第21話 無駄話とお化け屋敷

  浮遊感と冷たい風に包まれながら、重力に逆らうことなく徐々に近づく地面。

 目の前には遮るものが無く、ただただ加速しながら落下している感覚を全身で受けながら、僕は叫ぶ。


「うわ、速い! はーやーい」

「あー最高! ほら、紫苑君」


 隣に座る一條が僕の手を掴み空高く挙げる。

 地面と向き合っている今は、空高くというよりも地面に平行になっているが……一條につられ、若干の恥ずかしさを感じつつ、もう片方の腕も高く掲げることにした。

 最高時速に到達する頃には、口を開けても流れ込んでくる空気のせいで声が出ず、無声映画のように口と腕だけを動かすことしかできなかった。落下する浮遊感も、手を上げる恥ずかしさも消え、一條にされるがまま挙げた腕を振っていると、あっという間にゴール地点まで戻ってきていた。


「なにこれ速くないか。目が乾燥して涙出てきたんだけど」

「わかるわかる、目がパッサパサだよ。ほら、言ったでしょ。この遊園地で一番速いジェットコースターだって」

「そうだけどさ、想像以上だった。声なんか出ないし。まあ面白かったけどな」

「気に入って貰えて、よかったよかった。このまま、もう一周行く?」

「はは、それもありだけど……あの様子を見ると」


 視線の先には、出口に向かう人の波の中でふらふらと歩く五十嵐と、その姿を見ながら大笑いしている一ノ瀬。

 目を離すと見失いそうな人の中で、ふと顔を上げた五十嵐と偶然目が合う。疲れたような笑顔を浮かべ、「速すぎ」と口が動いたように見えた。

 「もう少し時間を空けた方がよさそう」という言葉に笑いながら頷いた一條は、五十嵐たちに向かって手を振ると、マップを広げ次の目的地を僕に伝えてくる。

 一條の指は、色とりどりのマップの中のある一点。

 それは、遊園地の全ての色彩を混ぜ合わせ、笑顔を抉り取ったような場所だった。


「なあ、一條。お前は鬼ですか?」




  一歩進むごとに空気がヒンヤリと冷たくなる。

 いつの間にか太陽が雲の間に隠れ辺りは暗くなり、隣を歩く五十嵐の表情もどことなく沈んでいる。それに一ノ瀬も。

 やはりと言うか何と言うか、目の前にそびえ立つ寂びれた建物を見上げると少しだけ鼓動が速くなる。それが好奇心のせいなのか、恐怖心のせいなのか僕には判断が付かない。ただ分かるのは、一歩ずつ確実にその音が大きくなっているということだけ。

 身体の中から聞こえてくる音に反するかのように、廃れたホテルの扉がゆっくりと静かに開いた。

 僕らの前で開いた扉の向こうから、黒く重たい空気が這い出て纏わりついてきた。


「まさか、ジェットコースターを二連続乗った後に、お化け屋敷へ来るなんて。なかなかハードなプランだな。五十嵐は大丈夫か。ついでに一ノ瀬も」

「俺はついでかよ。って、まあこのプランは俺と美菜で考えたからな。平気だぞ、大丈夫だ。ああ、問題ない」

「心配されなくても私は大丈夫よ。それにしても一ノ瀬君、本当に大丈夫? さっきからずっと拳を握り緊めているけれど」

「え。ああ、これは楽しみ過ぎて力が入っちゃっているだけだから」


 困ったように笑いながら握り緊めていた拳を解き、だらんと下げていた手を小さく振る一ノ瀬。ああ、お化け屋敷苦手なんだな。


「それに、そう言う五十嵐さんだって、次の目的地を聞いたときからずっと『お化け屋敷。お化け屋敷。お化け屋敷』って、ゾンビみたいに呟いていただろ。本当は怖いんじゃないのか?」

「お化け屋敷に行けるっていう喜びが、思わず口から出ちゃっていたみたいね。私は怖くないわよ。一ノ瀬君と一緒ね」

「ははは、そうかそれなら一緒だな。いや、楽しみだな」

「ふふ。そうね、楽しみね」


 身体を揺らしながら笑いあう二人。その後ろ姿を眺める僕と一條は、「二人とも怖がっているのが一緒だな」と漏らしつつ、開かれている扉の向こうを見ていた。

 流れ出てくる煙の中、揺れる黒い人影が徐々に大きくなり、音もなくすぅっと近づいてくる。ボロボロに破れた制服、血に濡れた肢体、頭に雑にまかれた薄汚れた包帯と脚を引き摺りながら歩く姿はホテルのベルマンと言うより、ゾンビだ。

 話に夢中の二人は気付かず、未だにお化け屋敷は怖くないと自分達に言い聞かせている。ああ、これが傷の舐め合いっていうのかな。


「ツギのお客サマ、オ部屋、にご案内シます」


 濁った眼をしたベルマンは、五十嵐と一ノ瀬の間に割り込むように顔を出すと、ザラザラとした肌に纏わりつく声を出した。気温がさらに下がったかのように感じる。


「うわっ」

「きゃ」


 びくりと肩を動かす二人から小さな悲鳴が聞こえる。一瞬固まった二人は、後ろにいる僕らとベルマンを交互に見比べつつ、素直にベルマンに連れられるように歩き出す。

 その姿を笑顔で手を振りながら送り出す、僕と一條。楽しんできてな、と一言添えて。その言葉に、一ノ瀬たちは我に返ったように勢いよく振り返った。


「おい篠崎! お前は来ないのか」

「美菜も来ないの?」

「行きたいけど……なあ、一條」

「これ一グループで貰える懐中電灯は一本だから、二人で行った方が良いんだよね。だから二人で楽しんできて、途中で追いついたらその時はペアでも変えようよ」

「そういうことらしい。五十嵐も楽しんで。あんなに楽しみそうにしてたんだからな」

「えー聞いてない。聞いてないから」

 

 それでもゆっくりと歩き、ホテルの中に姿と声が消えていく。最後まで何かを訴える様な目をしていたが、静かに扉が閉められた。

 さっきまで二人で舐め合っていた傷口に、たっぷりと塩を塗る形になってしまったが、まあ良いか。あとで仕返しが怖いけれども。正直、お化け屋敷よりもゾンビよりも怖いけれども。


「一條は、一ノ瀬と一緒に行かなくて良かったのか」

「はは、別に圭は関係ないよ。あの二人がお化け屋敷苦手だったのは意外だったから、ごめんねって思っているけれど。こうやってゆっくりと紫苑君と二人で話せるのも新鮮だしね」

「お化け屋敷は、ゆっくりと話す場所じゃないと思うけれどな。それにしても偶々の流れで、あの二人が先に行っちゃったのは心配だな」

「確かに心配だよね、進めてるかな。あの二人はホラー映画とか結構好きで、ときどき観てたから平気だと思ったんだけどなあ。ふふふ。まあ、心配って言いながら二人が行くの止めなかったよね」

「好奇心が勝っちゃってな。ってそれは一條も一緒だろ」

「うん、一緒。だから、早く追いつくように進もうね」


 再び扉が開き、先ほどのゾンビのようなベルマンが歩いてくる。

 大きくなる引き摺る足音。

 僅かに大きくなる心音。

 ベルマンは目の前で止まり、避けた口を開き――。

 

 「ツギのお客サマ、オ部屋、にご案内シます」


 さて、五十嵐たちを探しに行こう。




 案内された廃ホテルのフロントでは、汚れたデスクと壊れた椅子、点滅するライトが目に入る。なかなか不気味な雰囲気が醸し出され不安感を煽られる。扉が閉じる音と共に、太陽光が一切入らず、薄暗かった空間が更に一段と暗くなった。


「お客サマの、オ部屋は、404号シツで御座イます」


 この404号室が一先ずの目的地なのだろう。僕らはカードキーと懐中電灯を受け取り、「ごゆっくり」という言葉を背に歩き出した。


「四階の四号室ってさすがだな。普通のホテルだと四階とか四号室とかに客室が無い場所もあるよなな」

「そうだよね。楽しくなってきたなあ」


 僕らは上へと繋がる階段を探しに歩きだす。

 ホテルの廊下は何本にも枝分かれし、時々他の客室にも入りながら進んでいく。シミの付いたカーペッド、今にも動きそうな人影、真っ赤な液体が溜まった浴室。

 細部まで作りこまれていて、本物のような錯覚に陥る。


「うわぁ、これ凄いな。本物も出てきそう」

「うんうん、結構怖いよね。嫌な臭いもするし、空気もジメっとしているよ」

「だよね。あれ、階段が見えてきたな。そこ足元に気を付けて」

「ありがとう。やっぱり、朱音ちゃんが言っていた通りだね」

「何の話?」

「えーとね、紫苑君はときどき優しいって」

「優しい……ね。それに時々って」

「そう、ときどき。あとね、聞きたかったんだけどさ。紫苑君と朱音ちゃんって、もしかして学校以外で会ったりしてるの? 意外とお互いの好みを知っていたり、距離が近かったりしてね。これはもしかしてって思ったわけ! で……どう?」


 薄暗い廊下に響く場違いなほどの一條の明るい声。

 何か期待に満ちた大きな目が見つめてくる。

 五十嵐と家が隣だってこと、いま一緒に過ごしているということ。うん、言えないな。


「いやいや、もしかしてって……。そんなに好みとか分からないけれど、うわっ。なんだよ」


 ドン、ドン、ドンドン、ドンドンドン。

 突然、前を通りかかった扉から身体の奥に響く様な音がし、一瞬身構える。暫くすると音が止み、静寂のみが残った。

 足を止めた僕を追い越すように、一條が先に歩き出す。


「ふふ、ははは。紫苑君、驚き過ぎだよ」

「さすがに真横の扉があんなに叩かれたらびっくりするって。一條だって、あれは絶対驚くから。っていうか笑いすぎ」

「ごめんごめん、いっつも落ち着いている紫苑君が、あんな声を出すのが意外過ぎて面白くって。ふふ、私は、そこまで驚かな……」


 肩を震わせ、目に涙を浮かべながら振り返った一條が固まる。

 視線は僕の後ろの何かを捉えていた。

 きぃっと、扉が軋む音。

 ドサッと、重量のあるものが崩れる音。

 一條につられて振り返った先には、ゆっくりと開いた扉の裏から這い出るように白い腕が覗いていた。その腕が手首を軸に動き出すと、引き摺られるように頭が現れる。

 

「あ、あれ。動いてるよ」


 一條の声に反応するように這い出た頭が、油の切れたブリキのようにぎこちない動きで僕らの方を向く。真っ赤に充血した目が僕らをハッキリと捉えていた。

 口が開き、真っ黒な口内が見える。


「ヴ、グガ、ヴァァァァァ」


 叫び声に反応するように廊下全ての客室の扉がゆっくりと開いた。

 隣で一條が悲鳴を堪えた声が聞こえた。


「ねえ、紫苑君。これ不味いって。紫苑君!」

「ああ、走ろう」

「うん!」


 僕らは弾かれたように、左右の扉が開きつつある廊下を突き当りの階段まで走り出した。

 開かれた扉の隙間から見える腕、腕、腕。

 階段までたどり着くと、一條と顔を見合わせ頷くと、そのまま勢いよく駆け上る。


「はあ、はあ、はあ。大丈夫か」

「はあ、はあ。うん、大丈夫だよ。はあ、はあ、は、ははは。いやぁ、びっくりした。驚いたなあ」

「そうだな、あんなに出てくるなんて……迫力が凄かった」

「でも楽しかったよね。あの二人、大丈夫かな」

「さすがに二人が心配だよな。もう行くか?」

「うん行こう」


 二階には廊下は無く、目の前には扉があるのみだった。

 僕は呼吸を整えて、扉を開き一歩踏み出した。

 

「二階は、この部屋からまた別の部屋へと移動していく感じなんだな」

「そうだね、狭いから慎重に行こう」


 五十嵐たちに追いつくように少し急ぎながらも、慎重に進む。


「紫苑君。さっきの続きだけどさ、朱音ちゃんと仲良くしてあげてね」

「ん? 言われなくても仲は悪くないと思うけれどな」

「ふふ、それは知ってる。最近、朱音ちゃんも笑うのが多くなったし、紫苑君の話をしているときの顔は、結構リラックスしているからね。紫苑君も同じように見えるし」

「僕はそんな顔しているか」

「しているよ。なんかね、二人とも気を張ってないっていうかな、素? みたいな。特に今日はそんな感じだよ」

「そっか。仲悪そうって言われるよりは良いかな」

「うんうん。だからこれからも、朱音ちゃんのことよろしくね。紫苑君にしか出来ない事かもしれないからさ」

「どういうことだよ」

「分からないけれど、なんとなくね。なんとなく……」


 それから先は何も言わなかった。

 一條とはそれから、昔、二人で遊んでいた五十嵐のお気に入りの場所や、昨日の買い物の話など、お化け屋敷に似合わない会話をしつつ、一つ二つと客室を通り、突然鳴る電話やベッドから這い出るゾンビに、時々小さく悲鳴を上げながらも進んでいった。

 一條は時々、壊れかけのクローゼットなどを覗き込んでは、何かを見つけて驚いたり笑ったりと、ころころ表情を変えている。

 そろそろ二人に追いつくだろうか。


「二人を見つけたらさ、今度は一條と一ノ瀬が先に行きなよ」

「いいの?」

「いいよ。その方があいつも安心するだろうし」

「ふふ、ありがとう。あ、もしかして紫苑君は、朱音ちゃんと一緒に歩きたいのかな?」

「別にそんなんじゃないって。あぁ、いや、まあ、お化け屋敷では、ちょっとした約束があるから、半分正解かも」

「なにそれ、二人の秘密? そういえばさっき写真を撮ったときも二人で何か話してたよね」

「はは、それは内緒だ」

「うわ怪しいなあ。二人の関係は怪しいよ。やっぱり、めっちゃ仲良いんじゃないの?」

「一條と一ノ瀬の関係には負けるよ」

「え、私と圭はそんな……」


 話を逸らしながらも歩いていくと、遠くから「きゃ、何これ」「無理無理」と聞きなれた二人の声が耳に届く。

 その叫びを聞き、予想通りの反応に僕らは顔を見合わせて笑い、歩調を速める。

 二人に会ったら、何を言われるだろうか。

 一ノ瀬は笑うのか、強がって平然としているのか。

 五十嵐も強がるのかな。それとも、僕を怖がらせようとしてくるのかも。

 とにかく、追いついたらまずは謝ろうかな。

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