おとぎの国の占い師~恋する赤ずきんと家出オオカミ

雪夏 ミエル

プロローグ:占い師、ターシャ

 あるところに、とても恵まれた国々があった。

 公正で平和な世を目指し、国民に支持された国王と、それに寄り添う穏やかで優しい王妃。そして、美しい姫に王子たち。

 その国々は資源にも恵まれ、お互いが同盟国として友好な関係を築いており、国民も平和に暮らしていた。

 周辺諸国は、平和で恵まれたこの国々を、おとぎの国と呼んだ。

 この物語は、そんなおとぎの国の美しい姫――ではなく。

 恵まれた大国に挟まれるように存在する、ある小さな国の、そのまた村はずれに住む、占い師の少女の物語である。



 * * *



 楕円のペンダントの中央にはめられた鏡のような表面を見ていると、中央に小さな点が生まれた。それはすぐに大きくなり、やがて煙のようにゆらゆらと揺れ、そして人型をつくった。人型の周りを、細かな煙が渦を巻く。


(壁……。室内かしら? 違うわ。これは、狭い路地?)


 煙はどんどん形を変え、煙のような黒い筋はどこかの街角の景色になった。

 ターシャは、それを確認すると、ぎゅっと瞼を閉じる。

 身体がなにかに包まれたような感覚がして、目を開けると、ターシャは鏡で見た光景の中に入り込んでいた。

 汚れた石造りの壁が続く、薄暗い路地。

 日の当たらないその場所は、空高くに輝く太陽の光も届かず、少しひんやりとした空気が肌を撫でる。

 ターシャの前に現れた人物はふたり。

 背の高い赤毛の男と背中まで波打つ豊かな黒髪を持った妖艶な美女が、まるで秘め事でも話すように、お互いの顔を寄せて話している。

 その様子は、見ている限り、互いを想い合っている恋人同士のようだった。

 ふたりは、周りなど目に入らないかのように、熱心に話している。

 目を潤ませる女の肩にそっと手を乗せ、男がなにかを囁く。そしてもう片方の手を女の背に手を添えて、女を支えるように体を寄せ合うと、そろってターシャがいる方に向かってきた。

 思わず道を譲るターシャの目の前を、かすめるようにしてふたりが通り過ぎる。

 ふたりにはターシャの姿が見えているはずがないのだが、ぶつかりそうな気がしてつい避けてしまった。

 鏡の中に映った光景に飛ばしているのは意識だけなので、ぶつかることも、見つかることもない。だが、その場所にいる感覚は、ターシャにとってあまりに現実的だ。見えていないとわかっていても人がぶつかってくるのはいい気がしないため、こうして避けてしまう。

 見送ったふたりは、細い路地を左に曲がり、更に奥に急ぎ足で消えた……。

 さて、後を追うべきか、否か……。

 ターシャは腕を組み、ふたりが消えた路地を見つめる。

 親密そうな雰囲気だったこともあり、後を追うのは少し躊躇われる。

 いくら仕事といえど、ターシャはまだ十六歳の少女だ。まだ恋とか愛などは経験したことはない。だが、親密な雰囲気の男女が人目を避けるように路地裏に消えたら……なにが起こる可能性が高いか、それがわかる程度には、知識を持っていた。


(う~ん……)


 少し迷ったものの、やはり後を追うことにした。

 仕方がない。依頼は依頼だ。

 ここはもう、そういうことですよね!という確信が持てたら、それで終わりにて引き返せばいいのだ。自分に言い聞かせる。

 だが、一歩踏み出したところで、目の前の空気が揺れ、続いて視界がぐにゃりと歪む。

 あ、と思った時には、ターシャの意識は元いた部屋に戻っていた。


「ええと……」


 チラリと目の前の女性に視線を向けると、彼女は今にも泣きそうな顔でこちらを見つめている。

 勿論、女性側からは、ペンダントに映った光景は見えないはずだ。見えるとしても、ペンダントに歪んで映る自分の顔だけなのだが、女性はその中からなにかを見つけ出そうとするように、目を離さない。

 どう伝えようか……心の中で少し迷っていると、ペンダントに映っていた景色が変わった。

 どうやら、続きがあったようだ。

 背筋を伸ばすと、気を取り直して、ペンダントに映された光景に目を凝らす。そして、また自分を包み込む柔らかな空気に身をまかせ、意識をペンダントの中に飛ばした。


 路地裏の奥にある、とある建物の中では、傷ついた男が横たわっている。

 逞しい肩に幾重にも巻かれた包帯にはうっすらと血が滲んでおり、男の額には玉の汗が浮かんでいた。時折苦し気に顔を歪ませている。

 その姿を見て、顔色を変えて黒髪の美女が駆け寄る。その美女に気づき、男はとっさに起き上がろうとするが、苦悶の表情を浮かべてそのまま身体のバランスを崩した。

 自らの身体を投げ出して男を支えた美女は、そのまま男を抱きしめる。それを見届けると、赤毛の男は静かに部屋から出て行った。

 ああ、良かった……と、ターシャは胸をなで下ろす。

 これで映像は終わりのようで、ターシャの目の前で、抱きしめ合うふたりの男女がぐにゃりと歪んだ。


 視線を上げると、依頼人の女性は、先ほどと同じポーズのまま、ターシャを見守っていた。

 不思議なもので、見た景色の結果が違うと報告するターシャの気持ちも違う。先ほどとは違って、晴れやかな気分で依頼人に向き合うと、ターシャは女性を安心させるように、にっこりと微笑んでみせた。


「浮気ではありませんね。ええと……友人が大怪我で意識を失っていた間、彼の奥さんの相談にのっていただけのようです」


 ターシャの言葉に、目の前の女性が嬉しそうに声を上げる。


「良かった……! ターシャ、ありがとう!」


 先ほどまで苦悩で歪んでいた女性の顔は、うって変わっ明るい表情に変わっていた。

 頬には赤みが差し、感謝を伝える唇は弧を描いて零れるような笑顔を見せている。

 それを確認すると、ターシャは笑顔のまま、しっかりと頷いた。


「これからのあなたに、幸福が訪れますように」


 いそいそと帰り支度を始める女性に声をかけ、ターシャは首からぶら下がるペンダントをゆっくりと撫でた。

 ターシャが首にぶら下げているペンダントは、赤子のこぶし大ほどあり、両側には小さな水晶がついていた。

 先ほどまでの光景が映し出されていたのは、水晶に挟まれたペンダント部分で、鏡のようになっている。それを念じながら手のひらで撫でると、そこに依頼人の知りたい光景が映し出され、ターシャの意識は鏡の中に吸い込まれていく。

 占いを終えた後のペンダントは、透明感のないガラスのように、少し曇っていて映したものが歪んで見えた。今も、覗き込むターシャの顔が歪に見える。依頼人は、これで真実が見えることを不思議に思う者が多い。中には信じない者もいたが、占い通りの出来事が起こり、ターシャの占いが正しいことを証明した。それが口コミで広まり、今ではターシャの占い屋はなかなかの人気なのだ。

 恋人の身の潔白を知り上機嫌の客は、再び礼を言うと、ターシャに多めの代金を渡して立ち上がった。

 一度はそのまま受け取ったものの、すぐにおかしいと気づいて、ターシャは余分を客に差し出す。だが、客はそれを受け取ろうとはせず、首を振って断った。


「でも、随分と多いですよ」

「いいのよ。あと、これも。私の悩みを解決してくれたお礼。久しぶりに、彼にも笑顔で会えるわ。――誰にも言えなかったのよ。彼を疑っているなんて、自分が酷い女のような気がして……。とても苦しかったの。今日、ここに来て本当に良かったわ」


 代金に続き、押し付けるように渡されたのは、大きなバスケットだ。

 ターシャはとっさに両手で抱えるように受け取ったが、一体なにが入っているのか、ズシリと重い。上には布が掛けられており、中身は見えなかった。


「えっと……これはなんですか?」

「差し入れよ。ターシャ、仕事熱心なのはいいけれど、最近ちゃんと食べてないようだったから」


 すん、と鼻を動かすと、パンの匂いがする。

 途端に空腹を意識したターシャがゴクリと喉を鳴らすと、客はさもおかしそうに噴き出した。


「こんな時間まで話をじっくり聞いてくれて有難いんだけど、でも食事はちゃんと摂らなきゃダメよ」


 笑顔の客にお礼を言い、ターシャも席を立つ。

 ドアを開け、ターシャは客を見送る。

 だが、彼女はターシャを振り返ることなく軽い足取りで立ち去った。一刻も早く、恋人に会いたいのだろう。

 客を見送ると、外はすっかり暗くなっていた。

 懐中時計で時間を確認すると、閉店の時間をとうに過ぎていた。


「あー。やっちゃった……。また話しこんじゃったわ」


 ついつい仕事に熱中してしまい、時間を忘れてしまうのはターシャの悪い癖だ。

 周りの人は、ターシャのことを仕事バカと言う。

 本人としてはそのつもりはないのだが、今日のようなことが続いては、自分でも認めざるを得ない。

 ターシャがひとりで営むこの店は、自分のペースで仕事ができるのが長所だが、こうして度々働きすぎてしまうきらいがある。


「あっ……!」


 ある事に気づき、再びポケットの懐中時計を確認すると、既に商店街も営業を終了している時間だった。


「このままだったら、またご飯食いっぱぐれるところだった……」


 ターシャはまたため息をついた。

 決まった金額以上の報酬をもらうのは、なんだか申し訳ないような気もするが、今日ばかりは有難い。特に、おまけのバスケットの方だ。

 いそいそと腕の中のバスケットを見ると、パンと干し肉、葡萄果汁の瓶、そしてリンゴが数個入っていた。

 こういうのは本来受け付けていないのだが、表面がパリッといい色の焼けたパンの香りに、おなかが盛大に空腹を主張する。


「……さっさと片付けて帰ろう」


 ブツブツと独り言を言いながらテーブルに戻ると、敷いていた布を畳んだ。そして、ポケットの中から、今度は小さな布を取り出した。

 どんなに遅くなっても疲れていても、ターシャは必ずペンダントを丁寧に磨き上げる。

 左右の水晶も含め、三つとも丁寧に柔らかな布で磨くと、ペンダントは輝きを取り戻し、ターシャの顔が映りこんだ。そこに映る顔は、癖の強い茶色の髪に、大きいだけが自慢の、ありふれた茶色の瞳。化粧を施していない顔は、なんとも地味だ。つい、先ほどまでいた客と、水晶玉に映った妖艶な美女と較べて、ため息を落とす。

 愛する人がいる彼女たちは、とてもキラキラしていた。

 いつか、自分にもそう思える人は現れるのだろうか。

 こればかりは、自慢の占いでもどうにもならない。

 一応、試してみたことはあるのだが、自分のことは視えないのだ。

 視えていたら、色々わかったかもしれないのに――そう思い、何度も挑戦したが、結果は同じだった。


 ぐぅぅぅ


「ダメだ。お腹すいたわ。帰ろう」


 ターシャは、お腹の音に急かされ、やっと店を出た。

 外はすっかり暗くなり、冷たい風が頬を撫でる。

 ターシャは寒さに身を縮めると、足早に家に向かった。

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