第36話 シン・インディファレンス
雨宮から届いたメッセージを開くと、そこには僕が聞きたかった情報が全て書いてあった。
つい数分前の通話で話を聞いたとき、部外者の僕には写真を消した犯人は一人しか思い浮かばず、しかも、それが合っているのか確証は無い。もちろん今も無いが。
ほとんど根拠のない心証だけの犯人決め。犯人を絞ったうえで道筋を立てる、後出し的で、こじ付け的な推理。まともに考えて探すだけでは時間が無いんだ。仕方がない。僕に出来ることをするまでだ。無実の相手を疑うことになるとしても、進む向きが違うとしても、可能性を潰せばそれでいい。他の誰かが真実へと追い付いてくれるなら。
もう一度、メッセージ内容を確認する。
一つ目は、投票結果を集計中に展示写真を回収したこと。
二つ目は、回収した写真は、そのまま準備室に持ち込んだこと。
三つ目は、投票結果上位の写真を探している時に、無くなったのが発覚したこと。
四つ目は、集計中は準備室に部員以外の出入りがないこと。
とりあえず、これだけ情報が揃えば絞られるか。
「やっぱり、犯人は写真部の中に居るか、準備室の中でどこかに紛れ込んでいるかだな」
そうすると、他に必要な情報が出てくる。今から雨宮に連絡をとれるかな。
リストの一番上の雨宮の名前を呼び出す。三コール目で、雨宮の今にも泣きそうな声が聞こえた。その声を聞くだけで、犯人に対して苛立ってくる。
「雨宮、大丈夫か。聞きたいことがあるんだけど」
「うん、大丈夫。えっと、聞きたいことって、何かな」
「今日は準備室に置かれた三脚とか、三脚のケースを使っている人はいるか?」
「ちょっと待って、見てくるね」
スピーカーの向こうからガサガサと布のこすれる音と、誰かの叫び声に似た音が届く。
その間にも考えを纏めようと集中し、無意識に右手で頭を抱えながら、コツコツと一定のリズムで叩いていた。パズルのピースが動き、一つずつ隙間が埋まっていくような感覚。
でも、「どうして」が見つからない。たぶん、僕にとっては大したことの無い内容のはずなんだ。でも本人には重要なこと......。
「もしもし、篠崎くん」
「うん」
「あのね、三脚は五本だけ使われてた。三脚のケースは、六本使われてたの。これで良いかな」
「ありがとう。あといくつかお願いがあって、まず一つ目が、三年から五年くらい前の作品集があれば見せて欲しい」
「それなら大丈夫だよ」
他にもいくつかお願いをして、また後で会う約束をした。
雨宮の切羽詰まった声も、一ノ瀬の写真を見つけて欲しいという頼みも、僕には重すぎて出来れば背負いたくはないが、今回は自分にしか出来ないことがある気がする。だから、痛みを受け入れよう。誰を傷つけるのか覚悟を決めよう。
折角の学園祭だから何も起きなければ良かったのに。
その後、人で溢れ返る四階の踊り場で雨宮と会い、頼んだものを受け取ったのは十分後だった。人ごみの中で隠れるように情報を受け渡す、この状況は何かの映画のスパイみたいだ。いや、探偵の方が近いのかな。
「ありがとう。雨宮は大丈夫か」
「うん、まだ大丈夫。これが作品集、どうぞ」
雨宮も開票していたらしいから、周りから疑われているのではないだろうか。そんな不安に駆られ、心配にはなる。
しかし、その心配を口に出すのだけは憚られ、声が出なくなっていた。疑われていると考えてしまったことを、気付かれたくなかったから。
「それで、開票中に準備室から出た人は分かった?」
「分かったよ。私が憶えている範囲だけど......この紙に纏めてみた。はい、四人分の名前と部屋を出たタイミング」
受け取った一折の紙を開くと、四人分の名前が退室時の状況と一緒に並べられている。雨宮から感じる、普段のおっとりとした雰囲気とは、全く結び付かないほどの流れる様な綺麗な字。
折れないように、大切に紙を胸ポケットにしまう。少しだけ重みを感じた。
「ありがとう。それと、展示用の写真の提出ってデータを渡しているのか?」
「みんなそうだよ。今年はフィルムの人が居ないから、みんなデータで提出して、部長たちがまとめてプリントするの。部費を使うから、それが一番良いみたい」
「一條のデータは無事なのか?」
「うん大丈夫だって。でも今からだと発表には間に合わないかな」
「そうか、でも無事ならよかった」
これで聞きたいことは、大体聞けたかな。考えは纏まっていないが、あとはその場で何とかするしかない。人ごみの中で聞こえてくる会話ように、断片的で、はっきりとしない曖昧な推理。
はあ、大丈夫かな。
楽しそうに人が行き交う中で、壁に寄りかかりながら深刻そうに喋る二人の姿は、たぶん周囲から浮いているだろう。
「最後に一つ良いかな。一條の写真のモデルって五十嵐だよな」
「うん。そうだよ! 本当に分かったんだ......凄いな」
「あれで分からなかったら、あの二人に怒られそう。あんなに一緒に居るのに気づかないんだって。それに、雨宮も五十嵐をモデルに撮ってたでしょ」
「私のも、分かってくれた?」
「たぶんね。タイトル的には、雨宮は連射して撮ったのかな」
「あ、正解。嬉しいな」
「あの二枚の写真が好きだったよ。だから、必ず見つけ出すから」
正直、写真の場所を探し出すのは難しい。
でも、写真自体は見つけられなくても、隠した本人から直接聞きだせば良い。
「ありがとう。篠崎くんが居てくれてよかった。......えっと、学園祭終わったらさ」
「うん」
「いや何でもない、今の忘れて。また後でね」
「また後で。ぜんぶ解決させてからクレープを売ろうな」
最後に笑う雨宮を見て安心する。そのまま手を振って、階段を降りていく雨宮を見送り、視線を手元の三冊の本に向ける。
さて、この作品集を読んだら本番だ。
廊下に立ち教室の扉が開くのを待つ。そろそろ一時半になろうとしているが、学校全体に広がる美味しそうな匂いは濃くなるばかり。校内放送では、校庭のステージで行われる男装女装コンテストの開催がアナウンスされ、まだまだ学園祭の熱気は冷めることなく、盛り上がる一方だった。
左肩に掛けた鞄の紐をさする。もう良いかな。
首に手を当て、早鐘を打つ鼓動を落ち受けながらドアをノックする。
「はい。誰ですか」
勢いよく開いた扉から覗いた顔は、見覚えのある人物だった。
視界に飛び込んだ夏空の様に青いTシャツに、僕はあっ、と思わず声を漏らす。その後ろには、散乱した紙の束や転がる円柱の筒、立てられた一本の三脚、机に置かれた写真が広がる。
「こんにちは。お久しぶりです、先輩」
「えっと、君はさっき写真を見に来てくれた。ごめんなさい、まだ結果発表してないんですよ。もう少し待って貰えるかな?」
「写真が無くなったって聞いて来たんですよ」
「何で知っているの? そういえばそのTシャツ......もしかして雨ちゃんから?」
「そうです、大切な写真だって。その写真について、少し話したいことがあるんですよ。今から時間良いですか」
「告白......って感じじゃないよね。私で大丈夫?」
「はい、勿論です。西山先輩」
「私の名前......。.分かった、ここは人が多いし上に行こうか」
そういうと西山先輩は、教室に向かって二言三言喋りかけ、階段へと向かって歩き出す。その数歩後ろを、黙って追うようについていく。
辿り着いたのは四階からさらに階段を上った先、屋上への扉の前に作られた小さな踊り場だった。明かりが届かず、ジメっとした薄暗い二畳ほどの空間には、小さなはめ殺しの窓と掃除用具入れがあるだけで、そのほかには僕と西山先輩が向き合って立っているだけだった。
「話したいことって何かな?」
「時間も無いですし、単刀直入に言います。写真を無くしたのは先輩ですよね」
「本当にいきなりだね。別に私を疑うのは良いけれど、証拠はあるの? それに私が隠す理由なんてないでしょ」
「疑う証拠はあります。たぶん僕にしかない証拠ですけど。隠した理由も、見つけ出したつもりです。もしかしたら、無実の先輩を傷つけることになるかもしれないけど」
「そうなんだ。分かったよ、でも、キミの話を聞く前に一つ教えて。キミみたいな部外者が、どうして写真部のトラブルに首を突っ込むの?」
「正直、どうでも良いですよ。写真部で何が起きようとも、僕には無関係だし」
「それなら」
「問題は無くなった写真の方なんですよ。あの写真の撮影者とモデルが僕の数少ない友達なんで」
喋るにつれ、一條と朱音の姿が、そして雨宮と一ノ瀬の姿がそれぞれ思い浮かぶ。
何を熱くなっているんだろうなと、客観的に見ている自分が笑うが、それでも僕はもう引くことは出来ない。
「写真の情報も聞いたんだね」
「聞かなくても見れば分かりますよ。あの写真の顔は毎日のように見ていますし、あの表情を引き出せるのは一條だけです。僕の知る限りでは」
「キミはそのモデルのことを良く知っているのね。もしかして彼女なの?」
「違いますよ、友達です。......それで話を戻しますけど、どうして西山先輩はあいつの、一條の写真を自分の写真だって嘘ついたんですか? この写真に投票しなくて良いって」
西山先輩に話しかけられたのは一條の写真の前で、確かに先輩は一條の写真を自分のだと言っていた。それが僕にしか分からない最初の違和感で、疑ったきっかけだった。
「そんなの冗談に決まっているでしょ。一人分の票の為に嘘を吐くなんて、そんなことしないよ」
「でも、その後に感想を聞いた写真は先輩のではないですか? 鳥の影が映った海の写真です」
「あれは適当に指さしたの。それに撮影者は書いてないのに、どうして断言できるの?」
「まず一つ目は匿名だからですよ。確か、部内でも撮影者は分からないようにしていたんですよね。それなのに撮影場所とか詳しかったじゃないですか、秘密の場所らしいとか言って」
「でも、別に場所くらい知っていても不思議じゃないでしょ。そんなの、この世界で一人しか知らないわけではないし」
「そうですよね。でも、これを見てください」
雨宮から借りていた作品集を鞄から取り出して、あらかじめ確認しておいたページを開く。
ページの隅には、一枚の目を引く写真が掲載されていた。
「先輩は知ってますよね。この写真」
写真の隣には、西山香織という名前。
「なんでその写真を」
「すみません、借りたんですよ。この写真撮ったの、先輩のお姉さんじゃないですか? 西山って苗字も一緒だし、撮影場所も同じに見えますし」
雨宮から聞いていた凄い先輩とは、目の前の西山先輩のことだった。そして、その姉もまた写真部で一目置かれていたと言っていた。
そして数年前の卒業記念の作品集には、ページをめくった瞬間に手が止まり、自然に目を奪われた写真が一枚。構図や場所、伝わる雰囲気が先輩の写真と似ている。これを偶然とするのか、なにか繋がりがあるとするのか。
「そうだよ、それは姉の。今回はその写真を参考にしたの、もうその作品について知っている人はいないと思ったから」
良かった、ここまでは間違っていない。階下の足音や振動がこの狭い空間に響く中、閉じた作品集を鞄に仕舞い、続きの切り出し方を考える。
どうやって話を繋げようか。反響と間違えられない緊張から生まれる、圧迫感に潰されそうだ。
「嘘を吐いて私の写真の感想を聞いたところで、肝心の無くなった写真についてはどう説明するの。繋がらないでしょ?」
「一條の写真が消えたのは準備室で開票が始まってから、入賞作品を選ぶまでです。その間に、準備室を出入りしたのは四人の部員だけ。これがその四人です」
胸ポケットに仕舞っていたメモから、四人の名前を読み上げた。
その中には西山先輩の名前も入っていて、集計が終わる少し前に退出していた。
「準備室の持ち出せるのはこの四人です。先輩の名前もここに入っています」
「ふーん。それなら他の三人じゃないの?」
「確認してもらったんですけど、他の三人はカメラ以外は何も持たずに部屋から出ています。写真を隠し持って部屋から出られないんですよ」
雨宮から受け取ったメモには、持ち出したものは無いと書かれている。もちろん、抜けがあるかもしれない不確定要素の残る情報だが。
「私もカメラ以外は持ってなかったけど、それでも疑ってるの?」
「先輩、三脚を持って出ませんでした? 違うな、三脚のケースを持って出てますよね。ケースだけを。準備室にあった三脚の数とケースの数が合わないみたいです。あの筒状のケースの中なら写真を折らずに運べるし、怪しまれないわけで......こう考えると先輩くらいしか疑える人が居ないんですよ」
「三脚のケースが元々一本足りなかったとか考えなかったの?」
「考えましたよ。さっき教室の中を覗いたとき、全部ケースに仕舞われて保存されているみたいでしたし、足りないってことは無いはず。それに一本だけ三脚が立てられていました。たぶん、あの三脚のケースを使ったのでしょう。ケースに写真を入れて持ち出しても、開票時には人が少なかったみたいですし、あの色々と散らばった準備室なら疑われにくいでしょう」
ここで認めてくれないと後がない。こんな穴だらけの推理で上手く引っかかるのか。
互いにじっと目を見つめる。先に目を逸らしたら負けを認めることになりそうで、身動きが取れない。
「そうだよ。私が隠したの。どうしてかは分かる?」
動機か。訪れたこの時間に唇をかむ。
動機なんて、証拠があったところで本人以外に分かる訳が無いのに。
「すみません、気を悪くするかもしれないです。西山先輩はあまり写真が得意じゃないのかなって思うんですよ。お姉さんの香織さんと比べると特に。それでも、西山香織の妹だからっていうことで期待されてたんじゃないですか? 香織さんを知っている上級生か顧問かは分かりませんが。それで普段は写真を撮らずに、学園祭なんかの必須のタイミングでしか写真の提出をしなかった」
「写真が下手なんだよね。それは分かってる」
「下手なことを隠すために、お姉さんの写真の構図を真似したり、同じ写真を撮ろうとしたり」
「私のお父さんも写真を撮るから、その写真をこっそり提出したりね」
「それで今回、投票結果が大体わかったところで、入賞が確定していた一條の写真を隠して展示を遅らせようとしたんじゃないですか? 香織さんか、先輩が提出した写真の元ネタを知る誰かが来るってことで」
「時間稼ぎのためって言いたいの?」
「それが現実的かなって思うだけです。そもそも写真を隠したところで、提出した写真データは無事だったようですし、時間はかかるけれど展示は再開できます」
ここまで言って息を整える。
時間を確認したいが周りには時計が無く、焦りが出てくる。早く写真の場所を聞きださないと、ここまで話した意味が無くなる。
「なるほどね。キミの意見も間違ってはいないけど、正解じゃないよ。最後の最後で外れ」
でもここまでバレちゃったらなと呟き、虚空を見つめる。
空を彷徨った視線は僕の背後のロッカーへと向けられた。
「ただの嫉妬だよ。キミが一條さんの写真を褒めた時に、構図とか関係なく惹かれるって言ったの憶えてる?」
西山先輩との最初の会話をぼんやりと思い出し、無言でうなずく。
「あれが羨ましかったんだよね。私が目指して望んだものが、年下の一年生にあるってことが悔しかった。しかも私の写真は綺麗だけど、それ以上の魅力は無いって。綺麗なのはお姉ちゃんの構図を真似たからで、私の実力じゃない。何となく私も認めていたけれど、あんな風に直接誰かに言われるとさ、見たくないものまで見ちゃうでしょ。お姉ちゃんや一條さんにあって、私にないもの」
本当に嫌になるよね、と言って笑った。
その表情を僕はどんな顔で見ていたのだろうか。この事件の切っ掛けはたぶん――。
「ただの衝動だったの。一條さんの写真がみんなに認められて、やっぱりっていう嬉しさと、悔しさの中に、キミの言葉が残っていたんだ。誰が見ても惹かれる写真って認められるのが、我慢できなかった」
「あのとき言わなければ」
「たぶんそう、あの場でキミと合わなければよかった。......それで私はどうすれば」
僕のせいか。
校舎に響く歓声や呼び込みの声が、水の中のようにぼんやりと耳に届く。床のシミが広がっているように見える。指先に力が入る。
やっとのことで声が出た。
「最初から言っているはずです。僕の目的は写真を返してもらうこと。先輩が写真部に対し謝罪するとか、父親や姉の写真を提出していたことを告白するとかは、どうでも良い。出来れば雨宮や一條には説明してほしいですけど」
「それだけでいいの?」
「友達の不安そうなところを見たくなかっただけなんで。僕を頼ってくれた二人と撮影者の一條、そしてモデルをした五十嵐を傷つけることだけは避けたかった。さっきも言いましたが、無くなった写真が他のなら、探しすらしなかったですよ」
「そっか、本当に私たちは嫌な偶然で出会ったんだね。写真なら後ろだよ」
西山先輩が指さした先には、掃除用具入れのロッカー。取手をひくと、錆びついた扉が甲高い擦れる音を上げながら開く。箒やモップ、バケツの奥に置かれた、一本の黒い筒を手に取った。
筒の上部に付けられたファスナーを開き腕を入れると、指先に触れる硬い感触。その感触を手繰り寄せて、取り出すと一枚の写真が出てくる。
よかった。
「ありがとうございます。僕は今からこれを届けてきますけど、先輩も一緒に行きますか?」
「私はもう少しここに居させて、後で行くから」
「わかりました。先輩から受け取ったとだけ言っておきます。隠したことを言うかは自分で決めてください。それでは」
「ちょっと待って。キミの名前は?」
「篠崎です」
「ありがとう篠崎君。それと、ごめんなさい」
「そんな、僕に謝らないでください。謝るくらいなら、僕のクラスのクレープを食べに来てくださいよ。売り上げに貢献してくれると助かります」
「分かった。行かせてもらうよ」
それからは西山先輩の方へと振り向かず、階段を下り学園祭の熱気の中に戻っていく。やっと現実に戻ってきたような暖かな感覚が、泡のように体の奥から湧き上がってきた。終わったんだな。
西山先輩と一條の違いは、写真への愛情じゃないだろうか。休みの日もカメラを持って写真を撮り続けている一條を、僕は知っている。そしてあの写真こそ、いつも一條がファインダー越しに見ている世界。きっと、写真と被写体への愛情が誰もを惹き付ける魅力なんだろう。
きっとそうだ。そうであって欲しい。
先にみんなへ連絡しようと思い立ち、最初に雨宮へと連絡をする。
二コール目で聞こえた声は、焦る様な声だった。
『篠崎くん、あの......写真は?』
「見つかったよ、写真は無事だと思う。今から届けに行くけど、準備室で良いかな?」
『大丈夫。私も今から準備室に向かうね。本当にありがとう、篠崎くんに頼んでよかった。......良かった』
「僕も安心した。一條たちには言ってあるの?」
『私も安心したよ。安心したら、涙出てきちゃった。えっとね、そのことなんだけど......替わる?』
「誰と?」
『もしもし聞こえる?』
電話越しに聞こえる聞き慣れた不機嫌な声。
「なんで朱音が」
『教室で雨宮さんに話を聞いたわ。お疲れ様、美菜の写真を見つけてくれてありがとう』
「うん、ありがとう」
『でもね、一言くらい私にも相談してよ。たまには頼って欲しいって言ったのに』
「ごめん。一條といるって言ってたから、変に連絡して心配させない方が良いかなって」
『それはそうだけど、少しは心配させてよ。私だって無関係じゃないんだから』
「そうだな、写真のモデルだし。そうだ、あの写真の朱音、綺麗だったよ。全然、朱音だって分からなかった......みたいな」
『うるさい......ありがとう。とりあえずお疲れ様! また後にでも相談乗るから!』
その言葉を最後に通話が切れた。ちょっと揶揄い過ぎたかな。それでも朱音の優しさに感謝しつつ、人の波をかきわけて準備室を目指す。そういえばもう一人、連絡をする相手がいた。
「よう、一ノ瀬。元気か?」
『元気じゃない、なあ美菜の写真はどうだった。大丈夫だったのか』
「落ち着けって。写真は見つけた、大丈夫だ」
『本当か』
「本当。いまから返しに行くから」
『俺も手伝いたかったんだけどな。篠崎、これは貸しにさせて欲しい。ありがとう、助かった』
「別に良いよ、暇だったしさ。貸し借りなんていらない」
『悪いな、ありがとう』
一ノ瀬と通話を終えた頃には、もう写真部の準備室の前だった。
閉じられた扉の前で廊下の隅に寄り、燃え尽きながら天井を見ていると、廊下の向こうから雨宮の小さな姿が見える。左手を上げて手を振ると、それに気づいた雨宮が手を振り返してくれた。
写真の入った三脚のケースを渡すと、嬉しそうな泣きそうな表情を浮かべ、受け取ってくれる。その顔に心が締め付けられる。すべての原因は僕だったから。
「ありがとう」
雨宮が大事そうにケースを抱きしめた。
「ちゃんと渡せてよかった。......ごめんな」
「え、なんで篠崎くんが謝るの?」
「写真が無くなったの、僕が原因かもしれない」
「そんなこと......。篠崎くんは謝らないで、こうやって写真を見つけてくれたんだし」
「ありがとう。本当に、ごめんな」
一言だけ謝ってその場を離れる。
階段を二段飛ばしで駆け上り、自分の教室へと足早に向かった。渡り廊下に出た瞬間、外の開放的な空気が肺へと流れ込み、肩の力が抜ける。
学園祭に何をしているんだろうな。
朱音に相談に乗ってもらうのも良いかもしれない。もしかしてこうなることを想定して、通話の最後に言ってくれたのかな。
なんて、そんなわけないか。
渡り廊下から校舎を見回すと、廊下の窓に貼られたシャーベットのポスターに目が留まる。
教室へ行くのはやめて、シャーベットでも食べよう。まだ午後二時、もう少しだけ時間はある。
この想いも、この後味の悪さも、全てシャーベットと一緒に溶けてしまえば良いのに。
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