ⅩⅩⅩⅣ

 その事自体を忘れてしまっていたある早朝、夜勤早出だった私は普段よりも一時間早く帰宅した。この時間に在宅しているのは香津だけのはず、まだ六時にもなっていないので恐らく起きていないと思う。

 私はなるべく音を立てないようそっと解錠して抜き足差し足で中に入る。二階から小さいながらも物音がする、私は一旦トイレに避難しようと個室に入る。

 「臭っ!!!」

 何故?誰かいるのか?取り敢えず私の声に対する反応は特に無かったのでどうしたものかと思案する。さてこの状況をどうするか……放置したところで何もならないだろう、と言うよりこの臭さを放置するなど絶対に無理だ。いや、今から掃除しよう、どのみち私が当たっているんだから。

 そうと決まればまず窓を開けて換気する。荷物は……出たところの脇にでも置いて掃除中アピールのためドアも全開にしておく。

 「……あんた何やってんの?」

 いつの間にやら香津が起きてきたらしい。

 「見ての通りトイレ掃除ですが」

 「一体何時だと思ってんのよ!?」

 「午前六時ですね。ただこの臭いは堪えられません」

 臭いだぁ?香津は今やすっかり馴染んでいる汚い口調で言いながらトイレに顔を入れる。

 「何も臭わないじゃない!」

 「これだけ汚れているのにですか?」

 私はトイレシートの黄ばんだ拭き跡をわざと見えるようにする。

 「汚っ!そんなもん近付けないでよ!」

 「あなたはもうこの臭いに慣れてしまわれたようですね」

 「……何が言いたいのよ?」

 と凄もうとする香津を遮るかのように聞こえてくる男の声。

 『お~い』

 「「……」」

 おいお前誰連れ込んだ?……って聞かなくても分かるが。

 『お~い』

 またしても男の声、さてどうする?

 「ただいまぁ……どうしたのぉ?」

 相も変わらず緊張感の無い口調の由梨、今日は月に一度の夜勤だと言っていたので行きは一緒に家を出た。

 「さっき帰宅したらトイレが臭かったので掃除してます」

 「え~っ!?またぁ!?」

 由梨はげんなりとしながらも案外早い動きで家に上がりトイレに頭を入れる。

 「んもぅ~何でぇ?」

 「お前がサボったからだろ?」

 香津はこれで形勢有利になったとでも思っているのか?昨日のトイレ掃除は由梨、私も家にいたので彼女が掃除をしている現場は見ている。

 「それは無いです、私見掛けてますので」

 「へぇ、てめぇ麻帆の弱みでも握って脅してんのかよ?」

 「はぁ~?私そこまで暇じゃありませ~ん」

 私を脅して何の得があると言う?せいぜいこの家の家主ってだけの話ではないか。要はお前もそうして取り込みたかったのだろう、この状況で真っ先にそれが思いつけるのだから。まぁこの手のタイプは必要無くなるとゴミの様に斬り捨ててくれるから信頼はしていないが。

 「お~い、腕時計どこだぁ?」

 とミシミシと音を立てて階段を降りてきた仰木大和クズ男、半袖下着とボクサーパンツといういでたちで呑気そうに香津に声を掛けている。

 「「「……」」」

 うん、確実にヤリました後ですよねぇ。

 「……誰コイツぅ?」

 由梨の言葉はごもっとも、私も知らない男なら間違いなくそう思う。ただ多分声には出さないが。

 「客人に向かって『コイツ』って何?」

 いや由梨と私からしたらただの不審者だが。

 「私は招いておりませんが。それより何故ここにいらっしゃるんです?」

 「それは僕の自由でしょ?」

 「普段の状態でしたらね。今ここにいるのは不味いんじゃないでしょうか?」

 私はゴム手袋を捨てて手を洗い、ケータイをいじってとある情報をググる。

 「何が言いたいの?」

 「まだ分かりません?深夜零時頃亡くなられたらしいですよ」

 私はケータイから視線を外さない、この男を視界に入れると殺意が芽生えそうになる。

 「亡くなったって……どういう事だよ?」

 「言葉のままの意味ですが?」

 「だから何が!?」

 クズ男は苛ついた口調でそう言ってくる、苛つくのはむしろこっちだ。

 「あなたが担当している漫画家さんですが」

 「担当してる漫画家なんか一人二人じゃないんだよ!」

 そんな事くらい分かってる、しかし想像はできないのか?

 「思い当たりませんか?」

 「思い当たらないなぁ」

 「……」

 不謹慎を承知で言わせてもらおう、お前が死ねや。


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