10.赤ずきんの相談事

 あの日新月の星空を見てからというもの、ターシャは、まともにグリードの顔を見ることができなくなってしまった。

 視線は無意識にグリードを追うのに、それに彼が気づくと、思わず目を逸らしてしまう。

 水浴びも、グリードに会わないようにと、共同浴場に通うようになった。

 あれだけ共同浴場を拒否していたのに、急に行くようになったものだから、ターシャの行動は不自然極まりない。グリードもターシャの様子がおかしいことは、勘づいているだろう。

 さすがに仕事について来ようとするグリードを断ることまではしないが、ターシャは前にも増して客の予約を受けるようになり、その結果、店にはひっきりなしに客が訪れるようになった。

 結果、仕事中は店に入ることができないグリードは、ターシャの様子を心配しながらも、店の外で仕事をするしかなかった。

 幸い、やることなら、まだたくさんあった。

 外壁を洗って塗り直したり、小さかった看板を作り直したり、やってみるとこれが面白くて、どんどん手を加えていく。


(そうだ。外で待つ客のためのベンチを作るか。いや、いっそ雨除けの屋根もつけて……)


 客想いのターシャのことだ。きっと喜んでくれるだろう。

 驚きが笑顔に変わるターシャの姿を想像して、グリードはいそいそと作業に取り掛かった。


 結果、色あせて目立たなかった小さな占い屋が、新築に見間違えるほど、ピカピカになった。

 新しい外壁は、若草色にした。これは、ルーシアの墓地を訪れた時に着ていたワンピースが、とてもターシャに似合っていたからだ。だが、これでは森の景色に埋もれてしまう。だから屋根は真っ赤にし、白く新しい柵に、目立つように大きな看板を掲げた。そして、窓辺と庭にたくさんの鉢を置いた。ここには、季節の花を植える予定だ。幸いここな温暖な気候で、春夏秋冬、なにかしらの花が咲くらしい。それらが先、占い屋を飾ればさぞかし明るく賑やかな雰囲気になるだろう。後でサビアおばさんに相談してみよう。

 そして、極め付けは占い屋に寄り添うように作られた東屋だ。木のカーブをうまく利用して作られた丸さが特徴的な東屋は、柱を増やしたことで、通り側からの目隠しにもなる。勿論、一番喜んだのはターシャだったが、これに驚いたのは、周囲の村人たちだ。これをグリードがひとりでやったと知ると、彼の腕を見込んで、うちの店もやってくれ、うちの家もと、改修依頼が多数舞い込んだ。中には、東屋のような簡易的な休憩所を、畑に作って欲しいという声もあった。

 一応、ターシャの用心棒という役割もあるため、どうしようかと迷ったグリードだったが、ターシャが仕事中は、用心棒職は開店休業状態である事は事実だ。

 グリードは、アジルが騒ぎを起こしたあの出来事以降も、変わらず接してくれる村人への恩返しも兼ねて、店舗や家の改修を請け負うようになった。


「ターシャ、今日はパン屋のセシルの作業小屋を直してくる」

「そう、わかったわ」

「じゃあ、これ……。昼に食べる弁当だから」

「うん。いつもありがとうね。じゃあ、行ってらっしゃい」


 店の前でグリードがそう言うと、ターシャは弁当を受け取りながら、少しホッとしたような顔を見せた。それに少し寂しく感じながらも、グリードはなにも言わず背を向ける。

 ターシャはターシャで、切ない想いを胸にグリードを見送る。そしてドアを閉めて椅子に座ると、ターシャはテーブルに突っ伏した。


「ああ! もう~! 私ってば、何やってるの!?」


 そう嘆いて頭を抱えるが、時間は戻せない。そんなことは分かっているのに、どう接したらいいのかわからないのだ。

 彼への想いを意識する前は、とても自然でいられたのに。

 今は、向かい合って食事をしているだけで、ドキドキが止まらない。せっかくグリードが腕によりをかけて作ってくれた食事だが、正直、なにを食べているのかもわからない時がある。

 そっけなく送り出した時、グリードの瞳は悲しそうだった。

 これが、もしも狼の姿だったら、尻尾が垂れ下がっていただろうと思える程、しゅんとしていた。


「グリードは私を頼ってくれているのに、私が冷たくしてどうするのよ~」


 はぁ、とため息をつくも、やってしまったことは仕方がない。

 すると、ドアをノックする音がした。

 今日も頑張って働かなければ。せっかく、グリードが待合室まで作ってくれたのだ。それに応えたい。

 幸い、仕事をしている間は、こんな不甲斐ない自分のことも、グリードのことも考えずに済む。

 ターシャは立ち上がって、ペチペチと頬を叩くと、気を取り直して今日最初の客を迎え入れた。


「いらっしゃいませ。おとぎの国の占い屋へようこそ」


 ニッコリと笑いかけると、それだけで依頼人はホッとしたように息をつく。

 相談事が重ければ重いほど、最初の挨拶が大事なのだ。

 今日の最初の客は、質の良い流行りのドレスに身を包んだ淑女だった。

 なにやら思い悩んだ様子で、顔色が良くない。占い師としての評判は良くても、ターシャのような小娘を頼る程だ。余程悩みが大きいのだろう。

 ターシャは大きく息を吸うと、安心させるように、客の目を見ながらゆっくりと問いかけた。


「では、あなたの相談を、教えてください。勿論、秘密は守ります」



 * * *



 昼の休憩をはさみ、七人の相談事を終えると、やっと一日の仕事が終わった。


「終わった~! あ~、お腹すいたぁ」


 立ち上がると店を出て、外に吊るしておいたランプにふぅっと息を吹きかけて、灯りを消す。

 グリードが作ってくれた立派な看板も、忘れずに裏返しにする。

 今日は、人数は多くないものの、なかなか内容の濃い相談事が多かった。

 中には恋愛の相談もあり、ターシャは心の中で「私にも教えて欲しいよ!」と思ったものだ。

 ターシャの占いは、よく当たると評判だ。それなのに、自分に関することは占えないのだ。一度、自分の過去を視てみようと思ったことがある。だが、自分自身のことはペンダントはまるで濃い霧に包まれたかのように濁ってしまい、結局なにも視えなかった。


「視えてたら、もっと楽なのに」


 机に戻り、柔らかい布で丁寧にペンダントを拭きながら、思わず口にする。


「――ん?」


 ペンダントに、小さな曇りが現れたのだ。


「……お客さん……」


 曇りはみるみるうちに人型をとり、小柄な少女の姿になった。

 ターシャの店が閉店していることを知ったのか、少女は店の前で困ったように立ち尽くしていた。


「ん~~~~~。ま、いいか」


 少し迷ったものの、この可愛らしい少女をなにがこんなにも困らせているのかが、ターシャには気になった。

 営業時間はとっくに過ぎていたが、こうなっては帰宅が何時になっても一緒だ。そう思い、テーブルの布を整えると、立ち上がった。


「いらっしゃいませ。おとぎの国の占い屋へようこそ」

「あの……お店、閉店したんじゃないんですか?」

「そうですけど……。構いませんよ。とてもお困りのようですし」


 十六歳のターシャとさほど変わらない年頃の少女が、思いつめた表情でやって来た理由が気になった。

 当の少女は、ターシャの言葉にホッとしたように安堵の息をつくと、少しぎこちないが微笑んでみせた。


「ありがとうございます」

「どうぞ。座ってください」

「はい」


 少女は育ちがいいのか、着ていたフード付きの真っ赤なマントを脱ぐと、丁寧な手つきで畳んだ。

 だが、促されて座ったものの、ターシャにどう切り出そうか迷っている様子だ。


「秘密は守ります。どうぞ、あなたの悩みを全て話してください」

「……ありがとうございます。あの、信じてもらえるかわかりませんが、私の祖母は人狼族と付き合いがあるんです」


 人狼族――その言葉を聞き、ターシャの手が止まった。

 勿論、浮かんだのはグリードだ。けれど、今は仕事中だ。なんとかグリードを頭の隅に追いやると、落ち着いた声で応えた。


「――信じますよ。相談事は、そのおばあさまのことですか?」

「はい。実は、祖母は昔、人狼族の長と、とある約束を交わしました。人間を襲わない代わりに、人狼族の住処に人を寄せ付けないという約束です。祖母は、人狼族の森の入口に居を構える森の守り人の一族の末裔なのです」


 その約束が破られそうになる出来事があったのだと、少女は続けた。


「人狼の森というのは、そんなに人間の住まいの近くにあるものなんですか?」

「いいえ。通常は違います。人狼は群れで生活をします。長は絶対で、直系が後を継ぎます。プライドが高く、群れの絆はとても強い種族で、他の群れとは離れて生活しています。通常は、と申しましたが、大体の群れは人が簡単に近づけない山奥の森に、縄張りを作っています。人間社会に近い場所で縄張りを作っているのは、珍しいと思います」


 でも、だからでしょうか……。と、少女は憂い顔でため息をつく。


「人間社会との距離が近いせいか、人狼族の中には、人間に姿を変え、人間社会に溶け込む者が現れました。森の掟を知らずに、人間社会で育った者もいて、昔ははっきりとしていた境界線が、今では少し曖昧になっているのです。勿論、彼らは間違ったことはしていません。種族が違うとはいえ、彼らの人生は彼ら自身で決めることができます。ただ……」


 そんな時に、彼女の祖母が守り人をしている人狼族の長が亡くなった。そこで、人狼の森では、新しい長に誰が就くか、問題になっているのだと言う。


「本来、人狼族とは血筋をとても重んじます。ですが、長老の息子は不慮の事故で他界しておりまして、新しい長老を決める上で、争い事が起こるようになったのです。自由を求める一部の人狼たちが、新しい長の座を狙い、祖母に森の守り人を引退して、人狼族を自由にするよう迫っていて……」


 元々、人狼族は人間に従おうとはしない、自由を愛する種族だ。守り人である彼女の祖母が、特別な存在なのだろう。

 ターシャは大きく頷くと、胸のペンダントを持ち上げ、その中心に手の平でするりと触れた。

 瞼を閉じ、優しく撫でるようにゆっくりと動かす。それを何度か繰り返すと、手のひらにじんわりと熱を感じた。

 頬に触れる空気が変わったのを感じ、ターシャはそっと目を開ける。

 ターシャがいたのは、小さな部屋だ。だが、部屋の中を確認するより先に、目に飛び込んできた光景に、壁に貼りつかんばかりに驚いた。大声を出しそうになって、慌てて自分の口を塞ぐ。

 なんと、華奢な身体の老女が、白銀の髪の大柄な青年に詰め寄られているではないか。窓から見える周りの景色や、老女がまだ寝間着姿だった事からして、早朝、家に押しかけられと見える。

 青年は、何かに気づいたように動きを止め、振り返る。そして、ターシャのいる方を見ると、険しい顔をずいっと前に出し、鼻をヒクヒクと動かした。


(え? 気づいた? う、嘘でしょ!?)


 バクバクと早く打つ心臓が、とてもうるさく感じる。口を覆う手が震え、声が出そうになるがなんとかこらえると、青年の行動をじっと観察した。

 青年はターシャのすぐ近くまでやって来たが、気になったのは外の様子だったようだ。

 チラリと窓の外を確認すると、チッと舌打ちし、また老女に向き合い、すばやい動きで老女の鳩尾を殴った。ターシャは驚きに声を出しそうになるが、なんとか押さえ込む。この部屋にあるのはターシャの意識だけだ。声を出しても相手には聞こえないはずだが、今までも、感覚の鋭い相手はいた。今回の相手は、人間よりも嗅覚、聴覚共に優れている人狼だ。用心するに越したことはない。

 老女は一体、どうなってしまうのだろう。

 ターシャは文字通り、息を潜めてじっと様子を窺った。すると、青年はぐったりと意識を失った老女をベッドの下に押し込み、自らは布団の中に潜り込もうとした。だが、体格が大きすぎて、ベッドからはみ出してしまう。そこで、青年は狼の姿になり、布団の中で身体を丸めることで、なんとかベッドに収まった。そこに、ドアを叩く音が軽やかに響く。

 先ほど、青年が外の様子を気にしていたのは、訪問者の存在だったようだ。先ほどの老女は、鳩尾を殴られたとはいえ、訪問者に助けられたようなものだ。だが、この訪問者の運命は、一体どうなってしまうのだろう?

 ターシャは息を潜め、じっと観察する。

 すると、そこに現れたのは、フードを目深に被った赤いマントの少女――占いの、依頼者だった。

 ベッドの中が人狼族の青年に入れ替わっているとは知らずに、少女は笑顔でベッドに近づく――。


『おばあさま。ご機嫌いかが?』


 すると、ガバリと布団を跳ね除けて姿を現した狼は、少女に向かって大きな口を開けて威嚇した――。

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