Act.6 来る日に向けて

 かつての自分の愚かさを、呪わない日はなかった。

 流れの魔術師として各地を放浪し、行く先々で時には竜を退治し、時には無法者を成敗し、誰かを助けるその姿に憧れた。自分もいつかそうなりたいと、進んで魔術を習う事を申し出た。

 そこに邪心などあろうはずもない。ただ純粋に憧れ、師匠のような魔術師になりたいと願っただけだった。


 それがなぜ、あんな結末を生んでしまったのか。


『調子に乗るからだ、馬鹿弟子が』

 修行中、そんな風に窘められた事は少なくなかった。憧れから始まった願いだったからこそ、どうしても気持ちばかりが先走り、いつしか師匠の忠告すら軽んじていた部分があった。

 だから自分の力量も顧みず、無謀な真似をしてしまった。

 ある時、悪さを働いている魔術師がいると噂になっていた。師匠は『教団』に任せておけばいいと言うばかりで、関わろうとはしなかった。


『どうして何もしようとしないんだ! あんたならどうにかできるはずだろ!? 俺を拾ってくれた時のように!』


 そんな風に、詰め寄った事を覚えている。

 けれど師匠は、耳を貸してはくれなかった。関わるだけ無駄だと、忠告を繰り返すだけだった。


『……もういい。あんたが行かないなら俺が行く。俺があんたの見せ場を、全部かっさらってきてやる!』


 師匠の制止も聞かず、飛び出していく少年の胸にあったのは、困っている誰かを助けなければという使命感――ではなかった。

 単純に、気に喰わなかっただけなのだ。

 自分を救ってくれた英雄とも呼ぶべき人間が、自分の理想に、期待に、答えてくれなかった事が。

 だが、そうではなかった。

 師匠はただ答えなかったのではない。忠告には意味があって、制止には理由があった。

 少年が知らない所で、師匠は件の魔術師について、慎重に調査を行なっていた。その結果、相手が得体も底も知れぬ存在だと悟り、個人の力では手に余ると判断したが故に、『関わるだけ無駄だ』、『「教団」に任せろ』と繰り返していたのだ。

 逸る少年が師匠の思いを知ったのは、全てが終わったあとだった。

 胸に『呪い』を刻まれ、師匠の亡骸を抱え、深く重い慟哭を響かせる少年。

 失ったものは大きく、取り戻す事は叶わない。

 魔術師は、そして魔術は、決して万能などではないのだから――




 否応なく覚醒してしまったエルクは、ベッドの上で上半身を起こし、無意識に息を荒げていた。

 粘り着くような汗で、全身が湿っているのがわかる。普段の鍛練でも掻かないような尋常ならざる汗の量は、それだけ自分がうなされていたという事の証だろう。

 青ざめた顔のまま、エルクは静かに笑みを浮かべる。

 自らへの戒めを込めた、自虐的な笑みを。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






「右から来るぞ! 詠唱を始めろ!」

 鋭く吠えるかのような指示に従い、ミリアは魔術の発動を開始した。視界の中、数メートル先で前進していくエルクの後ろ姿を確認し、次いで上空より飛来する標的に視線を送る。

 皮膜付きの翼を広げ、今まさにエルクの振るう刃と交戦しようかという、巨鳥のような姿の翼竜。ラフォリスドラゴンと呼ばれる、黄土色の鱗を備えたアメシスト級の竜だ。

 学園を離れ、人気のないとある雑木林を訪れた二人は、木々の合間から飛来した翼竜との戦闘中である。

 遭遇から、すでに五分は経過しただろうか。相手は低級の竜とはいえ、空中からの火球攻撃が中々厄介な上、素早く飛び回るせいでこちらの攻撃が当たり辛い。

 しかしこの翼竜の場合、肝心要の翼自体に鱗が備わっていない為、的確に狙えれば弱点となる。

(集中力を切らさずに、精製した魔力を言霊に乗せて……放つ!)

 これまで幾度となく鍛練を繰り返し、精度を上げる事に専念してきた魔術の発動。命のやり取りとなる実戦で暴発など起こせば、死に直結するのは確実だ。

 だからこそ、一瞬たりとも気を抜く訳にはいかない。

「我が身に宿りし灯火の加護よ。灼熱の力を以てして、悪しき者を焼き焦がせ!」

 ミリアの周囲で旋回していた四つの光玉。その内の一つ、深紅の光が停止と同時にその強さを増した。右手を掲げ、ミリアは翼竜への狙いを定める。

 するとその動作を、斬撃を躱されたエルクが肩越しに一瞥した。直後、華麗に身を翻して翼竜と距離を取ったのだ。

 今だ、撃て――!

 彼の背中がそう告げているのを感じ取り、ミリアは紅き術名を叫ぶ。

灯火の矢ファイア・レイ!」

 放たれた無数の火矢が次々と翼竜に襲い掛かり、命中の証として連鎖的な爆発を起こした。

 発生した爆煙を突き破るように滑空してきた翼竜は、翼となる皮膜の部分に多大な損傷を負っていた。

 苦しげな咆哮を上げながら落下してくる竜を一瞥し、ミリアは剣を掲げている相棒に叫ぶ。

「今よ、エルク!」

 呼び掛けられた騎士たる少年は竜を見据え、発射された弾丸の如く疾走を開始する。

「はぁぁああぁあぁあああああぁあぁっ!」

 鋭い雄叫びを上げつつ、振り下ろされる銀に煌めく刃。

 両者が交差した瞬間、竜の身体が鮮血を伴って斜めに両断された。ミリアが放った魔術によって脆くなった竜の鱗を、エルクが華麗に斬り裂いたのだ。

 浮力を完全に失って地面に落ち、砂埃を巻き上げながら転がる二つの肉塊。その中途で、青緑の光が発生し始めている事にミリアは気が付いた。

 慌てて駆け寄るが、時すでに遅し。数秒前までそこにあったはずの竜の亡骸は、『灰化』によって跡形もなく消え去っていた。

 尤も間に合っていた所で、消滅を止める方法などありはしないのだが。

「ああ……、またハズレかぁ……」

 思わず口から出てしまった本音が、ミリアの気分をさらに沈めさせる。

 中間試験の内容が開示されてから、今日で四日目。その間、鍛練の合間を見つけては竜素材を集めに出掛けているのだが、見ての通り成果は上がっていない。

 初戦に比べれば、竜と相対した時に感じる恐怖心はいくらか飼い慣らす事ができるようになった事もあって、この四日間で討伐した竜の数は相当なものだ。最初の方こそ律儀に数を数えていたが、二十を越えた辺りから自然と数えるのを止めていた。

 竜を討伐した際、稀に『灰化』を逃れて身体の一部が残るとされているが、その『稀』がいつ訪れるのかは皆目見当がつかない。

 全く以て『灰化』という現象が恨めしい。一体あと何回倒せば、竜素材を手に入れられるのだろう……。百回? 千回? それともまさか――

(んー止め止め! こういう事は考えちゃダメな気がする、精神衛生的に!)

 水浴びした後の子犬のようにプルプルと首を振り、余計な想像を頭の隅へと追いやる。

 ふと横合いを見ると、あれこれ葛藤していたミリアとは対照的な、特に何の感慨も浮かんでいない様子のエルクが佇んでいた。彼は刀身に付いた竜の鮮血が青緑の灰となって消え去るのを見届けてから、ロングソードを一払いし、腰の鞘へと収めた。

 息一つ乱した様子のない少年騎士を見つめ、ミリアは微笑みながら告げる。

「お疲れ様。相変わらず凄い剣捌きだね」

 元が魔術師だとは思えないくらいに、という野暮な台詞は胸の内に収めておく。

「……そうでもないさ。この程度の動き、『騎士科』の生徒ならできる奴は大勢いる」

 労いの意味も込めて告げたのだが、エルクには上手く伝わっていないらしい。照れるでもなく、喜ぶでもなく、エルクは背を向けてそそくさと歩き出してしまう。

(……本日も平常運転かぁ。嫌われてる訳じゃない、とは思うんだけど……)

 先導する少年の背中を追いつつ、ミリアは内心で溜め息をついた。

『騎士科』と『魔術科』。相反する学科に属した二人が、こうして行動を共にするようになって随分になるが、控えめに見ても仲睦まじい関係とは言い難い。

 とはいえあの少年の無愛想っぷりは、何もミリアだけに限った事ではない。彼と同じ『騎士科』に属するバネッサの話では、誰に対しても徹頭徹尾あんな感じの受け答えをする為、一人でいる事が多いらしい。

(エルクがあんな態度を取る理由って、やっぱり……)

 過去の事があるから、なのだろうか。

 大切な人を亡くしたから、もう辛い思いをしたくないから、他者との関わりを断とうとしている。そうすれば絆は生まれず、『無くなるかも知れない』という不安そのものが生まれる事もない。

 確かに、それはその通りだろう。だがもしそうなら、それは同時に寂しい事だ、とミリアは思う。

(だってエルクは、私を助けてくれたじゃない。……大層な事じゃない、ってあなたは言うだろうけど。でも……)

 助けられた事実は残り続ける。そしてその事実がある限り、否が応でも他者との繋がりは出来てしまうものだ。

 例え彼が、どれだけ絆を作る事を恐れているとしても。

「――ライト。おい、クロードライト!」

「うひゃい!」

 怒鳴るような声で呼び掛けられて、ミリアはようやく意識を戻した。見ると青髪の少年は、かなり不満そうな顔でこちらを見つめている。

「聞いてなかっただろ、俺の話」

「えっと、ごめん。ちょっと考え事してて……」

 余計な想像を膨らませていた事を悟られないように、作り笑顔でごまかすミリア。

 そんな彼女の気苦労を知ってか知らずか、エルクは浅く溜め息を吐く。

「全く……、呑気なものだな。今からそんな調子じゃあ、先が思いやられるぞ」

「……」

「……何だ? 何か言いたそうだな」

「べっつにー」

 誰のせいだと思ってるんだと、ミリアは拗ねた子供のようにそっぽを向いた。普段は色々と鋭いくせに、肝心な所で鈍感な相棒様である。

「それで、何の話だっけ?」

「……素材集めも今日で四日目だ。試験まであと三日しかない。だから一旦、試験当日の動きを話し合っておこうと思うんだが、このあと学園に帰ってから、何か予定はあるか?」

「んー特にないけど、帰る頃って言ったら夕食時でしょ? さすがに食堂に顔を出してないと不味いんじゃない? 私達すでに前科者だし……」

 ミリアがわざとらしく肩を落としてみせると、エルクはあからさまに渋い顔をした。言外に、思い出させるなという意思が感じられる。

 例の規則違反の一件以降、ミリアは教師陣から無言の圧を感じるようになった。『お前ら今度やったら承知しねぇぞ』という台詞が、耳ではなく心に響いてくる気がするのだ。

 いやいや、さすがにもうしませんよあんな事……と、自信を持って思えないのは、抱えている事情が事情だからだろうか。

「……だったら飯を食いながら話せばいいだろ。試験内容の確認をする分には、怪しまれる事もないはずだ」

「えっ……、いいの……?」

 思わず立ち止まり、目を瞠って聞き返すミリアと、同じく立ち止まり、訝しそうに眉をひそめるエルク。二人の間で、僅かな沈黙が生まれた。

「……? いいのって、何が?」

 どうやら質問の意図が上手く伝わっていないらしく、エルクは首を傾げるばかりだ。恐らく彼はミリアを困らせようとしている訳ではないのだろうが、こうして改めて問い返されると、妙な気恥ずかしさを感じてしまう。

 やや頬を紅くしつつ、ミリアは視線を逸らしながら口を開く。

「だからその……、一緒にご飯食べたりして。エルクって、そういうの迷惑なんじゃないの?」

「……別に迷惑だなんて思ってない。大体お前、入学してすぐの時に昼飯持って押し掛けてきた事あっただろ」

「それは……そうだけど……」

 もごもごと言い淀むミリアを尻目に、エルクは木々の隙間に見える橙色の空に視線を送りながら告げる。

「余計な事気にするな。とにかく、詳しい話は夕食の時だ。もうすぐ日も暮れる。さっさと学園に戻るぞ」

 こちらの返事を待たず、何事もなかった様子で歩き出すエルク。

 その一連の動きがあまりにも自然で、ミリアはしばらく呆然と立ち尽くしてしまった。

 遠いのか近いのか、判断のつけ難い距離感である。

(嫌われてはいない……んだよね?)

 何度目になるかわからない自問自答の末、いつぞやと同じく置いていかれている事に気付き、ミリアは慌てて駆け出した。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






 コの字型に建てられた学園校舎の一階。東棟の端にある食堂は、学園が全寮制という制度を取っている為、夕食時になると多くの生徒でごった返す。

 そんな状況を考慮しているからか、食堂の間取りはミリア達が入学式を行なった講堂並みの広さがある。天井までは吹き抜けになっていて、校舎三階分くらいの高さがあり、光を多く取り入れる為か、窓が多く設置されている。

 食堂の北側と南側に、それぞれ六列ずつ配置されている茶色い木製の長机と長椅子は、大人数が腰を落ち着けられるように、かなりの長さが確保されている。

 入口となる鉄製の大扉から丁度反対側が、横に広い厨房になっていて、その隅には手料理以外の食料品を扱う購買部がある。大抵の生徒は食堂内で食事を済ませるが、授業で出された課題などを自室などでこなす為に、購買で食料品を買い込んで持ち帰る者もいるようだ。

「――前から言おうと思ってたんだが」

 壁や天井に付けられた大小様々な室内灯が、暖色系の光で照らす食堂内。

 今日も今日とて、夕食と談話を楽しむ生徒が大勢いる中、食堂隅の一角を陣取って試験内容の再確認を行なおうとしたその時。何か意を決したような様子で、対面に座るエルクがそんな風に切り出した。

「? どうしたの、急に改まって」

 一旦食事する手を止め、視線を正面に向けるミリア。すると目が合うや否や、魔術の先生兼相棒である少年はこう口にした。

「見た目の割に大食いだよな、お前」

 やけに真剣な顔をしているように感じたので、一体何を言い出すのだろうと思えば、単なる感想のような台詞だった事に、ミリアは妙な安堵を感じた。

 とはいえ指摘されたので、机の上に並べられた料理に視線を下ろしてみる。

 湯気の立つミートスパゲッティに、チーズたっぷりのピザが二枚。胡麻風味のドレッシングがかかったサラダに温かいオニオンスープ。そして揚げ立てのフライドポテトとバターが香るピラフは、通常のものより若干量を多めにしてもらっている。あとデザートとして苺の乗ったショートケーキと、チョコレートケーキが五切れずつ。

 昼食の時に少し食べ過ぎたかなぁと思っていたので、これでも控えている方だと思うのだが……。

「そうかなぁ。私からすれば、エルクの方が少食気味に見えるよ?」

「…………………………いや、もういい」

 なぜか少しげんなりした様子で、エルクは鉄板の上で切り分けたステーキを口に運んだ。

 何かおかしな事を言っただろうか、と首を捻りつつも、ミリアは再び食事する手を動かし始めた。

 するとその最中、エルクが机の空いている所に一枚の紙を広げ、手振りで視線を誘導するような仕草を見せた。

 不思議に思い、紙に視線を下ろすミリア。するとそれは、つい先日授業の中で生徒全員に配られた、実地訓練で使う為の森林地帯の地図だった。

 試験の舞台となる『シュバルト大森林』は、東西南北それぞれが、約一〇〇キロの広さを誇る土地だ。周辺に街や村はなく、まさしく人里離れた場所だと言える。

 これらの情報を、ミリアは書庫で調べるまで知らなかった為、試験を行なう場所がこんな広大な土地だとは思っていなかった。故にこんな広範囲の中から『精魔石エレメント・ストーン』が置かれた祭壇を見つけ出さなければならないのか、と愕然としそうになった事もあったが、その不安は杞憂に終わる。

 なぜなら、訓練が行なわれる範囲はかなり限定されると、地図を渡された際に説明があったからだ。

 森林の中には、何ヵ所か泉の湧き出ている場所があるらしく、毎回野営地はその内のいずれかの傍に設営するようになっているらしい。加えて、試験に利用するのは、その泉から半径三キロの範囲に設定されているそうだ。

 つまり渡された地図に表記されているのは、広大な土地の中のごく一部という事である。

 それでも半径三キロ。植物が多く自生している上、決して平坦ではない獣道を歩き回らなければならない事を踏まえると、かなりの時間と労力を割く事になる。

「確か石が置かれてる祭壇って、五ヵ所くらいあるんだよね?」

「ああ。転移させられた位置による優劣の差を少なくする為、祭壇はそれぞれ等距離を保って設置されていると言っていた。つまり重要なのは、いかに効率良く祭壇を発見し、尚且つ竜との遭遇を回避するか、だ」

 一旦地図から目を離し、エルクは真剣な顔でミリアを見据えた。

「一応確認しておくが、試験内容はちゃんと覚えてるよな?」

「もちろん。確か――」

 制限時間は五時間。設営された野営地から、各々別の場所に転移してから試験開始。森林のどこかにある祭壇を見つけ、『精魔石エレメント・ストーン』を回収して制限時間内に帰還する。治療薬等の持ち込みは自由。万が一不測の事態に陥った場合は、『転移石ゲート・ストーン』で離脱する事が可能。

「――だったよね?」

 ミリアの答えに満足したのか、何かを指摘する様子もなく、エルクは再び地図を見下ろした。

 彼に倣って、ミリアも地図を注視する。

「言わずもがなだが、竜素材を得ようとしている俺達にとって、竜が出現する場所での実地訓練は恰好の狩り場だ。五番以内の成績を収めなくてはならないとはいえ、これを逃す手はない」

 エルクが言わんとしている事を察し、ミリアは静かに顔を上げる。

 するとそれを待っていたかのように、珍しくやや熱の籠った口調でエルクが切り出した。

「最速で祭壇を見つけ出し、少しでも竜討伐に割ける時間を多くする。これが一番理想的な動きだ」

 確かに彼の言う通り、試験と素材集めを全く同時に進行できるのは願ってもない話だ。

 だが学園長から出された条件の事を考えると、ミリアはどうしても素直に首を縦に振れない。二つ同時にできるという事は、意識や注意が分散しやすいという事でもあるのだ。

「そんなに上手くいくかな? 祭壇は何ヵ所もあるとはいえ、何の手掛かりもなく探し回らなきゃいけないのに……」

「何を言ってる。手掛かりならあるじゃないか」

「えっ?」

「ついさっき自分で試験内容を復唱していただろ。そもそも俺達は、まず何を探さなきゃいけないんだ?」

「……だからそれは、『精魔石エレメント・ストーン』を――」

 なぜ今更わかり切っている事を尋ねてくるのか、と一瞬首を傾げそうになったミリアは、しかし答える途中で気が付いた。

 試験の鍵を握る『精魔石エレメント・ストーン』という石が、どのような性質を持った物なのかという事に。

「そっか! 魔力の波動! 石に込められてる魔力の波動を辿ればいいんだ!」

「ああ。恐らくこの試験は、魔力察知の感覚を養わせる為のものでもある。その事について何も言及がなかったとはいえ、石を用いている時点でそれに気付いた生徒も多いだろう。現段階ともなれば、さらに増えているはずだ」

「だったら尚更大丈夫なの? 竜の討伐に時間を割いたりして。こっちが戦ってる間に、他のみんなにどんどん追い越されちゃわないかな……」

「お前の言う通り、引き際を弁えるのも重要だ。だが俺達は、竜との戦闘に関しては他の生徒達より確実に多く経験を積んでいる。多少追い抜かれたとしても、巻き返しは充分可能なはずだ」

 冷静に自分やミリアの能力を分析しているのか、エルクは揺らぎのない瞳で断言した。

 ここ数日の激闘ぶりを振り返れば、それはそうかもとミリアも思う。討伐の過程が円滑かどうかはともかく、共に数をこなしている分、互いの立ち回り方は他の生徒達より理解し合えているのではないだろうか。

 ならば少しくらい、自信を持つのもいいのかも知れない。

「わかった。エルクがそう言うなら、そのやり方でやってみよ」

「ああ、頼んだ」

 了承は得たからな、と言わんばかりの事務的な言葉を返し、エルクは机の上の地図を丁寧に畳んで、制服のポケットに仕舞った。

 そこで会話が途切れた二人は、互いに黙々と夕食を食べ進めていく。

 数分経過した頃だろうか。温かく味わい深いオニオンスープをゆっくりと飲み干した所で、ミリアはふと、ある事を思い付いた。

 戦闘面においては理解し合えていると、つい今しがた自信を持ってみた所なのだ。どうせならより理解を深めて、その自信をさらに強くするのもいいだろう。

 よしっ、と心の中で気合いを入れ、ミリアは口を開く。

「あのさ。当てにしようとしてる訳じゃないんだけど、エルクってどのくらいなら魔術を使っても平気なの?」

 自分の分の料理を食べ終わった様子のエルクに尋ねてみると、彼は蒼い双眸を僅かに瞠らせた。突然何のつもりだ、と顔に書いているような気がする。

 ちょっと調子に乗ってしまっただろうかと、ミリアは慌てて付け加える。

「えっと……今更だけど、そういうのもちゃんと知っておいた方がいいかなぁと思って。これでも一応、あなたのパートナーなんだし」

「……」

 はぐらかされないように、質問の答えをどうにか促そうとするミリア。

 対してエルクは、僅かに視線を逸らしてしばらく黙り込んでいた。が、ミリアに引き下がるつもりがない事を悟ったのか、やがて観念したかのように口を開いた。

「お前と初めて会った時に使った程度の魔術なら、身体に大した影響はない。だが、あれ以上の本格的な魔術になると話は別だ。攻撃であれ補助であれ、魔力を練れば練るほど『呪い』の負荷は大きくなる」

 ふとした様子で自分の右掌に視線を落とし、エルクは皮肉を込めたような苦々しい笑みを浮かべ、続ける。

「だがまぁ、幸か不幸か俺の『呪い』は、魔術を完全に封じ込めるような代物じゃない。いざとなれば多少の無理は利く。この前みたいに――」

「駄目だよそんなの!」

 バンッ、と机に両手を叩き付ける格好で、ミリアは思わず立ち上がって叫んでいた。

 あまりの声の大きさに、周囲にいた生徒達の多くが、何事かと視線を送ってくる。

 だがミリアは気にしない。好奇の目に晒されているからといって、言いたい事を我慢するような真似はできなかった。

「冗談でもそんな事言うの止めて。そんな……自分を追い込むような事、二度としないで。私、エルクの足手纏いにならないように頑張るからさ」

「……」

 無言でこちらを見つめ返すエルク。彼の蒼い双眸に、自分は一体どんな表情で映り込んでいるのだろうか。

 やがて周りの視線が興味を失ったように消えていく中、エルクは煩わしげに目を伏せた。

「……何にせよ試験日まであと僅かだ。退学は免れる為には結果を残すしかない。お前は人の事を心配する前に、自分の準備を怠らないように気を付けていればいい」

 事務的に告げながら、空になっている鉄板や食器を重ねて持ち上げ、エルクは椅子から腰を離した。

 話はこれで終わりだと、言外に告げているのがわかる。

「ちょっ……、待ってよエルク! ねぇってば!」

 厨房に食器類を返す為、席から遠ざかっていくエルク。呼び掛けても、彼は一切振り返らなかった。

 残されたミリアはしばらく立ち尽くしていたが、短く息を吐いてから椅子に腰を下ろした。

 まだ食べ切っていない料理の一つに、もやもやした気持ちのまま手を伸ばす。

「……バカ」

 思わず本音が漏れてしまうが、それをぶつけるべき相手の姿はすでにない。

 ついさっきまで美味しかったはずの料理が、やけに味気のないものに感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る