第12話 誤解と信頼

「とりあえず何か飲むか?」

「じゃあ、私はピーチジュースで」


 りょうは待ち合わせ場所である中央公園で千絵美ちえみと合流し、その足で月子つきこさんの喫茶店――「水無月みなづき」を訪れていた。

 涼はファミレスで昼食を済ませていたし、千絵美も昼食を摂ってから家を出てきたそうなので、とりあえずはドリンク類だけを注文することにした。


「了解だ。月子さん、注文いい?」

「はーい」


 千絵美はピーチジュース、涼はお馴染みの烏龍茶を注文。ドリンク類だけなので、キッチンに戻った月子さんは直ぐに二人の注文の品を運んで来てくれた。


「ピーチジュースと烏龍茶です」


 二人のテーブルにドリンクを置くと、月子さんは興味深そうに千絵美の顔を見やり、笑いかけた。


「初めましてだよね。涼君のお友達?」

「ええ、そんな感じです。今日が初デートですけど」

「あらま、涼君にも春が」

「信じなくていいですよ月子さん。この子は雫の同級生で雫の捜索に協力してもらってるだけです」

「あら、そうだったの」


 月子さんは口元に手を当て本気で驚いていた。涼が否定しなければ千絵美の言うことを信じていたことだろう。


「頑張ってね」


 涼に激励の言葉を残すと、月子さんは他のテーブルに食器を下げに向かった。


「可愛い店員さんだね。月子さんって言うの?」


 初めてこの店を訪れた千絵美は、若くて可愛らしい月子さんの存在に興味津々の様子だった。


「ああ、永峰ながみね月子さん。ちなみに店員じゃなくて、あの人がこの店の店主だよ」

「そうだったんだ、これは失礼な勘違いを」

「気にするな。初めてこの店に来る奴はだいたい似たような反応をする」

「涼君はこの店にはよく来るの?」

「まあ、割とな」

「月子さんが目当てとか?」


 興味本位で千絵美はニヤリと笑った。


「まさか、だってもう付き合ってるし、俺たち」

「えっ、嘘!」


 驚きのあまり千絵美は飲みかけていたジュースを吹き出しそうになったが、辛うじて堪えた。


「嘘だよ、本気にするなって」

「性格悪いな、涼君」

「さっきの仕返しだ」

「まあ、そう言われると反論しづらいけど」


 月子さんが本気で千絵美の発言を信じそうになった事を引き合いに出し、涼は事態を丸く収めた。


「おしゃれで可愛いお店だね。本気で気にいっちゃった」


 机や椅子、店内の各種装飾のセンスが千絵美の好みにドンピシャだったらしい。彼女は目をキラキラさせて周囲を見回していた。

 千絵美に限らず月子さんのセンスは非常に同性受けが良く、一人で来店する女性客が多いこともこの店の特徴の一つだ。


「良くこんないいお店知ってたね」

「うちの高校から近いからな。俺に限らず、陽炎かげろうの生徒にはけっこう知られてると思う」

「そうなんだ。茜沢の周りはあまり喫茶店とか無いから、こういうのに憧れてたんだ」

「そう言ってもらえると、何だか俺まで嬉しくなってくるな」


 素直にそう思い涼は微笑んだ。

 しかし、いつまでも和やかな会話を交わしているわけにはいかない。千絵美を呼び立てた理由は、下手をしたら彼女との友好な関係を壊すかもしれない内容なのだから。


 涼は呼吸を落ち着かせるために烏龍茶を一口飲み、複雑な心境で話を切り出した。


「そろそろ本題に入ろうと思うんだけど、いいかな?」

「うん、私はいつでも大丈夫だよ」


 思いのほか千絵美の様子は冷静なものだった。雫に関係する話な以上、軽薄な印象は成りを潜めている。


「実は午前中に雫の友達の、草壁くさかべさんとやなぎさんの二人と会っていた。雫の失踪に関する情報を集めるためにな」

「あの二人に会ったんだ。雫ちゃんと一番仲良くしてた二人だものね」

「気を悪くしないで聞いてほしい」


 そう前置きし、涼は静かに語り始める。


「俺が二人に、雫を恨む、あるいは暗黒写真の呪いを実行しそうな人間に心当たりはないかと尋ねた。茜沢の生徒を中心に何人かの名前が出たんだが、その中にお前の、まどか千絵美の名前もあった」

「まあ、それも仕方がないかもね。真相は前に涼君に話した通りだけど、周りから見たら遅刻の度に叱られている私が、雫ちゃんに反感持ってるみたいに見えちゃうのも分からなくはないし」


 怒るわけでも悲しむでもなく、千絵美の反応は冷静そのものだった。


「俺も本気でお前が雫を恨んでるなんて思っちゃいない。初めて会ったあの日に話してくれたことが本当なんだと思う。だけど、一つだけ気になる話を聞いちまったんだ。そのことだけははっきりさせておきたい」

「どんなお話?」

「雫に千絵美が叱られた直後に、『許さない』って呟いているのを見たっていう話を聞いた。何かの間違いならそれでいいし、もし何か理由があったのなら聞かせてほしい」

「ストレートに聞いてくるなんて、涼君ってなかなか度胸があるね」


 千絵美のその返しには棘は無く、むしろ関心すらしているように見える。


「本当なら疑ってかかるべきなんだろうけど、どうにもお前のことは疑う気にはなれなくてな。誤解は早々に解消したいと思っただけだ」

「どうして信じてくれるの?」

「……正直に言うとさ、お前の顔見るまでは疑心暗鬼だったんだよ。この間の話は全部作り話で仕草も全部演技なんじゃないかって。でもさ、改めてお前と話してみて分かったんだ。証拠とか理屈とかじゃなくて、俺はお前に悪者であってほしくないんだって」

「つまり、根拠は無いけど信じてくれると?」

「まあそんなところだ」

「もし私が凄く腹黒い悪女だったりしたらどうする?」

「そうなのか?」

「いや、違うけどさ」


 あまりにも真っ直ぐな目でそう返されてしまったため、千絵美は思わずたじろぐ。


「ならその言葉を信じるさ。もし裏切られたらショックはその時受ければいいだけの話だ。一生人間不信に陥るかもしれないけど」

「もしそうなっちゃったら、私の責任は重大だね」

「もう一度言うけど、俺はお前を悪い奴だと思いたくない。だからこそ、雫との間に何があったのか、ちゃんと教えてくれ。遠回しにせず率直に聞くのが俺なりの礼儀だ」

「そういう真っ直ぐなの、嫌いじゃないよ。ではでは、その信頼にお応えして私も説明しなくちゃね。とは言っても、別に隠すつもりも無かったし、そんなに重大な話ってわけでもないんだけど」


 そもそも隠し事もなにも、涼と千絵美はまだ二回しか顔を合わせて話したことのない間柄だ。言う機会が無かったという方が適切かもしれない。


「そもそも私が『許さない』って言った対象は、雫ちゃんじゃないんだよ」

「そうなのか?」


 言葉の矛先異なっているのならば、話は根本的に変わってくる。


「あれは三週間前の月曜日。そもそもあの日は私、遅刻はしてなかったから、雫ちゃんのお叱りを受けることは無かったんだけど、昼休みに珍しく一人でボーとしてる雫ちゃんを見かけたから何となく声を掛けてみたんだ。最初の内は世間話をしてるだけだったんだけど、思い切って『何かあったの?』って尋ねてみたの」

「三週間前の月曜か……」


 少なくとも家での雫の様子に不可解な点は無かったと涼は記憶している。あくまでも涼から見たら、ということではあるが。


「それで雫は何て?」

「最近嫌がらせに悩んでるって、そう言ってた。その時点では周りの友達には相談とかしてなかったみたいだから一人で抱え込んでたみたい。まあ、そこまで深刻に思い悩んでた感じではなかったけど、嫌がらせされて、良い気持ちがしないのは当然だよね」

「その嫌がらせをしてた星は、石清水いわしみず若奈わかなか?」

「草壁ちゃん達に聞いたんだね。きっと、真っ先に石清水の名前が出たんでしょ?」


 涼はコクリと頷く。やはり石清水の悪評は茜沢の誰しもが知るところらしい。


「雫ちゃんから話を聞いたのは、嫌がらせが始まってまだ日が浅い頃だと思うんだけど、何でこんなことになってるのかと雫ちゃんは凄く残念がってた。石清水も嫌がらせの一件があるまでは、少なくとも表面上は良い子に見えてたから、『何であの子が?』って思ったんだろうね」

「あまり人を疑うようなタイプじゃないからな、雫は。兄としては、それはあいつの欠点だと思ってるけど」


 人を疑わないと言えば聞こえは良いが、世の中決して善人ばかりというわけではない。何も全てを疑ってかかる必要はないが、だからとって無条件に信用し過ぎるのも考え物だ。


「そうなんだよね。まったく疑ってなかったから余計ショックだったんだと思う。ちなみに石清水が嫌がらせをした理由については聞いている?」

「ああ一応は、要は物事の中心でいたい女王様が、自分より輝いている雫に一方的に嫉妬したってことだろ」

「何その言い回し。でも内容は的確だね」


 言われてみると何だか恥ずかしくなり、涼はわざとらしく咳払いをしてごまかした。


「それで、お前が腹を立てた対象ってのは? だいたい察しはつくけど」

「うん、石清水だよ。私も石清水が雫ちゃんを良く思ってなかったことは知ってたけど、まさか嫌がらせまでしてるなんて思わなかったから頭にきちゃってさ。一番悩んでるはずの雫ちゃんの手前、平静は装ってたけど、雫ちゃんと別れた後に段々と石清水にムカついてきて、思わず『許さない』なんて口走っちゃったわけ。タイミングがタイミングだから、周りには私が雫ちゃんに対して呪いを吐いてるように見えちゃったかもだけどね」

「成程、理解した」

「誤解は解けたかな?」

「ああ」


 話の辻褄は合っているし、涼にとっては千絵美を信用するのに十分に事足りる内容だった。もしも麟太郎がこの場にいれば、「甘い!」と一喝されるかもしれないが。


「ねえ、涼君。あれから雫ちゃんの手がかりは掴めた?」


 千絵美はコップの中の氷をストローで混ぜながら、そう尋ねた。


「一つの可能性が浮かんでる」

「差し仕えなければ私にも聞かせてくれない? 前にも言ったけど、私も可能な限り協力するよ」

「言っていいものかどうか少し悩む」

「信用してくれたんじゃなかったの?」


 千絵美は頬を膨らませて目を吊り上がらせた。本気で怒っているというよりは、ふてくされているといった様子だ。


「信用とはまた違った次元の話なんだよ」


 雫が消えたのは暗黒写真の呪いのせいかもしれないと発言するのは流石に躊躇われた。失踪とオカルトの関連付けなど、万人が受け入れられるような話ではない。ましてや涼自身が、百パーセントの確信を持っているわけではないのだから。

 涼は腕組みをして熟考した。千絵美になら話しても良いような気もするし、かといって万が一にもこの話が原因で溝を作るのも好ましくない。


「どんな話でも、きちんと聞くよ」


 千絵美は真っ直ぐと涼の瞳を見据えて訴えかけた。


「……分かった」


 決意は固まった。真っ直ぐな目をした千絵美に、隠し事をしたくないはない。例えどういった反応をされてもだ。


「実は――」


 涼は暗黒写真に纏わる噂と雫の失踪の関連性について、分かっている限りの情報を説明した。

 話の内容に対して千絵美が拒否感を表したり、苦い顔くらいはされるのではと多少なりとも思っていた涼ではあったが、千絵美は終始真剣に涼の話に耳を傾け、否定的な言葉など一度も発さなかった。


「暗黒写真の呪いか、確かにそれくらいじゃないと今回の事件は説明がつかないと私も思うな」

「理解があるんだな」

「これでも頭は良いんだよ、私」

「それは知ってるけど、だったら尚更こういう話に反発しそうじゃないか?」

「今回の雫ちゃんの失踪は不自然な点が多いのは私もある程度は知ってる。総合的に判断して、暗黒写真の線は考慮して然るものだと思うよ。否定から入ってたら何も解決しないと思うわけだよ」

「説得力があるな。千絵美のくせに」


 伊達に名門校である茜沢で優秀な成績は収めているわけではない。その言葉にはどこか重みのようなものが感じられた。


「いやいや、千絵美のくせには余計だって」

「あうち」


 千絵美は涼のつま先を笑顔で踏みつけ、涼から短い悲鳴が漏れる。


「……とにかく俺らは、暗黒写真が雫の失踪に関わっているのを前提に調査を進める。千絵美にも協力してほしい」

「心得た」


 千絵美はビシッと敬礼。初めて出会った時にも見たポーズだ。千絵美にとってのキメポーズらしい。


「俺の相棒が一人怪しい奴を調べてくれている。俺は石清水若奈を調べようと考えているんだがそれを手伝ってもらえるか?」

「石清水か、今のあいつ誰とも口を聞こうとしないし、なかなかハードルが高いかも」


 自らの悪行によりもたらされた結果とはいえ、現在の石清水はよりいっそう孤立を深めており他の生徒との交流がほとんどない。その状況で雫の兄である涼と関わりを持たせるのは、なかなか骨の折れる作業となりそうだ。


「難しいか?」

「雫ちゃんのためだもの。何とか涼君が石清水と接触できるように計らってみるよ」

「助かる」

「そういえば、涼君の相棒とやらが調べてる相手っていうのはどんな人なの? 私の知ってる人?」

「いや、他校の男子生徒で雫の周りによく出没してた奴らしい。詰襟だったらしいから、角橋つのはし有留川うるはしのどっちかの生徒だろうな」


「その相棒さんは大丈夫なの? 有留川はともかく角橋は不良が多いことで有名でしょ。下手に嗅ぎまわったりして、大変な目にあったりしない?」


 角橋の生徒の素行不良は市内の学生にとっては常識で、街中で見かけても目を合わせてはいけないという暗黙のルールが存在する程だ。積極的に関わっていい相手ではない。


「あいつのことだから、角橋のトップ辺りに直談判しに行ってるかもな」


 涼は軽い口調でそう言った。心配どころか余裕綽綽だ。


「ず、随分信頼してるんだね。その相棒さんのこと。凄く喧嘩が強いとか?」


 角橋のトップの元へ乗り込むならそれは必須条件といえる。否、多少心得があってどうにかなるものでもないが。


「それもあるけど、一番の理由はあいつは絶対に約束を破らない奴だってことかな」

「約束って?」

「あいつは『任せとけ、絶対に捜し出して見せる』って言った。その時点で目的が果たされるのは確定だ」

「言い切れるってのは凄いね」


 千絵美はどこか羨ましそうにそう言った。気の置けない友人と呼べる存在のいない千絵美にとって、涼と相棒との信頼関係はとても眩しく映った。


「あいつのことだから、ひょっとしたらもう辿り着いてたりしてな」


 麟太郎に男子生徒の件を任せてからまだ二時間も経過していない。普通に考えればそれは難しいだろうが、麟太郎ならやりかねないと思い、涼は苦笑を浮かべていた。

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