第9話 容疑者候補

 しずくの失踪から三日。土曜日であるこの日、りょうは待ち合わせのため、陽炎かげろう市の中心に位置する駅前広場へとやってきていた。

 事の経緯は昨晩、雫の担任である織部おりべからかかってきた一本の電話から始まる。

 電話の内容は、雫の友人である女子生徒二人が是非とも涼に協力したいと申し出たというものであった。涼は織部経由でその女子生徒達と連絡を取り、直接会って話を聞かせてもらうことを約束、午前11時にこの駅前広場で待ち合わせする予定となっていた。

 雫の友人から雫の様子や人間関係について聞くことには大きな意味がある。

 雫の失踪が暗黒写真による呪いのせいだとするならば、呪いを実行した者が存在することになる。あえて言うのなら犯人と呼ぶべきだろうか。友人達からもたらされる情報によっては、犯人の正体に迫ることが出来るかもしれない。


 ちなみに今日この場を訪れているのは涼一人だけだ。栞奈かんなは失踪した従兄の学友だという都市伝説に詳しい人物を訪ねに、麟太郎りんたろうは雫の件に類似した失踪事件が過去に起こっていないかを調べに、それぞれが別行動を取っている。


「そろそろだな」


 腕時計は10時57分を示しており、涼は周囲を見回し始めた。

 場所はしっかりと指定してあるし、涼の顔は雫とそっくりなので、相手側からは涼が待ち合わせ相手だと直ぐに分かるはずである。

 涼が駅のホームの方に視線を移すと、こちら側へと歩いてくる二人組の女子と視線が合った。会釈をして来たので、彼女たちが待ち合わせ相手だと確信し、涼も会釈を返した。


「雫ちゃんのお兄さんですよね?」


 花柄のカチューシャを付けたロングヘアーが印象的な少女がそう切り出した。長身と落ち着いた話し方から、同年代の女子に比べると大人びた印象を受ける。


「雫の兄の涼です。君たちが雫の友達の」

「はい。雫ちゃんの同級生の草壁くさかべ彩乃あやのと申します、こちらは――」


 カチューシャの少女――彩乃は自身の自己紹介を済ませると、隣に控えるもう一人の少女へと目配せした。


やなぎ志保子しほこ


 くせ毛気味のミディアムヘアーが印象的な志保子は、緊張しているらしく上ずった声で簡単に名前だけを述べた。どうやら人見知り気味のようだ。志保子は小柄で、長身の彩乃と並ぶとまるで姉妹のようでもある。


「だけど涼さんって、本当に雫ちゃんにそっくりですよね。遠目でも直ぐに分かりましたよ」

「正直似すぎ」

「よく言われる」


 言われ慣れていることではあるが、織部、千絵美ちえみ、そして目の前の二人と、この二日間で三度も「雫と似ている」言われているため、流石にお腹いっぱいだった。


「とえあえず立ち話もなんだし、場所を移して話そう」

「そうですね」


 彩乃が微笑みながら頷いた。

 三人は駅前広場を離れ、ファミレスや喫茶店が多く点在している繁華街の方へ向かって横並びで歩き出した。


「実は私、涼さんとお会いするのは初めてじゃないんですよ」

「そうなのかい?」


 涼自身は完全に初対面だと思っていたため、思わぬ言葉に目を丸くしていた。


「去年の冬です。雫ちゃんと一緒に買い物に行った際に、一度会っています。あの時はほとんど会話もしていませんし、覚えていなくても仕方ないですけどね」

「去年の冬……ああ、あの時の!」


 ピンポイントに時期を言われたことで、涼の記憶の中に彩乃の顔が浮かんできた。

 あの日、学校帰りの涼は栞奈と共に郊外にあるショッピングモールを訪れていた。その際に、同じく学校帰りに友人数人とモールを訪れていた雫と偶然顔を会わせる機会があった。

 今になって思えば確かにあの時、雫の友人達の中に草壁彩乃の姿もあり、二言三言交わしたような記憶もある。その後すぐに雫たちとは別れ、草壁彩乃を含めた友人達とは大した自己紹介も交わしていなかったため、こうして再会しても直ぐには思い出すことが出来なかった。


「実は、お家にお邪魔したこともあるんですよ。雫ちゃんのお家で勉強会をしようということになって」

「記憶に無いんだけど、その時俺も家に居た?」


 自分が忘れているだけの可能性を考え涼は恐る恐る尋ねた。流石に二度も顔を会わせておきながら覚えていなかったとなると、それは大変失礼なことだ。自身の記憶力の低さを嘆きたくなってしまう。


「いえ、確かその日は涼さんは不在でした。雫ちゃんが言うには、泊まり掛けで友達の家に遊びに行ってるとかで。この間の春休みのことです」

「ああ、あの時か。なら納得」


 時期的に考えてそれは、涼が麟太郎に誘われて彼の家に遊びに行った時のことだろう。あの日は家で勉強会をすると確かに雫が言っていたし、彩乃もそれに参加していたということなのだろう。

 ともあれ、その件に関しては知らなくても失礼はなかったのだと判明し、涼はホッと一息ついた。


「私はあの日、具合が悪くて勉強会に行けなかった」

「志保子ちゃんは風邪ひいちゃってたからね」


 俯きがちにしょげる志保子の頭を彩乃が優しく撫でた。やはり身長差の印象が手伝い、その仕草は妹をあやす姉のようにも見える。


「仲が良いんだな」


 涼は軽い振りのつもりで言ったが、その反応は想像よりも深刻なものだった。


「……でも、雫ちゃんが足りません」


 彩乃のその言葉には悲痛という表現がピッタリなように思えた。決して感情的になっているわけでは無いのだが、大切なものを失った喪失感を感じさせる。とても悲しい呟きだ。


「雫がいないと寂しい」


 表現は少し軽いが、そう発した志保子の声のトーンはこれまでと比べ明らかに低く、彩乃同様に大きな喪失感が感じていることが分かる。


「俺が絶対に捜し出すさ」


 雫の兄である涼が言うからこそ、そのシンプルな言葉には決意という重みがある。俯きがちになっていた二人の面を上げさせるには十分だった。




「さてと、それじゃあ色々と話を聞かせてもらいたいんだけどいいかな?」


 近場の全国チェーンのファミレスへと入り、適当な席に着くと、涼は開口一番にそう切り出した。


「もちろんですよ、涼さん」

「出来るだけのことはする」


 雫の力になれることが嬉しいのだろう。二人は力強く頷いた。


「二人はさ、暗黒写真って知ってるか?」

「ええ、知ってます。茜沢あかねざわの生徒なら、知らない人の方が少数派でしょうね」

「私も知ってる」

「そうか……」


 話の取っ掛かりとして暗黒写真の話を持ち出してみたのだが、この先どういう方向に話を振っていくべきどうかを今更ながら悩んだ。

 涼たちは暗黒写真の呪いが本物であり、雫はそれが原因で姿を消したという前提で捜査を進めているが、それは常識的に考えれば滑稽こっけいなことに違いない。そんな話を切り出したら早々に信用を失いかねないので、話しの運び方には細心の注意を払わなければならないだろう。


「涼さん、暗黒写真がどうかしましたか?」


 開始早々に話の間を空けてしまった涼の顔を、彩乃が不思議そうに見つめている。怪しまれてはいけないと焦り、涼はすぐさま開口した。


「ちょっと言いにくいことなんだけどさ、雫がその暗黒写真とやらの呪いをかけられたっていう噂を耳にしたものでね。二人は何か知らないかなと思って」

「涼さんは呪いを信じているんですか?」


 いぶかしむように彩乃は聞いてきた。茜沢には本気で呪いを信じている生徒もいるとは聞くが、やはり現実的な意見を持つ者の方が多数派なのだろう。


「いや、信じているわけではないよ。だけど、雫に対して呪いをかけようなんて真似をする輩がいるとしたら、それは雫に悪意を抱いていることの他ならない。ひょっとしたらその中に、雫の失踪に関与している人間もいるかもしれないなと思って」

「成程、そういうことでしたか」


 合点がいった様子で彩乃は頷き、訝しむ雰囲気もなりをひそめる。

 完全にアドリブだったが、我ながらうまい言い回しをしたものだと涼は心の中で自分を褒めた。


「それじゃあ、納得してもらえたところで改めて質問するけど、雫を快く思わない奴とか、恨んでる奴とか、何か心当たりはないかな? 逆恨みとか嫉妬とか何でも構わない」


 涼のその言葉を聞いた瞬間、彩乃と志保子は互いの顔を見合わせて表情を曇らせた。


「思うところがありそうだね」


 二人の様子から、共通して思い当たる人物かがいるのだと、涼は確信した。


「はい、雫ちゃんを良く思っていない人間と聞いて、真っ先に思い浮かぶ名前が一つあります」

「それは同じ茜沢の生徒か?」

「はい、私達と同じ学校の女子生徒で名前は石清水いわしみず若奈わかなといいます」


 名前を口にすることを、彩乃は全く躊躇ちゅうちょしなかった。

 内容が内容だ。実名を出すことに多少なりとも迷いを見せるのではと思っていただけに涼は少し驚く。

 躊躇なく名前を出せる程に、石清水若奈という女子生徒には道徳的問題があるということなのだろうか?


「その石清水さんって人が、雫を快く思っていない理由は?」

「石清水は自分が物事の中心じゃないと納得がいかないタイプ。だから、人気者の雫のことをいつも目の敵にしてた」


 そう補足したのは志保子だった。これまでに比べると饒舌じょうぜつであり、彼女もまた石清水若奈に対して好意的な感情は抱いていないようだ。


「これまでにその石清水が雫に何かをしたことは?」

「嫌がらせならたくさんやっていましたよ。雫ちゃんのジャージを隠したり、靴に画鋲がびょうを仕込んでいたり」

「雫が嫌がらせを受けていたのか? 俺は何も聞いてないぞ」


 雫に学校での話を聞いても、楽しいとか、勉強が大変だとか、良くも悪くもありきたりなことを言うだけで、嫌がらせを受けているなどという話を聞いたことは一度もなかった。


「心配をかけたくなかったんだと思います。涼さんの前ではいつでも笑顔でいたいって、以前に雫ちゃんが言ってましたから」

「……家族だろうが」


 絞り出した涼の言葉は、雫だけではなく自分自身に言い放ったものでもあった。例え心配をかけさせまいと振る舞っていたとしても、それに気づいてあげることもまた、家族として務めのはずだから。


「その嫌がらせってのは、どうなったんだ?」

「そんなに長くは続きませんでした。というのも、雫ちゃんは黙っていたんですけど、だんだんと周りの皆も異変に気が付き始めて、嫌がらせをしていたのは石清水だということも直ぐに判明しました。雫ちゃんが石清水のことを許したので、大きな騒ぎとなることはありませんでしたが、当然、そんな真似をした石清水の人気は地に堕ちました。完全な自業自得ですし、同乗の余地なんてありません。あんな女」


 彩乃の言葉には石清水若奈に対する侮蔑ぶべつの感情が滲み出ていた。友人に対して自己中心的な理由で嫌がらせをされたのだから、物言いがきつくなるのも仕方がないが、何よりも印象的だったのは岩清水の名を口にする際の氷のような冷たく鋭い目つきだ。見ているだけで冷や汗を掻いてしまいそうな迫力がある。


「その後、石清水とやらはどうなったんだ?」

「嫌がらせは流石に無くなりましたが、困ったことに石清水はその一件で、さらに雫ちゃんを恨むようになりました。暗黒写真の都市伝説が広まり始めた際に、岩清水が雫ちゃんの写真を入手しようとしていたという噂も聞いています。そういった経緯がありますから、雫ちゃんを暗黒写真で呪おうとする人間と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、石清水若奈かと」

「成程、容疑者候補としては十分だな」


 暗黒写真を行うために雫の写真を調達しようとしていたという情報が、何よりも涼の関心を引き付けた。


「石清水は、今どうしてる?」

「普段と変わりませんよ。学校にもちゃんと来てますし」

「そういえば石清水、雫がいなくなった日、嬉しそうに笑ってた」


 今度は志保子の方から、意味深な情報がもたされる。

 もっとも、石清水が雫に対して良い感情を持っていなかった以上、犯人云々以前に単純に雫の失踪を喜んでいた可能性も否定出来ないが。


「……本当、嫌な女」


 彩乃は初耳だったのか、奥歯を噛みしめるようにしてそう呟いた。

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