第23話 溶けるアイスと観覧車

 マップを片手に迷いつつ辿り着いた小さなレストランは、遊園地の中でも最奥、エントランスから一番離れており、人も疎らだった。

 レストランの中には、甘い香りが充満し、暖色系に統一された柔らかなインテリアに統一され、暖かな空気が漂っている。通りに面する部分は一面ガラス張りで、暖かな日差しが差し込む。お化け屋敷でボロボロになっている僕らには、ゆったりと一息付けるような安らぐようなこの空間が、心地が良かった。

 壁に掲げられたパフェやアイス名前が羅列されたメニューを横目に、繋いだ手を離しながら窓際の席に着く。


「静かで、やっと落ち着ける。一ノ瀬達は楽しんでいるかな」

「もう当分、お化け屋敷はいいわ。一ノ瀬君たちなら、さっき連絡が来てたよ。写真付きで」


 言われて開いたグループチャット画面には、行列を背景に二人でアイスを食べている写真と共にメッセージが届いている。どうやら、ジェットコースターは二時間待ちのようだ。

 それにしても、アイスが美味しそう。

 

「二時間待ちか、結構ゆっくりできるな」

「そうね。それに、その写真のアイス美味しそう。いいな」

「美味しそうだよな。って、今からパフェ食べようとしてるのに、アイスに目が行くのかよ」

「良いじゃない。どうせ篠崎君も、アイスが美味しそうって思ってたでしょ」

「分かるか」

「ここ数日、一緒に寝る前にアイス食べているからね。あんな幸せそうな顔を見ていれば、分かるわよ」

「そういえば見られてるんだった」

「ほら、そんな嫌そうな顔しないで、はやく注文しましょう」


 五十嵐がメニューを開き、これだよねと指をさす。

 そこには学校で遊園地のパンフレットを見た時から、食べようと二人で決めていたパフェがある。好きなフルーツを二種類、そして好きなソースを一種類、リストの中から選べるというもの。

 一目見た時から、これは外せないと決めていたのだ。

 いわゆる一目惚れ。はじめから決めていました、というやつ。

 とちおとめの写真を見ながら、ひとめぼれ。イチゴなのか米なのか。

 そんなくだらないことを考えていると、ウェイターがテーブルまで来ていた。

 

「注文はお決まりでしょうか」

「このパフェを二つで。私は、イチゴとリンゴとヨーグルトソースにします。篠崎君はどうする」

「僕は、オレンジとブドウとダークチョコレートソースで」


 注文を終え、一息つく。

 風に揺れる木陰が机を撫で、その影を目で追う。ゆっくりとした動きが、眠気を誘ってくる。


「篠崎君はイチゴを頼むと思ってた」

「迷ったんだけどね。オレンジとチョコの魅力に負けた」

「少し意外。その組み合わせって美味しいの」

「うん。今度試してみ、オランジェットとか美味しいから」

「それなら、篠崎君が作ってくれるなら食べてみようかな」

「五十嵐が作ってよ。僕はお菓子作り苦手だし」

「それは残念」


 周りのカップルと比べて甘味のない、他愛のない話を続けていると、頼んだパフェが運ばれてきた。生クリームに乗ったオレンジとブドウが、日に照らされ輝いて見える。

 ひとくち食べると、口の中に酸味とチョコの苦みが広がり、幸せを感じた。窓の外へ目をやると、行き交う人々が幸せそうな表情を浮かべ、笑いあっている。親の手から離れ、走り出した男の子が、振り返りながら嬉しそうに何かを叫ぶ。その声を聞いた両親が、少し困ったように、それでも嬉しそうな顔をしながら、男の子の手を取りどこかへと歩いていく。

 窓越しに見る暖かな光景。

 ガラス一枚の隔たりが、目の前の景色を映画やドラマのように見せ現実感を無くす。

 幸せそうな家族――。


「ぐふっ」

 

 ヒンヤリと冷たいものが口に入れられ、甘酸っぱい風味が広がる。

 甘味に絡めとられ、ぼんやりとした思考が消えていく。


「どうしたのよ、ぼうっとして」

 

 呆れたように、五十嵐がスプーンを向けている。どうやら口に入ったのは、五十嵐が頼んだパフェだったらしい。イチゴとリンゴの組み合わせも美味しい。


「ごめん、ちょっとね。それにしても、このパフェも美味しいな」

「そうでしょ、美味しいでしょ。それで、外を見ながら固まってたけど大丈夫」

「ああ、大丈夫。ガラスって透明だなって思ってただけだから」

「それ大丈夫じゃないわよ。篠崎君、疲れてない。ほら、もう一口」


 差し出されたスプーンに口を開ける。

 大きなイチゴが、下の上を転がった。


「ありがとう。……甘いな」

「まあ、パフェだからね。篠崎君、笑える時にしっかり笑ってないと幸せになれないよ」


 スプーンを小さく振りながら真剣な眼で話す五十嵐。その言葉を聞き、僕は昔のことを思い出していた。『泣きたいときは思いっきり泣いて良いんだよ。そうすれば、いつかは笑えるようになるから。そのときは幸せになれるの』

 忘れられない記憶。

 いつの間にか、口に広がっていた甘酸っぱさが消え、記憶の香りが鼻から抜けていった。


「それなら五十嵐も、笑いなよ」

「良いの、私のことは。ほら食べましょう、アイスとか溶けちゃう」

「そうだな。こっちのも食べるか」

「うん、貰う」


 それからは五十嵐とパフェを食べつつ、結局どこにも行かずに二時間近く、人の疎らな店内でゆっくりとしていた。


「美菜たちから連絡が来たわよ。これ待ち合わせ場所だって」

「本当だ、そろそろ向かうか」

「そうね」

「一ノ瀬達は楽しんでくれたかな」

「たぶん楽しんでくれているわよ」

「そうか。そうだと良いな」


 僕らは小さなレストランを後にし、待ち合わせの場所へと歩く。

 途中で見かけたお店で、一ノ瀬達が食べていたアイスを買いながら。




 待ち合わせ場所で一ノ瀬達と合流し、再び四人で遊園地を回る。

 フリーフォールや小さなコースターにコーヒーカップ、午前中に比べ穏やかな時間が流れていた。

 そして日が暮れ始めた頃、最後に辿り着いたのは観覧車だった。

 大きく回る影に誘われるように四人で乗り込む。ゆっくりと上昇するゴンドラの中、三人の楽しげな声を聞きながら僕は天井を見つめていた。時々揺れるこの鉄の箱が、鳥かごのようだと思いながら。


「今日は楽しかったな。ああ、久しぶりにこんなに遊んだわ」

「うんうん、久しぶりだったよね、最近の圭は部活ばっかだし」

「悪いな、でも夏の大会までしっかり練習したいんだよ。まあ、こいつが部活に入ってくれれば、もう少し遊ぶ時間が作れると思うんだよな」


 僕が部活に入るのと、遊ぶ時間が増えるのにどんな関係があるのだろう。隣で僕の頬を引っ張ってくる一ノ瀬の横顔を、視界の隅でぼんやりと眺めながら、自分の頬って意外と伸びるんだなと静かに驚く。

 でも、そろそろ手を離してくれないかな。そして、向かいの五十嵐達もカメラを構えないで欲しい。


「時間はまだあるから、圭の好きなように部活しなって。私は、圭が遊びたいって言ってくれれば、絶対に時間作るし」


 喋った後、緩く巻かれた毛先を親指と中指で触りながら、恥ずかしそうに笑う一條。夕日に照らされた指先が仄かに赤い。


「そうね。私も時間あるし、また誘ってくれると嬉しいわ」

「ありがとう、そう言ってくれるとすっごく嬉しい。そうだな、夏だ。夏になったら、海にプールに、祭り、ほかにも……」

「うんうん、色んな所へ行こう。その時は、また四人で行きたいね」

「だな。四人で行けたら楽しいだろうな」

「いまから夏が楽しみね」


 穏やかな時間の中で、笑い声を乗せたゴンドラはゆっくりと回る。窓から差す夕日は、頂上へ近づくにつれ、世界中を抱きしめる様な優しい色味を増す。そんな中、僕は夕焼け色に染まる五十嵐の髪に目を奪われていた。

 僕の視線を気にせず外を眺めていた五十嵐が、ふと窓へと近づく。その動きに合わせ、ゴンドラも小さな音を立てて揺れる。


「もう頂上ね。ここって、こんなに景色良かったんだ。知らなかった」

「景色良いんだよな。五十嵐さんは、ここの観覧車初めてだったの」

「初めてじゃないけれど、最後に来たのはかなり前だから、記憶が曖昧で……。本当に綺麗ね。もっと早くに来れていたら」

「そっか、朱音ちゃん転校しちゃったから。それにしても、紫苑君さっきから静かだけど、どうしたの」

「そういえば篠崎、一言も喋ってないよな。どうした」


 三人の視線が一斉に、自分へと向く。それに合わせ、ゴンドラが再び揺れた。

 僕は視線に耐え切れず、重い口を開くことにした。


「観覧車が苦手」

「本当かよ。これのどこが」

「揺れるだろ、これ。ぐらんぐらんって。いつ外れて落下しても可笑しくないくらい、ぐらんぐらんって」

「まあ、風を受け流すから揺れるのは当たり前っていうか、そうしないと安全じゃない気もするけど……でもな、観覧車が苦手って。あんなにジェットコースターもお化け屋敷も平気そうだったのにな」

「そうだよね、意外な弱点見つけちゃった」

「私も、今日は悲鳴ばかり聞かれてたから、ちょうど良いかもしれないわね」

「よし、皆で写真撮ろう。圭の方に行くね」


 その言葉を切っ掛けに、向かいに座る五十嵐と一條が立ち上がり、僕と一ノ瀬の横へと移動すると、ゴンドラが今まで以上に傾く。声が出そうになるのを抑え、喉まで出ていた声を飲み込む。


「揺れるから、ゆっくり。お願いだから、ゆっくり動いて。うわ、傾てるんだけど」

「篠崎、慌てすぎ。ほらほら、もっと寄って」


 一ノ瀬の隣に立った一條がカメラを掲げて、四人が画角に入るように調整している。その画面の中では、沈む夕日を背に笑っている三人と困ったような顔をしている自分の顔。

 一條の声と共にシャッターの乾いた音が鳴る。

 僕の隣に座った五十嵐が、大丈夫、と小さく聞く声に乾いた笑顔を浮かべるしかなかった。


「もう一日終わっちゃうね」

「美菜も一ノ瀬君も今日は誘ってくれてありがとう」

「いやいや、こっちこそ。五十嵐さんが来てくれて嬉しかったよ。篠崎もありがとうな。苦手な観覧車にも乗って貰って。なあ、また誘ったら来てくれるか」


 いたずらっ子のような笑顔につられるように、僕も頷く。


「そうだな、三人の誰かが誘ってくれたら、いつでもどこでも行くよ。その……断る様な相手じゃないし」

「あ、もしかして紫苑君、デレてる?」

「なんだよ、遠回しだな。友達だからって言ってくれて良いのにさ」


 嬉しそうな様子の一ノ瀬が、僕の肩を組み大きく揺する。それに合わせてゴンドラも揺れるので、気が気でない。

 それに、めちゃくちゃ恥ずかしい。


「恥ずかしいんだからやめてくれよ。ああ、言わなければ良かった」


 それでも一條の溌剌とした表情と、一ノ瀬の嬉しそうな声につられて、自然と口元が緩む。

 日差しの眩しさに目を細め、窓の外に視線を向ける。

 一面に広がる夕焼けを眺める。優しい茜色に染まった空は、どこまでも繋がり、昨日と今日、今日と明日を繋いでいるように見えた。

 夕日に照らされ出来た人影が、昔の記憶を思い出させる。『もし涙を流したら僕が笑顔にさせる』という名前も知らないあの子とした昔の約束を。

 懐かさを胸に仕舞い込みながら、今日の話で盛り上がるみんなの方へと戻す。幸せそうな雰囲気の中、前を向くと五十嵐と視線が合う。

 五十嵐は首を傾げながら、困ったように、でも嬉しそうに笑った。

 観覧車はゆっくりと回り、再び搭乗口へと僕らを乗せて戻る。

 ぐるぐると遠回りをして再開する。




 帰りの電車には一ノ瀬たちも乗り、一緒に帰った。ボックス席の向かいでは、一條と一ノ瀬が仲良く眠り、隣では五十嵐が眠っている。

 とん、とん、と電車の揺れに合わせ僕にぶつかる五十嵐の肩が、温かく心地良い重さだった。

 駅へと到着した僕らは、一ノ瀬と一條に別れを告げて電車を降りる。

 聞きなれたホームのアナウンス。パン屋の香り。

 いつもの駅。いつもの街並み。

 帰ってきた、という実感が湧いてくる。

 現実感。

 寂寥感と充実感。


「なあ、五十嵐。今日は楽しめたか?」

「ええ、楽しかったけど。どうしたのよ、突然」

「いや、何となく聞きたくなっただけ」

「そう、ならいいけど。またこうやって遊べたら良いわね」

「そうだな、次はどこへ行こうか」

「色々、探してみましょう」


 街灯が照らす道を歩きながら、明日を想う。


「まあ、いまは夕食どうするかかな。なに食べたい?」

「和食食べたいわね。肉じゃがとか」

「和食か、近くにお店は無いんだよな。時間がかかるけれど、家で作るしかないかな。それでも良い?」

「私は良いよ。寧ろ、そっちの方が良い。一緒に作ろう」

「うん、分かった。じゃあ、急いで帰ろうか、家へ」


 空には茜色の名残は無く、深い青に染まっていた。

 明日もきっと、空の色は青く澄むのだろう。

 僕には、綺麗な空の色を導くことは出来ないが、それでも、綺麗な色を願い、雲行きを見守ることは出来る。

 皆が幸せな明日を。

 綺麗な茜空を。

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