閉じていた方が良いかもしれませんよ?いらない事を言って自身の首が締まってもいいなら構いませんが。で、何かな? ああ、金銭の受け渡しでしたね。簡単な事だ、事前に渡せば逃げられる、もしくは誰かに漏らされる心配がある。だから当日に脅しでもして金を握らせるしかなかった。そしてその後は先ほどの手順通りです、好奇心旺盛な男性二人が被害にあった。」

火夫達は項垂れて何も言わない。これがこの推理の信憑性を物語っている。

「まだだぜ爺さん!」

蛮カラの男が十円紙幣を握りしめ、その拳を老人に突き付ける。

「そもそも誰かが外を見ちまったら終わりだ。気づかれちまう。」

「闇夜だ。そうそう気づかれまい。」

「でも最後尾の客車の人間が窓の外に顔を出したらどうだ? さすがにその距離なら見えちまう。」

初めて老人の口が強く結ばれる。それに形勢逆転を感じた男の口角が上がり、老人に突き付けた拳を更に握る。

「デフレクターです。」

客車内の視線が声の主、敢志に集まる。

「この機関車にはデフレクターがない。短時間しか確認できませんでしたが、この形式の機関車にデフレクターがないのは怪しい。金を渡した後外したのでは?」

火夫達は視線を背けたままだ。

「すまないが君、で、でふれくたあとは何かね?」

物見草に残っていた乗客から質問が飛ぶ。

「デフレクター。またの名を除煙板と呼びます。上昇気流を起こして煙を上に逃がす働きをしてくれる。しかしそれがなかった。つまり、この蒸気機関車から吐かれる煙は客車の窓を塞いでしまうのです。誰も煙の中に首を突っ込んでまで外は見ないでしょう?」

黙って敢志は老人に頷く。

「詳しいな。」

「少し事情がありまして。」

「それは後でゆっくりお聞きしたいものだ。」

「はい、喜んで。でも……。」

「ああ。」

二人は再び軌道に乗る。

「今はこれを。」

「片付けるとしようか。」

火夫達がこの蒸気機関車が吐き出す煙の様に真っ黒なのは暴かれた。では残るは……。

「最後に貴方の事を暴くとしよう。」

男の額が汗でぐっしょりと濡れる。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る