学園祭準備

第28話 仲の良さは立方体

 あくびを噛み殺しながら、机に散らばったままのシャーペンと消しゴムを筆箱に仕舞い、鞄を開ける。ろうそくの火のようにユラユラ揺れるカーテンから吹き込む風が、前髪を揺らす。気持ちの良い時間帯だ。

 幸せだ、金曜の放課後というだけで、鞄に詰め込んだ教科書の重みすら心地よく感じる。席を立つ前に、『今日の夕飯は一緒に?』という朱音からのメッセージに返信をした。

 答えはもちろん決まっている。断る理由なんて無いし。

 一つ大きくあくびをして、自分の間抜けな顔が反射するスマホを制服のポケットに仕舞い込む。


「篠崎、今良いか? 学祭のことで少し相談があるんだけど」


 良いかと確認しながら、前の席の椅子を引き、こっちを向いて座る委員長。どうやら選択肢はないらしい。

 椅子と床の間から、きぃっと小さな悲鳴を上げた。何かの鳴く様な音、もしかしたらあの薄い隙間には、小さな妖精でも住んでいるんじゃないかな。学園祭の準備も、その妖精さん達が代わりに進めてくれるさ。

 ......はい、現実逃避はここまで。


「どうした? おやつはいくらまでですかとか、ジャージ登校はアリですかとか、そういう話か」

「いやいや遠足でも、運動会でもないから。とりあえず、これを見て欲しいんだ。用意しないといけないリスト」

「ちなみに僕は、バナナはおやつに入らないと思うんだよな」

「おやつだろ、あれ」


 無駄口を叩きながら膝の上に置いていた鞄を下ろし、差し出されたリストを上から下まで、一通り目を通す。小さく整った字は、数日前に黒板に書かれていたのと同じ文字に見える。これは、川口さんの字か。


「よく分かったな。このリストを篠崎に見せてくれって、川口さんに頼まれたんだ。一応説明すると、当日までに必要な小道具類だな。お店に置く看板と、宣伝用に首から掛ける看板、教室の装飾、ポスター、それにエプロンと調理器具一式、他には――」

「へぇ、模擬店って教室なんだな。それにしても、看板とか多くないか」

「去年の写真とか見たんだけど、かなり装飾が多いんだよ。だから、看板づくりを来週から始めたくて、ひとまず篠崎には全体を把握していて欲しかったんだ」

「そういうことね、まずは段ボール集めだな。数が多いけれど、看板のデザインはどうするんだ。美術部とかに頼むのか?」

「デザインは美術部にはもちろん頼むけど、暇な人にも手伝ってもらう感じだな。ちなみに川口さんが美術部だから、その辺の人選とか手伝いは任せて欲しいって。まあ、色んな人が描いた看板や広告があった方が面白いだろ。もちろん俺も描くし、篠崎にも案を出してもらうからな」

「了解、っていうかリーダーって言う割には、僕がするべきことがあんまり無いように思うんだけど」

「リーダーは、小道具作成の進行状況の管理と、何かあったときの仲裁役だよ」


 一番面倒なことを頼んじゃって悪いなと、申し訳なさそうに笑う委員長。そんな風に謝られると文句も言えなくなるだろ。

 仕方がない、いざこざがあって面倒なことになるくらいなら、サンドバッグにだってなってやるさ。でも、僕が誰かと言い争いになったら誰が仲裁するのか。まあ、喧嘩するのも面倒だし、また誰かを傷つけて辛い思いをするのはごめんだけど。

 さっきみたいな、「おやつはバナナに入るか」なんて言う争いなら仲裁なんかしないで、喜んで参加する。もちろん僕は、「おやつに入らない派」で。

 全てがそんな笑える争いなら良いのにさ。

 そうだな......。教室の隅で、数人のグループに交じって話をする朱音に目を向けた。どうやらクレープ作りについての話し合いらしく、黒板に何かを書きながら談笑している。黒板の字が消されるたびに、チョークの粉が静かに零れ落ちて、床を汚していた。

 教室の窓から差し込む西日に照らされた横顔に、あの日の光景がフラッシュバックする。

 雨音に包まれる涙、茜色の空の下で消えてしまうような笑顔。

 『家族を重ねていた』『幸せって思っちゃった』と、あの日の声が響く。

 考えるべきは、みんなが幸せになれる方法か、みんなが平等に傷つく方法か。どちらが簡単だろう......。いざという場合は、朱音を幸せにするっていう約束だけは優先させてもらう。朱音が助けてと言えば直ぐに手を差し伸べるし、誰かを好きになれば全力で応援しようと決めたんだ。

 たとえ、それが砂漠の中から一枚のコインを探せと言われるものでも、真っ白なカラスを見つけろと言うものでも。それに、過去を変えろなんて言われたらどうにかして時間の流れにも逆らってやる。

 まあ、そんなこと無理なのは分かっている。でも、それくらいの気持ちは持っていても怒られないだろう。恥ずかしいし、引かれそうだから本人には言わないけれど――。

 

「聞いてるか、篠崎。おーい」

「あ、うん。聞いてる、クレープ美味しいよな。うん」

「いや、聞いてないだろ」

「ごめん、意識飛んでた。屋上の辺りを彷徨っていた気がする」

「はいはい、おかえり。じゃあもう一回、簡潔にまとめるな。月曜からは皆で話し合いを始めて、装飾のデザインとか配置、模擬店の形態を決めるのが一つ。俺はクレープの方をメインで、川口さんは小道具関係をメインで手伝うことにしたから、細かいところは川口さんを頼ってあげてっていうのが二つ目。もちろん、俺でも良いけどな。こんなところか、大丈夫?」


 委員長の話に、首を縦に振る。

 話し合いまでに、模擬店の装飾とかのパターンを考えておけば良いってことだな。


「さて、学祭の話し合いはここまでだ。ところで、篠崎はどうするんだ」

「どうするって何を?」

「ほら、学祭って言えば、誰と一緒に見て回るかとか、誰と一緒に店番をしたいとか、そういうのあるだろ」


 そういえば、考えてなかったな。一ノ瀬あたりを誘えばと思うが、あいつは一條とが良さそうだ。そうすると他に誰が――。いないな。


「特に考えてないな。僕は一人でゆっくり見て回るよ」

「勿体ないな、折角のリーダーだぜ。シフトとか調整出来るんだから、好きな人と一緒に見てきなよ」

「公私混同じゃない?」

「一人分くらい大丈夫でしょ。それくらいはリーダー特権使いなよ」

「そんなもんかな。でも、好きな人なんていないし」

「本当か? うーん。少し前は、五十嵐さんと付き合っているのかなって話があったけれど、最近はそんな風じゃないしな」

「その話、雨宮に聞いた」

「五十嵐さんとは帰りが一緒だから、ふたりで帰ってるだけって感じなんだよな。別に学校にいる間、仲良さそうじゃないし。一ノ瀬達がいるから成り立ってる関係みたいな?」


 仲良さそうに見えないって言われると、少しムッとする自分がいることに驚きながらも、話を聞き続ける。


「最近だと雨宮さんかな。いつの間にか、篠崎と仲良くなってるし」

「僕と一緒に見て回るとか、雨宮が嫌がるだろ」

「そうか? 意外と似合いそうだけどな、雨宮さん可愛いし。まあ、他人が口出すことじゃないよな。っていうか、川口さんからはいつの間にか信頼されてるしさ......」

「いつの間にって、この前の渡り廊下の件しかないだろ。あの一回しか喋ってないし」

「そうか、段ボールを運んだときか。いいや、今日はもうお終い。わざわざ放課後にありがとうな、俺は部活行くわ。折角の学祭だ、誰と、どんな風に過ごすかしっかり考えておけよ、高校一年の学祭は一度きりだからな。じゃあ、良い週末を」

「ああ、葉山もな。また来週」

「お、苗字で呼んでくれた。結構嬉しいな」

「うるせ、早く行け」


 膨らんだスクールバッグを肩にかけて、走っていく後ろ姿に手を振り見送る。委員長が教室の角を曲がるのを確認し、机の上に疎らに散らばった消しカスを纏めて、席を立った。さて、帰ろう。

 朱音には、先にスーパーで夕食の買い物をしているというメッセージを送り、教室を出た。

 下駄箱から靴を取り出していると、さっそく返信が来た。どうやら、すぐ終わるからスーパーで合流するつもりのようだ。




 僕らはスーパーで合流し、いつものように夕食の買い物を済ませた。

 荷物を半分に分けて帰り道を歩く。

 体の半分ほどのランドセルを揺らしながら、僕らの横を元気よく走り抜ける小学生の集団を目で追ってしまう。走り回って転ばないだろうか、心配になる。


「いつの間にか、試食コーナーのおばさんにも顔を覚えられてたね」

「そうだな、いつもあの人に会うよな。一昨日なんか、彼女はどうしたのって言われたよ」

「同じね、私も昨日言われた」

「やっぱ聞かれたか、ゴールデンウィークは毎日一緒に行ってたもんな」

「そうね」


 気付かないうちに人間関係って広がるんだなと実感する。


「さっき委員長に、朱音とのことを言われたんだよ」

「え、なにを」

「学校だと、そんなに仲良さそうに見えないんだってさ」

「そうなのね、それでどう答えたのよ」

「何も言わなかったけどさ、少しだけイラっとした。委員長は悪くないんだけどな」

「イラっとね。もしかして、仲良さそうって言ってもらいたかったの?」


 どうなんだろうな。そっと隣を歩く朱音の様子を盗み見るが、下を向いて表情が見えない。声は笑っているように聞こえるが。


「別に仲が良く見られたいとは思わないんだよ。こうやって、夕食を一緒に食べたりするのを言ってないわけだし」

「この前まで一緒に生活してたこととかね」

「そうだな、何となく今までの時間を否定されたように感じたのかな。こう見えても、朱音とは仲良くなったと思ってるんだよ」

「なんだか、今日は素直ね」


 今日はじゃなくて、いつも素直だよ。

 朱音の声に続いて、制服の裾が引っ張られるのを感じる。

 

「私も、紫苑とは仲良くなったと思ってるわ。少なくても私は、高校に入って一番仲良くなったと思ってるし。お互いにそう思っているなら十分じゃない?」

「そうだな、ありがとう。でも、いつもの朱音とキャラが違うせいで調子狂うんだけど」

「悪かったわね。はいはい、優しくするのもこれで終わり」


 朱音のおかげで、自分の中の霧が晴れたような気がしていると、歩く先にマンションが見えてきた。

 少し前を進む朱音に付き添うように歩く。エントランスの脇に作られたレンガの花壇には、ひっそりと二輪の新芽が顔を出していた。互いに寄り添うような萌黄色が、春の名残を感じさせる。意識しなければ気付かないほどの小さな変化。どんな花が咲くのかな。

 エレベーターを待つ朱音の横に立つ。


「模擬店の準備、大丈夫そうか?」

「やるしかないって感じね。お願いされちゃったから」

「だよな、やるしかないよな」

「困ったことがあったら、一人で抱えないで私を頼ってよ」

「ありがとう。そっちもな」


 エレベーターが簡素な音を立てて到着した。

 学園祭まで、あと一か月と半分くらいか。

 上手く乗り越えよう、準備も当日も試験も。そうすれば、夏休みがやってくる。

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